EPOCALC's Hidden Basement 2


誰にも見せる予定のない隠し記事Part2。
今回は「恋愛」について。

恋愛、というとどこか軽佻浮薄なイメージが付きまとい、
なんだか馬鹿にされるようなことが多いが、
「死」と同じく、古代ギリシャ時代から俎上に載ってきた重要なテーマである。
故に語らない訳がない。

恋愛というのは成就すれば多くの幸福が待っている、というのが一般の見解だと思うが
果たして本当にそうだろうか。
皆が神聖視する「恋愛」などというものはこの世に存在せず
実際の"恋愛"は退屈の連続のように思う。

これから僕の話をさせてもらう。
中学三年生の時の話である。
僕は2つ年下の後輩に告白され、
特に断る理由もなかったので付き合うことにした。
今思えば、彼女は
・美少女
・博識で、僕の小難しい話も受け止めてくれる
・方言がたまに入る
・僕のことを何故か自主的に「お兄ちゃん」呼びする
と他人が羨むような理想の恋人、僕には勿体ない人であったが(下二つは最早アニメだ)
残念ながら僕にとって、この恋愛はそこまで幸せなものではなかった。
それまで僕は失恋続きであったが、
傷心してまで夢見た"恋愛"というのがかくもツマラナイものだったのか。
むしろ互いに気を使い、精神が減るようなものではないか。
恋愛と言っても結局は人間関係であるから、いずれ摩擦が生じ互いに傷つかないか。
そもそも、彼女が僕を愛してくれているほど、彼女に愛情を注げるだろうか。
そう悩んだ僕は受験を理由に半年で別れてしまった。


要は「恋愛は成就しない状態が一番楽しい」のである。
安定とはすなわち平和、
平和とはすなわち退屈である。
成就した恋愛は退屈だ。変化がない。
だから皆別れ話を切り出そうとする。
だから皆戦争をおっぱじめる。

さらに気付いたことだが
片思いには「可能性」がある。
もちろんペケになる可能性も十二分にあるのだが、
それを覆い隠してしまうほどの希望に満ち満ちた「可能性」が。

これを消せるようなものはなかなか存在しない。
でも、実際始まると「可能性」の一つが実際に選ばれ、
それ以上動かしようがなくなる。
そうなることは、当人にとって不満の種である。

資本主義社会において何故共産主義等の思想が叫ばれるか考えれば簡単。
子供の時分はさっきと同様、
誰も消せない「可能性」に満ち満ちているが、
実際社会内のレースが進むと「可能性」が一意に選ばれる。

そうすると各個人において不満が生じる。
なあに、経済弱者のための共産主義だけじゃない。
どんな幸福に見えてもすべての人が弱者であることは
星新一が掌編「治療」で示した通り。
この資本主義社会内での不満と同じ現象が
成就した恋愛にも見られるのだ。

じゃあ何が良くて恋愛するのか。

僕が思うに、成就した恋愛は芸術と同じようなものではないか。

芸術は人間が追い込まれた時、
言い換えれば「合理性」の外に追いやられた時、
シェルターとなってくれるものである。

(と、恩師のエム先生が教えてくれた。)


実際、僕も浪人という学生制度の外に置かれた時や
母親が信仰を失い精神病になってしまった時、
音楽に頼った部分が大きい。

同じように、「社会」や「合理」の外に置かれた時、
すなわち精神が震えだしそうなとき、
親身に寄り添ってくれる唯一の第三者が恋人である。
J-Rockの歌詞にありがちな
「世界中が敵になっても 僕は君を守るよ」
的なのはとってもイタイが、あながち間違ったことは言っていない。

芸術のように、普段は無用なものでもいざというときに守ってくれる。
その「安全装置」としての恋愛をすることは
常日頃の不安を除く意味においてもしておいて全く損はない。
もちろん、親身になる恋人がいる日々が美しいことは言うまでもないね。

実際、恋人がいた高校受験に比べて
いなかった大学受験のなんと苦しかったことか。
あまりの孤独に現役時は受験会場でもらったカイロに号泣してしまい、
浪人時は常に死を意識していた。

もし彼女と別れていなかったら、
高校時代の苦難ー先述した母の精神病ーも
労せず乗り越えられたかもしれない。
別れる決断をしたのは悪手であった。
以来、僕には恋人はいない。

教訓。
片思いをする人が実は一番幸せ。
成就した恋愛は平均すると不幸せにさえなりうるけれど、
幸不幸を超越したものをもらえる。
成就した人は、過去の僕のように、それを壊さないようにしよう。


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