――この先残された短い時間、あたしはあたしにとって価値あるものとだけ、生きていくわ。
<比率>
0:2:0
<時間>
40~50分
<登場人物>
青空
【八塚青空(やつか あおぞら)】女性
女子高生。ある時街中で塀の隙間から「覗き」をしているのどかに出会う。
のどか
【井上のどか(いのうえ のどか)】女性
隙間があると「覗き」たくなる80歳。
<利用規約>
https://writening.net/page?bmsmZi
------------以下台本—----------
―ある日
(のどか、中腰でコンクリートの装飾ブロックの隙間をのぞいている)
(通りかかった青空、それを見つける)
青空:あのぅ……
のどか:……
青空:あの……
のどか:……
青空:あの!
(のどか、驚いて青空を見る)
のどか:わ、びっくりした。あたし?
青空:あ、はい、あなたです。
のどか:そうだったのね、ごめんなさい。あたしに何か御用かしら?
青空:御用もなにも、あの、何してるんですか?
のどか:あいたたた、やっぱりこの姿勢は腰に来るわねえ。
青空:……
のどか:ちょっとごめんなさい。すこし伸びをさせて頂戴ね。
青空:あ、はい。
(のどか、伸びをする)
のどか:……よしっと。
青空:……
のどか:今はあんまり見なくなったわよね、こういうコンクリートの塀って。
青空:崩れたりしたら危ないからじゃないですか。
のどか:ああ、なるほど。
青空:昔ニュースで見ました。地震で崩れて、女の子が下敷きになっちゃったって。
のどか:あらそうなの。それは気の毒な話ね……。
青空:はあ、まあ。あ、いや、そうじゃなくて……
のどか:でもあたしね、結構好きなのよ。こういう塀。この穴の開いた装飾が、特に。
青空:……今みたいに向こう側を覗けるから、ですか?
のどか:ふふ、そう。
青空:何やってるんですか。
のどか:だから、覗いているのよ。
青空:それは分かりました。私が言いたいのは、なんでそんなことをしているのか、ってことです。
のどか:だって、気になるんだもの。
青空:気になる?
のどか:隙間って、覗きたくならない?
青空:えぇ……
のどか:あたし、こういう隙間を見ると、その向こう側が気になって、覗きたくて仕方なくなっちゃうのよ。
青空:だから、覗いていたってことですか?
のどか:そう。
青空:……何が見えましたか。
のどか:素敵なお庭が見えたわ。
青空:はぁ。
のどか:よいしょっと。
(のどか、再び中腰になってブロックの隙間を覗く)
のどか:大きな家だから、お庭の手入れをする人を呼んでいるのかしら。それとも、ご主人か奥様が趣味でお手入れされているのかしら。立派な松に、あれは……なにかしらね。あの白いお花が咲いている木。
青空:……
のどか:あなた、なんだと思う?
青空:え。
(青空、のどかと一緒に塀の隙間を覗きこむ)
のどか:ほら、松の右手側の植え込みの。
青空:ああ……
のどか:あの花の名前、知ってる?
青空:いえ、知りません。
のどか:そう。まあ、綺麗だからなんでもいいわね。
青空:じゃあなんで聞いたんですか。
のどか:知ったらそれはそれで楽しいけれど、知らないままも、好き放題あれこれ想像できて楽しいじゃない?
青空:そんなものですか。
のどか:あたしはね。
青空:そうですか。
のどか:そういえばあなた、見かけない顔ね。
青空:ひと月前に越してきたばかりなので……。
のどか:あら、そうなの。お名前は?
青空:八塚です。
のどか:八塚、何さん?
青空:……青空。
のどか:あおぞら?
青空:……はい。
のどか:素敵な名前ね。
青空:私は、あんまり好きじゃありません。
のどか:そうなの?
青空:名前に「青空」って。普通はナシじゃないですか?
のどか:でも今は、結構色んなお名前の人がいるじゃない?
青空:キラキラネームってバカにされるやつですよ。
のどか:でも、あたしは好きよ。あたしと相性がよさそうだもの。
青空:え?
のどか:あたしの名前ね、井上のどか、っていうの。
青空:のどか……ですか。
のどか:当時はやっぱり「おかしな名前だ」「馬鹿みたいだ」って言われたものよ。
青空:そうなんですね。
のどか:あたしの若いころは「トミコ」とか「サチヨ」とか、そういう名前が主流だったから。
青空:変わらないんですね、いつの時代も。そういうの。
のどか:そういうことね。まあこの歳にもなると、自分の名前の好き嫌いなんて、もうどうでもよかったりするんだけど、ふふ、今日はあたし、八十年生きてきて初めて、はっきりと自分の名前を好きだと思えたわ。
青空:……
のどか:「のどか」に「青空」なんて、穏やかで優しい感じがして、いいじゃない?
青空:……そう、かもしれません。
のどか:ふふ、だからね、あたしたちきっと、相性がいいのよ。
青空:どうでしょう。私に覗きの趣味はないので。
のどか:でも、叱らないでくれたし、ちょっぴり付き合ってくれたじゃない。
青空:それは……成り行きというか……
のどか:それでも、よ。……さあ、そろそろ帰ろうかしらね。腰も痛くなってきたころだし。
青空:……
のどか:じゃあね、青空さん。今日はとっても楽しかったわ。ありがとう。またね。
青空:あ。
(少しの間)
青空:またね、って……。
【間】
―またある日。
(のどか、今度はある家の生垣の隙間を覗いている)
(通りかかる青空)
青空:……またやってる。
(青空、のどかに向かい歩いていく)
青空:井上さん。
(のどか、身体を起こす)
のどか:あら、青空さん。おはよう。
青空:またやってるんですか。
のどか:そ。ねえ、ここ、あたしの嫌いな人の家だったわ。
青空:え。
のどか:たまたま覗いたら、ね。もうびっくりしちゃった。
青空:そんなこと、あるんですね。
のどか:まあまあ長くこの町には住んでるけど、誰がどこに住んでるとか、興味持ったことなかったのよね、そういえば。
青空:人付き合いのしかたにもよると思いますけど。
のどか:そうねえ。そういう意味では、あたしはあんまり人付き合いしてこなかったから。
青空:はあ。
のどか:この家のじいさんが、その原因のひとつでもあるんだけど。
青空:なにかあったんですか。
のどか:なんでも二十年以上この町に住んでいて、なんだっけ、そうそう、名誉町会長らしくて。五年前ここに越してきた新顔のあたしに、やたらと意地悪してきたの。
青空:ああ……
のどか:ずっと見ていたら、あの人、ちゃあんと弱そうな人を選んでるのよね。やり返してきそうな人とかにはすごく親切で。
青空:いますよね、そういう人。
のどか:そういうのが煩わしくて、あんまり人付き合いはしてこなかったってわけ。
青空:なるほど。
のどか:さすがに五年経った今は何もしてこないけどね。あたしが歳のおかげでだいぶ図太くなったのもあるだろうけど。
青空:でも、嫌いなんですね。今も。
のどか:そりゃあそうよ。向こうはあたしのことなんかろくに覚えちゃいないかもしれないけど、こっちは忘れないわよ?結構悩んだんだから、当時は。
青空:まあ、それもそっか……。
のどか:ふふ、あたし、タヌキのように執念深いの。
青空:タヌキって執念深いんですか。
のどか:さあ?でも言われてみればなんとなくそんな気がしない?
青空:どうでしょう。
のどか:でも、なんだかどうでもよくなっちゃったわ。
青空:どうしてですか?
のどか:ほら、見て見て。
青空:え。
(のどか、青空の背中を押す)
(青空、のどかと並んで、生垣の隙間から覗く)
青空:あの人……ですか?
のどか:そ。
青空:なんか、イメージと違う……。
のどか:でしょう?あたしもびっくりしちゃった。外で見かけるときは、あんなにふんぞり返って偉そうなのに。
青空:こう言っちゃなんですけど、しょぼくれてるっていうか……
のどか:幸せじゃないのかもしれないわね。
青空:……
のどか:こんな素敵な生垣のある、立派な家に住んでるのにね。
青空:物に恵まれているからといって、心も恵まれているとは限らないんじゃないですか。
のどか:あら、ずいぶん深いこと言うのね。
青空:だってそうじゃなかったら、今のこの世の中、あたしたち誰も悩んだりしないと思うんです。
のどか:ま、それもそうね。
青空:それに、みんながみんな、「私たちは恵まれていて幸せです。満たされています」みたいな感じでニコニコしてるのも、想像したらちょっと怖いっていうか。
のどか:ホラー映画みたいね。
青空:ホラー映画見るんですか。
のどか:結構好きよ、あたし。青空さんは?
青空:どちらかというと、苦手です。
のどか:好き嫌いの分かれるジャンルよね。
青空:……だと思います。
のどか:あら、あれお嫁さんかしら。
青空:どうでしょう。
のどか:なんだか、邪険にされてる感じね。
青空:声も聞こえないのによく分かりますね。
のどか:だってあのお嫁さん、あの人があたしに威張り散らしてた時とそっくりなんだもん。
青空:ああ、なるほど……。
のどか:今日はもうやめときましょ。ずっと見ていても気持ちのいいものじゃないし。
(のどか、垣根から離れる)
(つられて、青空も垣根から離れる)
青空:……
のどか:意外って顔ね。
青空:あ、いや、スカッとしたとか、そういう感じじゃないんだなあって。
のどか:そうねえ。なんでかしらね。
青空:……分かりませんけど。
のどか:青空さんなら、スカッとする?こういう状況になったら。
青空:……すこしだけ、「ざまあ」って思うかもしれないです。
のどか:じゃあきっと、あたしが歳を取ったってことなのかもしれないわね。
青空:歳の問題ですか?
のどか:残された時間の問題、かしら。
青空:時間……
のどか:そりゃあ、あたしも青空さんも、いつ死ぬか分からないけれど、それでもやっぱり、確率として、あたしの方が残された時間は短いと思うの。
青空:……
のどか:残された時間が短いなら、できればそのすべてを、楽しく平穏に過ごしたいから。
青空:「ざまあ」って思うのは、楽しくないんですか?
のどか:だってそう思ったら、前よりその人のこと目で追っちゃいそうでしょ?
青空:外で見かけたりしたら、そうなるかもしれません。
のどか:たとえあの人にそれなりの理由があったとしても、あたしがあの人のことを嫌いなのは変わらないから。だからこれは、本当に知らなくていいことだなあ、って。
青空:……そうですね。
のどか:嫌いな人のことを考えたり見たりしている時間がね、惜しいのよ、単純に。
青空:言われてみれば、そうかもしれません。
のどか:そこまでの元気もないっていうか。
青空:……
のどか:それならあたし、新しい隙間を見つけて覗いたり、青空さんとこうして話したりしている方がいいわ。
青空:井上さん……
のどか:あら、のどか、って呼んでよ。
青空:え。
のどか:ほら、「のどかに青空」。ね。
青空:あ、あの。
のどか:なあに?
青空:あたし、調べたんです。この間の、白い花。
のどか:え?
青空:遠目だったから、もしかしたら違うのかもしれませんけど。花の形や木の高さから、これじゃないかな、って……
のどか:……
青空:ヒイラギモクセイ、っていうらしいです。
のどか:ヒイラギの仲間なのかしら。
青空:多分。あの、こういう生垣にもなったりする花、らしいです。
のどか:そうなのね。
青空:知らなくてもいいって、いのう……のどかさんは言ってましたけど、私は気になったので。
のどか:……ふふ。
青空:なんですか。
のどか:あたしやっぱり、青空さんとこうして話している時間の方が大切だわ。
青空:そ、うですか。
のどか:ひとつ新しいことが知れてよかったわ。ありがとう。
青空:それは、なによりです。
のどか:それじゃあね。青空さん。今日も楽しかったわ。
青空:あ、はい。
のどか:じゃあ、またね。
青空:あ……えっと、また……
【間】
―またある日。
(青空、ある家のブロック塀の隙間を覗いている)
(通りかかるのどか)
のどか:青空さん?
青空:……っ!
(青空、身体を起こす)
のどか:あら、この間のとは違う模様で、これもまた覗きたくなる装飾の塀ね。
青空:あの、その……
のどか:何か見えた?
青空:……特には、何も。
のどか:あたしも覗いていい?
青空:あ
(のどか、隙間を覗きこむ)
のどか:まあ、可愛いお庭。お留守かしらね。ずいぶんと静かだわ。
青空:……ご両親は仕事に、娘さん……は学校に行っているんだと思います。
のどか:学校のお友達のおうち?
青空:あの……
のどか:そういえば青空さん、会う時はいつも制服着てるし、学生さんなんだろうなって思ってはいたのよ。
青空:いえ……えっと……
のどか:……
青空:その……
のどか:青空さん
青空:なんでもないです!失礼します!
のどか:あ、ちょっと、青空さん
(青空、駆けだす)
のどか:……
【間】
―さらにある日。
(のどか、ある家の生垣を眺めている)
(青空がやってくる)
のどか:ねえ、青空さん。この生垣の花、見て。
青空:……
のどか:これ、ヒイラギモクセイじゃないかしら。
青空:たぶん……そうです。
のどか:ふふ、本当に生垣にも使われるのね。でもヒイラギの葉っぱってやっぱり痛そう。隙間もないし、これは覗けないわね。
青空:そうですね。
のどか:やっぱり青空さんに教えてもらって良かったわ、この花の名前。知らないままだったら、きっとこの生垣には気付かずにいたと思うもの。
青空:隙間を覗けないなら、結局同じなんじゃないですか。
のどか:隙間を覗かなくても楽しくなれるもの。好きな人から教えてもらったことなら、なおさら。だから、同じじゃないのよ。
青空:……ロマンチストなんですね。
のどか:言ったでしょう?残り時間が短いなら、楽しい方がいいって。
青空:残り時間が短くなくても、楽しい方がいいですよ。
のどか:それもそうね。
青空:……
のどか:……
(少しの間)
のどか:この間は、ごめんなさいね。
青空:え……
のどか:なんだか詮索するみたいな物の言い方をしちゃったな、って。きっと青空さんには触れてほしくないことだったんでしょ?
青空:……
のどか:歳を取って、強く図太くなって、楽になったことも、楽しくなったこともたくさんあるけど、こういう風に図々しくなっちゃうこともあるから、気をつけなきゃいけないわね。
青空:別に、のどかさんが謝ることじゃ……あたしが勝手にパニックになって逃げただけで……
のどか:そうだった?でもいいの。あたしが悪いと思ったんだから。あたしは、あの時の自分がなんだか余計な、踏み込んだことを言う、嫌な年寄りだと思ったの。そして、青空さんに嫌われたくないとも思ったわ。……こうして謝るのも、もしかしたら、押しつけがましいことなのかもしれないけど。
青空:そんなこと、ないです。あと、嫌な年寄りだなんて思ってませんし、嫌いにも、なってないです。
のどか:そう?
青空:はい。
のどか:ああよかった。もう会えなくなっちゃったらどうしよう、ってドキドキしてたの。
青空:すみません。
のどか:ううん。いいのよ。それこそ、青空さんが謝ることじゃないわ。
青空:……
のどか:ふふ、笑っちゃうでしょ?毎日いろんな家の塀や植え込みの隙間を覗きながら、青空さんが通りかかるのを、きょろきょろと待ったりしてたのよ。こんなおばあちゃんが。
青空:……よく通報されませんでしたね。
のどか:本当ね。
青空:そんな風に待つ価値なんか、ないですよ、私。
のどか:あたしにとっての価値は、あたしが決めるわ。あなたが自分をどう思っていても。それこそ、あたしの趣味の覗き見だって、そう。
青空:それも、年の功の図太さ強さってやつですか?
のどか:多分ね。
青空:じゃあ、今のあたしには、どうあがいてもできない考え方ですね。
のどか:……
青空:……
(少しの間)
のどか:ねえ、青空さん。この後時間ある?
青空:分かっていて聞くのは、ちょっと感じ悪くないですか?
のどか:一応礼儀のつもりだったんだけど……難しいわね。
青空:冗談です。すみません。時間はあります。たっぷりと。
のどか:ふふ、遠慮がなくなってきたわね。嬉しいわ。じゃあ、ちょっと付き合ってちょうだい。
(少しの間)
―とある公園
青空:ここは?
のどか:あたしのお気に入りの公園。ほら、ちょうどあそこ。あそこに保育園が見えるでしょう?あのフェンスの隙間をね、このベンチに座って遠くから覗くのが好きなのよ。
青空:さすがに保育園は、近くで覗けませんもんね。
のどか:そうなのよ。それこそ本当に通報されちゃう。ほら、座って座って。
青空:あ、はい……
(少しの間)
青空:子供、好きなんですか?
のどか:そうねえ……好きと思ったことはないけど、こうしてたまに覗きにくるくらいだから、やっぱり好きなのかしら。
青空:……
のどか:……青空さんは、優しいのね。
青空:は?
のどか:普通だったら、「お孫さんは?」とか聞いてきそうなものなのに。
青空:私に覗き見の趣味はないので。別にのどかさんの人生や心の中を覗く気はないです。
のどか:やっぱりこの間のこと、根に持ってない?
青空:そういうつもりじゃないです。すみません。
のどか:冗談よ。これから話すことは、あたしが勝手に話したくて話すだけの、年寄りの昔語り。少し聞いてくれる?
青空:……はい。
のどか:あたしね、これでも昔は結構モテたの。
青空:はあ。
のどか:あら、意外?
青空:あ、いえ、そういうわけじゃ。ただ、のどかさんの若いころなんて、考えたこともなくて。
のどか:あたしにだって、若いころはあったのよ。今はおばあちゃんでも。
青空:それは、分かってますけど。
のどか:顔のいい人、甘い言葉をいつもささやいてくれる人、あたしのしたいことを全て叶えてくれる人……いろんな人がいたわ。
青空:……はい。
のどか:その中であたしは、自分に一番優しくない人を選んだの。
青空:え?
のどか:今思えば、あれはきっと価値への執着だったのね。欲しいものがなかなか得られないからこそ、手に入れることに価値を見出した。
青空:……
のどか:うまくいかないことがうまくいった時の方が、感動が大きいような気がしない?
青空:ああ、そういうことなら、なんとなく分かります。
のどか:でもね、結婚した時をピークに、そこから、それ以上にうまくいくことはなかった。夫ときたら、浮気はするわ、借金は作るわ、そのくせ毎回、そういう気まずい時だけ、「でも君を愛しているんだ」なんて、今はそれじゃないって言葉ばっかりで。
青空:ダメじゃないですか。
のどか:そう、ダメなの。本当に、ダメな人で。子供でもできれば何かが変わるかもしれないと頑張ってはみたけど、結局できなくて。なんだかんだずるずると、夫が死ぬまで、一緒に生きちゃった。
青空:旦那さんは、いつ……?
のどか:五年前、あたしがこの町に越してくる前に。というか、夫が死んだのをきっかけに、あたしはこの町に越してきたの。自由になったら住んでみたいな、って思っていた場所だったから。
青空:……
のどか:素敵なおうちがいっぱいで、幸せそうなおうちもいっぱいで、だから越してきてからは、いろんな建物のいろんな隙間から、そこに住む人たちの生活を覗き見たわ。「もしあの人じゃない人と結婚していたら」、「もし子供ができていたら」、「もし孫がいたら」――いろんな「たられば」を想像しながら、ね。
青空:そういう理由だったんですね。のどかさんの覗き趣味。
のどか:そ。覗きなんて、やっぱり後ろ暗いものなのよ。
青空:楽しくなかったんですか?
のどか:ううん。きっかけは後ろ暗くとも、想像の世界で遊ぶのは楽しかったわよ。むしろそういう「たられば」の想像がなかったら、今ほど楽しくは過ごせていなかったかもしれないわね。
青空:旦那さんが亡くなって、自由になったのに?
のどか:そう。不思議よね。
青空:はい。
のどか:……愛していたのかしらねえ。
青空:……わかりません。
のどか:でも五年も経てば、そういう気持ちも、「たられば」を楽しむ気持ちも、段々とどうでもよくなっていったわ。惰性になったとでも言えばいいのかしら。
青空:……
のどか:そんな時にね、あなたに出会ったの。人と必要以上に関わらず、自分の世界だけを大切に生きてきた私に関わろうとしてくれた、あなたに。
青空:いや、関わろうとしたっていうか……
のどか:覗きをしている変な年寄りになんとなく声をかけてしまっただけだったとしても、よ。言ったでしょう?あたしにとっての価値は、あたしが決めるって。
青空:……はい。
のどか:だからついね、あなた自身を覗き見したくなっちゃったんだわ、きっと。
青空:別に、謝らなくていいですよ。覗き見できそうな隙間を作っていたのは、私の方なので。
のどか:そうなの?
青空:普通なら学校に行っているはずの時間に明らかに知り合いの家を覗いている高校生なんて、隙間しかありませんよ。よく考えたら。
のどか:まあ、それもそうね。
(少しの間)
青空:……転校してすぐの頃、毎日声をかけてくれた子だったんです。
のどか:そう。
青空:でもそれは、私をいじめるネタを探すためだったみたいで。一体何が気に入らなかったんでしょうね。私のこと、そんなに知りもしないうちに嫌うなんて。
のどか:不思議よね。例のじいさんもそうだけど、よく知らずに嫌うのも、嫌いなものをわざわざ追い掛け回すのも。
青空:本当に。
のどか:ね。
青空:……正直、最初にのどかさんを見た時、私より可哀想な人がいると思いました。だって、覗きをしているお年寄りですよ。絶対可哀想な人じゃないですか。
のどか:言うじゃない。
青空:今は全然、そんな風に思っていませんけど。だってのどかさんはすごくあっけらかんとしていて、全然自分のことを哀れんでなかったから。
のどか:……
青空:例のおじいさんの時もそう。あんな風に「もういいや」なんて、私は絶対に思えない。だから、覗きに行ったんです。あの子に何か、「ざまあ」って思えることがないかって。
のどか:そう。
青空:まあなんにもなかったんですけど。でも、それこそ「たられば」の話ですけど、もし何かそういうことを見つけられたら、私また、学校に行けるかもしれない、そんな気がしたんです。
のどか:……
青空:おかあさんに嘘ついて学校に行く振りしたり、おかあさんの振りして学校に欠席の電話をしたり、ひとりで人気のない場所で、おかあさんのお弁当食べたり、そういうこと、しなくて済むのかなって、思ったんです。
のどか:そりゃあ、現在進行形の話だもの。もういいや、なんて思えないわよね。
青空:結局これが、のどかさんの言う「価値への執着」なんでしょうね。平穏な学校生活なんてもう叶いそうにないのをどこかで分かっていたから、必死になってそれを追いかけたってわけです。
のどか:あたしの若いころとおんなじね。
青空:どうでしょうか。
のどか:おんなじよ。
青空:でも、なんにも見つけられなかった。その上、のどかさんにも変な態度を取っちゃって、私、自分がすごく嫌いになりました。もともと嫌いでしたけど、もっと嫌いになりました。でもそんなとき、そういえばのどかさんと、不本意ながら一緒に覗きをするようになってからの日々は、あんまり学校のこと考えなかったなあって気づいたんです。
のどか:変な年寄りと変なことをするようになったって、インパクトで上書きした感じね。
青空:そうかもしれません。いや、多分、そうなんだと思います。だってそんなの、いじめられるよりも経験する確率は低いじゃないですか。
のどか:そうね。
青空:変な話ですけど、のどかさんと覗きをするのは、新鮮でした。ブロック塀や生垣の隙間から、いろんなものを覗き見するのは、正直少し、楽しかったです。学校にいたままでは見られなかったものが見えた気がして、楽しかったです。
のどか:やっぱり相性いいのね、あたしたち。
(青空、ふっと笑う)
青空:私は私で、のどかさんに嫌われたくないと思ったんです。だからあれから、覗きができそうな家を探して歩いていました。のどかさんに会って、謝るために。
のどか:そこまで同じだとちょっとこわいわね。
青空:本当に。
のどか:でも、安心したわ。
青空:……私もです。
(少しの間)
のどか:ねえ、お弁当、今日も持ってきてるの?
青空:はい。
のどか:じゃあ、一緒にお昼ご飯にしない?
青空:え?
のどか:ちょうど今日はここで、保育園を覗きながらお昼を食べようって思ってたのよ。青空さんに会わなかったとしても。
青空:……
のどか:気が進まないなら、別にいいんだけど。
青空:……助かります。
のどか:助かる?
(青空、カバンからお弁当箱を出し、包みを解いて蓋を開ける)
青空:見てくださいよ、これ。
のどか:あら、豪華。
青空:……おかあさん、転校したばっかりの私がクラスメートと早く仲良くできるようにって、みんなにウケそうな、シェアできそうなものをたくさん詰めるんです。一人で食べるには、ちょっと多いというか、大変というか。
のどか:そうね。
青空:だから、助かります。
のどか:あたし、コンビニで買ってきたおにぎりしかないから、シェアできるものはないんだけど、いいかしら?
青空:はい。おかず、食べてください。一緒に。
のどか:ありがとう。誰かの手作りのおかずを食べるなんて、いつぶりかしら。ふふ、楽しいわ。
(青空、ふっと微笑む)
青空:良かった。
(少しの間)
(子供たちのはしゃぐ声が聞こえる)
のどか:……それにしても、今日はいい天気ねえ。綺麗な青空だこと。
青空:本当に。のどかですね。
(のどかと青空、視線を合わせ、ふふふと笑う)
【幕】