エジプトにおけるヌオー信仰


 古代エジプトにおいてヌオーへの信仰は全土に浸透していた。
彼等の始祖にして大王はセベクとされ、神殿や墓にはヌオーの像は必ず置かれていたという。
セベクは慈悲深く寛大であるが荒々しい神であり、他神話のヌオーの始祖たる神とは趣が違う。
ヌオーの大王としてのセベクには、非常に有名な神話が二つ残されている。
内容は下記の通りである。

① ニトクリスの配偶神
 古王朝末期、エジプトでは飢餓と疫病が全土を覆っていた。
父が娘を喰らい、貴族が農民に打ち殺され、神々の権威は冒涜され、神々の代行者たるファラオも軽んじられ、神官や将軍が富と権力を巡って争うという末法の如き有様だった。

 その当時、ヌオーの姿をしていたセベクはナイル川の底で瞑想していたが、大量に死体は流れて川は汚れ、悲嘆の声は五月蠅いしで、瞑想に集中できないでいた。
とはいえ他の神々は人間達の冒涜に激怒しているので、自分だけエジプトの民に手をさしのべるわけにもいかない。
困り果てたセベクは、新たにファラオを選定し、その者を通してエジプトの民を救うことを思いついた。

 ちょうど、その頃ニトクリスというファラオが、奸臣達を巻き添えに、もろともをナイルの水に沈めた。
それを知ったセベクは適任者が見つかったことを喜び、ニトクリスを救い出し、彼女の治療を行うべく自身の領域に連れ込んだ。
目を覚ましたニトクリスはセベクに救出されたことに驚くが、死んで兄弟達に会いに行けなかったことで泣き出してしまう。
セベクはニトクリスを泣き止むまで抱きしめると、「そなたには悪いが、この国はファラオを必要としていて、その責務を果たせるのはそなたしかいない。 代価として、そなたの永遠の国への旅路は我が付き添おう。 兄弟達とも必ず会わせる。 やってくれるな?」
ニトクリスは自身の非力を理由に断ろうとするが、「ならば我がそなたの夫となればいい。 さすれば我が全能にて汝の補佐をしよう! 安心するといい、この国がナイルの賜物なれば、我に不可能は無い!」

 その申し出に驚愕しながらもニトクリスは受け入れた。
神々への信仰薄い民や、エジプトを分割統治していた各地の有力者は、ニトクリスと傍らにいるセベク(ヌオーの姿)を軽んじ、有力者の中にはニトクリスを自分専用の娼婦になるよういう者さえ居たようだ。
だがセベクの圧倒的すぎる暴威や、ニトクリスの要請に従うセベクを見て、その神威にエジプト全土が平伏するのは時間の問題であった。

 やがてニトクリスの帰還から12年が経つ頃には上下エジプトは統一され、エジプト全土で飢餓や疫病は一掃された。
この頃にはファラオの権威は古王朝の絶頂期にすら匹敵するほどだったという。
当初はセベクに畏怖の念を抱いていたニトクリスも、彼の荒々しさの中にある慈悲を感じられるようになり、彼を愛するようになっていった。
二人の夫婦としての最初の契りは、ニトクリスのほうからセベクを誘ったのだという。
この契りに際してセベクは、ヌオーの姿ではなく美青年の姿になろうとしたが、ニトクリスにヌオーの姿が良いと止められたとされる。
以下の言葉はその際の物である。
「偉大なるセベク、ナイルの暴威と慈悲の化身。 他の神々が我等を見捨てても、あなただけは我等を救おうとしてくれた。 愛する我が夫、私が心底惚れぬいたのは、あなたの神威ではなくその御心。 そしてヌオーの姿こそがあなたの御心の体現。 我が夫、ただの女のニトクリスとして懇願します。 その御姿で私に愛を注いでいただけますか?」

 その後、セベクとニトクリスには幾人かの子が生まれ、彼等によってエジプトは古王朝から中間王朝の時代へと推移した。
ニトクリスは死後、セベクの配偶神レネネトとして、セベクとともに末期王朝の時代まで篤く信仰されたという。

② 天の主への激怒
 エジプトに絶頂期をもたらしたオジマンディアスの時代、イスラエル人はモーセを代表として、奴隷という地位からの解放をオジマンディアスに要求していた。
交渉は難航していたが、イスラエル人の神である『天の主』が奴隷解放を行わない罰としてエジプトに災いを送りこんだ。
セベクはヌオーの姿で、モーセに「天の力を人間同士の問題に持ち込むな! オジマンディアスは賢者である、道理を説けば納得する。 そうお前達の神に伝えよ!」と言い、災いの対処を行った。
セベクと『天の主』の闘争は以下のようになっている。
1. ナイル川の水を血に変える
数刻もしないうちに、川はもとの色に戻った。
2. 蛙を放つ
セベクの眷属であるヌオー達のごちそうになった。
3. ぶよを放つ
セベクの眷属であるヌオー達のごちそうになった。
4. 虻を放つ
セベクの眷属であるヌオー達のごちそうになった。
5. 家畜に疫病を流行らせる
ヌオー達が薬を持ってきて、家畜の治療をした。
6. 腫れ物を生じさせる
ヌオーが塗り薬をエジプトの民全員に行きわたらせ治療した。
7. 雹を降らせる
わずかな時間で雨へと変わり、以前の災いの痕跡を消した。
8. 蝗を放つ
暴風雨により散り散りとなり、その後ヌオー達のごちそうになった。
9. 暗闇でエジプトを覆う
一昼夜は暗闇だったが、その後は太陽が帰還し、通常の日常が戻った。
10. 長子を皆殺しにする
上記を行おうとした死の天使達は、激怒するセベクの顎によって粉々になった。

 これにより激怒したセベクと『天の主』による闘争が起きそうになったが。
モーセとオジマンディアスの仲介で、『天の主』を信じる民全てをエジプトから追放するという形で、イスラエル人は奴隷解放されることとなった。

余談:『出エジプト記』における上記の描写から、ユダヤ教および後続のキリスト教イスラム教では、悪魔の中でも最高位の大君主として扱われている。
ダンテの『神曲』では、セベクの治める地獄は、風光明媚でなんでも豊富にある土地で住民が穏やかで幸福な一生を送り、死亡するとセベクによって再生され、また違う幸福な一生を送るのを永遠に繰り返すと描写されている。
彼等の罪は、神ならざる神であるセベクとその眷属を崇めた罪であり、罰は未来永劫天上の救いは訪れず、偽りの幸福に縛られ、真の幸福を知ることはないことである。

ダンテも一時誘惑されかけたが、ベアトリーチェの導きで難を逃れた。
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