トランセンドとトレーナーが朝ご飯をたべる話


 ささやかな鶏の囀りと外から聞こえるの微かな喧騒が、鼓膜を揺らした。
 カーテンの隙間から差し込んだ日の光が瞼を照らし、意識が覚醒する。
 目を開ければ、そこには誰もいない。
 しかし、布団の中で僅か残る温もりと甘い匂いが、良く知る誰かの存在を表していた。
 眠たい目をこすりながら起き上がり、背伸びと欠伸を一つ。
 そして俺は、リビングへと重い足取りで向かう。
 
 ────ふわりと、香ばしい焼けたパンの匂いと、珈琲の香りが鼻先をくすぐる。

 リビングに辿り着けば、鹿毛のショートヘアのウマ娘が楽し気に尻尾を揺らめかせながら、台所に立っていた。
 俺の足音に気づいたのか、彼女は耳をピンと立ち上げて、ゆっくりと振り向く。
 そして────トランセンドは、にっこりと嬉しそうな微笑みを浮かべた。

「トレちゃん、おっはよー、朝ごはんもうすぐ出来るよん」
「……トランが作ってくれたのか?」
「おや、意外そうな顔、ちょーっとウチのこと甘く見すぎじゃん?」
「ごめん、でもあんま作るようなイメージなかったからさ」
「にしし、ウチだってトーストと目玉焼き、コーヒーにサラダくらいなら出来るってば」

 トランは、得意気な顔でにやりと口角を吊り上げる。
 そして、少し身体を横に動かして、自慢をするかのように胸を張り、高らかに声を上げた。

「────この、オーブントースターとホットプレートとコーヒーメーカーとフードプロセッサーが一体化した4Way調理器を使えばねっ!」
「すげー!」

 楽しい朝だった。


  ◇


「それで、使い勝手はどうだったの?」
「うーん、どう考えてもフードプロセッサーがいらない、めっちゃガタガタして危ないんだよね」
「だろうなあ」

 そんな他愛もない会話をま交えながら、俺達は朝の食卓を囲む。
 こんがり焼けたトーストと少し焦がした目玉焼き、切れ目が雑なチョップドサラダに温めのコーヒー。
 普段は食べないことも多いので、それに比べればかなりご機嫌の朝食といえた。
 二人でいただきますと声を揃えて、俺は早速トーストを手に取った。

「あっ、トレちゃんバターだよーい」
「さんきゅ、はい、イチゴジャム」
「ありがとー、ふふ、たっぷり塗っちゃうもんねー?」
「実質トラン専用だからご自由にどーぞ」

 俺はトーストの表面にバターを塗りたくって、まずは一口。
 さくりと小気味の良い音と、絶妙な歯ごたえと鼻を抜ける香ばしさ。
 うん、なかなかの焼き加減である、それでは目玉焼きの方はどうだろうか。
 一度トーストを置いて、目玉焼きの方に視線を向けると、視線の外からトランの手がにゅっと入り込む。
 その手には、塩コショウが握られてた。

「ん、そういえばさ、トレちゃんは料理上手だよねえ」
「トレーナー学校で少しやるからね、まあ人並ちょっと出来るくらいだよ、はいこれ」

 塩コショウを受け取って、代わりに醤油をトランに渡しながら言葉を返す。
 彼女は目玉焼きに醤油をかけながら、少し渋い顔を浮かべた。

「えー……昨日の夜作ってくれたの、すごい手が込んでたじゃん、大変だったっしょ?」
「トランのために作るならそうでもないよ」
「んっ」
「それに君はとても美味しそうに食べてくれるからさ、毎日でも作りたくなっちゃうくらい」
「んんっ……トレちゃんさあ、そういうトコやぞ?」

 トランは呆れたような顔で、少しだけ頬を染めながらそう口にする。
 正直なことを伝えただけで、どういうトコなのかがさっぱりわからず、俺は首を傾げてしまう。
 そんな様子を見て、彼女は大きくため息をつき、目玉焼きをぱくりと一気に食べ切った。
 ゆっくり咀嚼し、ごくりと飲み込む。

「…………あんまりに魅力的な提案をするのでトランちゃんは自立した生活をやめてしまいました、トレちゃんのせいです、あ~あ」
「ええ……?」
「まっ、冗談はさておいて、それじゃあ今度はトレちゃん渾身の朝ごはん、ご馳走してよ」
「それは構わないよ、今日のお返しもちゃんとしたいしね」
「……これは昨日の晩御飯のお返しのつもりだったんだけど、まぁいっか、あっ、トレちゃんドレッシング取って」
「オッケー、んー、今日は青じそドレッシングの気分かな?」
「おっ、わかってんじゃーん」


  ◇


 朝食を終えて、俺達は二人並んで、ソファーに座っていた。。
 のんびりとテレビを眺めながら、コーヒーをちびちび口にする。
 話に夢中になりながら食べていたら、コーヒーを飲むのをすっかり忘れていたのだ。
 そんな時、俺はふと疑問を思い出す。

「……そういえば、結局トランは料理って出来るのか?」
「ん~?」

 トランは俺の質問に対して、考え込むように天井を見上げる。
 やがて、何かを思いついたように耳を動かすと、悪戯っぽい笑みを浮かべて、こちらを見た。

「それは乙女のトップシークレットなので、ただでは教えられないなあ」
「……お客様用の秘蔵のお菓子出そうか?」
「ふむり、それもなかなか興味深いけどちょっと釣り合ってないね、あっ、それはそれとしてお菓子は欲しいよん」
「あはは、わかったよ」

 まあ、無理にでも知りたいということでもない。
 俺はお菓子を持ってくるため、テーブルにコーヒーを置き、立ち上がろうとした。
 しかし、それは出来なかった。
 きゅっと服の袖を掴み、そっと頭を俺へと寄せるトランによって、阻止されたからだ。
 彼女は上目遣いでこちらを見つめて、言葉を紡ぐ。

「でもねトレちゃん、そんな重要機密を、毎日確認出来る方法があるんだよん」
「そうなのか?」
「桁違いトップシークレットゲット! 簡単です!」
「……覚悟の準備しておいた方が良い?」
「ある意味はそうかもねー……それはねぇ」

 トランはごろりと、俺の方へと転がった。
 必然的に、彼女の身体は俺の上へと重なる形となり、いつもとは違う、真剣な表情が目の前に現れる。
 布団の中で感じた、ふわりとした甘い香りと、ぽかぽかの温もりと、柔らかな感触が戻ってくる。
 しばらくの間、彼女はじっと俺のことを見つめて────やがて、照れたように、破顔した。

「あはっ、やっぱ、教えなーい」
「……ええ」

 困惑する俺を尻目に、トランはしなだれかかるように、身体を前に倒した。
 実質抱き着くような体勢になって、匂いが、体温が、柔らかさが、より強く神経を刺激する。
 そして、彼女は俺の胸の中に、妙に熱くなった顔を埋めると、くぐもった声で小さく呟いた。

「ここから先はトレちゃんの目で、心で、言葉で確かめて欲しいな、てへり」
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