サクラローレルの秘密


 私、サクラローレルには────トレーナーさんに言えない秘密がある。

「おおっ、ちゃんとした折り畳み傘って、こんな軽くてしっかりしてるんだ」
「はいっ♪ ちゃんとした品質のものは、無理をさせなければちゃんと長持ちするんですよ?」
「へえ、今までコンビニで売ってるのしか使ったことがなかったから」

 トレーナーさんは折り畳み傘を手に取って、じっくりとそれを見つめる。
 今日は、クリスマス。
 私達は、来たるべき『凱旋門賞』に向けて、渡航用の買い物をしていた。
 スーツケースから、トラベルセット、保湿ケア用品などなど。
 人で賑わっているモールの中、私達は一緒に、たくさんのものを見て、歩いている。
 ……まあ、ちょっとだけ、デートのように楽しんでいることは、否定しない。

「どうやって開くんだこれ……わっ、今のってワンタッチで全部開くんだ?」

 思わぬ挙動に驚きながらも、トレーナーさんは興味深そうに傘を眺めていた。
 穏やかなカーブを描く、垂れがちな眉を、さらに優しげに垂らして。
 とても純粋で、ぱっちりとしていて、綺麗な瞳を、きらきらと輝かせて。
 同世代かと思ってしまうくらい、少し幼く見える顔で、微笑みを浮かべて。
 ああ、とても、良い。
 特に、あの目が、とても素敵。
 前に立てば、自分の姿が映ってしまうのではないかと思うほど、無垢な瞳が。

「……ローレル、なんかぼーっとしているみたいだけど、どうかした?」
「えっ?」

 気が付けば、トレーナーさんの心配そうな顔が、目の前にあった。
 私の好きな、彼の瞳が、すぐ近くにあった。
 胸が、どきりとしてしまう。
 動揺を表に出してしまいそうなのを何とか堪えて、私は、取り繕う。
 いつも通りの、サクラローレルの仮面を、かぶって。

「ふふっ、子どもみたく楽しそうに見ているトレーナーさんが、可愛くって」
「……いやあ、改めて見るとなかなか面白くてさ、あははっ」

 咄嗟の誤魔化しに対して、トレーナーさんは照れたように頬をかいた。
 心の中で、ほっと、安堵のため息。
 良かった、深く追求されなくて。
 本当のことなんて、言えるわけがないから。

 貴方の顔に────見惚れていました、なんて。



   ◇



 私の、トレーナーさんには言えない、秘密。
 それは、彼の顔立ちが、とても私の好みだということだった。
 もちろん、そんな理由で担当契約をした、なんてことはない。
 きっと、そんな魂胆であれば、彼だってスカウトをしてはくれなかっただろう。
 それに、気が付いたのは、つい最近だった。
 ────レースを終えた後、地下バ道でトレーナーさんが待っていてくれた時。
 彼はふわりと、汗や土で塗れた私に、自分のジャンパーを羽織らせてくれた。
 少し興奮した様子で、労ってくれて、レースの感想を伝えてくれて、喜んでくれた。
 そんな彼の、熱のこもった瞳を見て。
 そんな彼の、ちょっとだけ長いまつ毛を見て。
 そんな彼の、少しばかり骨ばって、微かに赤く染まった頬を見て
 そんな彼の、乾燥してはいるけれど、血色の良い、柔らかそうな唇を見て。

 あっ、好きだな、と気づいてしまったのだ。

 それからというもの、私はことある毎に、ちらちらと彼の顔を見つめてしまう。
 ……一度だけ、チヨちゃんやバクちゃんに、内容をぼかして相談したことがある。

『えっ、いつもですよね?』

 と、呆れられてしまったけれど、そんなことはないはず、多分。
 そして、これ自体も困ったことだけれど、更に困ったことがあった。

「あっ、これ、落とされましたよ」
「えっ……わっ、あっ、ありがとうございます……!」
「いえ、お気になさらずに」

 続いて、トレーナーさん用の整髪料を見に行こうとした道中。
 彼はすれ違った女の子が落とした手帳を、拾って手渡した。
 その女の子は慌てた様子でそれを受け取り、深々と、頭を下げる。
 なんてこともない、普通のやり取り。

 それが、何故か、妙に気にかかる。

 あの子が、妙にトレーナーさんの顔を、熱っぽい視線で見ているような気がする。
 もしかして、あの子も、彼の顔が好みなのではないだろうか。
 私が好きなのだから、他の子が好きだとしてもおかしくない。
 ほら、だって今も────そう思った時には、彼女はとっくにいなくなっていた。

「……ローレルどうしたの? なんかすごい顔しているけど」
「……なんでもありません」

 これだ。
 トレーナーさんの顔が気になってしまう以上に、彼の顔を見る他の女性が気になってしまう。
 私が凱旋門賞のチケットを手に取れるくらいのウマ娘になって、彼も有名になった。
 私と共に取材を受けたり、記者会見をするような場面も、多くなってきた。

 だから、彼の顔の良さに気づいてしまう人が────増えてしまうんじゃないか。

 そんな、不安を、感じるようになってしまったのである。
 理性的な私は、わかっている、そんなことは杞憂だと。
 確かに、私にとっては彼の顔はとっても素敵だけど、世間的には普通くらいなのだと。
 でも、心の奥底にいる、本能的な私は、それを理解してくれない。
 彼の瞳の美しさを、他の人に知られたくない
 彼の優しくて、安心するような笑顔を、他の人に向けて欲しくない。
 彼の頬が、ちょっとしたことですぐに赤くなってしまうことを、他の人にバラしたくない。

 全部、全部、私だけのものにしたい。

 そんな、子ども染みた願望で、頭の中がいっぱいになってしまう。
 小さく、ため息一つ。
 粘ついた独占欲が、頭の中にこびりついて離れない。
 少しでも和らげる方法はないものか、と道すがらのショップに視線を向けると。

「──あっ」

 私は、丁度良いものを、見つけた。
 今、私の中にある、色んな想い、思惑、願いが、一辺に解決できるかもしれない代物。
 トレーナーさんが少し離れた頃合い、私はそのショップへ戻って、手に取った。
 
「……これもついでに、ふふっ♪」


  ◇


「お疲れ様でした、トレーナーさん。たくさん歩きましたね~♪」
「うん、クタクタだ……」
「ふふっ、ごめんなさい、ちょっぴり浮かれちゃいました」

 お買い物に一段落ついて、イルミネーションが煌びやかに輝く時間。
 トレーナーさんと私は、カフェでホットチョコレートを飲みながら、一息ついていた。
 もう一年が終わるんですね、と他愛もない話を交えながら。
 ……うん、このタイミングかな。
 私は、会話が止まった瞬間を見計らって、こっそり鞄を開ける。
 そして、中に入っていた小さな箱を取り出そうとして、ぴたりと、手が止まった。
 トレーナーさんは、喜んでくれるかな。
 もしかしたら、こんなものを渡されても、迷惑だったりしないかな。
 期待と不安が混ぜこぜになって、躊躇してしまう。

 ────でも、それ以上に、彼に私の想いを、伝えたくて。

 気が付いたら、自然と箱を手に取っていた。
 私は大きく深呼吸をして、気持ちを何とか落ち着かせて、トレーナーさんに向き直る。
 そして、私は取り出した箱を、彼に差し出した。

「……こちらを、貴方に」
「えっ……! これって」

 目を丸くして、包みを見つめるトレーナーさん。
 サプライズプレゼントを見たヴィクトリー倶楽部の子達にそっくりで吹き出しそうになってしまう。
 それを何とか堪えながら、私は言葉を紡いでいく。

「トレーナーさんが目を離した隙に、こっそり買っちゃいました──貴方に、贈り物がしたくて」

 トレーナーさんは驚いた表情のまま、丁寧な手つきで箱を開ける。
 その中に入っていたのは、手触りの良いキャップ。
 つばの近くに月桂樹の葉の意匠が施されている、私にとって、会心の一品。
 彼は嬉しそうに目を細めながらも、少しだけ困惑したように口を開いた。

「ありがとう……! でも、俺からは何も────」
「……いいんです」

 私は、トレーナーさんの口元にちょんと人差し指をつけて、言葉を遮った。
 ちょっとだけ、柔らかな唇に触れてしまって、どきどきしてしまう。
 そんな胸の内を誤魔化しながら、私はその人差し指で、今度は自身の髪飾りを指し示した。

「私が、貴方に、お揃いの“ローレル”を付けて欲しかっただけなので」

 この贈り物は、たくさんの想いを込めた贈り物だ。
 凱旋門賞の勝利という冠を、二人で必ずかぶろうという、意思表明。
 単純にトレーナーさんとお揃いのものを身に着けたいなという、我儘。
 それと、もう一つ。
 口に出して伝えたのは、最初の一つだけだけれど。

「冠、か」

 トレーナーさんは感慨深そうにキャップを見つめていた。
 きっと、彼の脳裏には、今までのことが流れているのだろう。
 私と出会った時のこと、私と契約したときのこと、私の脚に悩まされたこと。
 ようやく私という花が咲いた時のこと、ようやく夢への道が拓いた時のこと。
 やがて彼は、ゆっくりと頷いて、キャップを外れないように深くかぶった。

「勝利を、夢から現実にしよう」
「……はい、もうすぐ、その時が来ますから」

 2年前、夢物語でしかなかった『凱旋門賞』。
 その偉大な舞台へと道のりが、私達の前にくっきりと見えて来た、そんな気がした。
 ……まあ、それはそれとして。

「それにしてもトレーナーさん、とても良くお似合いですよ?」
「そっ、そう? あははっ、お世辞だとわかっていても、照れるな」

 トレーナーさんは、私の言葉を聞いて、恥ずかしそうに笑う。
 お世辞なんかじゃ、ないんだけどな。
 改めて、私は彼の姿を眺める。
 キャップをつけたことによって、いつも真面目な彼に、ちょっとした抜け感が出た。
 少しカジュアル過ぎて、子どもっぽく見えてしまうけれど、むしろそれが合ってると思う。
 そして何よりも、“ローレル”の意匠が輝く、大きめのつば。
 離れた位置からだと、彼の目元が隠れて、顔全体の雰囲気が捉えにくくなる。

 それが────とても良い。

「ロッ、ローレル?」

 私はトレーナーさんに近づいて、キャップのつばの下から覗き込むように、顔を合わせた。
 少しばかり困惑した様子で私を見つめる、綺麗な瞳。
 それでも、私に向けてくれている、優しそうで、安心する笑顔。
 見つめられているのが恥ずかしいのか、りんごみたいに赤くなっている頬。
 私が好きな、トレーナーさんの顔。

「……やっぱりお似合いですよ」

 うん、やっぱり、とても良い。
 今だけはトレーナーさんの顔を────独り占めすることが、できるから。
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