一年/春


 お母さんに、「高専に行きなさいね」と言われた日、私は高校のパンフレットを捨てた。進路希望の紙に何も書かない私を見て、担任が渡してきたパンフレットだった。担任は「見るだけでもいいから」と言ってたけれど、けっきょく見ずに捨てた。見なくてよかった。見て、興味を持ってしまったら、こんなふうに捨てられなかったと思うから。
 すぐに荷物をまとめて、東京に行った。
 卒業式には行かなかった。修学旅行にも行かなかった。学校に、あまり行かなかった。
 家の都合で、って言えば、だれも何も言わない。私に、話しかける人もいない。
 学校に、思い出はなかった。いい思い出も、悪い思い出も。
 これからも、たぶんそう。
 五条悟と近付くために、家は私を高専に入学させた。五条悟もそれを知っていて、反応は最悪だった。
 「榊原がすり寄って来んなよ、キッショ」
 自己紹介しただけでコレ。
 五条悟が言う通り、私は榊原なんだから、仲よくなんてなれるわけない。知ってる。
 卒業まで、問題を起こさなかったらいいでしょ?
 そう考えるようにした。
 いままでと同じ。高校生になったって、何も変わらない。期待はしないほうがいい。期待したら、したぶんだけ損をする。あーあ、やっぱりね、って思うほうが楽。楽なのに。
 「その態度はないんじゃないか?」
 「何だよ、オマエ」
 「オマエ、じゃなくて、夏油だよ。夏油傑。…態度だけじゃなく、記憶にも問題があるらしいね」
 「ハア?問題があんのは、その前髪だろ」
 「…表に出なよ。性格叩き直してあげるからさ」
 「入学そうそう問題を起こすな」
 広い教室に、四人ぶんの机。初対面で喧嘩する二人。その二人を注意する教師。
 …変な人。相手は、あの五条なのに。
 …変な人。きみが庇ったのは、あの榊原なのに。
 「…榊原。どこに行く」
 「説明はもう終わりですよね。寮に戻ります。連絡しろって、家に言われてるので」
 家の都合は、ここでも有効だった。
 とぼとぼ一人で廊下を歩く。窓から、桜が見えた。
 寮に戻らずに、桜の木まで来ていた。花は散りかけている。
 そういえば、今年は花見ができていなかった。実家の桜は、ほとんど散ってるかもしれない。妹たちは、ちゃんと見れただろうか。元気にしているだろうか。
 …聞いてみよう。
 携帯を取り出して、そう考える。
 連絡はしなきゃだし。報告したあとに、聞いてみよう。
 登録された連絡先は一件。
 表示された実家の文字を、じっと見つめる。
 …もし、この連絡先を消して、着信を拒否したら。
 …もし、この携帯を捨てたら。
 私は…。
 ヴー ヴー 
 「!…はい、成華です」
 反射的に通話ボタンを押してしまった。
 『どうしてすぐ電話しないの。時間を決めたはずよね?』
 「ごめんなさい、説明が長引いて…」
 『…もう終わってるでしょ。嘘ついて、どうするつもり?』
 「寮に戻ってから、連絡しようと…」
 『言い訳はやめて。ねえ、成華…』
 「…はい」
 『女しか産まなかったお母さんも悪いと思うけど、アンタだって女なんだから、それなりに役に立とうと思いなさい。五条悟とはどうなったの?気に入られるようにしなさいって言ったよね?』
 「はい…でも…」
 『でも?アンタ、自分の役目が何かちゃんと分かってるの?いい子供を産むの。…お母さん、何か間違ったこと言ってる?何がそんなに嫌なの?アンタのために、同じ学校に入れてやったでしょ』
 「分かってます。ありがとうございます…」
 『…分かればいいのよ。次はちゃんと自分から連絡しなさいね。もう子どもじゃないんだから』
 「はい…ごめんなさい…」
 『それじゃあ…』
 「あの…」
 『何?』
 「あの、その…」
 『何もないなら、切るわね。お母さん、ヒマじゃないの。それじゃ』
 プッ ツー ツー ツー
 通話が切れた携帯を見た。妹たちのことは聞けなかった。聞く資格がないんじゃないかって思ったから。お母さんから電話がかかってくる前、私は何を考えてた?呪術師として忙しくしてる雪音のかわりに、私が涼夏と那月を守ってあげなくちゃいけないのに。私が逃げたら、次は、妹たちがこうなってしまうのに。
 しっかりしなきゃ。
 私が、いい子でいたら、お父さんもお母さんもよろこんでくれる。涼夏と那月も、安全でいられる。雪音も、安心して外に行ける。
 私が…。
 「あの、榊原さん…?」
 「!」
 ふりむくと、さっきの変な人がいた。
 「…なに?」
 「悟が言ったこと、あまり気にしないで。小学生男子が言ってるみたいなものだからさ」
 どうして、そんなことを言いにくるのか分からなかった。その例えの意味も分からなかった。でも、これだけは分かる。
 「…きみ、」
 「うん?」
 「変な人だね」
 相手がポカンとした顔で、私を見る。
 どうせ、「ありがとう」って言われると思ったんでしょ。
 「あんまり私と関わらないほうがいいよ」
 「それ、どういう意味?」
 「そのままの意味。優しいフリするのはいいけど、人は選んだら?それじゃ…」
 お礼を言わずに、寮に向かう。
 相手はたぶん、怒ってる。怒鳴るか、殴るかしてくるかもしれないと思ったけど、どちらもしてこなかった。変なの。私、失礼なこと言ったのに。でも、明日からは無視されるだろうな。別にいいや。仲よくなろうとしてここに来たんじゃないんだし。

 私は、榊原なんだから。



 「おはよう、榊原」
 「えっ」
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