迷列車で行こう「幻の静岡鉄道」語彙解説


鉄道や静岡県の地理に詳しくない方でも動画をお楽しみいただけるように、動画中に登場する固有名詞(人名・地名等)を主として解説しています。


第一部(前編)

静岡鉄道#

 静岡県静岡市を東西に走る「静岡清水線」を有する地方私鉄。略称「静鉄(しずてつ)」。1906年に設立された旧静岡鉄道を起源としている。静岡県内を中心に幅広い事業を展開しており、特にバス事業や不動産事業に力を入れている。
現存する唯一の鉄道である「静岡清水線」は全長約11kmの短い路線ながら、首都圏にも劣らぬ高頻度運転(6~7分間隔、日中でも毎時9本のパターンダイヤ)で有名。さらに特筆すべきは、運転される車両がすべて自社発注のオリジナル車両であること。2018年現在増備が進められているA3000形は、2両編成であり最高速度が抑えられている点を除けば、首都圏の車両と同等以上の最新鋭の機能設備を誇る。


東京急行電鉄#

 東京都と神奈川県を中心に、長大なバス・鉄道路線網を広げる大手私鉄。略称「東急」。渋谷をお膝元とし、鉄道沿線に高度な文化の街を築き上げ、また田園都市など沿線開発で成功を収める関東私鉄の代表格。
かつては現在の小田急電鉄や京浜急行電鉄、京王電鉄を買収し、後に「大東急」と呼ばれるほどに路線網を拡大した。


日本国有鉄道#

 その名の通り国が保有し運営していた鉄道公共企業体。略称「国鉄」。日本の鉄道輸送を担うため1949年に設立され、膨大な路線網を全国に有していた。1964年には、世界初の高速鉄道である東海道新幹線を開業させた。経営悪化と反国鉄運動により、1987年にJRとして分割民営化された。


藤枝市#

 静岡県中部の市。県内第5位の商圏人口を誇る街。1954年に藤枝町、青島町等の合併により誕生。後に岡部町と合併し現在に至る。
藤枝駅から静岡駅までは東海道本線(普通列車)で20分と距離が近いことから、特に21世紀に入って以降駅周辺の青島地区を中心に開発され、静岡市のベッドタウンとして現在も成長を続けている。


袋井市(袋井町)#

 静岡県中西部の市。1909年、山名町が袋井町として名を改め、幾度もの合併を経て1958年に袋井市となった。県内の街としては中堅レベルに位置し、文化・経済的には浜松の影響を受ける。
藤枝駅と袋井駅はともに優等快速列車「ホームライナー」の停車駅となっている。


藤枝町・大手#

 旧東海道の宿場町として賑わった地域。周辺町村を合併し藤枝市となった現在も行政の中心としての役割を有し、市役所などの施設が位置している。白子・上伝馬・千才・長楽寺と商店街が連続しているが、現在はその多くがシャッター商店街と化し、商業の中心としての機能は失われている。
 大手は藤枝宿の東端に位置する。かつては藤相線大手駅跡地に、静岡鉄道のグループ企業であるバス会社「しずてつジャストライン」の藤枝営業所が存在したが、焼津営業所との合併の上藤枝市岡部に機能移転(岡部営業所)し、現在その跡地は銀行(静岡銀行藤枝支店)と本屋(戸田書店藤枝東店)になっている。


横須賀#

 静岡県掛川市の地域。東海道本線の沿線からは大きく外れ、沿岸を通る国道150号線から少し北上した山間に位置する。江戸時代には「横須賀城」が築かれ、現在もその遺構が公園として残されている。


相良町#

 静岡県中部の榛原郡に位置した町。現在は榛原町と合併し牧之原市となっている。現在はしずてつジャストラインの相良営業所が設けられ、後述の相良渋谷線の終着点となっている。
かつては油田が掘られ、太平洋岸唯一かつ日本有数の産油地となっていた(現在も観光・研究用として採掘の機構は残されている)。小川国夫の短編小説「相良油田」の文中には、軽便鉄道の様子が描かれている。


大井川#

 歴史や地理の教科書にも度々登場する、静岡県中部を流れる一級河川。明治期に入り架けられた世界最長の木道歩道橋「蓬莱橋」や、中・上流に沿って路線を有しSLの動態保存運転を行っている大井川鐵道などが有名。
 徳川家康にゆかりのある駿府城(静岡市)を守るために架橋や船渡しが禁止されていたことから、東海道の難所として知られる。


宇津ノ谷峠#

 伊勢物語「東下り」に詠まれた旧東海道の峠。静岡市の位置する静岡平野と、藤枝市や焼津市等が位置する志太平野を隔てる高草山の迂回経路のひとつとなっている。明治、大正(正確には昭和初期)、昭和、平成の各世代のトンネルが掘られ、国道1号バイパスが通り日々多くの車が行き交うが、現在は高草山を挟んで沿岸寄りの日本坂(東名高速、国道150号、東海道新幹線等)と機能を分担している。


岡部町(岡部宿)#

 現藤枝市北部に位置した町。山間に位置しており、宇津ノ谷の峠越えの拠点となった。現在はしずてつジャストラインの岡部営業所が位置する。
地域の幹線となる県道208号線は、両端で国道1号(藤枝方は藤枝バイパス)に接続・合流しており、静岡方では合流後のトンネルで宇津ノ谷峠を越えている。


丸子(鞠子宿)#

 静岡市の西端に位置し、宇津ノ谷の峠越えの拠点となった山中の宿場町。名物のとろろ汁は現在も味わうことができる。国道1号の東海道と静清バイパスとの分岐点となっている。


大崩海岸#

 静岡市と焼津市の境にそびえ立つ高草山は、駿河湾の海岸線に崖のように迫っている。整備なしでは沿岸沿いを行き来することはできず、また雨風によって度々崩壊していたため、いつしか大崩の名で呼ばれるようになった。


青島町#

 東海道本線の藤枝駅が位置し、藤枝市の商業の中心として発展した。特に駅前地区とその周辺は静岡市のベッドタウンとして今もなお成長を続け、2018年現在静岡県内では数少ない人口増加地域となっている。


焼津市#

 藤枝市の隣町。港町として全国的にも有名で、マグロやカツオの陸揚げ量は全国一。交通に乏しく東南海地震による津波被害の危険性が高いことから、南部地域を中心に人口流出を抱えている。


瀬戸川#

 朝比奈川とともに焼津港へと注ぐ二級水系。藤相鉄道藤枝新~大手駅間、そして藤枝焼津間軌道会社の難所として立ちはだかる。


江間俊一#

 弁護士・政治家。1918年に政界から退いた後、江間式心身鍛錬法なる気合術を極めた。孫である加山雄三氏は昭和歌謡のスター。


笹野甚四郎#

 若くして藤枝宿の長の座に就いた商人。郷里藤枝の発展のためにあらゆる手を尽くした。


井上馨#

 外務大臣、農商務大臣、内務大臣、大蔵大臣等を歴任した政治家。藤相線が路線を延伸していた当時は既に政界を引退し、静岡市興津で老後を過ごしていた。


浅羽#

 かつての磐田郡浅羽町。現在は合併し袋井市の一部となっている。袋井駅から南下したところに広がる地域。


芝田庫太郎#

 静岡県議会議員。沿線地域の住民から多くの支持を集め、中遠鉄道を開業させた。


敷設免許#

 鉄道の安全な運行と管理のために、新たな鉄道を敷く際に必要となる免許(許可)。現在の国土交通省が権限を有する。発行から有効期限があり、期限内に敷設をできなければ路線の開業は原則不可能となる。


併用軌道#

 歩道・自動車道と鉄道の橋梁が一体となった橋。かつての名古屋鉄道犬山橋が例として挙げられる。道路を有する自治体と共同負担で敷設が可能となる反面、交通事故の危険性は必然的に高くなる。




第二部(中編)

三俣#

 かつての小笠郡三俣村、現在の静岡県掛川市の一部。場所は異なるものの、「新三俣」の名はしずてつジャストラインのバス停として残っている。


池新田#

 かつての小笠郡池新田町、現在の静岡県御前崎市の一部。池新田町が周辺町村と合併し浜岡町となり、それが御前崎町と合併し御前崎市となった。合併の度に他の町に名を奪われてきたが、現在の御前崎市の中心街にあたり、市役所も池新田地域に置かれている。


ガソリンカー#

 ガソリンを燃料として走行する気動車の一種。かつては多くの採用例が存在したが、燃料コストと高い引火性の問題から次第に敬遠され、1960年代末に消滅している。
動画中に登場したキハ1は、ガソリンカー初の「片ボギー式」を採用している。2つの台車のうち片方をボギー台車(側面から見た時に車輪が2つ見える、現代で主流の形)、もう片方を軸式(側面から見た時に車輪が1つ見える)とすることで、線形の悪く小型車両の行き交う同線で効力を発揮したという。


地頭方#

 かつての榛原郡地頭方村、現在の静岡県牧之原市の一部。地頭方村が周辺町村との合併により相良町となり、2005年に榛原町と合併し牧之原市となった。駿河湾の入り口となる沿岸沿いに位置し、現在は国道150号が地域の縁を沿うように通っている。


#

 現在の静岡市清水区の一部、東海道本線清水駅付近(北西方向)の地域。当時の辻村は現在の辻地域よりも広範囲を示し、静岡鉄道の辻駅は現在の新清水駅にあたる。
開業時の初代静岡鉄道は、辻駅を超えて清水町駅(後の波止場駅)までを結んでいたが、大日本軌道への事業譲渡以前に辻~波止場間を廃止してしまう。


大日本軌道#

 日本各地に支社を持った軽便鉄道の私鉄。現在のJRのように、地域ごとの支社が独立的な運営を行っていた。大日本軌道の支社の中には、後の遠州鉄道となる浜松支社も存在した。
静岡支社は静岡鉄道から引き継いだ路線を延伸し、現在の新静岡駅にあたる鷹匠町駅までの全線開業を果たした。また、旧静岡鉄道が廃止した辻~波止場間を再開業させるものの、同区間は1945年に休止となり、後にふたたび廃線となった。


静岡電気鉄道(駿遠電気)#

 大日本軌道から静岡支社の路線を引き継ぎ、後の静岡鉄道の中心となる。通称は「静岡電車」。
 旧静岡鉄道が開業し、大日本軌道が全通させた鉄路を、現在の「静岡清水線」まで引き継がれる『立派な設備を備え』た高度な規格の路線としたのは静岡電鉄である。大日本軌道時代までの同線は、単線の軽便鉄道であった。静岡電鉄は引き継ぎからわずか1年後の1920年に1067mm狭軌・600V電化への改造を済ませ、その後10年かけて全線複線とした。静岡電鉄がこの路線改革を行っていなかったら、現在の静岡鉄道の代名詞である高頻度運転はおろか、路線そのものが消滅していたかもしれない。


五島慶太#

 「強盗慶太」の名で親しまれる東急電鉄初代社長。短期間ながら大臣を務めた経歴を持つ、日本の鉄道史の中でも特に大きな影響力を有する偉人。鉄道のみならず、東映グループの再建や伊豆・北海道の観光開拓、田園都市構想などを成功に収め、その手腕は現在も高く評価されている。


尊永寺#

 法多山尊永寺。袋井市にあり、厄除け観音として信仰を集める。




第三部(後編)

弾丸列車#

 昭和初期に計画が立案された、日本の第二幹線敷設計画。満州国の成立によって日本から朝鮮半島・大陸へと向かう輸送需要が増加したことを背景に、日本国内から主要都市(東海道・山陽の各大都市)を経由し、従来と異なる専用軌道を通すことによって、玄関口となる下関までの鉄道の高速化・輸送力増強を目指した。地下トンネルにより大陸鉄道との結合も構想に盛り込まれていたが、戦局の悪化に伴い計画は白紙となる。


日本坂トンネル#

 静岡市と焼津市とを隔てる高草山を貫くトンネル。弾丸列車用のトンネルとして着工したが、完成をまたずに同計画は白紙となる。
しかし、並行する東海道本線の石部・磯坂トンネルの崩落の危険性が高かったこと、および規格が小さく同線の車両に成約を課していたことから、国鉄は日本坂トンネルの工事を続行し、東海道本線ののトンネルとして流用する計画に変更、1944年に開業させた。


丹羽武朝#

 東急電鉄取締役常務および鉄道省監督局長経験者であり、五島慶太より静岡鉄道社長の座を引き継ぐ。
社長の座につく以前は、多摩帝国美術大学(現在の多摩美術大学)の初代理事長を務めるなど重役を担うが、静鉄においてはその手腕を発揮する猶予もなく社長の座を退くこととなる。


川井健太郎#

 静岡鉄道三代目社長。五島慶太と同じく鉄道省の上位官僚として、23年に渡り公務を務めた。当時対等に議論を買われた五島に手腕を買われ、終戦を機に静岡鉄道の戦後再建の要請を受ける。
現にバス事業の拡充や沿線開発、日本平・久能山観光等に手を付け、現在のしずてつグループの礎を築き、その功績は現代へと引き継がれている。バスの拡充とは対照的に鉄道事業に関しては消極的な一面を持ち、1962年には秋葉線や静岡市内線を相次いで廃線とする。
1972年、社長の座を長男の祐一氏へ引き継ぎ自身は会長となるも、1974年に死去。

なお、現在に至るまでの静岡鉄道歴代社長は以下の通り。
 五島慶太   1941-1944
 丹羽武朝   1944-1945
 川井健太郎  1945-1972
 川井祐一   1972-2002
 大吉満    2002-2005
 酒井公夫   2005-2015
 今田智久   2015-


県総合運動場駅#

 静岡清水線の途中駅であり、草薙総合運動場(草薙球場)の最寄り駅。現在の静鉄では最も広い2面4線の構造を有し、新清水寄りに設置された折り返し設備を活用して、平日朝には当駅から新静岡駅までのピストン輸送列車が運転されている。優等列車は急行(新清水行き)のみが停車し、通勤急行(静岡行き)は通過する。利用者は15駅中7番目と並程度。


大阪電気軌道#

 現在の近畿日本鉄道の前身。かつて五島慶太が役員を務めており、面識のある当時の社長・佐伯勇は五島の構想に賛同していた。五島と佐伯というふたりの大物が手を取り合ったことで、五島の構想は東海エリアの各地方私鉄の了解事項となっていた。


名古屋鉄道#

 名鉄(迷鉄)の名で親しまれる、愛知県の大手私鉄。
名鉄名古屋駅は近鉄名古屋駅と隣接しており、五島の構想が持ち上がった当時は両者間の直通運転が可能となっていた。現に1950年代始めには、複数の団体列車が名鉄本線と近鉄名古屋線を直通していた記録が残っている。五島の構想が崩壊し、近鉄名古屋線の(狭軌から標準軌への)改軌と名鉄名古屋駅の改修により、直通運転は二度と叶わないものとなった。


中村圓一郎#

 藤相鉄道二代目社長であり、大井川鐵道初代社長。1945年没。
茶の貿易で成功を収めた父の影響から、大井川流域の茶の製造販売に尽力した。さらには水力発電の開発にも携わり、現在の大井川鐵道沿線の姿をひとりで創り上げた人物。
乗合バスの拡大など軽便鉄道に逆風の吹く中、笹野氏から継いだ藤相鉄道を五島に受け渡すまで守り抜いた。


アイオン台風#

 1948年台風21号。9月16日に関東地方に上陸。死者512名、行方不明者326名等東北・関東・東海地方を中心に多くの被害を与えた。最低気圧940hPa。


東海道新幹線#

 現代の日本を支える交通の大動脈。東京、名古屋、京阪の3つの大都市圏を結び、現在多くの列車は山陽新幹線へと直通する。
1958年の承認から急ピッチでの工事が進められ、1964年10月1日に開業。一部区間は戦前の弾丸列車計画のルートを踏襲しており、計画白紙化後も工事が進められ在来線に転用された日本坂トンネル、および途中まで掘削工事の進んでいた新丹那トンネルは転用されている。


151系#

 1958年に東海道本線で運転を開始した、国鉄初の電車方式採用有料特急「こだま」向けに製造された20系を前身とする車両。1959年の車両称号規定変更後も増備が進み、「こだま」に限らず主要幹線の特急用電車として勢力を拡大、新幹線開業前の国鉄のフラッグシップ車両となった。
 新幹線の実現に際し、200km/hでの高速度試験を可能とする電車方式の専用車両開発およびその実現可能性調査のため、当時の最新鋭電車であった151系に試験車両として白羽の矢が立った。151系の運転区間(東海道本線)の中であり、比較的線形のよい東海道本線金谷~藤枝駅間で速度試験を行うこととなり、4M4T(電動車4両、付随車4両)の8両組成から中間付随車2両を除いた4M2Tの組成で臨み、163km/hの速度記録を生み出した。


金谷~藤枝実験線#

 151系での試験により200キロを越える高速列車の運転は十分実現可能なものとされ、新幹線の用地買収、敷設は急ピッチで進められていた。一方で、新幹線での恒常的な使用に耐えうる路線設備の製作もまた必須項目となっていた。
そこで、151系の試験が行われた東海道本線金谷~藤枝間の上り線に隣接して、強化架線や枕木、ロングレール等の試作品を使用した実験線が敷設された。試験車両による速度記録とデータを元に計算し、200キロを越える速度に耐えうるかが確認された。その名残として、現在の六合~藤枝駅間の上り線の一部として流用されており、元の上り線跡にはタイガーロープが張られている。


クモヤ93#

 1958年に登場。走行しながら架線の状態を測定する「架線試験車」だが、その裏の顔は新幹線開業に向けた高速度試験車両。3扉セミクロスシートの旧型国電車両群を示す51系のモハ51078の台枠を流用していた。
上記の実験線敷設以前にも同区間にて速度試験を行い、151系の記録を上回っている。また東海道本線金谷~藤枝駅間のみならず、1960年2月には東北本線岡本~宇都宮駅間にて167km/hの記録を残している。
 開業後も架線試験車としての本業を細々と続け、1980年3月26日に廃車となる。大きな功績を残しながらも、国鉄末期となっていたことも災いしてか、解体処分され現存していない。

※訂正
動画中では「21世紀の現在も記録(175km/h)は更新されていない」紹介しましたが、実際には1985年11月26日に、湖西線にて381系を使用して行われた速度試験で179.5km/hが記録されています。


浜岡#

 かつての城東郡浜岡町、現在の御前崎市の一部。先述の旧池新田町を含む地域で、その名の由来となったように「浜」松と静「岡」のおおよそ中間に位置する。平成の大合併により2004年に御前崎町、相良町などと合併し御前崎市となり、浜岡町役場は御前崎市役所として引き継がれることとなった。
近年は、地域に豊富な補助金を落としていた浜岡原子力発電所の動向が注目されている。


静波海岸#

 牧之原市の海水浴場。良好な波が立つ広大な砂浜には、毎年多くのサーファーや海水浴客が静岡県中西部の各都市より訪れる。駿遠線全通当時も多くの夏季客が押し寄せ、最寄りの静波海岸駅まで、客車や気動車を5両以上繋げた臨時増結列車は満員となっていた。
 なお、駿遠線延伸区間には国安という別の海水浴場が存在し、こちらは海水浴客ニーズに応えるため、夏季限定の国安海岸臨時乗降場が設けられた(静波海岸駅は常設の駅)。


中部国道線#

 静岡駅から国道1号線を走って宇津ノ谷峠を越え、丸子・岡部・大手を経由し藤枝駅へと至る、しずてつジャストラインの路線バス。
駿遠線の大手線・岡部線の経路を踏襲しており、また藤相線の果たすことのできなかった宇津ノ谷越え、静岡中心街への乗り入れを果たしている。
運用は岡部営業所所属車が担当し、かつてはツーステップバスや旧藤枝営業所所属の限定ラッピング車両(差し色に藤の花の紫を採用)が多く所属していたが、近年は新車の投入や転属・ラッピングの変更により、その顔ぶれは大きく変わってきている。


相良渋谷線(渋谷ライナー)#

 しずてつジャストラインと東急トランセ(東急の高速バス子会社)が共同運行している高速バス路線。藤枝駅南エリアを含めた“しずてつジャストライン管轄の末端部”を担う相良営業所を軸に運行を行う。
県内第5の街として成長を遂げている藤枝市からの利用客はもちろん、一部の便は富士山静岡空港を経由することで、同空港を利用し東京へと向かう中国・韓国からのインバウンド観光客の利用も視野に入れている。
お知らせ
実務でも趣味でも役に立つ多機能Webツールサイト【無限ツールズ】で、日常をちょっと便利にしちゃいましょう!
無限ツールズ

 
writening