――逃げてもいいよ。逃げられるものからは、逃げてもいい。いつか逃げた先でちゃんと幸せになってくれるなら、それでいい。
<比率>
1:1:0
<時間>
40~50分
<登場人物>
夜来香
【夜来香(イエライシャン)】女性
ある日時生の前に現れた人魚。
時生
【叶時生(かのう ときお)】男性
高校生。田舎の祖母の家に滞在中のある日、海辺で夜来香と出会う。
<利用規約>
https://writening.net/page?bmsmZi
------------以下台本—----------
―とある海辺の防波堤にて。
(時生が座って海を眺めている)
(その足元からちゃぷんと音を立てて夜来香が顔を出す)
夜来香:あ、今日もたそがれてる。
時生:残念。今は昼だから、正確には「黄昏」てません。
夜来香:なまいき。
時生:ていうか、人魚ってこんな真昼間から現れるものなの?
夜来香:どうして?
時生:人に見つかったらまずいとか、そういうの、ないわけ?
夜来香:ないけど?
時生:あ、そ。
夜来香:それに、ここにいて今まで見つかったこと、ないもの。
時生:まあ……寂れてるもんな、ここ。
夜来香:君くらいよ、こんなところに来るの。
時生:そうかもな。
夜来香:だから昨日もびっくりしちゃった。
時生:びっくりしたのはこっちだよ。
夜来香:なんで?
時生:人魚なんて実在しないはずのものが目の前に現れたんだから、そりゃあ驚きもするだろ。
夜来香:そんなに驚いた風には見えなかったけど。
時生:顔に出ない性質(たち)なんだ。
夜来香:あ、もしかして、昨日あのまま黙って走って行っちゃったのって、びっくりしたから?
時生:ほかになんだと思ったんだよ。
夜来香:もしかしたらそうかな、とは思ったのよ。
時生:その通りだよ。よかったな。
夜来香:あんた、可愛くないって言われるでしょ。
時生:大きなお世話だ。
(少しの間)
(波の音)
夜来香:で?どうして今日もここに?
時生:別に。することも、なかったから。
夜来香:暇人だ。
時生:うるさいな。
夜来香:こわくなかったの?
時生:なにが。
夜来香:あたしが。
時生:なんで。
夜来香:あたしに食べられちゃうかも、とか思わなかったの?
時生:はあ?
夜来香:あれ?日本の伝説じゃなかったっけ?人魚に食べられちゃうのって。
時生:そんなの、聞いたことない。
夜来香:あれ、じゃあどこのお話だったんだろ。いろんなところを巡ってきたから、ごちゃまぜになっちゃってるみたい。
時生:いろんなところ?
夜来香:七つの海を巡ってきたわ。どう?すごいでしょ?
時生:まあ……それは、すごいんじゃない?
夜来香:そうでしょそうでしょ。
時生:そこまで得意げにされるとうざい。
夜来香:ひどい。
時生:はいはい。
夜来香:まあ、することがなかったからってだけなんだけどね、あたしも。
時生:あんたも暇人か。
夜来香:ふふ、そういうこと。
時生:しょうもな。
夜来香:ねえ、さっきからひどくない?
時生:暇人に忖度してやる義理はない。
夜来香:そんたく?
時生:気を遣うってこと。
夜来香:へえ、難しい言葉知ってんのね。子供のくせに。
時生:十六はもう子供じゃないだろ。
夜来香:子供よ。あたしから見れば。
時生:ああそうですか。
夜来香:そうですよぉ、だ。
時生:あ、そうだ。
夜来香:なに。
時生:この国じゃ、人魚は食べる方じゃなくて食べられる方だから。
夜来香:そうなの?
時生:食べると、不老不死になれるんだってさ。
夜来香:やだこわい。
時生:結構有名な話だと思ってたけど。知らなかった?
夜来香:うん。
時生:あのさ、さっきから気になってたんだけど。
夜来香:うん?
時生:あんた、日本の人魚じゃないの?
夜来香:どうしてそう思った?
時生:日本の人魚の伝説とか全然知らないみたいだったから。日本語はすごく上手な割にさ。
夜来香:でも、「そんたく」は知らなかったわ。
時生:まあ、そうかもしれないけど。
夜来香:ふふ。
時生:なに。
夜来香:人間と話したことは、これまでにも何度かあったけど、生まれなんて聞かれたのは初めてだわ。
時生:あっそ。
夜来香:別に馬鹿にしてるわけじゃないのよ。むしろすごく新鮮。あんたまるで、あたしのこと、人間のように扱うんだもん。
時生:は?
夜来香:今まであたしが話したことのある人間は、女なら、あたしを男を惑わす化け物だ、って嫌な顔をして、男なら、この美貌に夢中になって、なんとかあたしを自分のものにしようとしてばかりだった。あんたみたいに、あたしが美しい人魚である以外のことに興味を持つ人間なんか、いなかったわ。
時生:……すごいな。
夜来香:でしょう?
時生:いや、あんたが。
夜来香:なんで。
時生:そんな風に自分のこと、「美しい」って繰り返せるのが。
夜来香:それが取り柄で、自慢だもの、昔から。
時生:そっか。
夜来香:うん。
時生:取り柄で自慢なら、しかたないか。
夜来香:でしょ。
時生:で、俺の質問には答えないつもり?
夜来香:あたしの生まれ?
時生:そう。
夜来香:ふふ、それはまた、今度ね。
時生:なんで。
夜来香:出会ってすぐに何もかもさらけ出すほど、あたし安い女じゃないの。
時生:意味わかんないんだけど。
夜来香:どうしてもあたしのことが知りたいなら、またここに来て。そうしたら教えてあげる。
時生:めんどくさ。
夜来香:あんた本当に子供ね。そういうのには乗っておくのが、男ってもんよ。
時生:知らないよ、そんなどこの国の文化か分からないこと。
夜来香:万国共通よ。
時生:はいはい。
夜来香:どうせ暇人なんでしょ。
時生:うるさいな。
夜来香:ああもう。あんたのことも色々聞きたいけど、今日じゃもう時間が足りないって言ってるの。
時生:え。
夜来香:だって、あたしの話をしてあたしをあんたに知ってもらったら、絶対に今度はあたし、あんたの話が聞きたくなるもの。
時生:……
夜来香:どう?ちょっとドキッとした?
時生:ばかじゃないの。
夜来香:ひっどい。
時生:……トキオ。
夜来香:なあにそれ。
時生:俺の名前。
夜来香:え?
時生:叶時生(かのう ときお)。「あんた」って呼ばれるの、好きじゃないから。
夜来香:カノウトキオ、カノウトキオ。うん、覚えた。
時生:ん。
夜来香:カノウ?トキオ?どっちで呼べばいい?
時生:そんなの好きにしろよ。
夜来香:分かったわ。じゃあトキオ。
時生:はいはい。
夜来香:教えてくれてありがとう。それじゃ、またね。
(夜来香、ちゃぷんと海中に消える)
時生:あ。
(時生、海面を見つめる)
時生:……せっかちなやつ。
【間】
―数日後。防波堤にて。
夜来香:トキオ。
時生:本当にまた来た。
夜来香:そりゃあ、トキオがわざわざ、あたしに会いに来てくれたんだもの。
時生:別にあんたに会いに来たわけじゃない。
夜来香:「暇だったから」?
時生:そう。
夜来香:暇人。
時生:お互い様だろ。
夜来香:ふふ、そうね。
時生:俺に捕まって、食べられるかもしれないとは思わなかったわけ?
夜来香:うん。思わなかった。
時生:どうして。
夜来香:だってトキオがそのつもりなら、とっくにこの間そうしたと思うから。
時生:分からないだろ。今もこの背中に銛(もり)でも隠してるかもしれないし。
夜来香:そんなはずないわ。
時生:なんでそう言い切れるんだよ。
夜来香:女の勘。
時生:あっそ。
夜来香:あ、ねえ。
時生:なに。
夜来香:「あんた」っての、そっちもやめてよ。あたしにだってちゃあんと名前があるんだから。
時生:この間俺がそれを聞く前に、あんた海に帰っちゃっただろ。
夜来香:そうだった?
時生:ああ。
夜来香:それはごめんなさい。トキオと話せたのが嬉しくって、忘れちゃったのね、きっと。
時生:……
夜来香:夜来香(イエライシャン)。
時生:イエライシャン?
夜来香:あたしの名前。
時生:それ、何語?
夜来香:中国語。夜に来る香りと書いて「イエライシャン」。花の名前だそうよ。
時生:だそうよ、って、見たことないわけ、その花。
夜来香:残念ながら。
時生:そっか。
夜来香:でもね、その名の通り、夜空に輝く星のような形の、すごくいい香りの花なんだって。
時生:……へえ。
夜来香:あたしにぴったりの、素敵な名前でしょ。
時生:あんたがそう思うなら、そうなんじゃないの。
夜来香:本当にかわいげないわね。あと、「あんた」じゃないでしょ。
時生:……夜来香。
夜来香:よろしい。
(少しの間)
時生:あんた――夜来香は、中国生まれってこと?
夜来香:ふふ、そういうこと。
時生:それじゃあなんで、そんなに日本語が上手なの。
夜来香:あたしにその名前をつけたのが、日本人だったから。
時生:え?
夜来香:聞きたい?あたしの話。
時生:……暇だし、聞いてもいい。
夜来香:この間よりもトキオ、早い時間に来てくれたから、時間も安心だしね。
時生:偶然だよ。
夜来香:そうなの?
時生:そうだよ。
夜来香:じゃあ、そういうことにしといてあげる。
時生:おい。
夜来香:さあ、どこから話したものかしら。
時生:……好きにすれば。
夜来香:じゃあ好きにするわ。
(少しの間)
(波の音)
夜来香:……あたしがもとは人間だった、って言ったら、信じる?
時生:え?
夜来香:ふふ。
時生:……
夜来香:嘘じゃないのよ。
時生:別に、嘘だなんて思っちゃいないけど。
夜来香:そうなの?
時生:人魚が目の前にいて、こうして会話してるってだけで、じゅうぶん非現実的なんだ。今更そんなこと言われても、って感じだろ。
夜来香:そっか。
時生:夜来香が、嘘を言うようなタイプにも見えないし。
夜来香:どうしてそう言い切れるの。
時生:男の勘。
夜来香:一丁前なこと言っちゃって。
時生:うるさいな。嘘を言えるほど頭よさそうに見えない、って言えばよかったか?
夜来香:本当にかわいくないんだから。
時生:はいはい、分かってるよ。
夜来香:でも、信じてくれて嬉しいわ。
時生:……あ、そ。
(少しの間)
(波の音)
夜来香:ねえトキオ、太平洋戦争って知ってる?
時生:一応……高校の授業でやった程度だけど。
夜来香:ああ、そんな顔しないで。大丈夫。そんなに悲しい話じゃないから。
時生:「そんな顔」なんてしてないよ。
夜来香:あたしの勘違い?
時生:ああ。
夜来香:そう。それじゃあ続けるわね。……あたしは香港で生まれて、香港で育ったの。両親は早くに病気で死んでしまって、あたしはほかの孤児たちと身を寄せ合って、なんとかゴミを食べながら生きてきたわ。
時生:え
夜来香:そのうち、香港はイギリス領だから、ってことで、日中戦争の後、日本の侵略を恐れて逃げてきた難民が中国のあちこちから殺到して、生きるのがもっと大変になっていった。町はそりゃあひどいもんだったわよ。路上で餓死する人だってたくさんいた。あたしが生き延びられたのは、単に運が良かっただけだと思ってる。
時生:……それで?
夜来香:あたしが十六になるころ、太平洋戦争が起きて、日本が香港を占領したわ。
時生:それは、知ってる。
夜来香:……日本軍の占領で難民の数は減ったけど、治安が悪いことに変わりはなかった。その頃には、あたしは町の小さなナイトクラブで歌って、なんとか暮らしていたわ。幸い顔も良かったし、歌も少し歌えたからね。
時生:歌、歌えるのか。
夜来香:そうよ、あたしのもうひとつの取り柄。
時生:取り柄がいくつもあって、うらやましい限りだな。
夜来香:聴かせてあげようか。
時生:……今度な。
夜来香:ふふ、そうね。今度ね。
時生:それで?
夜来香:ん?
時生:それがどう人魚に繋がるんだよ。
夜来香:もう少しだから、焦らないの。
時生:わかったよ。
夜来香:ある夜、日本軍のえらい人がなんでかあたしの働くクラブに来て、あたしをえらく気に入ってくれてね。
時生:へえ。
夜来香:そしてそのまま、あたしを自分の家に連れ帰ったの。
時生:はあ?
夜来香:なに?
時生:いや、連れ帰った、って……
夜来香:気に入った女の子がいれば、連れ出して楽しむ。そういうお店だったもの。だから別にあたしも、そんなの初めてじゃなかったし。
時生:十六だったんだろ。
夜来香:そうよ?なにか変?
時生:……別に。それで?そいつがどうしたんだよ。
夜来香:その人、あたしのことをすごく気に入ってくれてさ。そのままあたしを自分の家に住まわせて、知り合いの高級クラブで歌わせてくれたの。「夜来香」ってのは、その頃にその人がつけてくれたのよ。歌姫に相応しい名前を付けなければね、って言って。
時生:……
夜来香:夜に特に強く香るから、君にぴったりだって。
時生:夜に……
夜来香:だってあたしが輝くのは、いつも夜だったもの。
時生:それまでの夜来香は、なんて名前だったんだ?
夜来香:もうすごく昔のことだし、ろくな思い出もないから、忘れちゃったわ。
時生:……そうか。
夜来香:あたしの生活は、すごく良くなったわ。その人にすごくすごくかわいがってもらって、たくさん守ってもらって、好きな歌を好きなだけ歌って、綺麗なドレスをきて、おいしいものを食べて。たまに客に抱かれなきゃいけないこともあったけれど、それでも、すごく良くなったわ。
時生:……
夜来香:毎日が本当に楽しかった。日本語も、その時に教えてもらって覚えたの。日本人のお客さんも多かったしね。
時生:それで?
夜来香:夜来香って呼ばれるのが、好きだったわ、とっても。だから、あたしの名前は夜来香。ずっとずうっと夜来香なの。
時生:……
夜来香:でもね、あたしを助けてくれたその人は、悪い人だったの。あたし、知っちゃったんだ。紹介されたお店が、実は香港ヤクザの経営するお店で、彼は日本軍の偉い人だけど、悪い人でもあったんだって。
時生:なあ、まさか
夜来香:ある晩たまたま、彼が人を撃ち殺すのを見てしまったの。あたし馬鹿だからさ、撃たれた人がだれで、彼が悪い人たちとどんな話をして、どんな悪だくみをしていたか、なんて分かるはずもなかったのに、彼は躊躇うことなく、あたしの胸に向けて引き金を引いたわ。そして、まだかろうじて息のあったあたしを、そのまま海に捨てたの。
時生:うそだろ……
夜来香:海に沈みながらたくさんたくさん考えたわ。あたし、何がいけなかったのかしら。どうして、あの人はあたしを捨てたのかしら。あたし馬鹿だけど、何も知らない顔くらいはできたのに。どうしてあの人は、あたしの言葉を聞く前に引き金を引いたのかしら。あんなにあたしの歌を愛して、あんなにあたしの脚の間で悦んでくれたのに。ああどうかもう一度、一度でいいから、あの人に会って、ちゃんと話を聞きたいわって。
時生:……
夜来香:でも、身体から命が抜けてゆくのを感じていくごとに、そういった想いも少しずつ水に溶けていった。きっとあたし、何か間違えたのね。しかたないわね、って。でも、このまま名前も分からない死体になるのかしら、って思ったら、あたし、どうしようもなく悲しくなって。夜来香って名前だけはどうしても捨てられなくて、夜来香でいたあたしがやっぱり大好きだわって、泣きたくなって……それで、気づいたらあたしは人魚になっていたの。
時生:なんだよ、それ。
夜来香:未練っていうのかしら、こういうのも。
時生:……知らないけど。
夜来香:理由なんて分からないけど、とにかくあたしの両脚は魚の尾になっていて、与えられた時間がやたら長いことに気づいたあたしは、その時間をただ持て余して、七つの海を渡ったりしてみながら、今ここにいて、トキオと話してるってわけ。
時生:……
夜来香:だから、そんな顔しないでよ。それともまた、あたしの勘違い?
時生:……いいや。だって、悲惨だろ、そんな話。
夜来香:あのね、トキオ。別にあたし、もう悲しくもなんともないのよ。だってさ、すごーく昔の話じゃない。それに七つの海を巡る間に、あたし、いろんな男に出会って口説かれたりもしてさ。いろんな国の愛の言葉も覚えたりして、結構楽しくやってたんだから。ウォーアイニー、アモーレ、ジュテーム、テ・アモ……ね?すごいでしょ?
時生:……
夜来香:……トキオは、優しいのね。
時生:これは別に優しさじゃない。ただの……ただの感想だから。
夜来香:いいじゃない、優しいって思わせときなさいよ。あたしが優しいんだって思いたいんだから。
時生:ちょろい女。
夜来香:あらひどい。
時生:そんなんだから……
夜来香:ん?
時生:……なんでもない。
夜来香:やだ、あたしの話だけで、結構時間経っちゃったわね。トキオの話、聞きたかったのに。
時生:別にそんなの、今度でいいだろ。大した話でもないし。
夜来香:大した話でなくていいのよ、男と女の会話なんて。
時生:俺と大して歳変わらないくせに、大人ぶるなよ。
夜来香:死んだときはそうだったかもしれないけど、そこから何年人魚やってると思ってるのよ。あたし、トキオのおばあちゃんより年寄りよ、きっと。
時生:人魚になってからの年月なんてノーカンだろ。
夜来香:のーかん?
時生:カウントしないってこと。
夜来香:なんでよ。
時生:クラスの女子と大して変わらないノリのばあさんなんて、嫌だから。
夜来香:そんなの、トキオの都合じゃない。
時生:うるさいな。とにかくなんか……なんか嫌なんだよ。
夜来香:……
時生:……
(少しの間)
夜来香:ん、わかった。何をどうしていいか分からないけど、とにかくトキオが嫌なのは分かったから、ごめんね。
時生:……
夜来香:ねえトキオ。
時生:……なに。
夜来香:また、今度ね。
時生:……
夜来香:またね。
(夜来香、ちゃぷんと海の中に消える)
時生:……くそったれ。
【間】
―さらに数日後。防波堤にて。
夜来香:ずいぶん久しぶりね。
時生:すこし、忙しかったから。
夜来香:あたしは暇だったわ。
時生:そうかよ。
夜来香:元気だった?
時生:まあ、ね。
夜来香:もう来てくれないかと思った。
時生:……少し、悩んだ。
夜来香:あたしが怒らせちゃったから?
時生:いや、俺の問題。
夜来香:聞いてもいい?
時生:つまんない話だよ。
夜来香:それでも聞きたいの。
時生:なんで。
夜来香:トキオの話が、聞きたいだけよ。
時生:なんで、なんで俺なんかの話を聞きたいの。
夜来香:仲良しになれたと思ったから。それじゃだめなの?
(少しの間)
時生:……夜来香。
夜来香:ん?
時生:あんた気づいてたんだろ。
夜来香:……なにを?
時生:俺が、お前を殺した男の孫だって。
夜来香:……
時生:あの日、家に帰ってから調べたんだ。俺、本当にろくに戦争のこととか知らなかったから、夜来香の生きてきた時代のこととか、その当時の香港のこととか、色々、ちゃんと知ろうと思って。そうしたらばあちゃんが、教えてくれた。終戦間際に死んだ俺の爺さんが、当時香港にいたんだ、って。僅かに残っていた写真も見せてくれた。そのなかに……俺とよく似た顔の男が、あんたと写っている写真も、あった。
夜来香:トキオ
時生:俺とあんたが出会ったのは偶然だったかもしれないけど、あんたがこの海に来ていたのは、偶然なんかじゃなかったんだ。もうちっとも悲しくないなんて、嘘だったんだろ?あんた、長い間海をさまよって、結局忘れられない男の故郷の海に帰ってきただけだったんだ。
夜来香:……「あんた」なんて、呼ばないで。
時生:夜来香、ってもう一度同じ顔に呼ばれたいだけなんだろ、なあ。
夜来香:そんなんじゃないよ。そりゃあ最初は、どれだけ恋をしても結局忘れられなかったあの人に会いたくて、でももうきっと死んでるだろうし、せめてあの人の生まれ育った町を見たいって気持ちでここに来たけどさ。あの人にそっくりなトキオに会った時も、びっくりしたけどさ。
時生:……
夜来香:それでつい話しかけちゃったけどさ、でも、でもそんなんじゃないよ。だってトキオはやっぱりトキオで、優しくて、あの人とは顔以外ちっとも似てなくて、それであたしは本当に、もうあの人には会えないんだって分かったの。だから今度こそ「もういいや」ってなった。それならトキオがあの人と血がつながってることなんて、知らなくていいことじゃない。トキオ、絶対傷つくと思ったから、だから、あたし
時生:……どうして、こんな
夜来香:ねえ、ちがうよ。そんなんじゃないよ。あたし、そんな器用なことできるほど、頭良くないよ。知ってるでしょ、ねえ。
時生:ごめん……俺、分かってるのに、あんたはなんにも悪くないって、ごめん、なのに俺、どうしたらいいかわからなくて……
夜来香:トキオ……
時生:……俺、明日東京に帰るんだ。
夜来香:え。
時生:本当にちっぽけな、つまらない話なんだよ。
夜来香:トキオ……
時生:俺、こう見えて野球部のエースでさ。将来はそのまま野球選手になるつもりでいた。周りもきっとそうなる、って期待してくれてて。野球が俺の、唯一の取り柄だったんだ。
夜来香:……
時生:それなのに俺、大事な試合の直前で肩壊したんだ。しかも、もう完全には治らない、野球は趣味程度にしておけ、って言われて。……結局、そのせいでうちの野球部、甲子園に出場できなかった。夢がいきなり壊れたのも苦しかったけど、何より苦しかったのは、周りが俺を見る目だった。最初は冷たかった。でもすぐに、誰も俺を見なくなった。取り柄を失った俺には用がないとでも、いうように。
夜来香:……うん。
時生:何者でもなくなった俺は、誰の前にもいられなくなった。自分が透明人間になったようで、それが怖くて部屋から出られなくなった。とにかくこの現実から逃げたかった。それで結局、そもそも誰も俺を知らないような、こんな田舎の、ばあちゃんの家まで逃げてきたってわけ。
夜来香:トキオ
時生:毎日、本当に暇だったんだよ。夢も希望もなくなって、やりたいこともやるべきこともなくて、それならもう死のうかなとか、思ったりして。
夜来香:……
時生:でも、あんたの話を聞いてたら、すごくだせえ話だけどさ、たとえ夢や希望が壊れても、命があるならちゃんと生きなきゃいけないような気がしたんだ。透明人間のような俺の目を見て、あんたは話しかけて、傷を見せてくれた。あんただって、本当は生きて幸せになりたかったはずなんだ。だからほんと、すごくだせえけど、あんたの分までちゃんと生きようと思ったんだ。そのために勉強しようと思って、調べたんだ。
夜来香:……うん。
時生:そうしたら、これだよ。なんなんだよ、もう。俺、どうしたらいいんだよ、って思って、結局また、逃げることにしたんだ……!
夜来香:トキオ。
時生:東京に戻るのもこわいけど、今は、あんたの前にいることの方が、きつい。
夜来香:……ごめんね。
時生:それは、俺のセリフだろ。俺が謝ったって、なんにもならないけど。
夜来香:ううん。あのね、あたし、嬉しかった。勘違いしないでね。あの人の血を引いた人に会えたことが、じゃないよ。トキオがあたしを一人の普通の、この時代の女の子のように扱ってくれたことが、本当に嬉しかったんだ。
時生:……
夜来香:あたし、初めてこの魚の尾を恨めしいと思ったよ。どこかの国の童話みたいに、人の足をまた、手に入れたいと思った。そうしたら、今傷ついてるトキオを抱いて、慰めてあげられたのに、って。
時生:そんなのいらない。
夜来香:だって、あたしがトキオの苦しみを癒すのにできることって、これしかないからさ。
時生:そんなこと
夜来香:でも、結局できないから一緒なんだけど。だから、魚の尾が今は本当に恨めしい。
時生:俺なんかのために、そんなこと、言うなよ。
夜来香:逃げてもいいよ。逃げられるものからは、逃げてもいい。いつか逃げた先でちゃんと幸せになってくれるなら、それでいい。あたしはずっと海を漂いながら、いろんな人を想って生きるしか、もうできないから。行くも逃げるも、できないから。今更あたしに変えられるものなんて、ないから。
時生:そんなこと、ないだろ。
夜来香:そう?
時生:だってあんたは、俺の
夜来香:トキオ。
時生:……
夜来香:それは、言っちゃだめ。うれしいけど、言っちゃだめ。
時生:どうして。
夜来香:言っちゃったら、あたしまた未練で長生きしちゃう。
時生:……
夜来香:今日ここにトキオが来るまでの間、ずうっと考えてたの。……もしあたしが本当に未練で生まれた人魚なら、未練がある限り生き続けるんじゃないか、って。
時生:それじゃあ、未練がなくなったら、あんたは……
夜来香:それこそお話みたいに、海の泡になって、風の精にでもなるんじゃないかな。
時生:そんな……
夜来香:でもそれって、素敵なことじゃない?ずっとずうっと、空から大好きな人が生きていくのを見守っていられるんだもの。
時生:でも俺、そりゃあんたから逃げるけど、逃げるしか今は分からないけど、あんたが
夜来香:だから、それを聞いたら、今度はあたしがトキオから逃げられなくなっちゃう。逃げたトキオを忘れられなくなっちゃう。また未練を残して、素敵なチャンスを逃しちゃう。
時生:……
夜来香:わがままで、ごめんね。
時生:謝るなよ……。あんたが悪いことなんか、なにひとつないだろ……。
夜来香:ねえ、トキオ。
時生:なに。
夜来香:「夜来香」って呼んで。
時生:……夜来香。
夜来香:ふふ、あたし、この名前が前より好きになったわ。
時生:そうか。
夜来香:あたしね、本当は知ってるのよ、日本語でどうやって愛を伝えるのか。
時生:そりゃ、そうだろうさ。
夜来香:ふふ、そうよね。
時生:……
夜来香:でも、言わないね。
時生:それで、いい。
夜来香:うん。
時生:……夜来香。
夜来香:なあに。
時生:……なんでもない。
夜来香:トキオ。
時生:なに。
夜来香:あたしも、なんでもない。
時生:また、いつか来るよ。逃げた先でちゃんと生きて、夜来香が泡になったころに、また、会いに行くから。
夜来香:楽しみにしてるわ。
時生:それじゃあ、また。
夜来香:またね。……またね。
(トキオ、海面に一枚の紙を投げ、背を向けて歩き出す)
夜来香:待って、トキオ、何か落とし……え……?
(少しの間)
夜来香:これ……この絵……もしかして……
(少しの間)
夜来香:ふふ、こんな綺麗な花、だったのね。
(絶え間なく続く波の音)
(どこからともなく女性の歌声が聞こえる)
【幕】