はるか先でも咲いている
作成日時: 2024-03-18 23:40:09
公開終了: -
暖かく、明るい日差しに包まれて青年は河川敷を歩いていた。
大切な思い出をなぞりながら。
高校に入学して、直ぐのことだ。
勇緋《ゆうひ》は、あまりクラスに馴染めていなかった。
人好きのする容姿ではなかったし、後に出来た他の友人に当時を聞いたところ、『話し掛けないでほしいというオーラが漂っていた』という。
事実、人を避けていたのは確かだった。
話し掛けられても会話が得意でない自分では、相手をつまらなくさせてしまうだろう。
ならいっそ、話し掛けないでほしい。
身勝手にも、そう思っていたのだ。
ただ、一人を除いて。
────『桜の樹の下には屍体が埋まっている』ってよく言うよな。
誰が言っていたか、忘れたけど。
教室の窓から桜を見下ろして、友人はそう言った。
彼は、兎に角明るかった。
出会って数週間も経たないうちに皆から頼られ、暗い雰囲気を漂わせる勇緋にも何も柵《しがらみ》なく話し掛けるくらいには。
そして、彼は優しくもあった。
毎回の休み時間、暇さえあれば独りぼっちの勇緋の席に近付いてきて、何気ない話題を振ってくれた。
『最近暖かくなってきたよね』
『好きなものって何?』
世間に疎い勇緋を気遣っていたのだろう。
お陰で、クラスメイトに『お見合いか?』などと茶化されたこともあったが。
そんな彼は、勇緋にとって唯一の友人であった。
────梶井基次郎の『桜の樹の下には』だな。
もう百年以上昔の作品だ。
彼の振った話題を掘り下げるように話す。
勇緋は、その言葉を知っていた。
昔、手慰みに読んだことがあったのだ。
────ああ、それだよ。
確か、そんな感じのやつだった気がする。
友人はぽん、と手を打って頷く。
彼は、物知りというよりかは、聞き齧っただけの知識が大半を占める男だった。
恐らく、彼の義姉《あね》の影響だろう。
彼女は本が好きだから。
────それで、さ。
桜があんなに綺麗なのは、下に屍体が埋まっていて、それから養分を吸っているから……なんだよな。
勇緋はどう思う?
酷く曖昧な聞き方だった。
だから、回答に困った。
────どうって言われても……。
勇緋は考え込んだ。
別に彼はそこまで細かな感想は求めていないとは分かっていたが、どう言葉にすればいいかが分からなかったのだ。
困っている勇緋を笑って、友人は先に自分の答えを出した。
────もし本当なら、ボクが死んだら桜の樹を植えてほしいって思うんだ。
それは、どうして。
問い掛ける間もなく、彼は二の句を紡いだ。
────そうしたら、墓参りに来るたびに桜の花びらが散るだろ?
めちゃくちゃ綺麗じゃないか!
ああでも、骨だったら意味がないのか。
あれ、骨粉ってやつもあるからいいのか。
って言うか、そもそも春に死ななきゃ桜咲いてないじゃん。
花の無い桜なんてただの木だよ、木。
一人で自問自答している友人を見て、勇緋は思わず噴き出した。
彼が面白かったのは勿論、悩んでいる自分が馬鹿みたいだったのだ。
────なんだよ。
そんなに笑うくらいなら、ちゃんと答えは出たんだろうな?
頬を膨らませながら詰め寄る友人。
勇緋はもう、答えに迷っていなかった。
────オレは、屍体が桜になって生きていると思う。
桜の花弁は、薄い緋色《あかいろ》だ。
真っ白な花弁に、真っ緋な血液が通って『桜色』に見えている。
もう動くことのない屍体が、もう時が進むことのない屍体が。
風に揺らいで、年を越えて、生き続ける。
喩え、その屍体の名を誰もが憶えていなくても。
その桜だけは、きっと誰かが憶えている。
────へえ、ロマンチスト。
鼻で笑う彼に『キミも大概だろ』なんて言って、二人で笑い合った。
ああ、懐かしい。
記憶の中にしかいない、友人のことが。
自分しか憶えていない、友人のことが。
彼と初めて出会った河川敷。
それをずっと辿っていくと、小高い丘がある。
その頂上には、大きな桜の樹があった。
「今日は良い花見日和だな、玄《はるか》」
桜《ゆうじん》に向けて、勇緋は話し掛けた。
あの頃、彼がしてくれたように何気ない話題で。
それが、一人芝居だとしても。
この世界のどこにも彼は居ない。
肉体も、魂も。
記憶だって、勇緋の中にしか残っていない。
皆、忘れてしまったから。
それでも、『桜の樹の下には屍体が埋まっている』。
彼の屍体は、どこにも埋まっていないけれど。
確かに彼は、ここに眠っているのだ。
勇緋の、ただの空想かもしれないけれど。
確かに彼は、ここで生きているのだ。
一年経っても、二年経っても。百年以上経ったとしても。
桜《ゆうじん》は憶えられている。
はるか先の未来まで、ずっと。
春風に吹かれて、天青色に花弁が散っていった。
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