はるか先でも咲いている


 暖かく、明るい日差しに包まれて青年は河川敷を歩いていた。
 大切な思い出をなぞりながら。






 高校に入学して、直ぐのことだ。
 勇緋《ゆうひ》は、あまりクラスに馴染めていなかった。

 人好きのする容姿ではなかったし、後に出来た他の友人に当時を聞いたところ、『話し掛けないでほしいというオーラが漂っていた』という。
 事実、人を避けていたのは確かだった。

 話し掛けられても会話が得意でない自分では、相手をつまらなくさせてしまうだろう。
 ならいっそ、話し掛けないでほしい。
 身勝手にも、そう思っていたのだ。

 ただ、一人を除いて。


 ────『桜の樹の下には屍体が埋まっている』ってよく言うよな。
 誰が言っていたか、忘れたけど。


 教室の窓から桜を見下ろして、友人はそう言った。
 
 彼は、兎に角明るかった。
 出会って数週間も経たないうちに皆から頼られ、暗い雰囲気を漂わせる勇緋にも何も柵《しがらみ》なく話し掛けるくらいには。

 そして、彼は優しくもあった。
 毎回の休み時間、暇さえあれば独りぼっちの勇緋の席に近付いてきて、何気ない話題を振ってくれた。

 『最近暖かくなってきたよね』
 『好きなものって何?』

 世間に疎い勇緋を気遣っていたのだろう。
 お陰で、クラスメイトに『お見合いか?』などと茶化されたこともあったが。

 そんな彼は、勇緋にとって唯一の友人であった。
 

 ────梶井基次郎の『桜の樹の下には』だな。
 もう百年以上昔の作品だ。


 彼の振った話題を掘り下げるように話す。
 勇緋は、その言葉を知っていた。
 昔、手慰みに読んだことがあったのだ。
 
 
 ────ああ、それだよ。
 確か、そんな感じのやつだった気がする。


 友人はぽん、と手を打って頷く。
 彼は、物知りというよりかは、聞き齧っただけの知識が大半を占める男だった。
 恐らく、彼の義姉《あね》の影響だろう。
 彼女は本が好きだから。
 

 ────それで、さ。
 桜があんなに綺麗なのは、下に屍体が埋まっていて、それから養分を吸っているから……なんだよな。
 勇緋はどう思う?


 酷く曖昧な聞き方だった。
 だから、回答に困った。
 

 ────どうって言われても……。


 勇緋は考え込んだ。
 別に彼はそこまで細かな感想は求めていないとは分かっていたが、どう言葉にすればいいかが分からなかったのだ。

 困っている勇緋を笑って、友人は先に自分の答えを出した。
 

 ────もし本当なら、ボクが死んだら桜の樹を植えてほしいって思うんだ。


 それは、どうして。
 問い掛ける間もなく、彼は二の句を紡いだ。


 ────そうしたら、墓参りに来るたびに桜の花びらが散るだろ?
 めちゃくちゃ綺麗じゃないか!


 ああでも、骨だったら意味がないのか。
 あれ、骨粉ってやつもあるからいいのか。
 って言うか、そもそも春に死ななきゃ桜咲いてないじゃん。
 花の無い桜なんてただの木だよ、木。

 一人で自問自答している友人を見て、勇緋は思わず噴き出した。
 彼が面白かったのは勿論、悩んでいる自分が馬鹿みたいだったのだ。


 ────なんだよ。
 そんなに笑うくらいなら、ちゃんと答えは出たんだろうな?


 頬を膨らませながら詰め寄る友人。
 勇緋はもう、答えに迷っていなかった。


 ────オレは、屍体が桜になって生きていると思う。
 

 桜の花弁は、薄い緋色《あかいろ》だ。
 真っ白な花弁に、真っ緋な血液が通って『桜色』に見えている。
 もう動くことのない屍体が、もう時が進むことのない屍体が。
 風に揺らいで、年を越えて、生き続ける。

 喩え、その屍体の名を誰もが憶えていなくても。
 その桜だけは、きっと誰かが憶えている。
 

 ────へえ、ロマンチスト。

 
 鼻で笑う彼に『キミも大概だろ』なんて言って、二人で笑い合った。
 




 ああ、懐かしい。
 記憶の中にしかいない、友人のことが。
 自分しか憶えていない、友人のことが。

 彼と初めて出会った河川敷。
 それをずっと辿っていくと、小高い丘がある。
 その頂上には、大きな桜の樹があった。


「今日は良い花見日和だな、玄《はるか》」


 桜《ゆうじん》に向けて、勇緋は話し掛けた。
 あの頃、彼がしてくれたように何気ない話題で。
 それが、一人芝居だとしても。

 この世界のどこにも彼は居ない。
 肉体も、魂も。
 記憶だって、勇緋の中にしか残っていない。
 皆、忘れてしまったから。

 それでも、『桜の樹の下には屍体が埋まっている』。

 彼の屍体は、どこにも埋まっていないけれど。
 確かに彼は、ここに眠っているのだ。
 勇緋の、ただの空想かもしれないけれど。
 確かに彼は、ここで生きているのだ。

 一年経っても、二年経っても。百年以上経ったとしても。
 桜《ゆうじん》は憶えられている。
 はるか先の未来まで、ずっと。

 春風に吹かれて、天青色に花弁が散っていった。
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