つまるところは似合いの恋人


賑やかではあってもお世辞にもあまり治安が良いとは言えない繁華街の場末の酒場。そこではたった今、ひっそりととある賭けが行われていた。
内容は、一夜を巡る駆け引き──まぁ、下世話な言葉で纏めてしまえば、ナンパの発展系、“お持ち帰り”をできるかどうか、と言った話。
その片方は、髪を明るい茶色に染めて白いスーツを着た、端的に言えばホストじみた青年だ。服のセンスは派手だが、寧ろ派手な方が夜には向いている。
顔立ちもそれなりに整っているから、甘い言葉を尽くして口説けば並大抵の女は落とせそうなものだが──如何せん、今回の相手は並大抵どころではなかった。
「珍しくアイツから誘ってきたと思ったら、これでもう一時間以上待たされてるんだぞ? クソふざけるなよあの唐変木」
耳通りの良い涼やかな声からは少々不釣り合いにも聞こえる口調で一気にそう捲し立てて、もう一人の賭けの対象たる女がまたグラスを呷る。
美しい女だった。
青のグラデーションを描くドレスから伸びた四肢はしなやかで、細い腰から長い脚にかけてのラインが目を引く。
毛先を青く染めた金髪が照明を浴びて眩く輝き、透き通るように白い肌は酒で仄かに染まって妖しく倒錯的な色香を漂わせる。吸い込まれそうな蒼の双眸は鮮やかな紅に縁取られ、彼女の妖艶さを引き立てていた。
彫刻じみた均整で成り立つ異国情緒漂う華やかな美貌は、けれど触れたものを傷付ける鋭さをも含んでいる。
喩えるならば、薔薇。
それも、花屋に陳列されているようなものではなく、棘を除かれずに幾つも纏った野生の薔薇だ。
存在しない、出来ない筈の青い薔薇。
傷付くことを理解していても手を伸ばさずにはいられない、魔性の美。
──生まれる時代が違えば、傾国の原因として歴史に名を刻むことも出来たのだろう、まさしく絶世の美女だった。
けれど、そんな彼女はかれこれ一時間以上もやけ酒のように酒を呷り、気が利かないだの無愛想だのと延々一人の男について愚痴り続けているのだから、客達は会ったこともないその男に対する興味を募らせていた。
「ハァ……ったく、どうせこっちのことなんかどうでも良いんだろうな。クソ腹立つ。次会ったら右脚で蹴ってやる」
「酷い男だね」
行儀悪く頬杖を付いてのその言葉を切っ掛けとして、それまで大人しく──何なら、若干引き気味に──聞いていたホスト(仮)の青年が、そこで漸くモーションをかける。
「俺にしとけば、お姉さん?」
「………………………………………」
「……あの?」
全く予想外のことを言われた、とでも言うように固まった女に、沈黙の恐ろしくなったホスト(仮)が恐る恐る声を掛けて。
ふ、と女は一時間以上も前に店に入ってから初めて目元を微かに緩ませた。
「──いっそ、それも良いかもねぇ」
急展開の予感に、客達がそっと身を乗り出した、瞬間。
カラン、とまた一人の入店を告げるベルがなった。
けれども客達は二人のやり取りに集中していて、それに気付けたのはカウンターにいるマスター一人のみだった。
入店してきたのは、美しい男だった。
赤みがかった髪色。色白の面立ちで、引き結ばれた薄い唇と長い睫毛に縁取られた翡翠の瞳が印象的だった。
スポーツでもやっているのか、しなやかな筋肉の付いた身体付きをしている。
白のシャツに黒のスラックスという簡素な服装だからこそ、そのスタイルの良さが目立っていた。
切れ長の双眸が店内を見回して、迷うことなく歩みを進める。
そうして開口一番、男は軽く頭を下げる。
「悪い、遅くなった」
「あ?」
──そう、現在店の話題の渦中にある女へと向かって。
え、と女を口説いていた最中のホスト(仮)青年は当然困惑するが、しかし彼よりも先に女が動いた。
『遅い、クソ馬鹿冴!』
『うるさ……おい、首締まる』
恐らく英語ではない早口の外国語。
シャツの襟を掴んで叫んだ女に、男が軽く眉を顰めて応える。
『遅刻したお前が偉そうに文句を垂れる資格があるとでも? ……で、お前がそんなに遅れて来た訳は?』
『パパラッチを撒くのに手間取った』
『はぁ? 何度もやってきただろそんなこと。で、本当にそれだけでこの俺を一時間半待たせたと? クソ不敬だなぁ冴』
一時間半だぞ、と女は恨みがましく赤い唇を尖らせて繰り返す。
それも当然、男以外には通じていない。
『……悪かった』
『思ってないだろ』
『反省してる』
返答に、女がにんまりと笑う。
心底楽しげで、愉しげな──人の悪い笑み。
『じゃあ、俺を自宅まで連れて帰れ。それで明日もオフだろ。丸一日付き合って貰う』
『……せめて半日に』
『クソ無理♡』
『チッ』
『あはははっ! 日本の至宝のそんな顔、パパラッチに高く売れ……いや違うな、日本《コッチ》の奴らはもう慣れてるのか』
『お前と一緒に居る時点でネタの宝物庫も同然だろ』
『それは確かにな。まぁ精々、明日の俺がサッカーをしたい気分であるように祈るんだな、クソダーリン♡』
女が再び微笑む。
妖艶で、それでいて無邪気で──心底幸せそうな、甘く蕩けた笑みだった。
言葉は男以外には通じなかったものの、女が上機嫌であることは店内の誰にも察せられた。
そのまま女はちゅ、と軽いリップ音を立てて男の唇に自らのそれを重ね合わせる。
ほんの一瞬、触れ合うだけの軽いキス。
それが仲直りの印で、そして同時に客の半数が少なくない金を失った瞬間でもあった。
「……つー訳で悪ぃな」
そこで男は振り返った。
扱う言語を日本語へと戻して、すっかり空気と化していたホスト(仮)へと頭を下げる。
「あ、いや、その、」
「今までコイツの愚痴聞いててくれたんだろ? ウチのが迷惑かけたな」
『おいおい冴お前、自分が遅れたのを棚に上げるなよ?』
「い、いえ、仲直りされたのなら良かったです……」
あはははは、と乾いた笑いを漏らす青年。
それも、仕方のないことだろう。
一時間近く女の愚痴を聞き続けて、漸く口説き落とせるかと思ったら、男の姿を見た瞬間に全て放り出されたのだ。
しかも、先程とは比べものにもならない生き生きとした表情で。
普通に考えて、男としてのプライドがズタズタになるのは当然と言えた。
しかも、周囲がホスト(仮)と名付けた通りに、青年はホストだった。しかも、仮どころかそろそろ中堅に差し掛かる頃の、それなりにベテランのホストだ。
当然、女の扱いには自信がある──筈、だった。
過去形である理由は、言うまでもないだろう。
何人もの女から貢がれて来た彼だったが、今回だけは相手が悪かった。
目を付けたとびきりの上物は、健気な姫ではなく、尽くされる側の女王様だったのだから。
とにかく、彼はたったの数分間で男としてのプライドをズタズタにされただけでなく、ホストとしてのプライドにまで極大の罅を入れられたのだ。
そんな内心までは知る由もないが、半ば放心状態の彼は傍目にも哀れで、周囲の客は内心そっと手を合わせる。
──その打ちひしがれたホスト青年の様子に、男が薄ら唇を歪めたのを、一体幾人が気付けたのか。
少なくとも、笑みを崩さない女はその幾人の内に入った。
『あー……帰るか冴』
『俺は殆ど飲んでないが』
『俺の家に用意してあるからそこで幾らでも飲め』
女は相変わらずの愉快げな笑みで、男は相変わらずの無表情のまま、彼らは再びお互いにしか分からない会話を交わし始める。
『結構飲んだな』
『この位本国《ウチ》ならガキでも飲める』
会計を見て眉を顰める男に、女は何が楽しいのかまた声を立ててケラケラと笑った。
カラン、と再びベルが鳴る。
とびきり美しく、そしてとびきり傍迷惑なカップの後ろ姿は、その場に居た全員の脳裏に焼き付いた。
何はともあれ、不運な客達は溜息を吐いて財布を探り出して賭け金を掴み取って胴元のマスターへと渡した。
勝利したもう半数は既に敗北者の顔を肴として存分にタダ酒を愉しんでいた。
誰かは、あの女をあそこまで荒れさせるとはとんでもない男だと呟き、また別の誰かはあんな男を嫉妬させるなんてとんでもない女だと肩を竦める。
マスターはその全てに耳を傾け同意して、それから、本日間違いなくこの店で最も不幸な客であるホスト青年の肩を叩き、せめてもの慰めとして、今夜は半額にしてあげましょうと静かに言った。
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