インド神話におけるヌオー


 インド神話においてヌオーは独特の立ち位置を持つ存在である。
彼女等は聖なる河川の化身であり、その為かサラスヴァティやガンガー、ラクシュミー等の姉妹たちと扱われることが多い。
またヌオーの祖たる女神も『ディーヴィ』というサンスクリット語で女神という意味の、全ての女神の祖とされる存在であり、インド神話における地位は非常に高い。

 ヌオーの地位の高さの理由は、穢れや呪いを浄化する権能を有することや、『無垢』という穢れに対する絶対的な耐性の持ち主で、なおかつ慈悲深さゆえに数多の神々や聖仙及び人間達を救ってきたからとされる。
いかなる穢れとも無縁であるがゆえに、彼女等は上は神々、下は不可触民まで全てを救済の対象としており、彼女等の介添えさえあればカースト間の移動さえある程度は可能である。
また彼女達の作ったとされる物は料理であれ日用品であれ武器であれ、いずれも逸品である。
そのあまりの出来栄えゆえに、彼女達の恩恵を受けてしまったものは、生涯その至福の喜びを引きずって生きなければならないという恐ろしい側面も存在していた。

 なお彼女等とされる理由は、女神ディーヴィの眷属だからである、ヌオーとしての姿以外に、美女の姿も有していた。
アプサラスとは近しい存在とされるが、彼女等はヌオー達に敬意を持って接している。
神話上では、神々や聖仙に王族、稀に庶民や奴隷と結婚した話も残されている。
なお、彼女等の解脱していない衆生へのいきすぎた献身をたしなめる話もあるが、だいたいの場合は説教をしている神々や聖仙が折れるあたり彼女達の特権的な立場がうかがえる。

 さてヌオーの祖たる女神ディーヴィだが、彼女はインド神話においては権能や役割をすべて他の女神に譲っているので基本的には役目が存在しない。
その為、地上に赴いて一介のヌオーに扮して、慈善活動を行っていることが多い。
『ラーマヤーナ』ではシータの世話役のヌオーをしていた。
また『マハーバーラタ』ではビーシュマから始まり、ドローナ、アシュヴァッタ―マン、カルナ、パーンダヴァ5兄弟とカウラヴァ100兄弟等の世話を眷属であるヌオー達と一緒に行っていたとされる。
ただ高位の女神ではあるが、三柱の最高神達からは大きな流れを変更しないように釘を刺されることがあり、『マハーバーラタ』ではクリシュナに苦言をていされている場面がある。

余談:ヌオー達への評価

 ラーマ
 聖なる河川の精達、神でありながら人に寄り添い人の目線に立てる者達。
為政者としても私人としても、彼女達には世話になった。
特に女神ディーヴィには、シータがいない時は常に傍らで支えてもらった。
……僕がシータを信じきれなかった時も、あなたは僕を諭してくれたし民の説得もしてくれた。
僕が自業自得でシータを失ったときも、あなたは神々に働きかけてくれた。
そのおかげで晩年の5年間、僕はシータと至福の日々を過ごせた。
ディーヴィ、余は御身のために全身全霊を尽くすことをもう一度誓わせてほしい。

 シータ
優しくて可愛い私の自慢の家族達。
お母様が作ってくれた装飾品の数々は、ラーヴァナ―にさらわれた後の私を支え続けてくれた。
ラーマ様との別れが永遠にならなかったのは、お母様と姉妹達が苦行をしてくれたからです。
だから私もお母様の為に英霊としての全てを捧げたいのです。
きっとラーマ様も同じ気持ちだと思います。

カルナ
 ディーヴィは母で、ヌオー達は姉妹だ。 それ以外の言葉は不要だ。

アルジュナ
 私の人生の始まりから終わりまで、常に彼女達は傍らで支えてくれました。
ええ、女神ディーヴィに娘である『ウパー』を預けられた時は非常に困惑しました。
ですが『ウパー』とともに居たおかげで、私は多くの得難い経験をし、私の人生を幸せな物にしてくれたのです。
きっと『ウパー』が居なかったら、今以上に周囲に壁を作り、より多くを見落としていたでしょう。
だから感謝しています。 この思いは、どれだけの時が流れ、私が私で無くなっても消えないでしょう。

 アシュヴァッタ―マン
 正直に言えば、苦手だ。
好きか嫌いかと問われれば、ぶっ殺すぞ‼ 好き以外ありえねえよ‼ となるんだがな。
俺は、ヌオーの乳を吸って育った。
乳が飲みたいとわがままを言った俺に代用として、ヌオーである女神ディーヴィが飲ませてくれたのさ。
父上は貧乏を恥じて、俺達に常に申し訳なさそうにしていたが、俺は間違いなくあの時、幸せだった。
だってそうだろ! 敬愛する父に、母を二人も持てる幸運な奴なんてそうそういねえだろ!
最終的に俺は自業自得で3000年間放浪することになった。
いや3000年なんて生温いことを言わずに永劫を彷徨う罰をクリシュナの野郎に求めたが却下された。
だって俺は……母上を、殺すところだったんだ……
それでも、こんな親不孝の堕落者を母上は見捨ててくれなかった。
ずっと母上は俺のことを案じてくれたし、時には直に来て慰めてくれた。
ああ、その『慈愛』がもたらす苦しみに比べれば罰による痛みは、むしろ救いですらあったさ。
だから、俺はヌオー達から距離をとるのさ、そばにいる資格なんて無いからな。

ドゥリーヨダナ
 当然ながら、わし様は大好きだぞ。
可愛いし綺麗だし触り心地も寝心地も最高だ! 
ヌオーの時も美女の時もわし様の世界を彩ってくれる。
無論、あの者達の作る物も大好きだ、わし様は美味いものも美しい物も役立つ物も良い物ならなんでも大好きだからなあ。
博愛主義すぎるのは問題点だが、そういうのを自分に注目させるのは最高の楽しみだろう?

 とはいえ入手難易度は天元突破でなあ、以前にわし様がカルナの世話をしているヌオーを口説こうとしたらなあ。
カルナの奴がさあ『口説く資格を得たければ一週間、無手で俺の全力から生き延びて見せろ』とか言うし、ドローナ師匠が『カルナは自信家だな。 ならば同じ条件で私は一月だ』とか言うし、ビーシュマ―の祖父様が『カルナもドローナも自信家なのは結構だが、それではあまりにも得る物に比して試練が温い、ドゥリーヨダナよ我に打ち勝ってみよ。 我が全身全霊でそなたを迎え撃つ。 ああ勘違いをしてもらっては困るが、我はそなたにはいささかも怒っておらぬし、その眼の良さは褒め称えるに値すると思っている。 だが、彼女を口説くに相応しい男か否かは、それだけでは判定できぬ。 さあ、武にて証明せよ、汝が相応しきか否かを!』とか宣誓しだすから、わし様は全力で逃げ出したさ。
だって、完璧に無理難題だろうが! これ!
というか口説くだけで、地上最強の男である必要があるとか難易度高すぎだろうが!

 まあ、わし様は勝つためには手段を選ばぬ男だから、隠れて口説いたのだが、『えーと、嬉しいのですが、結婚の際にはブラフマー神にヴィシュヌ神にシヴァ神の許可が必要という誓約があるので、その、面倒で無かったら、一緒に天界に行って許可を貰いに行きますか?』と言われてしまってな、いやあさすがのわし様もついついしり込みしてしまったというわけだ。
わし様のこの件での教訓は、勝利のためには地力も重要だということだな。

カーマ
 博愛主義の女神様とその眷属。
私の表情を見ればわかるでしょう、すっっごっく苦手です!
愛の神より愛に満ち溢れていて、自然体で私すら癒そうとするんですよ、あの子達!
元の私は、あの女神様を自分の物にしようと色々したことがあったみたいですが。
正直言えば正気とは思えません。
愛の神がより愛深き神に相対するとか、シヴァの炎で焼かれるよりも、はるかに無惨なことになるじゃないですか!
まあ、あの女神様は、元の私のことを赦し認めたことで、無事だったみたいですけどね。

 なので私にとっては、あの子たちは呑気で可愛らしい癒し系のマスコットではなく、天敵ともいうべき恐るべき魔獣なんです。
というか人類悪としての適性は、あの女神様のほうが高いと思いますけど。
……いえ、神々や人間達の都合に振り回され続けた、あの女神様の末路がそれでは、あまりにも可哀想ですね。
というわけで、ヌオー達の視界に私は入らないようにするので、私のことをヌオー達には喋らないでくださいね。

女神エレオス
 最初はただの河川の女神だったのに、皆の想像力が原因で無数の権能を有することになったから、身軽になるために権能を譲ったり、世界の安定のために消費したというのが真相なの。
だからインド神話の皆様が言うような『施しの女神』では無いのよねあの子。
ただまあ、インド神話世界の方々って途方もない大きな計画に沿って生きているから、どうしてもそういうしがらみとは無縁のあの子が特異だし、良いも悪いも過大評価しがちになるのはわかるわ。
本来のあの子は私たちの中で一番の気分屋で、のんびりとしているの、それが仔であるヌオー達にも影響しているみたいね。
本人は普通のヌオーとして扱ってほしいみたいだけど、最高神に次ぐ地位になっちゃったから、なかなか難しそうねえ。

余談② 女神ディーヴィについて
慈悲深き女神であり、全ての衆生を救済すべく、全ての権能を捧げ地に降り立った。
その際に『施しの女神』として神々や聖仙達に権能を譲ると同時に、衆生救済のための仕込みをしたとされる。
彼女にとっての衆生とは、文字通りの全てである、カースト外の不可触民や動植物さえも彼女の救済の対象である。
全てのヌオーは彼女の化身(アヴァターラ)であり、彼女らの呑気でゆっくりした動きも、全衆生を救うための大いなる計画の為と神話では語られている。
彼女等の作る物は食物であれば、身と心と魂を浄め、身に付ける品であれば穢れを祓うと言われている。

実際
 三柱の最高神が降臨する以前から、河川の女神として信仰されていた。
神々と同時に外から来た人々が『穢れ』を非常に恐れていたので、それを浄めると同時に耐性を持つディーヴィを強く信仰し、連想ゲーム的な理由で数多の権能を手に入れることとなってしまった。

一例をあげると下記の通りとなる。
川は流れる物で、言葉も流れる物だから、彼女は言葉の神でもある。 
言葉の神なら歌や音楽も司るし、楽器も彼女が司るはずだ 
そうだ言葉の神なら、それを表す文字も彼女が司っているはずだ。 
当然、言葉と文字を司るのなら、知識も彼女の範疇だろう。
他には……以下省略

 結果的に、最高神三柱に同時に求婚されたり、権能が多すぎて業務をこなしきれなくなったので、権能を数多の者達に『施した』のである。
その後、全知全能を『施し』により喪失したディーヴィは地に降りて気ままなヌオー生活を送ることとしたのである。
権能は失えても、神格までは失えなかったことや、穢れと無関係ゆえに数多の神々や聖仙に人間の救済をなしたことで、地にありてはあまりにも強大な神格に定期的に返り咲いてしまう。
その度に『施し』で権能を譲ったり、世界の安定のために消費するのである。

女神としての容姿
 腰まで届く長い黒髪、黒瞳で輝ける白い肌の20代前半位の美女。
髪や瞳を見つめると、その中に宇宙の如き広大な空間と輝きが感じられるという。
基本的に甘えて良い対象が居ない時は、わりと真面目な女神様だが、甘えられる対象が居ると一気に表情に締まりがなくなり、見た目も10代前半くらいの印象になって神々しさも霧散してしまう。
なおインド神話世界では甘えられる対象は存在しなかったので、上記の甘えん坊な側面を知る者は居ない。
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