春の嵐


 今日も教室で一人本を開く、周りの輪には入れない。入りたくないわけじゃない、周りが悪いとも思っていない。だた、入るための努力をするのをめんどくさがっているだけの怠惰な人間、それが自分なんだと思う。
 4月、春、出会いと別れの季節。だけど、今年高校二年の自分には当てはまらない。部活に入ることもなければ、仲のいい先生が学校を離れたなんて言うこともなかった。何の波もなく、無風状態。それが自分、梅田大地の新年度だった。
 自分は本をよく読む。ただ、そこまで読書が好きだというわけでない。ただ、一人の時間を何もせずいられるほど、退屈が得意ではない。だから、本の中にアリバイを求めているんだろう、前を見て生きているというアリバイを。

「お前、女子連れて歩いてたんだって?」

「マジか?この前言ってた隣のクラスの?」

「冷やかすなよ~!」

 周りの同性の同級生は、年相応に異性の話題で盛り上がっている。ほほえましいことだ。自分にもそういう欲求はある。まったく興味がないと思えるほど、まだ振り切れてはいない。青春と呼ばれるそれを送る身近な同年代を羨みはしても、妬みはしない。それはきっとそれが雲の上の話で自分事として考えられていないからだ。
 何も感じないわけではないが、だからといって死に物狂いで何かをするわけではない。何においても中途半端。そんな自分が嫌いだ。

 そんな乾きかけた大地に、潤いを運ぶような暖かい風が吹く。

 その日の帰りのどかな道を歩く。この時期の風景は大地の乏しい情緒から見ても、きれいな景色だった。足っている土手の両脇には鮮やかな緑色の草が生えている。その中にところどころ黄色い菜の花が生えている。空も青い。ガーデニングするようなやる気はないが、立ち止まって観る程度には、その色のコントラストが好きだった。
 
「花か…」

 ふと、家への帰り道から少し離れたところに桜があったはずだ。この時期なら咲いているかもしれない。普段なら馬鹿みたいに家に直行するが、そんな無気力な自分への反発が、少しだけ活力がわく。

 その桜は樹齢百年以上は生きているである大木である。山の中腹にある神社の参道に目立つ感じで立っている。見に行くは少し坂を上って行くしかない、桜一本を見に行くには割に合わないかもしれない。だが降って湧いた気まぐれはそれのマイナスを踏み倒させる。

「………⁉」

 人がいた。はたから見れば別に驚くことではないだろう。だがわざわざ花のために面倒なところまで来たのはそこに人がいないと思っていたからだ。

「あ、あなた上の神社にお参りするの?」

 桜の木の根元に同年代くらいの女子がいた。しかも話しかけてきた。

「え、あ、いや…」

 突然のことにどもってしまう。

「ひょっとして桜を見に来たの?」

 視線から察したのだろうか、女子はこちらの目的を言い当てる。

「え、あ、はい…」
 
 正直恥ずかしかった。別に花を見に来ることが公緒良俗に反するとか、反社会的行為ということではない。しかしそれでも男子高校生が花を観に一人で来るというのは恥ずかしく感じるものなのだ。

「おお、それはそれは。ちょうど一輪だけ咲いた所」

 彼女は一つの枝先を指さす。そこには確かに一輪だけ、桜色の花が咲いていた。

「あ、ホントだ…」

 反射的に返答してしまう。

「残念…?」

「い、いえ…」

 取り繕ったわけでもない。一輪だけ咲き始めなんて初めて見た、という感想が先に来てがっかりしたとは思わなかったというのが素直な感想だった。

「そう」

 脈絡のない会話。積極的に会話したいタイプでもなかったし、正直得体のしれないモノに出会ってしまった気がしてここに来たことを後悔し始めていた。

「明日はもっと咲いてるかも。明日来れば?」

「あ、はい」

 その日は逃げるように家に帰った。

 ※

 次の日も天気は良かった。

「なんで、今日も行くんだよ」

 参道をのぼりながら、自嘲する。怖い思いをしたはずなのに。

「あ、今日も来た」

いた。

「………」

「今日は10輪ぐらい、なんかいつもより遅い感じ」

 今日も昨日の女子がいた。今度は半分覚悟していた。自分は彼女の姿をそっと見てみる。
桜色のワンピースを着ている。髪は肩のあたりまで伸びている。顔は…。

「……⁉」

ふと桜を見上げていた顔が、こちらを向く。自分は目を爆速で逸らす。

「ねぇ、やっぱり満開が見たい?」

誰目線だよ。

「え、ええまあ」

 特に意識していたわけではないが、きっと誰もがそうだろう、自分を含めて。

「ふ~ん」

会話の意図が分からない。見ごろを教えてくれたりするんじゃないのか?

「いつぐらいに満開になるか、分かりますか?」

怒りからか自分から声が出た。

「教えたら、次に来るのはその日?」

彼女は横目でこちらを見て聞き返してきた。自分は目を見れず、顔を逸らしながら答えた。

「多分、そうです………⁉」


目の前に初めて直視する彼女の顔があった。びっくりしてあとずさりする自分を見て彼女は満足したのか笑った。ほのかに甘い良いにおいがした。

「じゃあ、教えない!」

弄られたことへの怒りからか鼓動が早くなる。

「何なんですかあなた⁉」

「人に聞く前にまず自分からじゃないの?」

自分でもおどろくほどの大声が出た。しかし彼女は動じていないようだ。

「…大地って言います」

「大地君、ね。力強くていい名前」

「あなたは?」

たぶん、彼女は自分の高校の生徒ではない。そんな人に軽々しく名の乗ることは避けた方が良いのかもしれないが、下の名前くらいなら大丈夫だろう。

「何だと思う?あなたがつけていいよ」

「…何ですかそれ?」

 また妙な返答が帰ってきた。

「あなた…大地君が考えてつけてみて、つけてくれたら私はそういうものってことでいいから。あだ名みたいなものってことで」

 別に何か必要だから、聞いたわけではない。でもこちらの情報を明かしたのだから、相手にも明かしてほしいと思ったが、そこまで踏み込むような度胸は自分にはない。

「じゃあ勝手につけます」

 勝手といったが、変なあだ名でいじるような気安さは持ち合わせていない。気分を害差ない名前にはしておきたい。そうして思考を巡らせていると一つの光景が浮かんだ。

「菜の花…ナノさんってのでいいですか」

ここに来る途中に見た菜の花が思い浮かんだ。花が由来なら反発はないだろう。

「桜由来じゃないんだ」

「ここに来る道に生えてたんです。桜は安直すぎるかなって。それより、あなたもやっぱり桜を見にここにきてるんですか?」

目の前の彼女は桜と自分を結び付けている。見に来ている自分はともかく何の関係があるのだろうか。

「ううん。違うよ」

「じゃあ、何で?」

「さあ?なんでだろう…?」

雲をつかむような会話。もしかして揶揄われているのだろうか?

「………」

「私は、それを君に聞きたいんだと思う。私が何でここにいるのか」

哲学の授業でも始めるつもりなのか?この人は。

「そんなこと知りませんよ…」

頭がおかしいんじゃないのか?その言葉が出かかってさすがに飲み込んだ。

「君は何で桜を見るの?」

「花がきれいだから、かと…」

別に桜の木の下なのだから、別に変なことではないがやはり口に出すのはひどく恥ずかしく思え、俯きながら言った。

「きれい、か。なんかうれしい」

「何でですか。あなた、この桜のなんなんですか?」

「何なんだろうね~」

またそれか、もう意味が分からない。うつむきながら盗み見た。やはり彼女は笑っていた。花みたいに。

「帰ります」

 控えめに咲いた桜をしばらく眺めてから言った。

「そっか、さよなら」

「…さようなら」

昨日とは違いゆっくりとその場を離れた。

 ※

 次の日は早めに目が覚めた。
いつもは直さない、寝癖を直したりしてみた。

「今日は何?帰りにデートでも行くの?」

母がめざとくいった。

「そんなんじゃない!」

 ただの気まぐれで図星というわけでもないのに、冷やかされたことに声を荒げてしまう。

「お、今日も来た。しかもなんだかいつもよりかっこいいかも」

 今日もいた。それだけでなく出合頭に図星を突かれた。

「き、気のせいです!」

「そっか」

顔が燃えるように熱い。そんな感覚は初めてだった。

「今日は七分咲きってとこかな」

彼女の声に枝に目を向ける。確かにまだ隙間はあるものの、だいぶピンク色を侵食している。もう見ごろといってよいのかもしれない。

「きれい?」

桜を観ていた彼女の視線が不意にこちらを向き目が合う。

「…!…はい…」

「嬉しい」

彼女は自分が褒められたかのように、満面の笑みを浮かべる。

「君、毎日来てるけど、部活とかしてないの?」

「……なにも、してません」

痛いところを突かれ、恥ずかしくなる。適当な部活をあげて取り繕っても良かったがなぜかこの女性には嘘をつきたくないと思った。下手な嘘は見抜かれると思ったのかもしれない。

「そっか、なら明日も来れるね」

何か弄られると思っていたのでこちらに寄り添うような言葉が帰ってきたので、少し安堵した。

「…そもそも、気まぐれでここに来てるので来ないかもしれませんよ」

「え~、寂しいかも」

 心臓が早鐘を打つ。

「俺といて楽しいんですか?一人がいやなら友達呼べばいいじゃないですか?」

「うん、楽しいよ。だって、友達いないし」

「……ほんとですか?」

そんなのありえないと思う、だって、彼女は、人好きのする見た目をしている。自分みたいなボッチに話しかけなくても相手してくれる人はきっとたくさんいるだろ。そうでないとしたら…。

「それがホントだとしたら、自分のこと何も言わないからだと思いますよ」

ギブアンドテイクをせず、こちらばかり

「ホントだよ?あなただけ」
 
「……」

また思いがけない言葉。一瞬フリーズして勘違い男みたいな邪推が頭をよぎる。

「だけって、友達がですか?というか自分とナノさんって友達なんですね」

「友達もそうだし、他にもいろいろ。私たち友達じゃないの?」

「それはもう、そういう認識で、いいです」

友達は欲しかったし、相手がそういう認識でいてくれることを拒みたくはなかった。

「ねぇ、明日あたりきっと満開だよ」

ナノさんは唐突に言った。

「そうなんですか?じゃあ、明日はこなきゃですね」

「満開じゃなきゃ、来ない?」

「そうは言いませんけど。あなたは逆にいつもいるんですか?」

彼女は何者なのか、なぜここにいるのか、きっと聞いても教えてはくれないのだろうと思いつつも聞く。

「どうだろうね~」

返答は予想通り、本当に何者なのか。絵にかいたような不思議ちゃんというべきか、本当にこんな浮世離れしている人間がいるのだろうかと、彼女の実在を疑いたくなる。だがそこに踏み込むより、こうして話していたいと思っている自分がいた。

「じゃあ、また…いや、あなたは明日もここに?」

また明日と言いかけて、そんな確信はなかったと思い出す。

「たぶんね…」

「そうですか…」

明日の予定すらわからないのか。本当につかみどころのない人だ。結局は約束せずに帰った。

 ※

 次の日は雨だった。春の嵐というやつだ。かなりひどいらしく、学校でもまっすぐ帰るように言われた。自分は迷ったが約束もないのに雨に打たれながら行くのは何か恥ずかしく思えてしまった。雨の中に彼女を想像したがありえないとかき消した。

 ※

そしてその次の日。

「も~お、待ってたんだよ」

彼女はそこにいてくれた。だが安堵した心に冷水を掛けられる。胃を掴まれるような感覚がする。

「ふふっ、ひどい顔。じょ~だんだよ。さすがにあんな雨の中に居るわけないって」

彼女はまたあの悪戯っぽい表情で笑った。
彼女は群れたアスファルトの上に、あのワンピースを着て立っている。その足元には退寮の花びらが散らばっている。慌てて桜を見る。

「ほとんど、散っちゃったね」

もう枝先にほとんど花はなく、ただ濡れてて光沢を帯びた黒い樹皮が、視界を占める。

「ねぇ、大地君。桜が散ったらもうここには来ない?」

彼女はきれいな子をまっすぐ抜けていった

「………どうでしょうか…」

出かかった言葉を音にすることはできなかった。

「はっきりしないね。でも、私とおんなじか…」

「来年こそは、満開、観たいです」

「そうだね」

それが、自分とナノさんの最後の会話だった。次の日、彼女は木下にはいなかった。
 昨日、あなたに会いたいからまた来ると言えば何か変わったのだろうか。
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