【星屑レイサSS後編】星の光に幸せを


いつか口にしたスイーツの味を今も覚えてるだろうか。
部室で笑いあった友達の顔を今も覚えているだろうか。
遠く遠く、空の向こうに見えなくなった小さな星屑の様な。
あの青春を私たちは覚えているだろうか。

硝煙の香りが空間に満ちていた。弾痕塗れの壁と共につい先程まで激しい銃撃戦があった事を見るものに告げている。
「あぁ、まさかこんなところで……決着なんて」
口の端から血を垂らしながら組み伏せられたレイサが笑っている。あの頃から変わらぬトリニティの制服と鞄。けれど両耳、右目の上、唇の端にピアス。左目の下、首筋には卑猥なタトゥー。幼なげな顔立ちは変わらずとも、一目見て彼女がトリニティの生徒でなくなっていることは明白だった。
それを押さえつけるカズサもただの一般生徒だった頃からは随分と変わっていた。
耳を彩る無数のアクセ。パーカーはかつてと同じものだが裾が擦れてボロボロになっている。その下に纏っているのはトリニティの制服ではなく動きやすそうなタイトなパンツスタイルの私服だ。
何より目が。
隈の浮かぶ擦れ切った目が冷徹に、笑うレイサを見下ろしていた。
遺棄されたトリニティの一画、かつては小洒落たカフェだった建物の中での事だった。カズサの中にも、ぼんやりと、昔この店を部活動で訪れた記憶があった。
キヴォトスは随分と荒廃した。
元々銃声や爆音の絶えぬ都市だったけれど、今ではそれ以上に犯罪やテロでまともに生活できない区域が広がり、閑散とした廃墟や浮浪者、マフィア、犯罪組織の徘徊するスラムが広がっていた。学生たちの笑い声は密やかになり、悪意や憎悪に満ちた怒声、悲鳴、そんな声を聞くことが増えていった。
全てが自分の下でニヤニヤと笑っている星屑のせいかはわからない。少なくとも彼女以外にも様々な醜い邪悪や欲望が以前のキヴォトスで胎動していた事を今のカズサはよく知っている。
それでも、生徒会や警察、治安部隊、そんな秩序側と混沌のバランスを崩した一端が星屑に──宇沢レイサにあることは間違いなかった。
「……前から思ってたけど、あんたさ、なんでまだ制服なんて着てるの?」
あまりにも言いたいことが多すぎて、何から話せばいいかわからなくなっていたカズサは、そんな、どうでもいい事から話を始めた。
「ご主人様が喜ぶんですよ。やっぱり奴隷を買うならトリニティみたいなお嬢様学校の生徒の方が燃えるみたいで」
「ゴテゴテとピアス開けた顔と体でトリニティのお嬢様なんてあり得ないでしょ」
「こういうのはギャップっていうんですよ、ギャップ。それに本当にトリニティの生徒かはどうでもいいんです。そう思えるかが大事なんです」
全くわかっていませんね、なんて。
仄暗い話題を明るく話す。
そんな彼女の姿にももう慣れ切ってしまっていた。
幾度となく戦ってきた。追いかけて、追いかけて。様々な学園に足を運び、様々な事件に巻き込まれて。時に顔も合わせぬまま暗闘し、時に直接銃火を交えて殺しあった。
直接手を出さないなんて昔に言ってはいたけれど、それでも殺意を向けること、向けられることにもいつからかお互い慣れていた。
本当に、あれから長い時間が過ぎた。

ミレニアムでメイドや特異現象捜査部なんてけったいなエージェントと共闘することもあった。
百鬼夜行ですーぱーえりーとなんてどこか懐かしい響きを自称する調停員に追い回されることもあった。
ブラックマーケットの奥でゲヘナ生と思しき凄腕や噂でしか知らなかった元アリウスの精鋭部隊と抗争を止めるために奔走したこともあった。
レッドウィンターの慣れない凍土に遭難しかけボロボロの廃校舎で暮らす先輩たちに救われたこともあった。
山海経で強面のマフィアと血塗れの死闘を繰り広げたこともあった。
取材を求めるクロノスの報道部員たちを撒くためにカジノ船に乗り込んで何故か居合わせたヴァルキューレ生活安全局とバニー服を着るハメになったり、ハイランダーの鉄道で兎の小隊と共に七囚人の計画を阻むこともあった。
きっと彼女を追いかけなければ出会わなかっただろう人たちと出会い、見れなかった景色を見た。
同時に新しく友達と呼んだ人を目の前で失い、泣き声を殺して引き金を引いたこともあった。大切に思えた相手が狂気の眼でこちらに襲いかかったり、疑心暗鬼で凄惨な事件を起こすのを必死に止めようとしたこともあった。
出会い得るもの以上に失い汚されるものがあった。
その度にカズサの隈は深くなり、その目は澱んでいった。
それは、ある種の陵辱だった。星屑レイサを追いかける過程でカズサの心は血を吐き続けた。その度に自分が始めたことなのだと言い聞かせ、歯を食いしばって歩み続けた。これ以上、星屑に壊される人が出ないように。これ以上、星屑が罪を重ねないように。これ以上──、自分が苦しみ続けないために。
いつかの使命はとっくに呪いに変わっていた。
星屑レイサが壊していった世界は間違いなくカズサを傷つけた。あの日彼女が宣言した通りに。
──それも、もう終わる。
カズサは澱んだ瞳で組み伏せたレイサの額に銃口を当てた。
「私の負けですかね」
へへ、と突きつけられた銃口に臆することなくレイサは困り眉で笑っていた。それが堪らなくムカついた。
「あんたの勝ちじゃない?確かにあんたは私の世界を破壊した」
このまま銃弾を脳髄奥深くにたどり着くまで撃ち続けてやれば楽になれるはずなのに、それではレイサの思い通りに思えて、カズサは奥歯を強く噛んだ。
「どうでしょう。あなたは私を許せませんか?」
「そうだね。もう、本当にマジで許せない。決まってるじゃん」
「私を憎んでいますか?」
「当然でしょ。あんた自分がこれまで何してきたのかわかってるの?」
「ひひ……それなら、私を──壊してくれますか?」
「……」
引き金にかけたカズサの指に力が篭る。
今にも突きつけられたマシンガン──マビノギオンの内部で雷管が叩かれて、吐き出された無数の弾丸が己の頭蓋を打ち砕くことをレイサは幻視する。
それはレイサにとっても長い、本当に長い旅路だった。レイサにはもう時間の流れなんてよくわからなくなっていたけれど、それでも彼女に最初の挑戦状を叩きつけた雨の日から長い時間が経っていることは理解していた。
世界の全てを壊すと言うレイサの目的は道半ばだがカズサが憎悪で自分を壊してくれると言うなら、それもまた幸せなのだと感じていた。
グチャグチャに誰の顔かもわからなくなった自分を見下ろしてカズサはどんな顔をするのだろう。泣くだろうか、笑うだろうか。そんな想像をするだけでへそ下がキュンとなってつい濡れ始めてしまう。
ただ、その時を心待ちにしていたレイサの頬をポツリと濡らすものがあった。
ポツリ、ポツリ。
ポツリ──。
なんだろう?レイサは不思議に思って銃口の向こうをよくよく眺めてみた。
そこには澱んだ瞳を潤ませ、涙を流す杏山カズサの姿があった。暗い瞳を涙が覆いキラリキラリと光を反射していた。
「え……?」
それはレイサにとって、とてつもない衝撃だった。
それまでの妄想も、情欲の熱も、終わりを前にした幸福も吹き飛ぶほどに。
「──あなたも、泣くんですね」
あまりにもあんまりな言葉が溢れ落ちる。
さっきまで彼女の泣き顔を想像していた筈が、その実物を前にして途方に暮れた。
だって初めて見るのだ。
何度も何度も想像した。その想像で体を火照らせ自らを慰めた。それでも。
杏山カズサが本当に泣くなんて思わなかったのだ。
そんな自分の本心にレイサは今更辿り着いていた。
「あんたが悪い!!あんたが憎い!!でも──あんたは悪く……悪くぅ……ないぃ……」
所々、カズサの声が引き攣って裏返る。食いしばっていたものがこんな時に、こんな時だから、零れ落ちた。
カズサは長い戦いの中で思い知らされていた。人は壊れる。あまりに凄惨な出来事で、心が死に果てる陵辱で、絶えきれない罪の記憶で。人は壊れてしまうのだ。
それを思い知っていた。
だから──今になってこそ、あの雨の日のレイサの言葉が、行いが、強く強く理解できてしまった。今となってはありふれた悲劇だ。もうレイサ一人が特別不幸ではない。
それでも。
馬鹿みたいに単純で、うざったい程に正義感が強くて、忌々しいほどに明るかった彼女が。あんなことを言うようにされてしまうなんて────あんまりだ。
こんなところにまできてしまうなんて、酷すぎる。
誰にも言えなかった。言ってはならないと戒めてきた。そう思うことすら、自分に禁じてきた。
それが、本人の最後を前にして決壊した。
「なんでこうなっちゃうの?なんでこんなことになってるの?ひどい……ひどいよ……」
カズサの涙が、レイサの頬を濡らす。
自分に銃口が突きつけられているのも忘れてレイサはその涙に舌を伸ばす。
あんまりにも綺麗なものだから。これ以上零れ落ちてしまわないように。何度も、何度もキスをする様に小さな口で涙を拭う。
銃口はとっくに外れていて、レイサは抱き合うようにカズサと向き合っていた。カズサもそれを気にすることなく己の内にあったものを吐き出していた。
「辛かったんですか?」
「辛かったよ!何度もやめたいって思った!トリニティに帰ってみんなと普通に学校生活を送りたいって!!」
「それでも、やめなかったんですね」
「だってあんたは止まらないじゃん!私が……私が追うのをやめたって、きっとあんたはひとりでどこまでも行っちゃう……ひとりで……」
ポロポロと涙は止まない。
そんなカズサをレイサは胸に抱く。ゆっくりと、慎重に。力加減を間違ってしまわぬ様に。だってこの涙は今、レイサの中の何か、自分でもわからぬ心のどこかをキリで貫く様に抉り続けている。
だから、大切に。
カズサが言うように、あんまりだとレイサも思った。彼女をここまで追い詰めて、こんなにも泣かせたのは自分だ。その上、そのためだけに数えきれぬほどの無関係な、無実の人々を苦しめ死なせていった。
そんな自分が今、泣き咽ぶ彼女を胸に抱いているのだ。
これをあんまりと言わずしてなんと言うのか。
そのことに、欠片も呵責を感じぬ自分を邪悪と呼ばずしてなんと呼ぶのか。
「私はひどいですね」
「あんたじゃない……あんたじゃないんだ……」
「けど、私はそれが気持ちいい、幸せなんですよ?」
「うぅ、うぁぁぁぁあああ!」
パサついたカズサの髪を優しく撫でる。
奉仕として主人の体を愛撫することは何度もあった。普通の人が顔を顰める様な場所を丹念に舐め、全身を使って体を洗うことも。
けれど、こんな風に優しく頭を胸に抱きしめ、大切に髪をすくのは初めてだった。
レイサは玩具だった。道具で、家畜で、下等なものだった。そう扱われてきたし、そう扱われる様に振る舞ってきた。
だからこんな行為は──、きっとこの世界で多くの人が当たり前に行なってきただろう行為が、レイサには初めての体験だった。
自分の行いが己の心をズタズタにしていく。レイサにはわからない。実感すら曖昧だ。それでも自らの体を引きちぎりたくなる様な苦しみがあった。それは、彼女が無くしたと思っていた罪悪感だった。杏山カズサにだけ抱くことのできる罪悪感。
たとえ抱けたとしてもレイサにはもう自覚することはできないのだけれど。
「辛かったんですね。ずっと、ずっと頑張っていたんですね。あんなに強かったあなたがこんなにも泣いてしまうほどに……頑張っていたんですね」
優しく撫でる。快楽のためでも痛みのためでもない。レイサでは理解できない行為。
それでも、泣き続けるカズサを胸に抱き続ける。
苦しい。死にたくなるほど苦しい。それが、堪らなく気持ちいい。
そう感じる自分にレイサは何故か涙を流した。
理由は、わからなかった。

「ねぇ、杏山カズサ。最後に、私を愛してくれませんか?」
しばらくして、啜り泣きに変わったカズサを胸にレイサはそっと囁いた。思惑があったわけではない。ただ、ふと、胸に浮かんだ願いを口にした。ずっとずっと願われて願われさせ続けてきたレイサにとって、それは酷く懐かしい行為だった。
「さいご……」
「わかっているでしょう?私をここで見逃せば、私は続きを始めます。あなたの苦しみは続きます。それは私の幸せだけれど……」
あなたは望まないのでしょう?
「……」
「だから、最後。あなたの腕の中にいる限り、私はきっと逃げ出さないから……あなたに愛して欲しい」
「逆じゃん、あんたの腕の中に、私がいる」
「へへ、そうでしたね。おかしいですよね」
泣き腫らして、目元が赤くなった顔をカズサは上げる。
変わってしまった、それでもあの頃のままのレイサの顔を静かに見つめる。
雨の日から変わらずその瞳に宿る光は何かが決定的にずれてしまったまま。今もそれは変わらない。その顔にゆっくりと自分のそれを近づけて。
触れ合う様に口づけを交わした。
「ふへ……えへ、ふへへへ……?」
ボッとレイサの顔が真っ赤に染まる。
自分でも何が何やらわからない様に視線を忙しなく四方八方に向け、ごまかす様に笑い声を上げる。
「何でしょうね、これ。こんな……キスなんて今まで数えきれないほどしてきたのに……あ、っていうか私、口で散々色んなことしてきて、こんな汚いのに、杏山カズサがキスするなんて……すいません」
顔を赤く染めたまま、何かを拭い去ろうとするように腕でゴシゴシと口元を擦る。
その腕をカズサはそっと止めた。
「汚くなんてないよ」
未だに目元は赤いまま、それでも優しくレイサに言い聞かせる。
「汚くなんてない」
「…………………………」
レイサは何も言うことができなくなって、更に顔を赤くして俯いてしまう。
そんなレイサの小さな体をカズサは抱き上げた。
「わっ、なっ……」
「私の腕の中にいる間は、逃げないんでしょ?」
「あぅ……」
そうして部屋の片隅に残されていたソファーにレイサを横たえた。こちらも放置されて長いのか壊れかけだけれど、床よりはマシだろう。
「ね、もう一回、キスしていい」
「……」
真っ直ぐ目を見てそんなことを言われればレイサは黙ってこくりと頷くことしかできない。
そっと。いつ壊れてもおかしくないものを慈しむように。優しく、ささやかに。
だと言うのに、この体に広がる心地よさはなんだろう。
レイサは自分の体の反応に困惑するなんて、本当に久しぶりの感情に呆然としてしまっていた。
それでも、やっぱり。
「もっと……もっと、激しく……あなたのものに……」
して。
か細い声で、つい、そんな風にねだってしまう。
「んっんあっ♡」
チュパっ、チュパっと。
唾液が弾ける音とともにレイサの口内が蹂躙される。カズサの少しザラついた舌がレイサの舌を歯を、その隅々まで嬲る。
「っ、チュッ、レロ……♡あっ♡」
レイサも必死に舌を絡め、カズサのそれに応える。互いの唾液を交換し、お互いの歯の隙間をなぞる。離しては、絡めて。垂らして、舐め取って。幸福で、気持ちよくて。
だからつい。
「つっ……」
眉を寄せて、カズサが顔をひく。その唇からたらりと血が一筋垂れる。
「あんた、キスせがんでおいて噛んでくるとか……」
「へへ、ごめんなさい。つい、堪らなくなっちゃって」
カズサが痛がっている。その表情にレイサは情欲を掻き立てられる。レイサはこういうものなのだ。どうしようもない。
「というか、杏山カズサ!妙にキス手慣れてませんでしたか?」
「そりゃ私だってこれまで色々と…….ね」
「うぅ……浮気です!ひどいです」
「はは、浮気って……」
あんたが言うなよ。そう言ってカズサはレイサを小突いた。二人してくつくつ笑い合う。なんてことだろう。自分たちは今不幸を情事の肴にしていた。
「こんなに、隈が深くなるほど……色々とあったんですね」
全ては自分のせいだ。それでも慈しむようにカズサの目元を撫でた。
「まぁ、普段はメイクで隠してるし……ってかあんまり顔見るな。さっきめちゃくちゃ泣いたからメイク崩れてるだろうし……」
「えぇー綺麗な顔ですよ。ほら」
言いながらカズサの顔にキスを降らす。チュッチュッと啄むように愛を伝える。
「ちょ、やめろっての!もう!」
怒った声を上げてカズサはレイサを押し倒す。
「あ♡」
それだけでレイサの心はドキドキと高鳴り、幸せが溢れ出てしまう。
「それにしても、こんな状況になってもお化粧してるなんて杏山カズサは流石ですね」
「はぁ?女子として当然でしょ…………え、もしかしてあんた……!?」
「こうなる前は色つきリップくらいはしてましたけど、この体になってからはそれもさっぱり」
「はぁ!?なにそれ!それで、これぇ!?……ってか肌の手入れとかは」
「ブラックマーケットで売り買いされてぐちゃぐちゃにされる奴隷にそんなことをしてる余裕あると思います?」
「いや、わけわかんないんだけど!なんでこんなもちもちしてんの!?」
「ふぉうなんふぁからふぃはたふぁいじゃないですかぁ〜」
押し倒されて、頬を揉みくちゃにされる。
官能のためではない。些細な、本当に些細なじゃれあい。レイサもカズサもとっくの昔に捨て去っていたもの。
懐かしくて、切なくて、だからそれを噛み締める。世界を巻き込んで殺しあった二人で。星屑が荒廃させた世界の片隅で。

「……」
「……」
ひとしきりじゃれあった後、ほんの少しの間、二人はただ静かに見つめあっていた。触れ合うのを躊躇うような、あるいは待ち遠しいと焦がれるような、静かな時間。
レイサを組み伏せるように馬乗りになっていたカズサがパーカーを脱ぎ去る。その下も、少しだけ躊躇いがちに脱ぎ去っていく。
黒い下着に包まれた形のいい乳房を見上げレイサは小さく唾を飲み込んだ。
これまで数えるのすら馬鹿らしくなるほどに人と肌を重ねてきたというのに、自分はどうしてしまったのだろう。壊されて、壊れて、壊れ壊し続けて星屑と成り果てた自分が、まるで何も知らない学生に戻ったかのように。
グズリ、今まで一番大きな痛みが自分の内に走るのを感じた。まるで裏切り者とレイサを苛むように爪を立て肉を抉り神経を千切るような痛み。
それでも、カズサの胸に見入ってしまう。
「……見過ぎでしょ」
ほんのり、恥じらうようにそう言って、最後の一枚を脱ぎ去る。
レイサには決して手の届かない二つの山が支えを失いプルンと揺れる。その先端にこちらもレイサのものより大きな乳首がぷくりと顔を覗かせていた。視界を愛撫されるような美しい曲線と色彩。
「だって、きれいですもん」
頭で考える前に、言葉が溢れる。
「きれいで、すごくエッチ」
「……っ、もぅ!!」
恥ずかしさを誤魔化すように、カズサは下もさっさと脱ぎ去っていく。勢いに身を任せるように、そこにはもう躊躇いもない。
しなやかな、メリハリの効いた四肢。野生の獣を思わせる美しい筋肉と女性らしい丸みの融合。ほぁ、と感動のため息が漏れる。
自分のために晒されたカズサの裸体に、レイサはいいしれぬ幸せを噛み締めていた。
「ほら、脱がすよ」
覆いかぶさってくると二つの胸が迫り、またプルリと揺れる。目の前まできたそれをレイサはつい口に含んでしまった。
「あ、ちょっ!!んッ♡」
「チパ、チュッ、チュパっ♡チュパ♡おっぱい大きいですね、杏山カズサ♡チュッチュッ♡」
「バカっ♡この……あッ♡」
まるで乳をねだる赤子のように、ツンと尖った乳首に必死に吸い付く。だが、その舌使いは決して赤子のもの等ではない。
先端で縁をサッとなぞり、舌の腹で側面をこそげとる。二股に裂けたレイサの舌がより微細に緻密に。そして、これまで培ってきたレイサの性技が経験の少ないカズサの胸の弱点を探りあて的確に官能を刺激した。
「チュッ♡おいしい♡杏山カズサのおっぱいチュパっ♡とっても♡おいしいです♡チュッ♡」
「や♡んッ♡」
「チュッ♡チュッチュッチュ〜〜ッ♡はぁ、こんなにおっきいんだから、おっぱい♡出ないんですか?チパ♡チュッ♡」
「出るわけないでしょ!アッ♡もうッ♡」
温かくて、顔を埋めていると安心する。同時に硝煙に混じったカズサの汗の匂いを嗅ぎあてレイサの脳はクラクラしていた。
「〜〜♡ほら、おっぱいの時間はおしまい!後で好きなだけ吸わせてあげるから!服をぬぎなさいっての!」
唇だけで必死に吸い付くレイサを引き剥がし、カズサは組み伏せたレイサの服を脱がしにかかる。怒りを孕んだ声音は舐められただけで濡れてきた自分の秘部を誤魔化すためか。
「あ、あぁ〜」
ものすごく残念そうなレイサの声にチクリと罪悪感を感じるカズサ。
いや、何をバカなことをと頭を振りながらレイサの服を脱がしていった。
「うぅ、私の体……杏山カズサみたいにおっきくないですし。穴もいっぱい空いてるし……」
「昼間の公園で素っ裸になってたやつが何言ってんの!」
大人しく服を脱がされながらも顔を赤くするレイサにカズサは呆れた声を上げる。
「ふへ、そうなんですけどね。不思議ですね……」
八の字の困り眉で苦笑するレイサ。その体はかつて雨の公園で見たものから更に変わり果ててた。突起部には当然のようにピアス。そのほかにも、ある種混沌としたようにボディーピアスとタトゥーが体中を踊っていた。
胸元を飾るリボンはコルセットピアスか。
「あんたのご主人様ってこんな趣味の奴らばっかだったの。盛りすぎでセンスないでしょ」
カズサの言うようにそこにはてんで統一性がなかった。おそらくそれぞれが別の主人から与えられたものなのだろう。
「その……結構、私からおねだりすることもあって」
「……あんたの趣味な訳か」
「う……その、あなたへの挑戦状に困らないようにしたいなって……ふへ、おかしいですよね」
「はぁ!!?……っ………っっ!」
レイサの思わぬ言葉にカズサは言葉を無くした。この感情はなんだろうか。まさか、自分は嬉しいとでも思っているのか。
言葉を探すように、何度も口をパクパクと開閉する。
「だとしても──、いや、もういいや。それより、今回はいちいち説明しなくていいからね」
「えへ、そうですね。数が多すぎるから大変そうだなって思ってました。私の体は……本当にたくさんの人の手が入っているので」
「……」
装飾品だらけの、それでも小さく白く、未成熟な体をカズサはそっと撫でた。
「〜〜っ♡けど──」
その感触に悦び震えながらレイサはカズサの耳元へ手を伸ばす。
そこを彩っているのはレイサがカズサへと送った無数の挑戦状。
「ひひ、あなたの体に入ってるのは私のだけ」
幸せそうに、本当に幸せそうに笑うのだからカズサはもう何も言うことができなくなってしまう。
ジャラリとカズサを飾るアクセサリーを撫でる。
「言っておくけど……」
その手に自身の手を重ね、カズサは言う。
「あんたと違って私はちゃんと見え方考えてつけてるからね、これ」
「さすがは杏山カズサです」
「……」
「……どうしました?」
何かを言いたそうなカズサへあどけない顔でレイサは首を傾げ問いかけた。
「その、杏山カズサって呼び方いい加減やめない?フルネームでいちいち呼ぶの長いでしょ」
今更だけど。そんな風にそっぽを向いてカズサは提案した。
「ふはっ、本当に今更ですね」
唇を突き出した、子供のような表情に吹き出してしまう。
「長い付き合いだし、私のことはカズサって呼びなよ。いい、レイサ?」
「っ……っ♡♡」
何故なのだろう。ただ、名前を呼ばれただけだというのに。
好きな人に名前を呼ばれただけでどうしてこんなにも胸が高まるのだろうか。
ジワリ、ジワリと、身体中に幸せが広がるのだ。涙だって堪えられないほど。
「な、別に泣くことないでしょ!?」
頬を赤め涙するレイサに、カズサは慌てふためいて。その姿があまりにも愛おしくて、どうしようもなく大切で、だから、カズサは涙声で答えるのだった。
「はい、カズサ……!」

「レイサ♡レイサ……っ♡」
「あっ♡カズサ♡カぁズサ……♡♡」
名を呼び合うだけで情欲が昂る。お互いを舐め合い、擦り合わせ、抱き合う。
時に爪を立て、唇を降らせ、溶け合う。
死にたくなるほど幸せで、生きたくなるほど気持ちよかった。
それでも、まだ足りない。
肉人形として仕上がったレイサの体はより深く、激しく、淫らに、そして陰惨に快楽を求めた。
「ほら、大丈夫だからもっと、力を込めて……♡♡お゛ごっ♡ぐあ゛あ゛ぁん゛!!」
レイサの胎の中へ、カズサの拳が捻り込まれていく。
「ちょ、本当にこれ大丈夫なの!?」
「お゛♡もち♡ろん゛♡♡」
小さなレイサのお腹が飲み込んだカズサの拳の形を浮き上がらせていた。
「大丈夫っ♡だから♡もっと、めちゃくちゃに……っ♡」
自らのお腹の上に手を当て、その皮膚越しに互いの手を感じ合う。
「……っもう!こうやって誰かれ構わず受け入れて来たんでしょう!こんな♡体で♡悪い子っ♡悪いレイサはっ♡お仕置きしないと、ね♡」
覚悟を決めるのは一瞬だった。
そして、一度踏み込めばレイサの体はどこまでも呑み込んでいく。
「お゛ごっ♡ば♡ぐい゛ぃ゛ぃ゛♡♡ぞうなんです♡♡♡わだぢっ♡悪い♡子だからぁ゛っ♡いっばい♡♡おじおぎしてくだざいっっ♡♡♡」
レイサの膣を、その奥の子宮をカズサの手が蹂躙する。ここが誰のものかを教え込むように。ぼこり、ぼこりと小さな腹が粘土のように形を変える。
その度に、レイサは快楽に喘ぎ、涙や鼻水を流しながら嬌声を上げる。
ここにもし彼女たち以外の第三者がいたら恐怖すら覚えただろう。こんなものは愛の営みではないと頭を振ったことだろう。
それでも──

「こんなっ♡こんなセンスない飾りっ誰かも知らないやつにつけられたものなんて♡♡」
「あ゛ぁ!そう、全部毟りとってください!!あなた以外の証なんて!全部!!あなたの♡手で♡♡あ゛っ♡ぎゃっ♡あぁ♡」
血が飛ぶ。
それすらも幸いだと。レイサは泣く。
それすら幸いなんだろうとカズサは笑う。
果たしてそこにあったのは本当に愛なのか。それとも憎悪なのか。昂る感情の正体は当事者である二人にしかわからない。あるいは、二人にだってわからないのかも知れなかった。

それでも二人は貪りあった。互いに傷つけ、愛撫し、噛み、抓り。まるで歩き続けた時間の全てを埋めようとでも言うかのように。痛みを与えあい、悦びを与えあった。
他者から見れば悍ましい行為も激情のままに繰り返した。悍ましいなどと、そんなことを言う他者の介在する余地などわずかもなかった。ここは、この世界は二人だけで満たされていた。
二人だけの世界で互いを喰む。
どうかこの時間が終わらないでと、願うように。

「あ゛〜〜ぁ♡あ゛♡あぁ……♡」
「フーーッ♡フーーーー♡」
ボロボロのレイサとカズサが荒く息を吐く。未だ全身に残響する痛みと快楽に酔うように。
ひどい匂いが廃屋の中を満たしていた。情事の前の硝煙の匂いなどとっくに染め上げられて愛液や血、ひどく濃い雌の匂い。
どれだけ情事に耽っていたのか、二人にもわからない。ほんの数時間かもしれないし、一年のようにも思えた。
ただ、レイサはこれがあの始まりの二週間の調教よりもずっとずっと長い時間だと確信していた。現実の時間経過など関係ない。ただ、レイサの中ではそれが真実だった。
「こんなにっ♡幸せに……なれるんですね、私」
息を整えながらレイサがポツリといった。
「……よかったんじゃない?」
顔を合わせず、カズサが言う。
「ダメですよぉ……気持ち良すぎて、私まだ生きたくなっちゃうじゃないですか」
「……」
「だから、ね」
チラリと、レイサの体を見る。そして、目を見張る。
強引にピアスを引きちぎられた傷も散々に噛みつき、時には噛みちぎられて肉の抉れた傷すら、既に治り始めていた。
「カズサも、知っているでしょう?私……もう──」
人間じゃないんですよ。
カズサは自分の心臓を握りつぶされるような感覚に襲われた。
それは、最初にレイサの胸に抱かれた時にも感じたものだった。
──心臓の鼓動が、聞こえなかったのだ。
いや、微かに、それらしいものは聞こえた。けれどあまりにも小さく、儚く、とても人の鼓動とは思えぬものだったのだ。
それが堪らなく不安で、辛くて、切なくて。
レイサにキスしようと思わせたのだ。
「私は、手足を切られた程度じゃ死にません」
すっかりピアスもタトゥーも無くなって、白くな滑らかな体に手を当ててレイサは言う。
「もしかしたら、頭を潰されても……死なないのかも」
それは、最初にここで組み伏せられた時には黙っていたことだ。言うつもりもなかった。
確信だってなかった。けれど、そんな予感はしていた。
自分を殺したと思い、全て終わったと安心した杏山カズサを。最悪のタイミングで突き飛ばせるかも。
そんな予感を抱いていた。
「だから、ここです。ここが私の命」
けれど、それももういいのかもしれないとレイサは思っていた。
絶対に得られないと思っていたものを胸いっぱいに与えられてしまって、もう一歩だって歩く必要はないんじゃないかと思えたから。
自らの胸の中心に指を這わす。
そんなレイサの様子をカズサは呆然と眺めていた。
自分に与えられた決着の時。
ずっとずっと、望んでいた瞬間。
そこへ、手を伸ばし──優しく撫でた。
「望んだわけ……っないじゃん!!」
泣いていた。
最初にレイサを押し倒した時よりずっと、悲痛に。
「私が、あんたを殺したい……?そんなことを思うわけないじゃん!!」
小さな小さな鼓動を鳴らす、レイサの胸に額を当てる。
「私はぁ!私がしたかったのはぁ!!あんだを連れ戻して……まだっ、また、一緒に……みんなのところに゛………っ!!」
ボロボロにカズサが泣いていた。
キャスパリーグと呼ばれ、人々からはヒーローだと憧れて、己の目的を誰にも打ち明けず、一人孤独にここまでたどり着いた少女のそれが本当の望みだった。
けれど──
「それは──」
もうあまりにも遠い願い。
世界は荒廃し、かつて彼女たちがいた場所も変質していた。
星屑は大勢の人を苦しめ狂わせ殺し、キャスパリーグは一般人に戻るには多くの人々に希望を与えすぎた。
「なんでぇ……なんであんだはぁ゛……こうなっちゃったのぉ……!」
理不尽な嘆き。
理不尽に対する理不尽な悲鳴。
「い゛やだ……あんたを殺じで……ぞれで終わり?そんなのぉ……全部っ終わりじゃん゛」
「カズサ……」
今こそ、レイサは生まれて最大の痛みを感じていた。肉体は既に傷一つない。それでも前後不覚になるほどの言葉では言い表せない痛み、苦しみがレイサの体を苛んだ。
「やだよ゛ぉ……こんなぁ、ずっとやがったんだよ……あんたがっ、おかしくなって、みんなもおがしくなって……私、私は……平気だったから……戦えるから、できるからぁ!!…………あんたを追いかけなくちゃいけなくて」
果たしてここまで恥も外聞もなく泣き叫ぶキャスパリーグを誰が想像できるだろう。
あの頃の、レイサがただ無邪気に挑戦状を叩きつけていた頃でも信じられなかっただろう。
嫌だ嫌だとまるで聞き分けのない赤子のように首を振り叶うはずもない願いを叫ぶ。
「もどりだい゛……あの頃に゛……全部っ全部っ無くなればいい゛!!」
それはここまで彼女が歩いてきた道への裏切りだった。彼女が共に肩を並べた仲間、友人。あるいは倒さざる得なかった敵、救った人、救えなかった人、全ての裏切りだ。
けれど──
だけれど──
「ひひ」
ここには願いを叶える最悪の星屑がいた。
痛い。
痛い。
痛い痛い痛い。
彼女の言葉が狂おしいほどに痛い。
「カズサ……いいですよ」
「……え?」
「私は星屑。破壊の願いを叶える凶星」
彼女は否定したのだ。
レイサが望んだものではなかったけれど、それに比するもの。
「あなたが真に願うなら、その願事──叶えましょう」
あの頃。彼女を必死で追いかけていた時間より、ずっとずっと長い間続けてきた、星屑とキャスパリーグの全てを壊すと言うのなら。
いらないと、壊しきってくれるなら。
「……」
「だから、ここに」
目前のカズサに比べれば平らとしか言えぬ自らの胸に彼女の手を押し付ける。
「この奥に、私の本質があります。あなたの願いを叶えるのなら、それに直接」
優しく、力を込める。
「大丈夫、そっと手を伸ばして」
その言葉に従うようにカズサが手を差し込む。
ずるり、と。
まるで湖面に手を突き入れるようにその手が沈む。
「あぁ♡もっと、もっと奥へ♡」
己の根幹に指をかけられ、レイサの吐息が熱く湿る。
肩ほどまで突き入れたカズサの指先に何かが触れた。
「さぁ」
促されるままに掴み、引きづり出す。
「あっ♡あぁっ♡♡」
こんな時すらレイサは快楽に喘ぐのだ。それこそが致命的なのだとレイサだってわかってる。こんな自分ではたとえあの日常に連れ戻されても彼女の望むようになどなれやしない。
そうして、カズサが引き抜いたのは小さな小さな星型の輝石だった。レイサのヘイローが今のようにドス黒く染まる前、彼女の頭上に輝いていた星にそれはよく似ていた。
「これ……は?」
「それが"星屑"。私の全てです」
レイサはそれを今さっき知った。カズサに願われて、その大きな願いを叶えるに足る手段として自身のことを知ったのだ。
それが星屑レイサ。
ものの壊し方を知り、壊したい願いを叶える星。
「あなたの願いを強く思い描いて、そうして握りつぶしてください」
「なっ……!それじゃ、あんたはっ…….!」
「大丈夫です。きっと大丈夫だから、カズサ」
「……」
「願って」
それは祈りのように。
願われる星が願われることを希う。どうか。どうかと。
私の役目を果たさせてください、と。
カズサは目を瞑る。これまでのこと。これからのこと。かつての思い出。あの頃のレイサ。自分。
「……………………わかった」
トリニティの遺棄された一画。
誰からも顧みらない、かつてカフェだった廃屋の中で。
世界を終わらせる願いが花開く。
強く、願い。
手の中の星屑を。宇沢レイサを握りつぶす。

カズサはふと、昔にこのカフェを訪れた時のことを思い出した。アイリとナツとヨシミ。カズサの見つけた自分の居場所、放課後スイーツ部のメンバーと訪れたのだ。
今度はレイサと一緒がいい。
そう、強く願った。

レイサの全てが白く燃え盛る。
世界を壊す願いを叶えるためにその全身を燃やし尽くす。
星の灯火が朽ちた廃墟を照らす。
あぁ、自分が星屑となったのはこの日のためだったのだと。レイサは確信していた。
黒くひび割れたレイサのヘイローが成長を始める。長く、大きく、どこまでも。この世界を覆うように。キヴォトスのヘイローすら上書いてゆく。
「レイ……サ……?」
白く燃え上がるレイサを前に、呆然と膝をつくカズサにレイサは笑いかけた。
「私の左目をあなたに捧げます。私が見てきた破滅の全て」
レイサの目が白い炎に包まれる。
「レイサ!!」
弱々しい顔で名を呼ぶカズサに大丈夫ですと笑いかける。
「私の右手をあなたに捧げます。私が成すだろう苦しみの全て」
言葉に従いレイサの右手が燃え上がる。
「私の左足をあなたに捧げます。私が踏み締めた悲劇の全て」
「私の右足をあなたに捧げます。私が踏み締めただろう悲劇の全て」
「私の左手をあなたに捧げます。私が成した苦しみの全て」
「私の胎をあなたに捧げます。私が生み出す破壊の全て」
「私の右目をあなたに捧げます。私が見るだろう破滅の全て」
「あ……あぁ……」
何を思えばいのかわからず呆然とそれを眺めるカズサ。もう目は見えないけれど、どんな顔をしているか、なんとなくわかる。
ほんの少し、本当に少しだけ惜しくなって、レイサはわがままを言った。
「カズサ、左手の、薬指を‥‥私の口ものに」
「……?」
言われたままに差し出された指、その根元あたりを小さく噛む。
「痛っ……」
噛み跡が輪のように薬指を傷つけ僅かに血を流す。少し前のレイサであれば噛みちぎっていただろう。今はこれだけで十分だった。
「私からの、挑戦状……受け取って、ください」
「挑戦状?」
わからないとカズサは問い返す。
大丈夫、私にだってわからないのだ。
ただ、レイサからカズサに贈るなら。
星屑ではない、ただのレイサがただのカズサに贈るなら、その名が一番相応しいと思えたのだ。
「おそろい」
ただ、想いだけを伝える。
既に白い炎に包まれて、形もわからなくなった左手を振る。いつかの主人によってレイサは自ら左手の薬指を切り落としていた。長く星屑を続けたけれど、ついぞその指は治らなかった。
だから、ほんの少しだけ。
幸せに残された口が綻んだ。
「私の口をあなたに捧げます。私が告げる願い叶える全てを」
カズサの黒いヘイローは今も世界を覆い包もうと広がっている。空に、天高く伸び、世界の亀裂となる。
これで、本当に最後。
口も燃えて、けれどレイサの声は響き渡る。
「私の命をあなたに捧げます。あなたが不要と切り捨てる全て。狂い瞬いた私の全て」
その言葉に、カズサが目を見開いたのがなんとなくわかった。
バカだなぁ、なんて。
きっとあの頃の関係だったら一生思えなかったような、くすぐったい感傷をレイサは抱いた。
私はずっとそれが望みで、そのために世界を壊そうとしていたのだから。
始めにそう言ったじゃないですか。
全くもう、杏山カズサ。あなたという人は、どこまでお人好しなんですか。
──笑う。幸せに笑う。
これは最悪の物語
最悪の完結。
邪悪で醜悪な凶星が願いを叶え世界を壊す物語。
広がりきった黒い亀裂から、白い光が漏れ始める。世界の終わり。天に輝く白き光を指差し人は何を思うのだろう。
星にとってはどうでもいいこと。
ただ──
あぁ、何もかも無くしたと思っていました。全てを奪われて、あなたに捧げられる初めてなんて何もないと思っていた。
でも、そんなことはなかった。
過去と未来。私の命。私の全て。私の願い。
カズサ。
愛するあなたに。
どうか、私の初めてを。
どうかあなたに幸せを。どうかあなたに苦しみを。
誰かにとって忘れたい思い出になるのはほんの少し残念だったけれど、あなたにとってなくしたい思い出になれたならこんなにも嬉しいことはないのだから。
こんなことしか願えない私を愛してくれて──ありがとうございます。

光は溢れ、世界は壊れる。
レイサの崩壊を始まりとした、世界の全てが。

──サ!
────サ!
ひどく愛おしい声に呼ばれて意識が収束する。
「何をボーッとしているのですか、杏山カズサ!!はっ、もしやこの封印を解き新たな暴虐をふるう計画を!!」
それは、とても──とても懐かしい光景だった。
「いい加減相手してやんなさいよ、キャスパリーグ……プププ」
「もう、ヨシミちゃんそういうからかい方よくないよ」
「放課後スイーツ部という鎖を引きちぎらんとする魔獣。我ら守護騎士にそれに抗う術はあるのか……」
部室だった。
とても懐かしい姿の友人たちがこちらを指差し笑っていた。いや、笑ってるクソ野郎はひとりだけか。
「……本当に、戻っ……た?」
呆然と自らの手を見る。戦いに明け暮れた果ての傷だらけのそれではない。
喧嘩の面影はあれどきれいな、トリニティ総合学園一年生の頃の、当たり前に毎日を笑っていた頃のカズサの手だった。
「カズサちゃん、大丈夫?もしかして体調悪かったり……」
「え、あ、ごめん……ちょっとボーッとして」
あまりにも唐突な、現実味の薄い状況に脳が混乱する。ここは夢なのか現実なのか。
それとも、これまでの悲惨なカズサの道行こそが全て幻──
「っ!」
左手の薬指に痛みが走る。
そこに、血は止まっているが生々しく残る誰かの噛み跡。
それが証だった。
「……ねぇ、今日って何日だっけ?」
ぼんやりとしたまま訪ねる。
「はぁ?本当にボケてきたの?」
そう言いながらも教えてもらった日付を聞いてカズサは確信する。
それはレイサが消息を断つ一日前の日付だった。
既に以前のレイサの記憶は薄れ始めており、誰とどんな出会いをしたのか、どんな悲劇を見てきたのかも朧げになり始めていた。
それでも。
レイサが受けた仕打ちとその末路を知ってからカズサはずっとその日を記憶していたのだ。
あんなことが起きなければ。あの日、自分がレイサの事を少しでも気にかけていたら、と。
それだけは今も強く刻まれていた。
心臓が早鐘のように鳴り始める。
今なら、そう今ならやり直せるのだ。
白い炎に飲み込まれた星屑レイサを思い出す。胸にずきりと痛みが走る。
──彼女は、確かに願いを叶えたのだ。
星屑レイサとキャスパリーグの戦いは存在せず、今はただ放課後スイーツ部の杏山カズサと自警団の宇沢レイサがいた。
「おや、そろそろパトロールの時間ですね。名残惜しいですが私はこの辺で──」
「待って!!」
張り上げたカズサの声に部室にいた全員が目を丸くする。
だが、それ以上にカズサは緊張していた。ここから先、失敗は許されない。邪悪で身勝手でけれど愛おしい、あのレイサが作ってくれたチャンスを決して無駄にすることはできないのだから。
「パトロールって自主的なやつだよね。悪いけどその前に時間ちょうだい。二人きりで話したいことがあるの」
「な、なんですか!?まさか勝負ですか!?」
「違う、ちょっと……うん、近くのカフェでも行って話そう」
「???」
疑問符を大量に浮かべるレイサ。そのあまりに無邪気な様子に笑いそうになる。
が、今はいけない。
この後、明日のスラム街のパトロールでレイサはカズサを恨む二人の不良に拉致されるのだ。そして──。
困惑しながらも構えをとるレイサを観察する。
パトロールについて行くべきか。先に誘拐犯供を血祭りに上げるべきか──
ドクン、と。その小さな体を見ていると体の奥、へそ下あたりが疼くのを感じた。
あの小さなお腹に収まった小さな子宮に手を伸ばし、めちゃくちゃに掻き回した感触を思い出す。
違う、そうではない。
けれど。
そもそも、レイサが危険な場所を彷徨くのがまずいのだから、しばらくどこかに閉じこもっておいてもらうのがいいのではなかろうか。
多少窮屈な思いをするだろうが──あの未来を迎えるよりかは遥かにマシだ。
早鐘のような鼓動は今も鳴っている。
カズサは自分を落ち着けるように大きく息を吸った。
「とにかく!そういうことだから!いくよ、レイサ!」
「は、はい!え、いや、え!?ええぇ!?」
名前を呼ばれて目を回し始めるレイサの手を取り有無をいわせずカズサは部室を飛び出した。
とにかく、どうすべきかはこれから考えよう。

けれどまずは、あのカフェへ。
彼女を愛したあのカフェへ、レイサと行こう。

星屑は天を焦がし、黒猫は世界を巡った。
最後に笑った星屑の幸せをもう誰も知ることはない。
お知らせ
実務でも趣味でも役に立つ多機能Webツールサイト【無限ツールズ】で、日常をちょっと便利にしちゃいましょう!
無限ツールズ

 
writening