劇場破りのマズルカ (9話後編)


大地主の息子・フェデリコはアルルという街に闘牛を見に遊びに出かけたところ、そこで出会ったウマ娘から目が離せなくなってしまいました。恋心を秘めていた幼馴染のヴィヴェッタはこれを知ると深く心を痛めます。
しかも、結婚の段取りが決まりかけた矢先に「アルルの女」にメティフィオという恋人がいたことを知らされたフェデリコも茫然自失とします。

戯曲「アルルの女」第一幕(要約の上で改変)

「うげっ、なんだその顔…」
「あはは、さよならっ」

デュオモンテから「逃げ」というのはあまり想像のつかない戦術だ。確かに逃げというのはレース全体の時間を作る意味でレースの支配者となりえるが、うまく本質を隠さなければ実力を丸裸にされてしまう危険性も持つ。
アンダードッグであるデュオモンテはまず「とってはならない戦法」である。

すぐさまカチドキシャウトは元の優位性を取り戻すことに成功したが、それは表面的な事態だった。
いつもはマイペースを維持していた逃げが、極端に長い距離にも拘らずスピードが上がる。
判断は分かれた。何よりも動揺は大きかった。
王の風格を纏う勇者が倒れ、蜜を求める蝶は行き場をなくし、霧降る森は渇き、空に描いた海が時化て流れ星が熔けて……。

家出したフェデリコをヴィヴェッタは追いかけます。
ヴィヴェッタは傷心のフェデリコを慰め、哀れみ、励まし、ついにプロポーズをします。
二人は結ばれたかのように思われました。

戯曲「アルルの女」(要約の上で改変)

アルルの女は、舞台裏でかなり苦労した。
普通、彼女は舞台に現れることはない。神出鬼没、いや、不可視の幻でなくてはならなかった。
幻はそこに存在した。いるはずのない「クラシック級のチャレンジャー」。先頭を争うはずのない「8人中8番人気」として。

ただでさえ平地で不足されているとされていた出力。加速力の極大値がクラシック級の中でも顕著に小さく遅れて現れる中で、シニア級を相手にして一定水準以上の脚力を常に要求する飛越は文字通りの壁である。
足を掛けないように腿を強く折りたたんでから足先を振って飛ぶ方式は決して操縦性に優れたものであるわけではなく、どちらかというとロスの高い飛び方である。
最低限のパワーを持ち合わせているならば生垣の上っ面程度なら最初から足を振り抜いて超えてしまえばいい。

ここまで4戦して、未開拓のトレーニングを導に五里霧中のトレーニングをしてきた。
実のところ、「最初からステイヤー気質」のウマ娘はフリーレース・ジャンプレースで大成しないとされてきた。
スプリントやダートで培われている爆発力に心もとなさがある。総合力勝負であるクラシックディスタンスはさておき、ハナから4000m級しか眼中にない戦い方と能力のかけ合わせは「脅威」ではない。

見るからに調子は最悪だ。3900mという距離を信じて破滅逃げを敢行しているようにも見えるが、逃げで追い立てあった結果としてオーバースピードでの飛越が繰り返されている。いつまでもつのかわからないのに、差が詰まっているのに。決定的な疲れの症状が見えない。

「5バ身…!?離れすぎた!もう行かないと、もう行かないとっ……!!」
「マンタちゃん離れてよ……!出負けはしていないのにまだついてくる、ほんとに未勝利だったの……?」
「あらあら、いつもより縦長で進みますねぇ、大丈夫ですかダンケツさん?」
「クッ……放っておいてくれないか、付きまとわれているせいか今日は歩度が合わない!」
「いつか落ちるはず…………本当に……?」
「負けない……!二人の限界は初戦で見切ってるんだから!」

フェデリコとヴィヴェッタの結婚式もまもなく開かれるというのに、村の外は騒々しい。
「アルルの女」を取り戻さんと、恋人だったメティフィオが現れます。
癒えたはずの傷からあふれたのは狂気。制止する村人たちをも押しのけてでも刺し違えようと暴れる両者。
何とか引き離しましたが、交錯するウマ娘の足音と「迎えに来て」という声はフェデリコの頭の中から消えることはありませんでした。
フェデリコはメティフィオに連れだって去ろうとする後姿を捕まえようとバルコニーから手を伸ばすと、その女は振り向きました。

戯曲「アルルの女」(要約の上で改変)

「(そして、すべては儚い幻だと知り、泣き崩れました。)」
「あ……あ”っ!」

8号障害。視覚効果も相まって高さがつかみにくい生垣を前にして、カチドキシャウトは深く踏み込みすぎた。
ブレーキング勝負。モータースポーツでは聞き馴染みのある言葉だが、ごく一部の例外を除いては「巡航速度から速度を落とさずにジャンプ」することは不可能だ。
生垣を踏み倒す覚悟で進むことで許容できる速度があったとしても、正しい位置で、正しいスピードで、正しい姿勢と正しい力配分でジャンプすることが常道である。
オーバースピードは致命的な転倒などを起こさなくても、踏切位置、フォーム、蹴り出しの角度などそのすべてをいっぺんに失いかねない危険な行為。
前方でライバルが苦しそうに垂直に体を持ち上げ、遠吠えを挙げる。
普段からジャンプやコーナー・坂路の駆け引きとして加速の緩急をつけて、定速だと信じる並走者のスタミナを狂わせる格闘をしてきた。
コーナーで強引にストライドを変化させて飛ぶ練習も組み入れた。
だから、すべてを計算に入れて30歩以上前から場ミリにキチリと覚悟を持って合わせることができる。

歩度合わせのための減速はいらない。ただ、最後の2歩で自分の処理速度に合わせスピードを緩めて、踏み込む。

完ぺきだった。ハナを出して、アタマを伸ばして、4号障害で半バ身を着けて……。


逃げるアルルの女。墜落していくフェデリコ、錯乱するメティフィオ……


何とか引き離しましたが、交錯するウマ娘の足音はフェデリコの頭の中から消えることはありませんでした。

「後ろから……追ってきてる……!」
何とか引き離しましたが、交錯するウマ娘の足音はフェデリコの頭の中から消えることはありませんでした。
「待って、そんな、もう終幕よ」
何とか引き離しましたが、交錯するウマ娘の足音はフェデリコの頭の中から消えることはありませんでした。
「ファランドールが聞こえないの」
何とか引き離しましたが、交錯するウマ娘の足音はデュオモンテの頭の中から消えることはありませんでした。
「あっ」
「あ」

10号障害。難易度の低い置き障害だ。
定位置を30センチ以上も踏み越した。
慌てて足を振る。
ガクリ、とスピードが落ちる。
持ち前のインナーマッスルでフォーム自体に乱れはない。ただ、落としたスピードは上がらない。
パワーが上がらない。それが今までの敗因の一つだった。

すぐ後ろで着地の音がする。
「⸺っけぇぇぇぇぇ!!」
「⸺いついて、強さを⸺」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

何とか引き離しましたが、交錯するウマ娘の足音と「迎えに行く」という声はデュオモンテの頭の中から消えることはありませんでした。
デュオモンテが一人去ろうとする後姿を捕まえようと手を伸ばすと、その女は振り向きました。
騎兵突撃のような勇壮なその威圧に、幻は空の中に露と消えました。

幻影を振り払う、「勇者のマズルカ」が昼の空の中から聞こえてくる。
最高着順。あの日のセンター以来、はじめてのライブも、これではうまく歌えないかもしれないなとは思った。

ただ、「踊り切った」という充足感は、確かにそこにあった。
ライブまではかなり時間がある。
お腹がすいた。心からそう思った。

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