安寧はまどろみの色


 ──扇喜アオイがシャーレに併設されているカフェを訪れた時、そこには五人の人影があった。
 シャーレの主である“先生”の意向もあり、時にはスケバンやヘルメット団すら出入りし、悪名高き温泉開発部や美食研究会も居住まいを正し、トリニティとゲヘナの生徒が相席することすらあるそこだが、学園都市というキヴォトスの体制的に、混みあっている時とそうでない時の落差は大きい。
 五人の中に運営を任されている不知火カヤ“元”防衛室長が含まれており、また他の滞在者との対話に耽っていることからも、今の時間は比較的に暇なタイミングであるらしい。
 総決算の相談をするべく、滞在者の一人……カヤの親友である七神リンへ相談に訪れた訳だが、リンは一時を考えれば見違えるほど表情に精気が宿り、表に出すことは少ないが穏やかな感情が目の奥でくるくると瞬いている。
 嫌われていると、距離を置かれていると思っていた。強い人だと思っていた彼女の足が立てないほどに傷つき、心が周囲のすべてを敵と捉えるほど病んでいた時、アオイは寄り添うのではなく「もっと好かれたい」と自分のことを考えていた。
 だから今も、こうやって相談を持ち込んだ時、少しだけ緊張する。もうリンが冷たい反応を返すことはないと分かっているけれど、罪悪感がケモノの顔をして胸の中から“ぞろり”と覗いてくるから。
 ……しかして、その時にアオイが声掛けを躊躇ったのは、内心の呵責によるものではなく……その時にカフェにいる者たちの空気が、なんとも特異なものだったからだ。

「……あの、カヤ室ちょ、カヤさん。それに、セミナーのユウカさん。お二人は何をしているんです?」
「何をしていると言われても、カフェは憩う為の場所ですから、その手伝いをしているのですよ?」

 カヤは黒い髪を指に絡ませ、優しく櫛で梳くように這わせていく。
 美しい光沢だが、傍らに置かれているヘルメットを被り続けだったのだろう、少し蒸れて痛んでいたところが、カヤの指で優しく解かれる。

「えへへ……お母さん……」

 カヤに甘えた口調で語り掛けるのは、カヤと同じ三年生……それもあの“クーデター”の際に、先生を除けば最もカヤを苦しめたレッドウィンターの煽動家、工務部の安守ミノリその人だ。
 趣味がデモ・権力者への反抗という、アナルコ・サンディカリスムの化身の如きミノリとは、連邦生徒会自体を標的にされることも多く、アオイも矢面に立ったことはないがデモを何度も目撃している。
 苛烈で、有能で、キヴォトスでも屈指の勉強家。デモさえ無ければ、工務部としての仕事も極めて高クォリティで実行する。しかし、特別に心を許している相手は、シャーレの先生以外には居ない。アオイはそう認識していた。
 そんな彼女がヘルメットを脱ぎ捨て、靴もはしたなく床に脱ぎ散らかし、カヤの膝に頬を擦り付けて、人はこんなにも無邪気に笑えるのかという笑みを浮かべている。

「……催眠術ですか?」
「あの、私のイメージはどうなっているのですか?リンちゃ……リンさんまで巻き込んだとはいえ、少し前の洗脳騒動をみな引きずり過ぎです」
「す、すいません。安守さんに、そういう印象が無かったので」

 ミノリはアオイの言葉も聞こえているのだろうが、カヤしか視界に入れていないようで気にする様子すらない。
 やがて猫のようにカヤの膝に頬ずりしたまま眠ってしまい、カヤも別にそれを気にしていない模様だ。

「にへへ~……」

 こちらはアオイの問いかけには反応が無かったが、セミナーの早瀬ユウカもまた、そのむっちり……うぉ、ふっと……という印象を受ける太腿に、少女を寝かせている。
 黒崎コユキ。ミレニアムサイエンススクールの問題児で、通称“白兎”。こちらはユウカと親しいことは知っているし、何よりも小柄な印象の生徒なので、そこまでは疑問を感じない……いや、ごまかされては駄目だ、何故寝かしつけ中の女子が二組も。

「この時間が一番静かだと、常連になってもらえれば分かりますからね。ノアさんと交代で、こうしてコユキさんを連れていらっしゃるんです」
「はぁ……」

 アオイの聞きたい事にはほとんど触れられなかったが、それで説明が終わったとばかりに、カヤもユウカも膝に抱いた少女たちを愛でるのに戻ってしまう。
 カヤとユウカとは、カヤ側の提案で決算などを共に行う仲だが、それによってある程度の友誼を結んだものだと思っていたのに、どうやらアオイはまだまだ彼女たちの内面を理解していなかったらしい。
 とりあえず思索は後にして、リンに相談を行おうとするが……何故か自分の太ももを見つめていたリンが、アオイの方へ「ちょうど良いところへ」という風に小さく笑って見せた。

「あ、あの、リン先輩……?」
「総決算の話なら、カヤも後で交えて話しましょう。私だけ“席”が空いていて、寂しく感じていたの……来る?アオイ」

 その提案は、余りにも激毒。
 先まではミノリやコユキの姿を、忌憚なく言うなれば“異様”だと見ていたはずなのに、あまりにもリンからの提案は甘く、温い。
 気付けば、あまりにも自然にリンへと身を寄せ、その腿へと顔を側付け、耳が温もりを真っ先に受け取りながら、頬が柔肉へ埋もれていく。

「(あ、ダメ、これ)」

 ほとんど意味も成していないような、半端な思考が頭に走るが、それもリンに髪を梳かれれば溶け消えていく。
 リンと親しくなりたかった。こういう形だったかは、分からない。けれど、あまりにも、あまりにも心地よい。
 疲れていた。リンほどでは無いが激務の日々に疲れていたのだと、今更ながら体が納得する。
 頬ずりを自然にしてしまっていることを最後の意識にして、ぷつんとテレビを切るようにアオイの意識は途切れた。



「……少し前まで、アオイにこんな接し方をすることなんて、考えもしなかった」
「それを言うなら、私の方が驚いていますよ。リンちゃんとアオイさんは、元から親しかったじゃないですか」

 アオイが寝息を立て始めてから、カヤとリンは小声で語り合う。
 確かにリンとアオイの間には元より絆があったが、カヤとミノリは……カヤ自身が呼び寄せた節はあるが……最初は敵対しあっていた。
 それがどちらも先生に絆され、奇妙な縁を結んでいる。

「先生は、不思議な人です。改めて」
「他人事のように言うけれど、あなたも大概よ?」
「わ、私は、まだまだ……先生に比べれば小兵ですよ」

 それは変わってきたことの肯定。正逆でしか無かったカヤなら、その評価を否定しただろう。
 かつてのカヤなら──合理性以外のすべてを切り捨てて、手負いの獣のように正しさを爪牙として振るっていた頃のカヤには、きっとこんな関係は結べなかったし、リンともあるいは……二度とまともな会話など無かったかも知れない。

「あなたと、同じことをするのは、楽しいわ」
「楽しんでいいのか、今でも私は背徳的な気持ちになるのですが……リンちゃんが言うなら、続けていきましょうか」

 書類業務の合間に、休憩に訪れたのだろう。先生がカフェに顔を出し、カヤの方へと近づいてくる。
 カヤはあらかじめテーブルに置いていたコーヒーミルで、ゆっくりと豆を砕いていく。
 奇妙な、けれど誰もそれを指摘しない、穏やかな時間。
 キヴォトスの平穏は未だ遠く、しかしその縮図であると言われれば、信じてしまいそうな点景がそこにはあった。


オマケ

「ナグサちゃん、手前たちはこういう関係では……」
「黙って……カヤさんの真似をしてみたけれど、あまり撫でても気持ちよくないわ」
「非道い!だったら離してくれればいいことでしょうがぁ!?」
「うるさい……他の人が起きたら、どうするの?ああ、でも、角はひんやりして悪くない……」
「うわぁぁぁんっ!コクリコ様、助けてくださぁいっ!(小声)」
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