淫魔先生と浅草の浪人


 由井正雪は森宗意軒によって造られたホムンクルスである。従来のホムンクルスと違い人間の女を母体として用いて産まれた彼女は、それ故か齢三十で寿命が終わる欠陥品であった。現行人類に成り代わるべき新人類として彼女を設計していた宗意軒は、彼女の寿命を延ばすべくありとあらゆる手を尽くし、無事、彼女は己の寿命を延ばす術を手に入れた。
 その手段とは──交合。
 夢の中で男と交わり、それで得る精気によって寿命を延ばす──所謂淫魔と呼ばれる悪魔の一種の在り方であった。
 宗意軒は発狂した。

 ──違う、これは違う。斯様なものは……相応しくない。

 そのような言葉を残し、宗意軒は彼女の前から姿を消した。
 創造主の言葉は正雪が淫魔としての在り方を受け入れた今なお、彼女の心に暗い陰を落としている。

   *   *   *

 由井正雪は人造淫魔である。毎夜のごとく夢から夢へと渡り歩き、各々の理想の女へと姿を変え男共の精を食事として生きてきた。そうして最近、気づいたことがある。今まで渡り歩いてきた男共の精には違いがあり、より優れた精を放つ男は全て強い男であると。それは、強靭な肉体を持つだけではない。肉体だけでなく、より洗礼された技術を持つ若い男が、最も栄養価のある精を持つことを、彼女は経験則から知った。
 そこで正雪は条件に当てはまる男を探すことにした。

 強く、技術があり、若く──出来れば、独り身であること。

 流石に妻帯持ちの男を食い物にすることは、如何に淫魔であることを受け入れた正雪をしても抵抗があったのだ。そうして彼女は、浅草に若くて強い独り身の浪人の存在を知った。
 浪人の名を宮本伊織、日ノ本に名高い剣豪の一人である新免武蔵の一番弟子にして養子であった。それほどの若人が何故浪人の身分に甘んじているのか不思議でならなかったが、所詮は食事のために夢に入って交合する相手でしかないと捨て置き、早速今夜彼の者の夢へ渡ることにした。

 そこで正雪が目にしたのは、辺り一面の荒野と朱く巨大な月。そこにただ独り佇んでいる青年の姿だった。初めて見る光景に息を呑んだ彼女だが、臆しても居られない。ここに来た時点で己の姿は目線の先に居る青年の理想の女の姿を模っているのだからと、無遠慮に青年へと近づいていく。
 近づいてくる正雪の存在に気づいたのだろう、月を見上げていた青年は彼女の方へと顔を向け──目を丸くした。その表情が妙に幼いなと思いながら、彼女は青年へと速度を変えることなく近づいた。そうして青年の懐へと飛び込み、さて青年はどのような行動に出るのかと心待ちにしていたが、

「頭から伸びている角に、蝙蝠のような羽根に……尻尾? 何だこれは? 書に記された鬼とはまた違った姿だが……」
「ひあぁん!?」

 頭の角を触られたと思ったら、腰元についている羽根と尾てい骨から伸びる尻尾を無遠慮に捕まれ、正雪は嬌声を上げた。慌てて距離を取ろうと青年の胸板を手で押すが全くもって微動だにせず、羽根と尻尾を弄られ続ける。
 何故? 如何して?
 青年の熱く大きな手によって与えられる刺激に息も絶え絶えになりながら、正雪は混乱した。夢に入り込んだ時点で、自分の姿は青年の理想の女へと姿を変えているはずである。だと云うのに、何故この青年は羽根と尻尾を触れているのだと。

「あ、すまん」

 ひとしきり弄り終えて満足したのか、それとも正雪の様子に気づいたのか、青年は軽く謝罪しながら羽根と尻尾からすぐさま手を放し、支えを失った彼女はその場に崩れ落ちる。彼女にとって先程青年が無遠慮に触った淫魔由来の角と羽根と尻尾は性感帯である。それを熱い手によって弄られ倒されたのだ。彼女の状態は推して知るべしであろう。

「…………貴殿、大事ないか?」
「そう、見えるのであれば……っ、貴殿の目は、節穴であろう……っ!」

 そもそも何故、私の角と羽根と尻尾を触れるのだ!?
 傍に屈んだ青年へと正雪が吼えれば、返ってきたのは至極当然と云った言葉。

「いや、何故も何も……貴殿が隠していないからだろう」
「それがおかしいと云っているのだ! 夢の中に入った時点で私は貴殿の理想とする女人に変化する! 故にそれらは全て隠されると云うのに……!」

 涙で滲む視界で、正雪は青年を睨みつける。彼女の言葉に得心がいったのか、青年はひとつ頷いた。

「申し訳ないが、俺は理想とする女人というものが存在しない。故に貴殿の姿のままだったのだろう」
「嘘だろう!? 元服も終えて暫く経っている若い男が、気になる女人すら居ないと云うのか!?」
「生憎と、幼き頃より剣一辺倒の無骨者ゆえな。色恋沙汰にはとんと縁が無い身だ」
「斯様なことが有り得るのか……?」
「どうだろうな? 少なくとも身近には俺以外には居なかったが……」
「そう、か……」

 当てが外れたと正雪は内心で舌打ちし、ゆっくりと立ち上がる。青年が色に興味が無いのであれば、ここに居る意味は無い。

「待て、どこに行くつもりだ」
「別の男の夢へ渡るのだ」
「……何のために」
「食事だ」
「食事?」
「私は淫魔ゆえ、男の精からしか栄養が取れぬ。故に色に興味が無い貴殿では──ひゃあん!?」

 尻尾を強く握られ、再び正雪はその場に崩れ落ちた。それと同時に青年は、彼女を自身の腕の中へと回収する。

「き、貴殿……何故」
「別に、色に興味が無いとは云っていない」
「な、なに……?」

 青年と、目線が合う。深海のように凪いでいる青い瞳の奥に、熱が見える。

「食事に男の精が必要であるならば、俺で良いだろう?」
「し、しかし、貴殿には理想とする女人が居ないのだろう?」
「貴殿が良い」
「は……?」
「肌をみだりに出している格好には流石に驚かされたが……淫魔、だったか? その種族特有のものなのであればとやかくは云うまい」
「いや待て、待ってくれ。百歩譲って貴殿が色に興味があるとしよう、しかしそれで私を選ぶのは些か趣味が悪いのではないか?」
「何故だ?」

 不思議そうに首を傾げながら、青年は正雪の頬に手を当てる。剣の修練で出来たのか肉刺だらけで肌触りが良いとはお世辞にも云えなかったが、正雪はその手に何故か安心感を覚えてしまった。

「貴殿はこんなにも──魅力的な女人だと云うのに」

 ──今、この男は、何を云った?

「……み、見え透いた世辞を」
「斯様なこと、冗句で云えるものか。俺からすれば、貴殿は今までに出会った誰よりも、魅力的な女人に映っている」

 嘘だと、云いたかった。有り得ないと、口にしたかった。
 だが、青年の熱を帯びた青い瞳に囚われた正雪の口からは、音にならない吐息が漏れるだけで。

「…………正直、俺も信じられぬのだがな。別人の姿に成りすますとは云え、貴殿が他の男の夢へ渡り目合うのが看過できんとなると、きっとそう云うことなのだろう」

 そうして、青年の口づけがひとつ、正雪の額に落とされる。顔どころか、全身が熱く火照っているのに気づき、彼女は思わず顔を俯かせた。だが直ぐに、青年の手によって顔の角度を元に戻される。
 再び、青い瞳と交わった。

「食事のためと云うのであれば俺にしろ、他所の男の元へ行くな」

 その言葉を最後に、青年は正雪に喰らいつく。夢の中で数多の男共を食い散らかしていた彼女はその日──たった一人の青年に、敗北した。

【おまけ1】
「それで、俺の精はどうだった?」
「…………これ程美味で、腹を膨らませたのは生まれて初めてだ」
「おい、何故苦々しい表情をする」
「私は淫魔だぞ……数多の夢を渡り歩き男共を食い散らかして来たのだぞ……だと云うのに、色恋に疎いらしい貴殿に好いようにされたのだぞ……」
「そうか、俺との目合いはそれ程好かったか」
「…………何故嬉しそうなのだ」
「なに、留めておきたい女人を満足させられたことが嬉しいだけだ」
「う、ぐ……」
「そう云えば、まだ名を告げていなかったな。俺は宮本伊織と云う、貴殿は」
「…………云わぬ」
「ほう?」
「絶っっっっっ対に教えぬ! 如何しても知りたいのであれば自分で調べろ!」
「そうか」
「!? ま、待て……貴殿何を……っ!」
「なに、貴殿が名を明かさないと云うのであれば、素直になってもらうまで」
「待て、待ってくれ。私はもうお腹いっぱいで……あ、あ~~~~~!!!?」

※先生は名を明かさずに何とかやり過ごせました。

【おまけ2】
 翌朝、正雪の場合。
「ううぅ……私は、私が、斯様な、あられもない、声で……~~~~っ!」

 翌朝、伊織の場合。
「いくら夢の中とは云え……初めて会った女人に乱暴を働いてしまうとは……未熟」
お知らせ
実務でも趣味でも役に立つ多機能Webツールサイト【無限ツールズ】で、日常をちょっと便利にしちゃいましょう!
無限ツールズ

 
writening