ゲート難・ダイワスカーレット


 ガシャ。
 静寂のグラウンドに、ゲートが開く音が鳴り響く。
 そして、そこから一瞬遅れて、激しい靴音が続いた。
 
「……くっ」
「まだ遅れてるよスカーレット」
「わかってるわよ! もうっ、なんで上手くいかないのかしら……っ!」

 栗毛の長いツインテール、前髪には煌めくティアラ、つり目がちの真紅の瞳。
 担当ウマ娘のダイワスカーレットは、立ち止まり、苛立たしげにゲートを見返した。
 まるで親の仇でも見るような目で、じっと睨みつけている。
 ……まあ、ある意味では似たようなものかもしれないが。

「これじゃあ、1番になんて到底……ママにだって、こんな姿見せられない……!」

 スカーレットはその整った表情を歪ませて、悔しそうな表情を浮かべる。
 俺もまた、眉間に皺を寄せながら、頭を悩ませるのであった。

 ────『ゲート難』。

 ゲートに入ること、あるいはゲートから出ることを苦手とする、ウマ娘の症状。
 非常にメジャーなものであり、多くのウマ娘がこれに悩まされているといわれている。
 それでいて、具体的な解決方法は、未だ確立されていない。
 何故ゲートインを拒むのか、何故ゲート内で落ち着きを失うのか。
 この理由に関しては、トレーナーはおろか本人達ですら理解出来ていないからだ。
 故に、現状における対策はただ一つ。

「こうなったら練習あるのみよ! トレーナー、もう一本!」

 真剣な眼差しで、スカーレットはそう言い放った。
 具体的な解決方法がない以上、反復練習で身体に覚えさせる他ない。
 出来ることなら続けさせたいところなのだが────俺は彼女に腕時計を見せた。
 彼女は、人前では、なんでも卒なくこなす優等生の姿を保っている。
 だからこそ、この練習はここで終わらせなければいけなかった。

「そろそろ他の生徒が来るよ、ゲート練習、あまり見られたくないんでしょ?」
「うっ……仕方ないわね、また明日にするわ」
「そうしよう、まだメイクデビューまでは時間があるんだから」
「……ええ」

 俺の言葉に、スカーレットは何か言いたそうな表情をしたが、やがて頷く。
 ゲート練習に尽力している姿を、他の人に見られたくない。
 そう彼女が望んだため、ゲート練習は朝練の生徒が現れるよりも早い時間に行っていたのである。
 その成果はあまり芳しくなく、彼女にも、そして俺にも少し焦りが出て来ていた。
 スカーレットのポテンシャルをもってすれば、今の状態でも勝ち上がることは出来るだろう。
 しかし、彼女の目指す先はそのもっと先、全ての頂点。
 ウオッカやアストンマーチャンなどの彼女の同期、更なる強敵と相対するならば『ゲート難』は致命的な欠点となる。
 そのため、これは何としても解決しなくてはならない問題だった。 

「……スカーレット、どんな些細なことでもいいから、ゲートにいる時の違和感とかを教えてくれるか?」
「……違和感?」
「ああ、言語化が難しいかもしれないけど、正直なことを教えて欲しい」

 片付けのため、ゲートを共に運んでいる間、俺はスカーレットに問いかけた。
 藁にでも縋る思いだった、何か解決の糸口になるものが欲しかったのである。
 彼女は少し考え込むように手を顎にあてて、恨めしそうにゲートに視線を向けた。

「少し、狭いのよね、少し身動ぎすると当たって、気が散るというか」
「ああ、キミって結構ふと────」
「……今、何を言おうとしたのかしら?」
「────身長が、大きいからな! 他の子と比べると、ちょっと狭苦しく感じるのかもしれないな!」

 慌てて言い繕う俺をスカーレットはじろりと睨みつけている。
 うん、今のは年頃の女の子に対してデリカシーの欠ける発言だった、素直に反省しよう。
 身体がゲートに当たって気が散る、というのは確かにあるかもしれない。
 しかし、これに関しては対策のしようがなかった。

「だからといって身体を小さく出来るわけでもないし、キミの走りはその身体だからこそでもある」
「そうね、アタシもパパとママからもらった身体に感謝することはあっても、邪魔だなんて思うことはあり得ないわ」

 スカーレットは胸に手を当てて、自身の身体を見下ろし、誇らしげな顔をした。
 彼女の恵まれた肉体から繰り出される走りは、それだけで立派な武器である。
 無論、あくまで彼女の持つ武器の一つに過ぎないが、わざわざそれを手放す必要は全くない。
 となれば、逆にぶつかることに慣れる方向で、克服するしかない。
 もっとぶつかりやすくして、それがすぐわかるように音が出ると良い。
 手頃な物を使ってどうにか出来るとなお良いな、何かそういうの、プールで見たことのあるような────。

「……これは、スカーレットとのトレーニングに活かせるかもしれないな」
「またそれ? ……まっ、少しは頼りにしてるわよ、トレーナー」

 呆れたような笑みを浮かべながら、スカーレットはそう言ってくれた。


  ◇


「どうだろうスカーレット、これならゲート練習が捗るんじゃないか?」
「……………………ダッサッ」
「見た目に関しては、その、有り合わせの材料で作ったから、うん、ごめん」
「謝らなくても良いわよ、やりたいことは理解できるし、アンタがいっぱい考えてくれたのは伝わってるから」

 スカーレットは困ったような顔をして、身体を軽くひねった。
 カンッ、と軽い音が鳴り響く。
 彼女の腰にはベルトが巻かれていて、そこから複数の糸が伸びており、その先には空き缶が吊るされていた。
 これによってゲートで当たる箇所が増えて、より気が散らされることとなる。
 この状態に慣れてしまえば、外した時には気にならなくなるはずだ。

「よし、じゃあ、早速始めるわよ」
「ああ」

 ウォーミングアップを始めるスカーレットを見つめながら、俺も準備を行う。
 ちなみに、用意したベルトは空き缶を吊るすことも考えて若干幅の広いものを選んだ。
 そしてそこからひらひらと垂れている紐、足を広げて柔軟している姿も相まって。
 ……なんか相撲取りみたいだな、とちょっと思ってしまう。
 刹那、ぴたりとスカーレットの動きが止まる。
 彼女は怖いほどに美しい笑顔を俺へ向けながら、低い声でいった。

「……アンタ、今すごい失礼なことを考えなかった?」
「イエナンデモナイデス」

 俺は疑念の目を向けるスカーレットから、慌てて目を逸らすのであった。


  ◇


 新たな道具を用いてゲート練習を始めてから数週間。
 道具の効果か、はたまたスカーレット自身の努力の賜物か、あるいは両方か。
 スタートの遅れは日に日に改善していき、今や標準よりも少し悪い程度にはなった。
 しかし。

「……どう?」
「……ここ数日とあまり変わらないな」
「はあ、やっぱり、そうよね」

 スカーレットは落胆を隠さない表情で、ため息をつく。
 スタートの改善は、すでに頭打ちを迎えていた。
 かれこれ一週間近く、スタートのタイムは縮んでおらず、限界を感じさせるものとなっていた。
 後方脚質であれば、この程度の出遅れならば作戦次第でやりようはある。
 しかし、彼女が得意とする脚質は逃げ、先行、いわゆる前脚質だった。
 出遅れはあらゆる状況で不利を招くこととなり、G1の舞台で戦っていくには未だ厳しい状態である。
 とはいえこれ以上の改善案も思いつかない────が、先ほど、一つだけ気になったことがあった。

「スカーレット、ゲート入っている時、なんかこう、そわそわしていないか?」
「……そわそわ?」
「なんか、耳がぴょこぴょこ動いててさ、なんか落ち着いてないというか」
「そっ、そんなところまで見ているの?」

 スカーレットは眉を吊り上がらせると、顔を赤くして両耳を、両手で隠すように覆った。
 ……そんな気になるようなことなのだろうか。
 しかし、他にどうこう出来そうな点は見つかっておらず、そこに希望を見出すしかない。
 俺は臆することなく、じっと彼女の紅い目を見続けた。
 やがて、彼女は観念したように手を降ろすと、少しバツの悪そうな表情で、小さな声で呟く。

「…………少し、背後が気になるのよ」
「背後? 何かいる気配がするとか、そんな感じかな?」
「違うわ、上手く言えないけど、むしろ逆で、誰もいないから、不安になるというか」
「……難しいな、同じような感覚を、別の状況で感じたこととかはある?」
「……うーん」

 スカーレットは腕を組んで、考え込む。
 我ながら難しい質問をしているが、ここが重要だと、直感がそう告げていた。
 しばらくの間、彼女は目を閉じて、唸り声を上げながら、ぽつぽつと言葉を漏らす。

「小さい頃……家で留守番……パパとママに……見ていて欲しかった時……? ……っ!」

 その時、スカーレットの耳がピンと立ち上がった。
 彼女はじっと俺を見つめて、突然、ゲートに向けて歩き出す。
 俺は慌てて声をかけようとした直前、くるりと振り向いて、言った。

「トレーナー、アタシの背後に立って、見ていてくれないかしら?」
「えっ、それだとスタートの確認が」
「いいから、後ろから見ていて、土が飛ばない程度の距離で大丈夫だから」

 スカーレットは、真剣そのものの表情で、じっと俺を見ていた。
 それは明らかに何かを掴んだような顔に見えて、俺も思わず返す言葉に詰まってしまう。
 ……これといった手かがりもない、一先ず一度試してみるのもの良いだろう。

「わかった」
「……ありがとう、トレーナー」

 礼を告げて、スカーレットはゲートに入った。
 耳がぴょこぴょこと忙しなく動き始めて、尻尾もゆらゆら揺らめき始める。
 ちらりと、彼女は背後を振り向く。
 突然見られて、何をすれば良いのかわからず、俺は何故か手をひらひらと振ってしまう。

「……ふふっ」

 スカーレットは、楽しそうな笑みを零して、再び前を向く。
 耳と尻尾の動きは収まって、先ほどとは打って変わって、落ち着いているように感じられた。

 ガチャ、とゲートが開く。
 それとほぼ同時に、スカーレットの足音が鳴り響いた。
 思わず歓声を上げてしまうほどの、見事なスタートだった。

 数歩歩いて立ち止まり、彼女は大きく目を見開いて振り向く。
 多分、俺も同じような表情をしていたんだろうな、と思う。

「トッ、トレーナー、今の!?」
「まっ、待って、待ってくれスカーレット! もう一度行こう、今度は動画も取るからっ!」
「ええ、何度だってやってやるんだから!」

 スカーレットは、目を輝かせて、彼女らしい勝気な笑顔を見せ、人差し指を立てた。
 それが彼女お馴染みの『1番』を表しているのか、『もう一度』を表しているかは、良くわからなかった。


  ◇


「なんてこともあったな」
「こんな時、また随分と前の話を思い出したわね?」
「なんとなく、キミの姿を見ていたら、ね」

 輝く舞台と割れんばかりの歓声に繋がる、地下バ道。
 俺はレースへと向かうスカーレットの後ろ姿を、後ろから見ていた。
 鮮やかな群青色と白色を基調とした、大礼服の要素を取り入れたドレス。
 ひらひらと揺らめくスカートからは、頼もしいばかりの太腿が覗いている。
 自慢の勝負服に身を包んだ彼女は、振り向いて、自信たっぷりな笑みを浮かべていた。
 なんの不安もない、立派な『女王』として立ち振る舞いである。
 俺はそんな彼女に一瞬見惚れてしまい、それを誤魔化すように言葉を並べた。

「もう俺がここまで後ろから見てなくても、大丈夫なんじゃないか?」
「……ダメよ、ちゃんとアンタは、アタシの後ろに立っていないと」

 スカーレットは、少しだけ目を細めて、不満気に言う。
 まあ、今更やめる理由もないし、この習慣は続けていくつもりなのだが。

 ────あれ以降、彼女のスタートは、劇的な改善を見せた。

 とはいえ実際のレースのスタートで、ゲートの後ろに俺が立っているわけにはいかない。
 だからこうして、レースの時にはギリギリまで、俺はスカーレットの後ろに付き従うことにしている。
 こんなんで大丈夫か、と聞いたら、彼女は事も無げにこう言った。

『アンタが見てくれていることがわかっていれば、何の不安もないわ』

 メイクデビューでこそ、若干の出遅れは見せたものの、それ以降は見事なスタートを続けている。
 スカーレットの弱点は、翻って、彼女の栄光を導く大きな武器になったのだ。
 地下バ道を見る直前、彼女は立ち止まり、振り返る。
 そして人差し指を俺へと突きつけて、微笑みとともに、パチリと可愛らしいウインクを飛ばした。
 
「またアタシが1番になるところ、ちゃーんと見てなさいよねっ!」

 その綺麗な白い人差し指は、『1番』と『もう一度』と、多分、『俺』を差していたのだろう、そう思った。
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