最近のシュヴァルグランはおかしい
作成日時: 2024-04-19 23:47:59
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最近のシュヴァルちゃんは、ちょっと、おかしい。
「……シュヴァルちゃん、最近なんかあった?」
「……別に何にもないけど、急にどうしたの、キタさん」
あたしの問いかけに、シュヴァルちゃんは不思議そうな顔で首を傾げた。
授業の合間の休み時間、シュヴァルちゃんはいつも通り、ちょっと猫背で本を読んでいる。
顔色は悪くないどころかツヤツヤとしていて、むしろ元気そう。
授業態度だって、とっても真面目だし、トレーニングも頑張っているみたい。
一見すれば、いつも通りのシュヴァルちゃん。
────でも、最近のシュヴァルちゃんは、なんかおかしかった。
「だって、今までシュヴァルちゃんは、野球の本ばかり読んでたけど……」
「……っ! こっ、これは、たまたま本屋で見かけて、面白そうだったから……!」
シュヴァルちゃんの目が、あからさまに泳いで、逸らされる。
そしてあたしは、彼女の手の中にある本のタイトルを確認した。
『基本の中華料理』。
……少なくとも、あたしだったら面白そうだと思って手には取らない。
とはいえ、これだけならば個人の嗜好の範囲。
演歌が好きな人がいれば、歌謡曲が好きな人だっている、そういうものだと思う。
だけど、あたしが感じている違和感は、これだけではなかった。
「それに、最近、お弁当の日が出来たよね? 今までは、ずっと食堂で食べていたのに」
「そそっ、それは、ほら、この本を試したくなっただけで! 誰かに作ってもらったとかじゃないから!」
シュヴァルちゃんは、顔を赤らめて、慌てた様子で言葉を発した。
これは、つまり、そういうことなのだろう。
あたしは思わず立ち上がって、彼女の手を取って、顔をぐいっと寄せた。
「────えらいっ! あっぱれだよ、シュヴァルちゃん!」
「……えっ?」
「忙しい中、自分でお弁当を作ってるってことだよね!? 簡単に出来ることじゃないって!」
「あっ、いや、その、えっと、それは、その」
帽子を深くかぶって、謙遜してみせるシュヴァルちゃん。
もっと自信持っても良いのにと思う反面、彼女らしいなとも思ってしまう。
ところで、シュヴァルちゃんのお弁当、ちょっと気になっていたんだよね。
ボリュームもしっかりしていて、彩り豊かで、一つ一つのおかずも美味しそうで。
あたしは両手を合わせて、拝むように、シュヴァルちゃんへとお願いしてみた。
「シュヴァルちゃん、お願いっ! お弁当、ちょっとで良いから食べさせてっ!」
「────絶対に、ダメだから」
「ひえっ」
ぶるりと、背筋が凍ってしまうほど、シュヴァルちゃんの声が低く響き渡った。
彼女は薄い笑みを浮かべているものの、その目は全く笑っておらず、冷たくて暗い。
あたしは、二度とシュヴァルちゃんにお弁当を要求しないことを、心に決めるのであった。
◇
最近のシュヴァルは、なんか、おかしい。
「你好、なんだかご機嫌そうね、シュヴァル」
「えっ、あっ、わっ、クッ、クラウンさん……!」
授業を終えて、トレーニングへと向かう途中。
私は尻尾を楽しそうに振りながら、手の中を眺めているシュヴァルを見かけた。
どうしたのかしら、と思いつつ、私は声をかける。
するとシュヴァルはびくんと、尻尾を立てて、身体を震わせた。
シュヴァルの手の中にあった『何か』が放り出されて、彼女はわたわたとお手玉をする。
やがて、ちゃりんと音を立てて、それは私の目の前に落下した。
「……sorry、驚かせてしまったわね」
私は謝罪を告げながら、廊下に落ちたそれを拾おうとして、その場で屈む。
ベレー帽で、プリン色で、ポムポムとしたマスコットのキーホルダーと、これは鍵、かしら。
寮の部屋の鍵や、トレーナー室の鍵とは形状が明らかに違うけれど、どこの鍵だろうか。
そんなことを考えながら、私は手を伸ばし────。
「……っ!」
────その刹那、シュヴァルが目にも止まらぬ速さで、それを回収した。
ぎゅっと、大切なものを扱うように、それを握り締める。
思わぬ出来事に私は言葉を失い、ぽかんとしてしまう。
やがてシュヴァルはハッとした表情になり、慌てた様子で弁明を始める。
「あっ……ごっ、ごめんなさい、わざわざクラウンさんに拾わせるのも、悪いかなって」
「大丈夫、私も気にしてないから、シュヴァルも気にしないで、ね?」
私は笑みを浮かべて、シュヴァルにそう伝える。
彼女はほっとした様子で息を吐いて、いつもの雰囲気へと戻った。
……正直、鍵については気になるけれども、あまり詮索するべきではないだろう。
────最近のシュヴァルは、なんか、おかしかった。
先ほどのように、幸せそうにぽやーっとしていることが多い。
キタサン曰く、授業は真面目で、トレーニングにも問題はないみたいだけど。
それと、もう一点。
「あっ……クラウンさん、こないだお願いした調味料、届いたから」
「真係? 思ったより早く届いたみたいね?」
「うん、こっちの方では手に入りにくいから……助かったよ、ありがとう」
「気にしない気にしない、これくらい、いつでも大歓迎よ」
最近、シュヴァルは私に、中華料理に使うような材料や道具を頼むことがあった。
中には私ですら使い方が良く分からないものまで、内容は多岐に渡っている。
……シュヴァルが料理をするなんて話、聞いた覚えがないのだけれど。
まあ、単純に最近出来るようになったのかもしれない、割と多趣味だものね。
私は少し、冗談めかして言う。
「でもお礼というなら、今度シュヴァルの手料理をご馳走させてもらおうかしら?」
「……えっと、もうちょっとだけ、自信がついたら、必ず」
「……! OK! その日を楽しみに待っているわ!」
将来の自分に希望を抱いて、約束をしてくれる。
確かに、最近のシュヴァルは少し変わったかもしれない。
けれど、これは良い変化なのだろうと、私は思っているのだった。
「……あの、ところでクラウンさん」
「欸? どうかしたかしら?」
「さっきの調味料、その、10本セットで来たんだけど、そういう商品なのかなって」
「……えっ? いや、そんなわけ、ちょっと待って、確認するから────哎呀!?」
スマホの注文履歴には、見事なまでに一桁間違えた数字。
……むしろ、私が変わらなければいけないのかもしれない。
◇
最近のシュヴァちは、絶対に、おかしい!
「シュヴァちー、今日は私とお出かけしてよー、良いでしょー?」
「だから、今日はもう予定があるんだって、ヴィブロス」
「……だってー、最近、いっつもそうなんだもーん」
トレーニング終わった後。
私はいそいそと帰路に着いているシュヴァちを見つけて、飛びついた。
ここのところ、シュヴァちとお出かけ出来てないから、たまには一緒にいたかった。
けど、シュヴァちは困った顔をして、先約があると拒否をする。
最近はいつも、こうだった。
だから私は、引きはがそうとするシュヴァちにくっついて、離れない。
「というか、そもそも、何の用事なの?」
「そっ、それは……かっ、買い物、だよ」
私が問いかけると、シュヴァちはあからさまに目を逸らしながら、小さな声で答える。
……ちょー、あやしー。
でも、シュヴァちの買い物っていうなら野球の道具か釣具だよね。
それだったら駅の方に行くだろうし、そっちなら、私好みのお店がある。
「じゃあ私も行くー! ねねっ、それなら良いでしょ?」
「…………別にいいけど、僕が行くのは商店街にあるスーパーだぞ?」
「……ええー、商店街かあ」
今はレースに向けて体重の管理中で、買い食いは厳禁。
他の目当てがなく、そのくせ、誘惑の多い商店街に行くのはなかなか厳しかった。
……そもそも、シュヴァちは本当に商店街に行くのかなあ。
そう考えて、疑いを視線を向けると、シュヴァちは大きくため息をついて、鞄を開けた。
「これ、商店街のエコバッグ、それとスタンプカード」
「……むう、確かに見たことがあるロゴ」
鞄の中から出て来たのは、商店街の名前とロゴの入ったエコバッグ。
それとスタンプカードで、そこには数日前の日付でスタンプが押されているのが見えた。
パパからちょっと前に、シュヴァちがにんじん山盛りを当てた、と聞いていたのを思い出す。
私達へのお裾分けがなかったのは少し不満だったけど、確かに商店街は良く利用しているようだ。
うーん、どうやらシュヴァちは本当に、商店街へ行くみたい。
……どうしよう、付いて行くことは出来るけど。
するとシュヴァちは、小さなため息をついてから、諦めたような顔をした。
「……わかったよ、今度の週末はヴィブロスに付き合うから、それで良いだろ?」
「……ホントッ!? 見に行きたいお洋服とか、コスメとか、一緒に見てくれるの!?」
「うん、だから今日は勘弁してくれると」
「はーい♡ えへっ、シュヴァちとデート♪ シュヴァちとデート♪」
「全く……それじゃあ僕は行くからね?」
「いってらっしゃーい♡」
週末に想いを馳せながら、私は手を振って、背を向けたシュヴァちを見送る。
その時、シュヴァちの鞄から、ひらりと一枚のメモが舞い上がった。
恐らく、先ほど鞄からエコバッグを取り出した時に、飛び出してしまったのだろう。
私は地面に辿り着く前に、それを拾い上げてシュヴァちを呼んだ。
「シュヴァちー! これ落としたよー!」
「えっ……あっ、ああ、ありがとう、ヴィブロス」
シュヴァちは振り向いて、私の手元のメモを見つけると、早足で戻って来た。
私はメモを手渡し、改めて、シュヴァちを見送る。
それに、しても。
「商店街で買い物、って言ってたけど」
先ほどのメモ。
そこには様々な品物が書かれていて、いわゆる『買い物メモ』なのは容易に想像出来た。
そして、一瞬しか、見てはいないのだけれど。
「クッキングシートとか、食用油とか、洗剤とか、シュヴァち、何に使うんだろ……?」
そんなものは、大体、寮に揃っている。
だからわざわざ自分で買う意味は薄いし、それらに拘りがあるなんて話も聞いたことがない。
……なんか、ちょー楽しそうなことを見逃している気がする。
私は首を傾げながら、ただ遠のいていくシュヴァちの背中を見つめるのであった。
◇
最近のシュヴァルは、少し、おかしい。
「あら、シュヴァルじゃない」
「ねっ、姉さん……!?」
私は放課後、消耗品の買い出しの為、商店街に来ていた。
そして、スーパーの前を通りがかった時、そこから出て来たシュヴァルと遭遇した。
シュヴァルは青ざめて、この世の終わりのような顔をしている。
……そんな反応をされると、さすがに傷つくのだけれど。
私はヒビが入りかけた自らのハートから目を逸らし、平静を装いながら言葉を続ける。
「こんなところで奇遇ね、買い食いかしら? まあ、程々にしておきなさいね?」
「えっ? ……あっ、うっ、うん! そうなんだ、ちょっと、お腹が空いちゃって……!」
「…………へえ」
姉としての直感が囁く、シュヴァルは、誤魔化そうとしていると。
……まあ、シュヴァルは昔から嘘が下手だから、誰が見ても一目瞭然なのだけど。
ちらりと、シュヴァルが持っているエコバッグを見やる。
そもそも、ちょっとした買い食いのためにエコバッグなんて用意はしないだろう。
中身はあまり見えないが、クッキングシートなどの日用品や、生野菜なんかが確認できる。
どう考えても、買い食いには相応しくないラインナップだ。
「あっ……!」
私からの視線に気づいたのか、シュヴァルはエコバッグを背後に隠した。
小さい頃、シュヴァルがおねしょをした時に布団を隠した時と同じ仕草で、ちょっと微笑ましい。
私は少し目を細めながら、出来るだけ柔らかい声色で、言葉を紡いだ。
「別に、ちょっとした隠し事くらいで怒ったりはしないわよ」
「それは、そうなんだけど」
「まっ、ヴィブロスが寂しそうにしていたから、たまには遊んであげなさいね?」
「……うん、それは大丈夫」
「後、私も寂しいから、ちょっとは頼って欲しいわ」
「えぇ……頼れって言われても、今、姉さんに頼らないといけないことなんて」
「そうかしら? 色々とあると思うわよ、例えば────」
私は、困惑するシュヴァルに近づく。
そして、こっそりとエコバッグの中を盗み見ると、キッチン用品と各種食材が見えた。
うん、大体、想像通り。
私は薄い笑みを浮かべながら、シュヴァルの耳元へ、囁いた。
「────晩御飯のメニューを一緒に考える、とか」
「…………っ!? なっ、なななっ、ななっ!?」
ぴんっと、シュヴァルの耳が逆立った。
そして驚くほど俊敏な動きでシュヴァルは距離を取って、エコバッグを抱きしめ、私を見つめる。
その瞳は怒っているわけではなく、ただただ驚愕に見開かれていた。
口はぱくぱくとしているけれど、漏れだしている声は、言葉にはなっていない。
……ちょっと、意地悪したくなる可愛さよね。
私はぽんと手を叩いて、わざとらしく、何かを思いついたかのような仕草をした。
「ああ、私ったら……そういうのは、自分一人で考えたいものよね?」
「……?」
「だって、シュヴァルにとって、愛しい人に食べさせてあげるんだもの♪」
「なっ!? トッ、トレーナーさんは、愛しいとか、そんなんじゃ…………あっ!?」
「……ふふっ」
シュヴァルは顔を真っ赤に染め上げて、慌てて自らの口を両手で押さえる。
涙目で、身体をプルプル震わせながら、しゅんと耳と尻尾を垂らしていた。
もう少し見ていたいけれど、このくらいにしておいてあげるかしらね。
私は人差し指を口元に立てて、シュヴァルに言う。
「ヴィブロスやパパには黙っておいてあげるから、今度、一緒に料理をしましょうね?」
「姉さん……!」
「……後、食べさせてあげるのは、料理だけにしなさいね?」
「姉さんっ!?」
「あははっ! それじゃあ頑張りなさいね、シュヴァル!」
そう言って、私はシュヴァルから距離を取って、その場を立ち去った。
シュヴァルは、少し、おかしくなった。
誰かのために、自ら腕を振るって、料理をご馳走してあげるようになった。
自分で勉強をして、自分で研究をして、自分で食材を選んで。
きっと、それは、成長というのだろう。
私の知らない間に、どんどんあの子は先へ進み、見違えるようになっていく。
そのことが嬉しくて、そして、少しだけ寂しい。
「……でも、あの子達だけを、先に進ませるわけにはいかないわね」
だって私は、シュヴァルとヴィブロスの、お姉ちゃんだもの。
あの子達の先達として、まずは私が、あの子達の行くべき道を照らしてあげなくちゃ。
心機一転、私は改めて、長女としての誓いを胸に刻むのであった。
……それはそれとして、男の人の家ってどんな感じなのか、今度シュヴァルに聞かないと。
◇
最近、僕は、おかしくなったのかもしれない。
商店街での買い物を済ませて、歩きながら、一人そう考えてしまう。
例えば、今日の休み時間。
お弁当が欲しい、といったキタさんに対して、少し怖い顔をしてしまった。
……僕に自覚はなかったのだけれど、青ざめたキタさんを見るに、相当なものだったのだろう。
例えば、授業が終わって、トレーニングに向かう途中。
クラウンさんが拾おうとしてくれた鍵を、隠すように回収してしまった。
ぽかんとした、クラウンさんの表情を思い出すと、顔から火が出そうになってしまう。
例えば、トレーニングが終わった後。
ヴィブロスを騙してまで、僕は自分の用事を優先した。
いやまあ、買い物は実際にしているし、嘘をついたわけではない。
用事は、それだけではない、というだけで。
例えば、買い物を済ませた後。
別に悪いことをしているわけじゃないのに、姉さんを誤魔化そうとした。
結局、姉さんには全部お見通しだったみたいだけど。
というか、料理以外を食べさせるなんて、するわけないだろ……!
「……まったく、姉さんってば」
頬が熱くなるのを無視しながら、僕は歩みを進めて行く。
目的地が近づいてきたので、僕は、鍵を取り出した。
ベレー帽で、プリン色で、ポムポムとしたマスコットのキーホルダーが揺れる。
「へへっ」
それを見ているだけで、僕の幸せな気持ちになって、顔が緩んでしまうのであった。
……まあ、廊下で取り出すのは、今後やめておこう、出来るだけ。
トレーナー寮に入って、目的の部屋の前に立つ。
きょろきょろと、誰にも見られていないか確認しながら────僕は鍵を開けた。
「おっ、おじゃましまーす」
誰もいないとわかっていながら、僕は小さい声で、挨拶をする。
そう、この鍵は、トレーナーさんの部屋の、合鍵であった。
事の発端は、年始の、商店街の福引。
僕は、2等のにんじん山盛りを引き当てた。
報告を受けた父さんが、消費出来る心配してしまうほどの、たくさんのにんじん。
それを、トレーナーさんからの助言を受けて、料理して食べることにした。
あまり、料理は得意じゃないので、トレーナーさんに教えてもらいながら。
「……今、思い出すと、顔から火が出そうだな」
僕はエプロンを付けながら、当時のことを思い出して、苦笑する。
トレーナーさんの指導の下、作り上げた料理は、今思えば出来栄えはそれなり。
でも、父さんも、トレーナーさんも、たくさん褒めてくれた。
何より、トレーナーさんが僕の料理を食べて、美味しいと言ってくれるのが嬉しかった。
その時の気持ちが、どうしても忘れられなくて。
────あの、しばらく、料理を教えてくれませんか!?
にんじんがまだ残っていたのもあって、トレーナーさんは二つ返事で了解してくれた。
それからしばらくは、学園の調理室を借りていたのだけれど、にんじんがなくなった頃。
────調理室を毎回借りるのもアレだし、俺の部屋を使おうか。
そう言って渡されたのが、件の合鍵である。
正直に言うと、渡された時の衝撃が大きすぎて、その時のことをあまり覚えていない。
ただこの鍵を見ていると、すごく、すごく、胸があったかくなる。
トレーナーさんが、僕を信頼してくれているのがわかって。
トレーナーさんが、僕を選んでくれたんだって気がして。
……まあ、多分、備品倉庫の鍵を渡したくらいの気持ちでいると思うけど。
それからというもの、僕は頻繁に、トレーナーさんの家に通って、料理を作っている。
クラウンさんにお願いして、中華料理の材料や道具を手に入れて。
気が付けば、我ながら、結構なものが作れるようになったと思う。
もう少しレパートリーが増えたら、クラウンさんにお礼がてら、ご馳走しないとな。
「あっ、そうだ、アレを先に洗わないと」
思い出した僕は、鞄から、弁当箱を取り出す。
トレーナーさんが、僕のために用意してくれた、僕専用のお弁当箱。
あまりに僕が頻繁に料理を作りにくるものだから、逆にトレーナーさんは遠慮するようになってしまった。
だから話し合って、僕らはルールを決めた。
僕が料理を作る日は、その日のお弁当をトレーナーさんが作る。
トレーナーさんのお弁当は、とてもすごい。
僕の好物をメインに入れながら、しっかりと栄養バランスも考えられている。
味はもちろんのこと、色んな気配りが伝わって来て────他の人には、とてもあげられない。
「……♪」
レシピを見ながら、調理を進めて行く。
今日のメインディッシュはエビチリ、その内、点心なんかにも挑戦してみたいなあ。
……やっぱり、僕はおかしくなったのかもしれない。
昔の僕だったら、考えもしなかっただろう。
日常的に、料理をするようになるなんて。
ましてや、それを他の人に食べてもらうなんて。
────それが、こんなにも幸せな気持ちになるなんて。
気が付けば、あっという間に時間は過ぎて行った。
料理は出来上がって、ご飯も炊きあがって、お風呂の準備も終わって。
今か今かと待っていると、玄関の方から、物音が聞こえてきた。
僕は駆け足で玄関へ向かって、靴を脱いでいるトレーナーさんを見つける。
耳はぴょこぴょこ、尻尾はぶんぶん、口元はゆるゆる。
そして、僕を見て微笑んでくれた彼を、出来る限りの笑顔で迎えるのであった。
「おかえりなさいっ、トレーナーさん♪」
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