恋歌を引用する日脹


寒さが増し、決戦への訓練も激しさが増す某日。
日車は休憩の合間に、窓の外を見ると雪がちらついていた。

カラリと窓を開け、冷えた空気を肌と肺で感じる。
行儀が悪いかと思いながらも、窓枠へ気だるげに腕を預け、人のいない町に降る雪を眺める。

ふと、脳裏を掠めた和歌を口にした。
「我が背子と二人見ませば幾許かこの降る雪の嬉しからまし、だな」
吐息が白く師走の空へとける様を眺めやる日車の背後から、足音が聞こえた。
「君か」
「ああ」
雪景色が妙に似合いそうな男が、のっそりと近付いて来るのを肩越しに確認する。

聞かれただろうか、いや彼や受肉元の人間にその知識が無ければ問題ないだろうか。
そう考える日車は、窓の外を眺める作業に戻るかのように上半身を窓枠に預けた腕へ近付け、手で口元を覆い、ポーカーフェイスの下で脹相の様子を窺う。

ここは室外ではないが、窓を開けているのでそれなりに寒い。
しかし、脹相は顔色一つ変わっておらず、それが日車にとってはありがたかった。
もし、冷えで末端部分が赤くなっていたら、いつぞやの性交を想起して、よからぬ思考へ傾きそうなほどには入れ込んでいる自覚がある。

日車の探る様子に気付いたか、それとも気紛れか、脹相もまた和歌を口にした。
「我が背子が 帰り来まさむ 時のため 命残さむ 忘れたまふな」
それは何のつもりで口にしたのか、と日車が上体を起こし口から手を外して問うより先に、脹相が言葉を重ねる。
「さあ、どうでしょう」
幽かに挑発の色を乗せたかに見えた表情、その珍しさに日車が気を取られた瞬間、くるりと身を翻した脹相は、猫のようにしなやかに姿を消した。

ものを覚えることに関しては優秀な頭から出力した知識から――どの立場のつもりからの返歌か否かの吟味はさておくとして――流刑になった相手を想っての歌だ。生きてほしい、忘れないでほしい、帰ってきてほしい、そう解釈できる歌だ。

宿儺との戦いを流刑呼ばわりとは、なんとも虎杖の件から切実さとおかしみを覚える。

俺が口にした和歌は天皇へ后が送ったものだ。
彼が口にした和歌は恋人、否、当時の罪状としては重婚説が主流だったか、まあ懇ろの仲と思われる女が送ったものだ。
否、否、背子はなにも夫婦や恋仲だけで使われたものではないという説もある。
親愛なるとか、同志とか、マブダチとかを相手に本歌取りや連句などカジュアルな用い方もされたとか、そういった説も……
否、あの男が友との戯れのつもりで揶揄ってくるだろうか?
幾通りもの言い訳を連ねても、あの日覚えた情動を抑えることは叶わず、際限なく燃え上がり身を内側から焦がし続ける。

五条悟が仕留めきれなかった場合、または俺の術式を使用して伏黒恵の肉体から宿儺を引き剥がす場合、死んでも構わないと思っている。
死ぬなとは言えないと、そう話してくれた虎杖の目は見られない。
死ぬなと言ってくれた脹相の目も見られなかった。






・我が背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しからまし/光明皇后
・我が背子が 帰り来まさむ 時のため 命残さむ 忘れたまふな/狭野茅上娘子

お付き合いを断られそうな脹相が以下の句を引用する話も書きたかったけど力尽きたので脳内補完お願いします。
・わが背子に恋ふれば苦し暇あらば拾ひて行かむ恋忘れ貝/大伴坂上郎女
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