【独自設定/駅伝ウマ娘プロローグ】レッドフラッグ


【「長距離では超人的な速度が出ない」という結論が先にあるために矛盾点が存在すると思料します、少数派解釈ですがどうか許してください。】
【特にU.A.F.競技「ライクアサブマリン」「ヘルスイムシュート」などが完全に作中理論の反証になっています。そらウマ娘に不可能はないか。】

長い夢を見ていたようだった。足掛け6年、時に観戦者として、または挑戦者として。風変わりなものでは演奏者として。
トゥインクル・シリーズというのは、意気溢れる若駒だったミーにとっては、それはそれは巨大な存在だった。
満天の星空、とでも言うべきか。
300を優に超える命名レース。
どうあがいてもその全てを味わい尽くすことができないように設計された、迷路がごとき路線設定。
そして何より、この星座の端から端まで泳ぎきる脚を持つものは誰もいないであろうこと。
もちろん、端役ではないにしろ、一等星でもないミーにとってはそのほんの少ししか触れることは叶わなかった。
ひときわ大きく、輝かしい宝石の名を冠することになったミーは、誇らしげにリュックサックの内ポケットのファスナーに、安いイミテーションの石とともにその名を刻んで喜んでいた。

「ダイヤモンドステークス 優勝 ジェミニウェイブ」

だからこそ、ありきたりな「トゥインクル・シリーズで結果を残せなかった者の末路」だとか、そういう話をしたいわけではない。
幸せだとすらいえる。次のステップにスムーズに進めた。レースに携わりながら材料工学を学ぶ機会を得て、何よりもそれを「トレーニングセンター学園」の名のもとで実現できる。
一等星になる機会を幾度となく逃してきた、どころかほとんど触れることすらなかった自分からしたら破格の待遇だ。
だからこそ。中途半端に希望が叶ってしまったから。
夢を持ってしまった。想像を絶する大きさの夢を。そのひとひらのゼッケンが人知れず何度も踏みつけにされてきたことすらよく知らずに。

トゥインクル・シリーズは大きかった。
トゥインクル・シリーズは楽しかった。楽しかったし、多くのファンをにぎわせた。
トゥインクル・シリーズはすべてだった。競技者として。学園生として。ウマ娘の「頂点」として。
それでも、それでも。
いかに「レース場」というのが狭い場所であるのか。それを身をもって知ることになった。

バイクです!ウマ娘チーム体勢くずしました!大平台を超えたところです!
14番目を走行していたオープン参加、「ウマ娘学生合同チーム」があわや転倒というシーンがありました。

それで運営管理車から顔を出して主務や監督が声をかけているのが現在御覧いただいている状況です。
従いましてこれはもしかしたらレースを止める、打ち切る可能性というのも、これ出てきたという状態です!


ああ、「最強」とは、何だったのだろうか。
あるいは。「最速」とは、なんだったのだろうか。

19世紀初頭。ウマ娘は雨で泥沼同然となった"道半ば"な道を、木製の荷車を牽いて旅していた。
5人で一つの車を10キロ、20キロと牽いては、一休み。急を要すならば全速力で走って、次のチームへ。
あるいは、特別な任務を帯びれば、1枚の紙のために万難を排して一人駈けを敢行した。日に50キロ、あるいは100キロと。千里を駆けるウマ娘こそ、おとぎ話と神話だけで、地面にその蹄跡は見当たらないが、文字通り私たちは「最速」だった。

石炭の煙が世を覆い、そして石油の炎と電流の光によって空が晴れ上がったころ。
私たちは、柵に囲まれていた。
……というのは、些か強調しすぎではあるが、全く否定はできない。ほとんどのウマ娘にとってはトゥインクル・シリーズというものこそおとぎ話だ。それと同時に、多くのウマ娘の羨望を集め。それがゆえに「全てのウマ娘の憧れの舞台」と丸めて描写されることも多い。
さて。
不思議なことに、私たちは常に「世に望まれた能力を持って産まれてくる」ことが多いようで。
つまり、戦うウマ娘が必要であれば、戦うウマ娘が生まれた。力持ちのウマ娘が必要であれば、力持ちのウマ娘が生まれた。ひと際可愛らしいウマ娘が必要であれば、それが生まれた……。
バ車を通すために。後には自動車を通すために。わざわざ私たちが知恵を絞って作り替えた道路を、再び全速力で走ることができるウマ娘が望まれたことがあっただろうか。
「最速」は、この世界に必要とされているのだろうか。
千里を駆けるウマ娘も、空駆けるウマ娘も、望まれてこそいたがついぞ生まれなかった。
だからこそ私たちは、千里を駆ける鉄の鳥を幾千も空に放っている。
それで望みは満たされた。声や光が今や電気信号で直接伝わるのだから、風より速く走ったって敵いやしない。
伝書鳩と張り合っていたウマ娘による駅伝郵便は廃れ、猛禽の名を冠した高速鉄道が、一枚の紙どころか大荷物を抱えた人までも飄々とした顔で運ぶ。

ウマ娘は進化した。ミーはその時代のほとんどの娘よりも明らかに速いだろう。すべては憧れのために。誰もが夢中になる速さを備えるために。誰もを虜にする優雅さを得るために。見る人を魅了し、感動させ、心の底から応援の声を叫びたくなるように。
人々の目が留まる間は速く、疾く。自分を見てくれている人のために際限ないスピードを求めた。
元来より、一人駈けというのは速達性の点から考えれば不効率であった。飛ばせば飛ばすほど限界が近くなる。限られたウマだけが長大行路を最速で進んで生還できたのであり、だからこそ「駅伝」によって分業されることになっていた。
皮肉なことだ。世に"オフロード"と呼ばれる本来の王道が失われていく中で、果たして近代道路の王になることはできなかった。
硬い路面では前傾姿勢を維持し続けるとつま先への負荷が想像以上に増大する。何よりも保護具たる蹄鉄がそれに耐えることができない。
スタンドアップ型―ヒトと同じ動きでも当然スピードは出せるものだが、それでも脚力重視の走法では慣れない踵を使う着地をしながらトップスピードは維持できない。無駄をそぎ落としていけば、結局ヒトとほとんど同じ土俵で戦わなければいけない。強すぎるがゆえに出力調整が難しい心肺機能と筋機能の調整をしながら、異次元の足元の悪さを克服する。

理解を得るのは難しい。

「ウマ娘が人間より遅いわけがない」。「ただ調整不足なだけ」。「次こそは」。
これが、どれほどの挑戦なのか。
「本気にしていないから」。「ドリームトロフィーが本題だから」。「もしかして、ヒト種のアスリートをバカにしているんじゃないか」。
これが、どれほどミーの、ミーたちの先達の胸を打つ、意義ある戦いなのか。

"ウマ娘とファンたちの夢"の記憶も真新しい、1月2日。「20キロ超級」「蹄鉄なきアップダウン」……。幾重にも立ちふさがる壁の前にして、「駅伝の祖を顕す者」というプライドで染め上げた"TC"の紋章が散った。1月"2日"。誰よりも高く強く足音は、芦ノ湖に届くことなく、富士根を貫く黒い大蛇の一睨みに竦んだ。
ミーの尊敬する勇者が致命的な後遺症を残す前に赤い旗が揚がったのは、福音であり、烙印であり。

赤く、只朱く。拳を握りしめ、声すら出ないまま涙を流していららしい、ミーの顔と同じ色だったとトレーナーは言った。

それは、チームを一色のもとに統べる闘志の色だ。

緑とカーキの誇りを取り戻す旅は、”赤”から始まるのだ。
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