【晴晋】晋作太夫ルートif 07. 焚付


「まだ脱がなくていい」
 その言葉を、もう幾度聞いただろう。指示に背くことなく普段通りの赤染めでベッドに近づいた僕は、腰掛けていた信玄公に腕を引かれ、彼の膝の上に座らされた。すぐに腹に腕が回ってきて、胸に寄りかかるよう促してくる。
『俺の熱が移りきって、高ぶったお前は具合がいい』
 性交の前、半刻にも満たない時間をただ無言で信玄公に抱えられて過ごす。そんなことを続けて数夜の後、僕の身体はまあ見事にそれを彼との性交と紐付けた。
 なんならその夜の僕の乱れっぷりが、やたらと信玄公のお気に召したらしい。それからというもの、毎度毎度飽きもせずに、彼の熱と興奮を事前に味わわされている。
 触れた背から伝わる体温は、焦がれるような熱さこそないけれど、ちろちろと確実に僕を炙ってくる。服越しですらこんなにも孕む熱は、直に触れればすぐに僕を燃やし尽くすのだろう。その被虐じみた苦しさも、その先にある快さも、支配される陶酔ですらこの身体は知っている。
 焼き付いた享楽が僕に思い出せと囁いてくる。腹の底から僕をぐずぐずに崩す、あの、信玄公の苛烈さを。
 信玄公の体温が指先まで伝わった頃には、もう頭なんてとっくに茹だりきってしまっていた。触れたい。触れさせたい。この身体に夢中になって、思うがままに暴いてほしい。どろりと唾液が口にたまって、移す先のないまま喉に落ちていく。
「信玄公……」
 あふれて漏れた言葉はひどく粘ついて響いた。腕を掴んでいた信玄公の手がひと揺れして、すぐさまベッドに引き倒された。僕を見下ろす彼の顔は、何かを堪えるかのように悩ましげだ。それでもその瞳に、揺るがない欲情が宿っている。
 それでいい。彼が僕に向けるものはそれだけで。慈しむような暖かさなんて、貰っても何も返せない。
「いいから、抱けよ」
 衣服を構成する魔力を解いて、今日の供物を差し出してやる。応えるように背へ差し入れられた指に、我ながら甘ったるい声が出た。バカみたいに発情しきった身体は教えられたまま従順に快楽を拾っていく。
 この間だけは僕を求めてくれている。僕が欲しいのは、その実感だけだ。
 

 信玄公が帰してくれなくなった。
 いや、正確には自室に戻れはするのだが、帰りがてらに周回へと呼び出されてしまったり、戻れても夕食や飲みの時間帯で、部屋で落ち着く暇もない。
 朝餉をともにすることは、もう仕方ないと諦めた。信玄公に世話を焼かれるのは悪い気分ではないし、食べている間は少なくとも、余計なことを話さなくていい。
 問題なのは帰ろうとしてからだ。ついた痕も傷も消して、いざと襦袢を羽織ろうとしたところで何故か毎度毎度引き留めてくる。もうするつもりはないぞと釘を刺しても、抱くのは夜だけでいいと返されるだけだ。
 そもそも腕力で勝てるような相手ではないし、僕も宝具なりアラハバキなりの強硬手段に出るほどの気力はない。そうなればただ、薄衣ひとつで腕の中に閉じ込められ、望まれるまま彼と言葉を交わすしかない。
 本当に、何がしたいのだろう。この男は。
「手に触れてもいいか?」
「まあ、手ぐらいなら」
 手のひらごと掬われて、緩く指が絡んでくる。指のまたから側面まで、形を確かめるように太い指が撫でていき、手のひらを合わせて握りこまれる。再び指を撫でられて、その繰り返しだ。何が楽しいのかはわからないが、どうせ逃げられないのだし、信玄公の好きにさせる他ない。
 いつだって彼が僕に触れる手は熱い。腰を掴まれているときも、腕を押さえられているときも、腿を握りこまれるときですら。思い返してみれば、最中に手を握り合うことなんて、これまでに一度もなかった。
 それなのに今、まぐわうでもないのに、愛おしむように触れられ、握られている。
 ……誰が?誰に?わざわざ確かめなくとも、嫌でも理解できるだろうに。
「あ、……は、ぅ」
 思い至ってすぐ、指のまたを擦る熱にひどく甘えた吐息が零れた。自分自身が信じられない。こんな勘違い、二度とするまいと心に刻んだはずだったのに。
 顔が火照っていく。たぶん耳も。羞恥と惨めさで視界が歪む。身体を包む高めの体温が錯覚を助長させていくようで、穏やかに感じるその暖かさですら今ではひどく恨めしい。
 焦りまじりに解こうとした指も、がっちり握り込まれて離すことができない。指を絡め取られたまま、教え込ませるように手のひらを親指で撫でられる。
 そんな気もないくせに、こんな風に触れてくるなんて。信玄公は、ひどい。今まさに彼にひどいことをされているのだと、僕はようやく気がついた。
「はな、せ。この、」
「なぜだ?」
「なぜだ、じゃない。君、触り方がやらしいんだよ。もうしないって僕は言ったぞ」
「抱く気はない。ただお前に触れたいだけだ。それを許したのはお前だろう」
「だとしても。……だとしても、こんなのは、困る」
 こんな、期待させるようなことを言いながら、また同じことをしようというのか、この男は。また同じように、僕に独りで盛り上がって失望しろと。

 かつての僕のほのかな憧れをへし折ったのは信玄公だ。
 あの頃、確かに僕は信玄公を慕っていた。恋慕だとか、情愛だとか、親愛だとか、友愛だとか、そういったラベル付けの前に、彼を慕って、時をともに過ごせるのが楽しかった。
 だからこそ、お前の在り方よりもお前の姿にこそ惹かれたと、そのための時間だったのだと突きつけられて、ならばと身体を差し出すことしか考えられなかった。
 ただ一言、おまえが好ましいから触れたいと。好んだ赤のひとつではなく、この心、この在り方、この高杉晋作だからもっと知りたいと。そんな言葉を欲した己の愚かさを、僕はどうしたって忘れられない。
 だいたい、一度踏みにじられたものを今さらどうして拾う気になれるんだ。欲しいのなら惨めに這いつくばってでも拾い集めろだなんて、どの口が。

「君に優しくされるいわれはないって何度言わせれば気が済むんだ。いいから、離せ」
「ならば望み通りだろう?俺は俺のやりたいようにやる」
「クソ、ああ言えばこう言う。君ってほんと、……ひどいやつ」
 浮かび上がった反骨心ですら、少しの応酬で諦観が沈めてしまって、信玄公の腕の中に留まることを選ばされる。
 今すぐこの手を離してほしい。二度と僕を手放さないでほしい。どちらも僕の本心で、だからこそこんなに困っているというのに。
 この時間ですら信玄公の気まぐれだとわかっていても、求められていることに浮かれてしまいそうになる。でもそんなもの、彼の一言二言でいくらでも冷めていくのだと、僕はもう知ってしまっているのだ。
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