読み応えのない話


この記事は、Kyoto University Advent Calendar 2021の7日目の記事です。

https://adventar.org/calendars/6580

はじめまして。ACAと申します。
京大に通いはじめて7年目です。京大に通いはじめて5年半くらい経った頃メンタルをやられて、早朝の吉田構内に侵入し飛び降りれる場所を探して彷徨った経験があります。カウンセリングや病院に行って知ったのですが、普通の人はこんなことしないらしいですね。
病院で「あなたの行動は医療措置入院の適用範囲内ですよ」と告げられた時、「行き着くところまで行ってしまったな」と思いました。
今はゆるく減薬しながら精神障害者手帳3級を振りかざして福祉の恩恵を噛み締めています。

うつと軽度の自閉傾向があります。知能検査で分かったのですが、得意/不得意に大きな差があります。今日も自分の番だとすっかり忘れていて、予定に遅刻しながら(バスが来ないのが悪い)慌てて執筆しています。スケジューリングが下手です。ものもよくなくしたり忘れたりします。

「在学中に精神障害を患ったモブ京大生の話を書こう」と思った時、まさか精神障害に行きつくきっかけとなった保健診療所がこんな大きな話題を呼ぶとは思いませんでした。
この騒動については色んな意見があると思うので深い言及は避けますが、個人としては学生意見箱への投書とオンライン署名に参加しました。年度末で京大から去る老体でも使っていただければとの思いからです。

うつ(+軽度の自閉傾向)の診断がおりて約1年が経ちました。この1年は何だったんだろう。
「自分は生きててはいけない」と思いながら何故か死を選ばずに保健診療所に駆け込んだのは去年の7月だった気がします。あれは生存本能だったのでしょうか。

あの時から希死念慮はだいぶなくなった気がします。でも、生きることに向き合うと研究を進める意味とかそもそも生きる意味みたいな問題がずっと立ち塞がってあまり前に進めてないのが現状です。学位のために年内には論文は書かないといけないのにまだ1文字も書けていません。もう少し追い詰められないと書けないみたいです。メンタルに悪いと分かっておきながら放置する、メンヘラのよくない癖です。

自覚してない/名前がついてないだけでメンヘラ京大生はかなり多く生息している気がします。私は健常者を取り繕うことをやめつつありますが、きっと無理して健康なふりしている学生がまあまあいるんじゃないかな、という印象です。オンラインで大学に来なくなって見えなくなった部分があるかもしれませんね。
オンラインはある種のメンヘラには優しい気がします。大学に行くことがプレッシャーな学生はかなり生きやすくなったんじゃないかなと思います。教育効果が対面と同等と認められれば、選択肢として残ってほしいなと思っています。

「メンヘラ女には理解のある恋人がいる」というのは通説ですが、自分には「精神疾患にとてつもなく理解がある指導教授」がついていました。先生が指導教授でなければ去年の9月に書いていたのは休学届ではなく退学届だったでしょう。こんな不出来な学生を5年も居させてくれた先生には感謝しかありません。

メンタルをやられてからボロボロと崩れる場面も増えましたが、ただでさえお人好しだったのにより人に優しくなった気がします。障害の当事者にならないと見えないことってあるなと思っています。あと、メンタルを壊さないに越したことはないので自分の二の舞を踏んで欲しくないとお節介を焼くことは増えた気がします。

とりとめのない文章ですが、期限というものがあるのでとりあえず出そうと思います。体裁を整えたり追記するのはまた後日に回します。
お知らせ
実務でも趣味でも役に立つ多機能Webツールサイト【無限ツールズ】で、日常をちょっと便利にしちゃいましょう!
無限ツールズ

 
writening