喋るシルクハットと怪盗の話


 怪盗ロワイアル。
 今これを読んでいる諸君らのなかにも、名前だけなら知っている者が大勢いるのではないだろうか。

 そう、怪盗ロワイアルとは年に数回、世界各国にて行われる、怪盗たちの戦闘祭典……死の破滅致死・遊戯(神話的バトル・デス・ゲーム)である。

 血と闘争を求める、野蛮な怪盗人間たちの気を鎮めるために開かれた、生き残りをかけたゲームなのだ!

『うおおっ! よこせ、その王冠はオレのものだあっ』
『何よ、けがらわしい! 放しなさい!』
『ぐわっ! やられた』

 歓声、そして狂騒。
 真っ暗いバーの店内モニターに、がれきの無人街と、暴れる怪盗たちの姿が映されている。

 怪盗たちは、それぞれの武器や怪盗ワザを駆使し、黒くかがやく王冠を奪い合っていた。
 テーブル席の女は横目で、その様子をちらと見て、口をつけていたロックのグラスをテーブルへと置く。

 ──カラン。薄暗い室内に、氷の音がむなしく響いた。
 たまらずサングラスのバーテンが、銀髪をかきあげ口をきく。

「ねえ、あなた! 出場者でしょ。行かなくていいのかしら」
「…………」

 女は答えない。ただ、返事のかわりに、なま足を組んだまま、紫色のスカート・ポッケに、黒手袋の手をさし入れた……だが、それだけだ。

 ああ、そう! バーテンも女を無視することにした。
 ロワイアルは趣向の違いこそあれど、常に毎回、命懸け。

 エントリー後になって怖じ気づくような腰抜け怪盗が珍しい存在ではないことを、このバーテンは知っていた。

『テキサス予選も残り時間、あとわずか! 果たして勝利の王冠は、どの怪盗の手におさまるのか~!?』

 モニターでは、実況のロッケルが、いつも通り喧しく喚いている。
 その隣からタイマーをさし出す、グレイ・タイプ特有の細長い手指の持ち主は、逆に一切、口をきく様子がない。もの静かな彼は、カメラマンのショメルだ。

『いつもありがとね、ショメルくん! さあー運命のカウントダウン、開始! 10──』

 ふと、肌にソニックブームを感じたバーテンが、テーブル席の方を見る。
 あの、ふてぶてしい金髪女の姿がない。残されたグラスの中の液体が、ひとり静かに揺れているのみだ。

 バーテンは呆れたように吹き出し、それからサスペンダーを引っ張って、豊かな胸のわきにずらす。
 あの子ペース配分、間違えたわね。

 ──オレンジ・ジュースを残していったわ。

『9! 8!』
「や、やった! オレだ! 本選に進むのは、オレだぁーっ」

 がれきの山、横倒しの倒壊ビルを玉座にして、ひとりの男が勝ち誇る。
 筋骨マッチョの彼は、ガトリング怪盗ルドィン・ロジャー。

 貴婦人怪盗マリーサム。サーベル怪盗エリナ=ベイ・サン。本マグロ怪盗ステッシー・ヴィリアムズ。
 なみいる強豪ライバル怪盗を撃ち倒し、ゴールも目の前。

 勝利の黒い王冠は、いま滴る汗が筋肉をつたう、高く掲げられた腕の塔にあった。
 フサフサの扇子を塔へと向けて、マリーサムが固有怪盗ワザを発動しようとするが、射程外の上、チャージも間に合わない。

「お待ちなさい~! その王冠は、高貴なわたくしにこそ相応しいですわ~!」
「間合いが遠いわ、メスガキが~! "カラミスの王冠"は、オレのもの──だはっ?」

 瞬間。ロジャーの筋肉・直感が、何か恐るべきものの飛来をとらえた。
 筋肉や肌は繊細なので、微細な風にすら反応し、ストレスを感じ収縮する。

 多数の赤外線ワイヤー・トラップを、共に切り抜けた彼の相棒は一倍、危機察知に優れていた。

 ギィイイイイイン!
 速い。音速だ。何か来る!

『な──』
「デェリャァア! プテラノドン怪盗ワザ! "鋼・鉄・翼・撃"(フルメタル・ウイング)!」
「なにっ!? あっ」

 キャァアア! マリーサムの悲鳴があがり、宙に舞い上がった上半身だけのロジャーが、彼女のかたわらに着地した。
 遅れて響く、斬撃音。
 それはまさにこの襲撃が、明らかに"音速超え"であることを物語っている。

 それに伴う、あまりの余剰衝撃波に、ステッシーも瞬時のうちに活け造りとなってしまった。

「ピチピチ、ピチピチ! まずい、王冠が……」

 遥か離れた、大型ビルのふもと。
 ランドマークの黄金マッチョ像がナイスバルクをきめる広場に、無敵の襲撃者がバササと音を立て着地する。

「がははは! "カラミスの王冠"は、オレ様のものだあっ」
『怪盗発見! カウント、再開しまぁす』

 UFOのワープ機能でロッケルが追いつく。先の地点から、5万キロも離れていた。

『6! 5!』
「そしてこのまま、優勝もいただきだァ。ぐはははは……!」

 王冠をくわえたまま、長いクチバシを揺らし、プテラノドン怪盗が笑う。
 怪盗名ヤンツァケルルス=イリプディクス。"神速"の異名を持つ彼は、今大会の優勝候補の一人だった。

 そして、その瞬間。もう一人の優勝候補が高層ビルを蹴って飛びだし、ツァケル目掛けて落下する。

『4! さ──』
「──は?」

 急激な怪盗オーラの高まりに、首をもたげて見上げるツァケル。
 彼の頭を支配したのは勝利の油断か、驚愕か。王冠はクチバシの先にくわえたままだ。

「ミニスカ巫女怪盗ワザ! "聖・拳"──」

 ひッ、とツァケルは息を飲む。
 突如現れた巫女服姿の怪盗が突き出した平手の照準は、ツァケルの後方、頭のトサカ。弱点だ。

「──"突き"ィ!!」
「ぐわァア!!」
『2、1! こ、これはー!?』

 巨鳥が潰れ、その場にグシャッた。
 砂けむりと虹リングのショック・ウェーブに襲われ、ロッケルは腕で顔をかばう。

 どさ、と千切れたトサカが落ちる。そして、そのそばに転がってくるのは勿論、勝利の王冠だ。

『ええっと、ルールでは「タイムアップ後に王冠を手にしていた怪盗」が勝者ですが……』

 ロッケルの言葉に応えるように、黒手袋の手が伸びて、"カラミスの王冠"をわし掴む。
 ミニスカートの巫女は長いブロンドの髪を片手で払い、王冠を胸に持ってくると、得意げな顔をして、フフンと笑った。

『き……決まったァ~! Bブロック予選突破の怪盗は、ミニスカ巫女怪盗タテハ・カンナギだー!』

 モニターから、つんざくような歓声がとどろく。画面はカンナギの姿がアップになり、笑顔で投げキッスなど連発している。

 真っ暗いバーのなかで、肩にかかる銀髪を揺らし、バーテンは酷薄な微笑顔で冷たく言った。

「カンナギというのね。あの子……多少はやれるものか、見てみるとしましょうか」

 言いながらバーテンは、手に取ったサングラスを握り潰す。露わになった金色の目が、二つの太陽のようにキラめいた。

 さて、日にちを少し進めて、テキサス本選・当日。
 自然豊かな原生林の孤島の最奥にて、巨大なシルクハットがうめいている。

"苦しい! 助けて、人間さん。助けて……"

 島のほとんど中心部にある、このオバケ帽子はテキサスの巨大ビルにも匹敵する、巨人どころか山岳用のサイズだ。

 その個体名は、キング・シルクハット城。
 本大会に用意された、金額レベルにして"億越え"クラスのプレシャス・モンスターである。

 作業員姿の若い男が、先輩らしき年配の男に言った。

「先輩! 苦しんでいるようですが……」
「ああ? 気にするな。あんなの、鳴き声と思え」

 シルクハット城は、さめざめと泣いた。痛い痛い、痛いよう。
 若い作業員はぎょっとして、やはり先輩に噛みついた。

「大会用でしょう? 弱らせたら、ことです。封印を少し緩めてやっても」
「新人、あのなあ……」

 年配の作業員は困った顔で、丸い頭をかりかり掻いた。

「アレは"億越え"クラスだ。知能が高く、嘘もつく。下手に優しさを見せたが最後、オレたち皆が死ぬんだ」
「そんな」
「気持ちは分かるがね。オマエと同じことを言っていた同僚もいた。が……死んだよ! 残らずな」

 さあ、仕事だ。最終チェック、抜かるなよ。
 渋る新人を年配が引っ張り、無数のコードをまたいでいく。

 ただ、会話に気を取られているうちに、シルクハット城の根元から小さな触手が伸びているのに、オバケ帽子以外の誰もが気付かなかった。

 触手はコードに紛れ、さらに詳細な見た目まで擬態する。
 あわれな泣きマネを続けるオバケ帽子の、リボン部の目が密かに、しかし邪悪に歪んだ。
 
「センパぁ~い。すっかり、遺跡から外れちゃったッスよ。宝玉エメラルドロックなんて、原生林には無いんじゃないスかね~~」
「いいこと、フランソワちゃん? このカンナギ様には、ちゃあ~んと作戦があんのよ。黙ってろやかましいっ」
「えぇ~っ!?」

 振り向きもせずに弾んだ声で言うカンナギに、フランソワは抗議の悲鳴をあげる。
 怪盗ロワイアル・第17回テキサス本選の勝利条件は、こうだ。「孤島フェルメェルの秘宝、"宝玉エメラルドロック"を手にすること」。

 もちろん、ヒントなど無い。
 宝の詳細、居所から奪取方法までの、情報収集能力や作戦力も優れた怪盗の条件なのだ。

 だのに、いかにも宝のありそうな古代遺跡のまち並みから離れた方へ、ずんずん進んでいくカンナギ。
 ついていく相手を間違えたかな、と胸を揺らして後悔するのは、別ブロック予選の通過者、ビン底メガネ怪盗フランソワだ。

 トレード・マークの鹿撃ち帽子に手をやって、フランソワがうめく。

「センパイ、もしかしてスネてるんスか? 遺跡を発見するのに出遅れたからって──」

 即座にカンナギ、ああんっ、とばかりにねめつけた。
 図星だったようだ。

「いいのよ、別にあんなの! 他の怪盗が洗うのなら、わたくし達は、また別の場所を探れるんだから」
「負け惜しみッス! 明らかに怪しい場所から逃げるのは手分けではなく、あぶれと言うんス!」
「にゃにをう!? 構えなさいな、フランソワ。その牛乳ビン、突き砕いてやるから!」

 二人の怪盗が、取っ組み合う。恐らく史上、最もくだらない理由で。
 女子にしてはフランソワは背が高い。しかしカンナギは、その更に頭ひとつ抜けている。

 それでも体格差のある取っ組み合いで、なかなかどうしてフランソワは強かった。
 小さな体で素早く手を出し、足をからめ、まるで小さな嵐を相手してるみたいだ。

 ついに、フランソワの逆エビがきまった。

「どうだ、まいったかセンパイめ~!」
「あいたた、まいった! 降参、降参……」

 たまらずカンナギはタップする。
 涙目で起こしてもらいながらボヤく、カンナギ。畜生、本気でやりやがったわね。

「もう、泣かないの。センパイから仕掛けたんでしょ。さあ、遺跡に戻るッスよ」
「まあ、待ちなさいな。フランソワ」

 さっとビン底メガネが、まっ白に染まった。フランソワの目のまわりが、一瞬にして赤くなる。

「せっかく離れたんだもの。もう少し林を観光してからでも……」
「センパイっ」
「! こっちに来なさい、フランソワ!」

 フランソワの噴火と、カンナギが走り出すのは同時だった。当たり前のように、遺跡とは丸きり逆方向だ。
 はずしたよ、もう! フランソワの後悔に、確信めいたものが色づきはじめた。

「見なさい、フランソワ! ヘラクレス・オキシデンタリスよ! 怪盗たるもの目当てじゃなくても、こういう小さな宝を見過ごしてはダメなんだから」
「はい、はい……」

 キシキシと鳴くカブトムシを眺めながら、フランソワは今年のロワイアルも諦めることにした。

 同時刻、遺跡の方ではトリケラトプス怪盗パンツァーネ・レオックスが、ひとり静かに考察していた。

 おかしい、静かすぎる。
 地区大会優勝は同じ年の全国大会へ、ひいては世界大会への出場キップに繋がる、強烈なパイ。

 その争奪戦が、単純な無人島の宝探しで収まるワケもない。
 カウボーイ・ハットをずらすレオックスの足元に、毒液したたる矢が突き刺さった。

「んっ? 襲撃!」
「パォオオオ!」

 ドッガン! グァラガラ、グァラ……。
 上空から無数の猛毒の矢が、レオックスへと降り注ぐ。それと同時に遺跡の壁を打ち崩して、超危険生物ギガント・アフリカゾウの戦士が躍りかかった。

「原住民!? クッ」
「バォオオーン!」

 もはや矢をかわすのは諦め、ゾウの突進を受け止めるレオックス。
 よく見れば、遺跡のそこらで、潜みゾウたちが毒の弓矢をつがえている。

 レオックスのひたいに汗が流れた。力強い鼻と牙を持つアフリカゾウは、とても強い。
 当然ながらトリケラトプスでは、まるで勝ち目がない。

「ブォオオ!」
「て! 敵は……怪盗だけではない。と、いうことか……こいつは、やばいぜ……」

 毒矢のために目がかすみ始めたレオックスに、毒矢の第二波が放たれた。

 同じころ、プロペラ風車怪盗ミランダ=ウィンドールも、原住民の高層ビル軍団に、近代改築化を迫られていた。

「これからの時代、エレベーター付けた方がいいですよ!」
「オフィス部屋も増築しましょう! テナント代は、いい稼ぎになりますよ!」
「くっ、数が多すぎましてよ。このままじゃ……」

 ミランダの固有怪盗ワザ"豪烈ハリケーン・プライド"の消費エネルギーは、とても激しい。
 限界、残り一発ぶんを全力で放っても、ビル軍団を倒壊させられるかどうか。

 ミランダは目を見開いた。

「うお~! 怪盗淑女ウィンドール、誇りをけがされるぐらいなら死を選ぶゥ!」

 ミランダの怪盗オーラが限界以上に膨れあがる。一撃必殺プロペラが、高速回転。

 まさに技を放つ、という瞬間!
 おおきな地鳴りが、ミランダを襲った。

「キャアァ! な、何!?」

 見れば、ビル群が何やら喚いている。うまく聞き取れないが、まさか封印が、とか災いの神が、などと言っているようだった。

 困惑するミランダにお構い無く、地鳴りが鎮まってきた途端、ビル群の一角が巨大なツタになぎ払われる。

「何!? 何なの──あ、」

 ミランダの周囲に夜が、かかる。否、ミランダのまわりに影がさしたのだ。
 建築物のミランダを完全に包むほどの、巨影。

「ウォオオオ~!! 思い上がったな、凡人ども!!」

 雷のような咆哮がとどろき、丸く巨大な天井から木片やら何かの粘液が、ぱらしとと、こぼれ落ちる。

 ──そのもの、太い柱のような体を持ち、丸く広がる強堅なアゴと、下部の口から生やす無数の触腕を武器とする。
 古き時代、真祖の竜が島へと封じた、災いの神。けして、呼び起こすことなかれ。

 動く山脈、あるいは災いの神。シルクハット城が、ここに顕現した。

「な、何よコレ! こんなの、怪盗が相手するやつじゃ──」

 ドズゥウン……!
 目を覚ましたシルクハット城は、その場に少し、体を落とす。
 ただのそれだけで、ウジのように群がる建築物たちは、悲鳴もなしに砕け散った。

 ばり、ごり、がり、ぼり。三千年ぶりの食事を、シルクハット城は噛み締める。

 神が憎い。竜が憎い。やつらに守られた、小さなゴミ共も目障りだ。
 一考の後、体を浮かしたシルクハット城は、手始めに、この島を平らげることにした。

 ドン、ドン! バォーン!
 遺跡にて原住ゾウたちが、次から次へとランス状テンタクルに貫かれる。

 間一髪、危険を察知したレオックスは、逃げ込んだ先の小屋で、合流した近代兵器くのいち怪盗の手当てに取り掛かっていた。

「まだ揺れてるぜ、まるで嵐だ。見つかったら二人共、オダブツだな」
「イテ、テ……そっとやれよ、バカ! ボクのお肌は、オマエと違ってデリケートなんだぞぅ」

 大変なのは、ロッケルの実況UFOだ。飛び来る触腕をかわしながら、右になったり左になったり。
 上や下へと、ぐるぐる回って、おお暴れシルクハット城から一定の距離を保っている。

『はらほろヒレハレ、目が回る~! ショメル酔い止め、ちょうだ~い!』 

 ショメルは困り顔で空箱を振り、「切らしてる」のジェスチャーをした。
 どんな時でも、彼は無口で沈着、冷静だ。

『ちょっと、スタッフ~! どうなってるの!? こんなの、段取りにないじゃな~い!』

 ゴーグルごしに涙目にはなるが、ロッケルに実況を投げ出すつもりなど無い。
 怪盗たちが危険に身を晒すのに、命惜しさで逃げ出すことを、彼女のリポーター魂が許さないのだ。

『でもだからって、災害リポーターは専門がーい! 誰か、お助け~! おまわりさーん! さーん、さーん……』

 図らずも専門外の分野に初チャレンジする羽目になった、魂の叫びが虚しく、こだまする。
 そんな頃に、カンナギは何をしているかというと、海岸で巨岩カニと格闘していた。

「カニカニカニ……!」
「ふぬぬぬ、ミニスカ巫女怪盗ワザ"万力・閉じ殻はずし"~! ふにににに!」
「……はぁ」

 フランソワは、ため息をついた。
 原生林へ目を向けると、ここからでも見える山のような帽子オバケが、大手を振って暴れている。

「……向こうは大変な騒ぎですねぇ。どうすか、センパイ? 怪盗の血が騒ぎません?」
「ちょっと待ってね、フランソワ。もう少しで殻がひらくから……」

 フランソワはアクビをした。潮時か。やっぱり、コイツも期待外れだった。
 伸びをしてから、手指をつっ張る。大会を終わらせるため、冷たい能面顔の女が、怪盗オーラを練りはじめた。

「やった、開いたわ! ご覧なさい、フランソワ! お宝があるって言ったでしょ!」
「はいはい。後は、わたしがやるから、あなたは大人しく──うっ!?」

 重量音がして、歓声があがる。心底、呆れたフランソワの振り向き顔に、強烈な冷気が浴びかかった。

 炎を操る巨岩カニが、すっかり崩れ落ちて、ノビている。
 目を回したカニを背後にして、どや顔のカンナギが手にしたものを、フランソワに見せた。

 ビン底向こうの目が、思いっきりに開かれる。

「おかしいと思ったのよ。巨岩カニにしては、触れるぐらいに冷たいから……これで優勝、いただきね。それじゃあ乙女カンナギ、いってきます」

 帽子暴れる、原生林。
 仔ゾウが一匹、うずくまっていた。

「パォオ……」

 親ともはぐれ、逃げ遅れ、足も折れて、ただ鳴き声を発するだけの無力な肉山を、巨大なシルクの霊峰が見下ろす。

 感情はない。思想もない。満たされるものも何もなく、それこそゾウが虫を踏み潰すかのごとく。
 触腕をもたげる帽子の城にも、やはり何の感慨も無かった。

「パオーン!」

 悲鳴をあげ、目を閉じる仔ゾウ。次の瞬間には、轟音と共に肉シミと化す運命を、いったい誰が笑顔で受け入れられようか。

 破砕音。続いて衝撃音。
 その目が歪み、苦痛に声をあげ、野獣の咆哮がとどろいた。

 シルクハット城の、苦痛の声が。

 千切られた触腕が、驚いて目を開けた仔ゾウの、すぐそばに転がる。

 仔ゾウが顔を起こし見上げると、そこに冷えるようなステッキを持った巫女服姿の怪盗が、シルクハット城へと立ちはだかった。

「怪盗ワザ"扉破りの斬手刀"! やい、帽子。怪盗カンナギ様が、あんたに予告するわ」
「グルルルー……。この我に、怪盗ごときが! 予告だと!?」
「1分よ。1分以内に、あんたを倒す!」

 まっ白いシルクの生地が、怒りで瞬時に赤く染まりゆく。
 多数の触腕が四方八方と伸びかかり、神の速さで跳躍したカンナギへと殺到する。

「たかがウデの1本で思い上がったなァ、凡人!! シルクハットへの侮り、死で償え~!!」

 一振り、二振り。振りかかる無数の触腕を難なくかわし、がてらにカンナギは手にしたステッキで、触腕を次々に叩いていった。
 たちまちビルより太いツタ触腕の表面に、薄らと寒い霜がはしる。

『怪盗カンナギは何をしているのか~!? いや待て。彼女の手もと、あのアイテムには見覚えが……な、な、何と~!?』

 テキサス放送のカメラに、カンナギのステッキのアップが映った。
 このステッキの正体は、皆さん察しの通り怪盗道具・7ツ秘宝のひとつ、"凍りのステッキ"である。

 全世界の怪盗がヨダレを垂らして欲しがる威力のため、通常、中央空中都市にて厳重に封印されている7ツ秘宝だが、大きな大会の際に一種類だけ貸し出される。

 それらは隠しアイテムとして本選会場に配置されるが、秘宝に頼ることなく大会が終わることも少なくないため、マニアの間ではもっぱら"幻のアイテム"扱いされていた。

 カンナギが使っているものが、まさにそれだ。
 怪盗同士の戦いには過剰な威力だが、巨大災害相手には、これで釣り合う。

「凍りのステッキだと!? 何だ、ソレは!?」

 神速のカンナギにまとわりつかれ、本体すら何度もステッキで叩かれながら、シルクハット城が叫ぶ。

『説明しよう! 凍りのステッキとは、人類未踏の、恐ろしいヨミ世界の冷気でつくられたステッキで、叩いたものは何でも冷えつき、たちまちのうちに凍りつくマジック・アイテムなのだ! 対怪盗用警備に頻繁に使われる、殺りく巨大重機などに有効だぞ~!』
「な……何だと!?」

 見れば、触腕のほとんどが凍りついているではないか。残った、わずかな細い触手も、冷気に晒され、凍てつきかけだ。

「く、くそ~!! 本体まで、やられるワケには! やむを得ん。ハァッ!」

 焦った帽子は、高速回転。凍って地面にくっついた無数の腕を、みんなブッ千切り、そのまま竜巻をまとって、島の上空へと浮かび上がった。

 すかさずカンナギは、落下途中のウデ1本めがけて、ステッキを渾身の力で投げつける。

 ガキィーン! と氷の塔が出来上がり、カンナギは急いで塔に飛びつくと、冷たい円柱の壁を、垂直に駆け登っていった。

「怪盗ワザ、"カミワザ脱出ハイジャンプ"! ハッ!」

 虹のリングを跡に残し、塔の頂点からカンナギが跳びたつ。
 山より高く、雲より高く。高く高く、空を裂く。

 そして中空のシルクハット城より遥か高みまで上がったところで、練りつけた怪盗オーラを、気合い一気に解放する。

「ばかめーっ! ちっともオレは凍っておらず、ただ体が少~し冷えたのみだあっ。焦ってステッキを捨ててしまった、きさまなどに何ができるーっ!」

 いいえ。終わったわね、アレは。
 クシャミをするオバケ帽子を森の中から見上げながら、フランソワが、そっと呟いた。

 その手には、握り潰されたビン底メガネ。
 そして、その目はキラキラと、太陽みたいに金色にひかる。

「……ミニスカ巫女怪盗ワザ"対壁・聖槍脚"改め、」 

 空のカンナギは既に、まとうオーラの形を決めていた。燃え盛る、炎の矢。
 以前、マイアミ大会にてターバン怪盗ドレミア・アグローが使用した、もう一つの7ツ秘宝"燃えの弓矢"。水龍アクマンドラを一射のうちに蒸発させた、あの威力を参考にしたのだ。

 巨炎を弧にして、目前に張る。照準は当然、シルクハット城。
 糸状にしたオーラを弦にして背にかけたまま、炎の弓をオバケ帽へと押してゆく。弓孤が曲がり、尖って唸る。

 押し絞り、押し絞り。カンナギは、まっ直ぐ伸ばした自らの足に、矢じりの意味を強く込めた。
 そして、ひといきに解き放つ。

「ミニスカ巫女怪盗ワザ! "対城・貫通・聖弓脚"!」
「悪あがきだな!! 凡人が思い上がるからだっ。くらえぃ高速回転・帽子突攻!!」

 負けじとハット城も、空中で高速回転。ケタ外れの巨体を遠心力の勢いつけて、ブッつける。
 単純ではあるが、自身の持ちうる最高の威力で、この思い上がりも甚だしい凡人を迎え撃ったのだ。

 ブチ、ブチ! ズチィッ!
 布が裂け、肉が割かれ、血と臓物のカケラが舞う。
 冷たいシルク片を撒き散らし、シルクハット城の胴体に、それはそれはおおきな風穴があいた。

 着地したカンナギの爪先が、土煙をあげる。拳を腰へと引いた巫女怪盗は、開いた片手を横に振り払い、厳かな声で宣言した。

「"燃え燃えバージョン"っ!」
「うわわわわァ~ッ!! な、なぜ……?」

 円柱胴に巨穴を開け、シルクの体がチリと消えていく、ハット城。
 形を失っていく円周口が、最後の断末魔を残していった。

 腰に手を当て、伸びをするカンナギに、誰かが拍手をしながら近付いてくる。
 振り向くと、そいつはフランソワだった。

「あら、フランソワ~! 見た見た? わたくしのハイ・ライト! きっと、もう今よりファンも増えちゃって、そんなの困るわ、どうしよう~!」
「超低温に晒した後に、超高温をぶつけた超温度差のヒート・ショックで、蹴りの威力を底上げたのね。さすがだわ」
「あ、あらっ?」

 先までの可愛い後輩は、どこへやら。舎弟ムーブも、すっかりナリを潜めて、冷徹にカンナギの勝因など解説している。
 そういえば、ビン底メガネをしていない。アレ可愛いから、気に入っていたのに。

「そういえば、あなた。何だか雰囲気、変わってない? まるで別人と話してるみたい」
「まったく、あなたときたら……。はい、これは誰に見える?」

 フランソワは鹿撃ち帽子を外し、どこからか取り出したサングラスをかけた。
 カンナギは目を見開いた。あのバーテンだ。

「フランソワ、あなた。バーテンもやっていたの? 多才ねー」
「……もういいわ。変装など、怪盗の基本スキルでしょうに……ロッケルが降りてきたわ。わたしの正体を明かします」
『勝者へ突撃! インタビューゥ! ロッケルちゃんが──』

 フランソワの言う通り、UFO特有のジグザグ軌道でロッケルが元気よく降りてくる。
 降りてきたロッケルだが、サングラスを踏み潰すフランソワを見て絶句した。

『──えっ。あ、アナタは!?』
「わたしの怪盗名は、アンドール。アン=ドール・マーゴット。察しの悪いあなたでも、この名前ぐらいは知ってるでしょ」
「あん、どーる……」

 カンナギは顎に手をやり、首をかしげた。
 まずい。本気で心当たりがない。

 しばらく頭のなかを探ったが、いつまで経ってもカンナギにはピンと来るものが無い。
 フランソワ改め、マーゴットの小さな額に、青筋が浮かんだ。

『カンナギさん、カンナギさん。怪盗アンドールといえば、過去の世界ロワイアル連続3回優勝・以降、世界出場が決まっても、自ら辞退を繰り返す、伝説の問題児です。有名ですよ』
「えっ、トリプル世界チャンプ。ガチで? ガチ有名?」
「決めたわ、ロッケル。今年の世界、久しぶりに出場する。ちょうど今、テキサスの勝者も決まったしね」

 えっ、と二人が同時にマーゴットの顔を見る。
 呆れ顔のマーゴットが手を差し出すと、風切り音を立てて落下した翠宝玉が、小さな手のひらにおさまった。

「あっ? ……あ! あ、ああ~っ!」
「このテキサスの勝利条件は何だったかしら? フェルメェルの秘宝、"宝玉エメラルドロック"を手にすること……だったわね?」
『こ、ここ……これは! 決まりだァ~ッ! 17回テキサス、優勝は何と伝説の問題児! 怪盗アンドールに決まりましたァ~……!』

 マイクに絶叫し、飛び上がるロッケル。空と勝者を交互に指さし、愕然とするカンナギ。
 完全に勝ったつもりだった、惨めな敗者の姿があんまりおかしくて、マーゴットは冷たい笑みを向ける。

「空飛ぶハット・モンスター種は、魔宝石エメラルドロックを臓物コアとする生き物よ。わたしが仲良しのお友達、あなたの勝利をたたえる為に現れたとでも思ったのかしら?」
「今、話しかけないでくださる~? 可哀想なカンナギちゃまは、丁度いま偶然、世界が遠ざかったトコなのよ畜生。え~ん……」

 遥か上空で実況UFOが、しきりに何やら喚いている。
 画面の主役も勝利も完全に奪われ、さめざめと泣きつくばるカンナギへ、マーゴットがポンと手を置き、囁いた。

「2週間後にミラノ大会が行われるわ。そこで優勝し、イタリアの席を獲りなさい」
「えっ?」
「それが出来たら、世界ロワイアルで今度こそ仲良く、嘘偽りなく盗り合いましょう?」

 ──怪盗らしく、ね。

 ぞっ、とするほどの冷たい笑み。焦がれた獲物をようやく見つけた、捕食者の顔。
 美しい蛇に巻きつかれ、牙をつきつけられた気分で、カンナギのテキサス戦は終わりを告げた。

『──何より、無敗の伝説が参戦の予告! 今年の世界は荒れる予感! ということで、次のロワイアル開催地は芸術の都、ミラノ! それでは皆さん、また明日っ! リポーターはロッケルちゃんでしたァ』

 その夜。
 ミラノ行きの飛行機の中で、腕を組んでむくれ顔のカンナギは、隣に座る同行者の方を横目で見る。

「で、何だって着いてくるんです! 流れ的には世界で再会! だったでしょ。完全に」
「全国程度、どうせ勝てるし暇なのよ。せっかく見つけたライバルの卵を、ありがたくも見てあげるんだから。あなたは自分の心配だけ、してなさい?」

 開いたガイドブックへと目をやりながら、マーゴットは言った。口ぶりは冷たいが、灰色の頬に、わずかなピンク色が差し込んでいる。
 完全にミラノ観光・気分のようだ。

「別に、あんたの心配なんてしてねえし!」

 膨らました頬を更に膨らませて、リスの顔をした不機嫌・カンナギを乗せ、ミラノ行き飛行機は静かな闇の空を、滑り飛んだ。


炎のテキサス! のまき……おわり

〈次回、飛行機内の乗客へと殺りく獰猛カブトムシが襲いかかる……!?〉
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