善良なる教育


ある日のトレセン学園。なんてことのない平穏そのものと言える日常の中の幕間。
ガラリとトレーナー室の扉が慌ただしく開かれる。視界の端に捉えたのは、ふわふわと揺れる空色の髪。その持ち主は──メジロエルダン。

「トレーナーさ〜ん!さくらんぼ食べよっ!」
「おぉ…?」
「私の好物なの知ってるでしょ?」
「アルダンの好物でもあったな、桜桃」
「そうそう。味もそうだけど、二人で一つって感じで私達のイメージぴったりでしょ?」
「ふ、そうだね」
「……子供っぽいって思ってるぅ…」
「ま、それはそうだな。けど、とても仲睦まじく微笑ましい」
「仲良しの証。いいでしょ〜」
「…そうだな。君たちの歩みを噛み締めさせて貰おう」
「トレーナーさん、そゆとこあるよね…」 

そんな何気ない会話を交わしていると、少し遅れてアルダンも姿を現す。

「ごきげんよう、トレーナーさん。エルも先に来ていたのね───あら、さくらんぼ」
「やぁ、アルダン。一緒に食べよう」
「ええ、失礼致します」
「お茶用意するねー」

和やかで、穏やかな日常。現在にその姿を刻みつけるという、凄絶な覚悟を有した少女達の一時の休息。

そんな、鏡合わせの双子である彼女達のシンボル。それを、食む。
薄い皮を噛み切り、程よく柔い果肉を舌の上で転がす。…瑞々しく、甘く。甘ったるいのはそこまで得意ではないが、程よく酸味も効いていて好みの味だ。
思わず顔が綻んでしまう。それを見た眼前の姉妹は、俺に慈愛の眼を向けてくる。
…なんだか、恥ずかしいな。そう思いながらも、至福の時間を享受していた。

筈、だった。

「ね、トレーナーさん。食べさせて♪」
「……はしたないぞ、エルダン」
「そうですよエル、トレーナーさんに迷惑をかけないでください」
「おねがい!一回だけ!」
「…本当に一回だけだぞ」
「もう!甘やかさないでくださいトレーナーさん!」
「別にアルダンも甘えてくれてもいいんだけど」
「───────。それは、そのぅ…」
「お姉ちゃん変に意地張っちゃってぇ」
「君はもう少し遠慮しなさい」
「反省は後にしまーす。ねぇ、はやく〜」
「はいはい」
「……あ、ぅ」

なんて事はない、ちょっとしたお嬢様の我儘。
それに応じようと皿の上の桜桃を見やる。
残り、一粒。まぁ、最後だしこれ以上強請られる事もないだろう。
そう考え、桜桃の若葉色の茎を摘み上げ、彼女の口へと運ぶ。

目を閉じて、俺の餌付けを待ち侘びるエルダン。まるで雛鳥のように、俺に全幅の信頼を寄せて口を開いている。ウマ耳はぴこぴこと可愛らしく動き、尻尾もゆらゆらと楽しげに揺らめいて、彼女の心境が伺える。
…楽しんでいるな、こいつ…
まるで芸術品の様に整った顔立ちの中に在る幼さが、なんとも言えない可愛らしさを生み出している。無邪気な彼女故か。

しかし。俺には──「アレ」が、頭に過ってしまって。彼女のぷるんとした薄桃色の唇。艶のいい口の中。その奥に覗く紅い舌。
そこに、俺の薬指は吸い込まれていった。あの時の感覚が、じとりと。俺を蝕む。

…やめよう。彼女の我儘に、信頼に応えるだけだ。邪念を振り払って、集中して、ゆっくりと───

「…待ってください!」
「うぉお!?」
「…お姉ちゃん?もう少しだったんだけど?」

集中し過ぎてアルダンの声に過剰に反応する俺と、少しだけ不機嫌そうに返すエルダン。アルダンは、スカートの裾を抑えて抗議の視線を此方に向けている。

「…わた、しも。食べさせて貰いたい、です」
「えーっ…?今じゃなくてもいーじゃん」
「そう、だな。また機会はあるし…」
「今が、いいんです」
「へぇ〜〜…?せっかくのご褒美タイムを阻止したからには分かってるよね?お姉ちゃん」
「……ええ」

…部屋の温度が下がった気がする。さっき迄の穏やかな空気は何処へいったのだろう。水晶の様な紫水の瞳が見合っているこの状態で、置いていかれた俺は赤い果実を持ったまま固まっている。

その凍りついたような空気を破ったのは──

「「茎結び勝負!」」

なんとも、子供じみた勝負の提案で。

皿の上に残る、桜桃の茎。それをひょいひょいと口に含む麗しき令嬢達。
「どちらがより綺麗な結び目をしているのか」を、俺に判断してもらい、勝った方が俺から最後の一粒を貰う流れらしい。
…情けないことに、勢いに流されて了承するしかなかった。ふたりの気迫に押されたカタチになる。

二人とも、神妙な面持ちをして口元を抑え、口をもごもごさせている。茎を噛んで、柔らかくしているのだろうか?そんな事を考えながら、ぼうっと彼女達を見やる。2人の新しい一面を垣間見た事にちょっとした嬉しさを覚えると共に──
そう見ていても、必然的に。俺の視線は、彼女達の口元へ寄せられてしまう。

カタチを次々と変える厚みのある唇。その艶やかな唇から時折覗く、ぬらりとした光を帯びた、ふやけ切った緑の紐。そしてその紐を口腔へ押し戻す、ぐにゅりと蠢く舌。

…意識、してしまう。彼女達の口元の動きから思い起こされるあの時の感触が、染み付いて離れない。
そして俺は、見落としてしまう。
そうやって食い入るように見つめている俺の事を、彼女達がどんなカオをして見ていたのかを。

──ぺちり。止まっていた俺の時間を動かすように、軽く空色の尻尾に腕をはたかれる。…どうやら、終わったようだ。

ふたりは、蠱惑的な微笑みを浮かべ───

「…んぇ」
「…ぷぁっ」

がぱり。封をされていた唇が開かれる。
でろり。口腔で仕上げた作品を俺に差し出す舌が垂らされる。
瑞々しく肉厚な舌の上に、ぬらりと煌めく桜桃の茎が鎮座しており…

──その光景は、なんとも、艶やかなもので。二人並んで、顔を此方に寄せてくる。
…あまりにも、破壊力が、高い。先程エルダンが顔を寄せてきた時よりも更に、近く、近く。

彼女達の甘い香り。開かれたクチから溢れる温かな吐息。それを感じ取れる距離にまで、彼女達は近付いている。目を背けようにも、2人は俺の腕を掴んで逃げ場を無くしてしまっていて──目を閉じてしまえばいいのに、俺は。それすら考える事が出来なくなっている。

清楚が服を着たような二人の、可愛いらしい勝負事の筈だ。子供らしい一面の筈だ。
だが、そんな二人に淫靡なモノを感じ取ってしまっている。フラッシュバックする、誓約。
…そんな葛藤している俺を嘲笑うかのように。

「ねっ、ほれーにゃーひゃん」
(ねっ、とれーなーさん)
「ほっひが、ひれーれふか?」
(どっちが、きれいですか?)
「えらんへ♡」

舌に茎を乗せたままなので、呂律が回っていない状態で問いかけてくる2人。照れているのか、顔がほんのりと朱に染まっている。
揺らめく期待に満ちた瞳、美しい声色、辿々しい言の葉。蠢く濡れた舌。
重なり奏でる音色はまさしくセイレーネス。
いつもの俺であれば、はしたないぞと注意できた筈だ。でも、今の俺、は───。

そんな融けかけの俺に、更に更に。

「へに、ほっへ」
(てに、とって)
「ゆひはひは、はめれす」
(ゆびさしは、だめです)
「ひはの、うへはら♡」
(したの、うえから)

そう、小悪魔たちは囁く。

…そうか。そう、か。選んで欲しいのか。
俺が…手にとっ───

いやダメだろうそれは。蕩けかけた脳を気合いで持ち直す。といっても、どうすべきなのだろう。

…選びたくない。目の前で舌を差し出す二人にとっては戯れのようなものなのだろう。けれど、俺にとっては二人とも大切だから。
なんと軟派な男なのだろうと自嘲する。

───考えろ。この状況を打破する一手を。

…そういえば、喉が渇いていた。俺の手元に残されているのは、事の発端となった赤い一粒の果実。
そして、拘束されていた腕は、彼女達が俺の選択を受け入れる為に抑える力が弱まっている。

となれば、やる事は一つだろう。極限の状態で弾き出された答えは───

「…わかった。選ぶから、もう少しだけ自由にさせてくれ」
「ただ、指差しだ。そこは譲れない」

流石に自分達の行いが攻め過ぎていた事を自覚してバツの悪そうな顔をしていたが、2人は嬉しそうに、俺への拘束を緩める。
その無邪気さを利用する悪い大人ですまない。
…勝負は一瞬。強靭な力を持つウマ娘であっても、構造上は人体のモノに酷似している。であれば必ず、力を入れるまでのタイムラグがある。そこを突いて──

「…はむっ」

「「!?」」

最後の一粒を、俺が喰らったのだった。

「…うん、甘い」
「すまない。俺じゃ選べない」
「今度は俺が桜桃を買ってくるから、それで勘弁してくれないだろうか」
「身勝手なことは分かっている」

これでいい。これでいい筈だ。

「……あ〜〜…確かに、私たちだけで盛り上がっちゃってたね」
「そう、ですね。トレーナーさんはそういった考えに至るお方なのに…はしゃぎすぎました」

茎をぽろりと舌の上から掌に落とし、納得してくれたアルダンとエルダン。少し残念そうにしているのは申し訳ないが…
ほっと胸を撫で下ろす。どうにか、勝負の熱を覚ましてしてくれたようだ。桜桃の果肉による水分が、渇ききっていた口の中を、瑞々しく甘く充していく。とりあえず、危機は脱し───

「でもぉ♡まだ、『残ってる』よね♡」
「…ん?」
「はい♡『分け合えば』、トレーナーさんも赦してくれるでしょうし♡」
「……んん?」

悪寒。それを感じた時には、もう。俺はとさりと押し倒され──両腕を二房の尻尾に雁字搦めに囚われていて。ソファに沈み込む俺の躰に覆い被さる2つの肢体。そして…四つの宝石が、爛々とした光を発して俺を見下ろす。

「たしかに私達が勝手に進めちゃったけどさ」
「勝負を無効にしたわるーいトレーナーさんがいますよね?」
「せっかく頑張って結んだのにねー♡」
「ええ♡」

「あの…落ち着いて──」

「「だから」」
「「仲良く分け合いますから」」
「「ね♡」」
「さくらんぼの花言葉、しってる?」
「『真実の心を捧げる』」
「そして──『善良なる教育』です♡」

「あの…なに、を。教えるので?」

「もちろん。トレーナーさんにも、僭越ながら──さくらんぼの茎結びをば♡」
「私達が手取り足取り舌取り教えてあげる♡」
「それに」
「飢えて渇いていますからね、私たちも」
「丁度、最後の一粒も目の前にあるし」
「「というワケで」」
「「いただきまぁす♡」」

善良じゃないだろうそれは。という言葉は紡がれることはなく───ふたたび、みっつの影は重なってしまうのだった。
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