あるバトラーの日記帳(あるいは消された日記)


※Clear All ■■■■■前提注意

◯月▽日
バトラーは主人の望むことを汲み取り手足の如く動くことが求められるフィクサーだ。私はご主人様に対する忠誠心であれば他のバトラーに引けを取ることはないと自認している。ご主人様の為、埃一つ見逃さない。ご主人様の為、栄養価が高く消化の良い食事のバリエーションを増やし続けている。…ご主人様の為にはならないが、たまの飲酒に目を瞑ったりもする。
ご主人様が喜べば私の心も暖かくなり、ご主人様の怒りは私の怒りに繋がる。
あの日あの人に手を差し伸べられた日から死ぬまでそれは変わらない。私の世界の中心はエドガー家であり、私が一番に考えるのはご主人様のことだ。
ならば私も喜ばなければならない筈だ。
ご主人様と■■■■■様の婚姻が決まったことを。
ご主人様はあんなにも喜んでいる。■■■■■様も承諾した。嵐が丘から去った一人の男を除いて、反対するやつなんか誰もいないだろう。
ご主人様の笑顔をを嬉しいと思わなかったのは初めてのことだった。

◯月△日
エドガー邸の窓の一角から、綺麗な紫が見えるようになった。
■■■■■様が望むとおり、彼女の部屋の窓から見えるヒースの花が色を付けられていた。
これが誰を思い出すものかなんてこの屋敷の誰もが分かっている。それなのにご主人様は彼女が望むならばと莫大な金を払って色を付けたのだ。■■■■■様が窓の外から花を見て微笑む表情が見られれば十分だなんて言って。
あの男が去ってから■■■■■様は心が弱っているらしい。元々気管支が丈夫でないご主人様とは違って心からくるものだから、物理ではなく精神的に安らかにしてあげるのが一番の薬だとか。
じゃあ、■■■■■様は伴侶たるご主人様にどんな薬になって差し上げてるんだろう?
…存在そのものだ。それくらい私にもわかる。

□月◇日
主に■■■■■様の世話をするのがチーフバトラーとなった良秀様でよかった。
感情を表に出さないように応対する訓練くらい受けているが、■■■■■様の専属になったとしたらそのうち私の血管が切れてしまうだろうから。

●月◎日
庭をよく見たいのと■■■■■様が仰って冷えた空気をいっぱいに部屋に満たした。
彼女が部屋を去るまで急激に悪化する体調を隠しきったご主人様は、今高熱に魘されている。
×××××××××××××××××××××××(書いた文字が上からペンで塗りつぶされている)



▲月◆日
ご主人様は、表情こそあまり表に出さないが、とても優しい方だ。それは私達バトラーが、イザベラ様が、皆が知っているだろう。
■■■■■様は、その優しさや愛情を■■■■■様へと一身に注ぐからご主人様を好ましいと思っているという。
それを知ったときの私の嵐のような感情を、暫くは忘れることはできないだろう。




×月×日
私がエドガー家のバトラーとして雇われなかったら今も空っぽのまま裏路地を彷徨っていただろう。
でも、私が一時でも只のフィクサーに戻れたら、あの狼のことも■■■■■様のことも関係なく、この気持ちを伝えられるんだろうか?
馬鹿みたいだ。あの人に与えられたバトラーというものを一番手放せないのは私自身だってわかってるじゃないか。
下らない考えはよそう。そんな暇があったら、ご主人様の為にカトラリーのひとつでも磨くべきだ。


・・・・・・・


バトラー達に宛がわれた部屋の一つ、部屋のベッド脇の机の中から出てきたものに、私は気味の悪さを覚えていた。
「なんですかね、この日記?」
私の筆跡そのままなのに、書いた覚えのない記録……というより恨み言がびっしりと書き連ねられている。覚えがあることと、全く無いことがまぜこぜに書かれていて、ひどい内容のところばかり記憶がない。
どうやら誰かのことを私はひどく嫌っていたような内容だ。そんな相手なんてこのエドガー邸にはいないのに。
そもそもご主人様は結婚なんてしていないじゃないか。
ひどい妄想もあったものだ。誰かの嫌がらせだろうか?筆跡的に私しか有り得ないが、私が私に嫌がらせをするなんて馬鹿げている。頭のどこかですっきりしない気持ちの悪さを覚えたまま、私はその日記帳のような妄想記録をゴミ箱に捨てた。
まったく、これからご主人様と一緒に外を歩くというのに、嫌なものを見た。
暖かで風も強くない日はこの地では貴重だ。たっぷりと陽の光を浴びて、少しでも身体を復調してもらいたい。
随伴に選ばれたのが私というのが、信を置かれているようで頬が緩んでしまう。
(でも、あの道を歩くのはちょっと憂鬱なんですけどね……)
ご主人様が好む散策ルートのなかに、なだらかな丘がある。そこにぽつりと置かれた名前のない碑石があった。
それを目にするご主人様の眼差しは、私が唯一ご主人様の中で好ましくないと思うものだ。
それは、恋い焦がれるような、その恋という言葉も思い出せなくて喘ぐような、私が抱いたまま押し込めているものとそっくりの色をした目をしているのをご主人様だけが理解できていないような――そんな顔だった。
ご主人様がそんな顔をする相手なんてどこにもいないというのに。その表情を見ていると、私は苛立つような、悋気に頭が煮え立つような、そんな心地がするのだ。
「はあ…。止めましょう。バトラーとして相応しくない考えです」
目をつぶって邪な考えを振り切る。私は胸元を握り締めて心の中に点った感情を握りつぶすと、いつものバトラー用の次元鞄を背負い、ご主人様の部屋へと足を向けた。
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