【Re星屑レイサSS03】飄石-ずんばい-1


日が落ちる。夜が来る。
月のない夜が来る。夜色の夜が来る。飛んで溺れるような夜が来る。
それは、決して眠るための時間ではない。

D.U.郊外。藍色の濃くなった夕焼け空の下。
駅にほど近い背の高い一棟のビルが、大きな粉塵を上げながらみるみる縮んでいく。いや、それは自重に耐えきれず崩れているのだ。
粉塵と轟音が響き渡る周囲一帯は騒然となっていた。この辺りはオフィスも多い。終わりかけの、あるいは終わらない仕事の手を止め突如崩れていくビルに騒然となるキヴォトスの住民たち。銃撃爆破が日常茶飯事で、少し前には空が赤く染まり天を突く塔が無数に現れるような大異変にも見舞われたキヴォトスであるが、それでも突然ビル一つが崩落すれば誰だって驚く。
「あの、もしかして今崩れているあのビルが目的地では?」
「おいおい、マジか」
「社長……みんな……っ、急いでイオリ!!」
「わかってるよ!あーもう!!何がどうなってるんだ!」
そんな町中を走り抜ける一台のバン。そこには奇妙な一団が乗り合わせ、崩落するビルへと向かっていた。
「……今さっき、一瞬だけど反応があったよ。多分、RABBIT4」
「そう、ですか……ミユ、あなたは一体何を」
バンの向かう先、空は既に夜の色を濃くしている。
その中で小さな星が輝き始めていた。
星屑のような小さな光が。

「じ、じじ……事務所……家賃…………ハイソサエティ……私たちの……事務所が……」
「アハハ~、清々しいくらいぺっちゃんこだね」
ビルの崩落から逃れてしばらく。
目を覚ましたアルとムツキが瓦礫の山となったビルの前で呆然としていた。いや、呆然としているのはアルだけか。
「すいません、すいません、すいません、すいません!私がアイツらを仕留められなかったから……!」
その横で顔を青くして平謝りしているハルカ。怯えた表情に反して口にする単語は物騒だ。
「あれはRABBIT小隊の霞沢ミユだった……それがなんでレイサを?」
一方のカズサは彼女らから一歩離れた位置で、理解できない状況に頭を抱えていた。
その全員が粉塵まみれで灰色に染まっていた。
「ハルカ、そういえばあんたミユのことを変な呼び方してたよね?」
声をかけると、アルたちに向けるのとは別の、険しい表情になりながらハルカが首をかしげる。
「変……?"ヴォーパル・ワン"のことですか?」
「そうそれ。少なくとも私の記憶にはそんな呼び名ないんだけど」
「おかしいですね。あなただってあの頃……」
"花無し"は聞き覚えあるんだけどなぁ、と思いながら。けれど、カズサはその呼び名を口にするのを躊躇っていた。あれは通り名と言うよりは蔑称に近い。カズサ個人としてはハルカに悪感情があるわけではないので、それを本人に言うことが躊躇われた。
「その辺の話し合いもいいけど、これからどうしよっか?」
二人で首をかしげていると、間に挟まるようにムツキがひょこりと顔を出した。
「あなたたちがどうするかは知らないけど、私はレイサを追う。ミユの目的もわからないし。そもそもレイサをあのままにしておけない」
「きゃー!いっちず~」
言うまでもない答えを返せばふざけた様にかわいらしい声を上げる。気がが立っているのだとムツキを睨んでみれば、どこか意味深な──本当にそれでいいのかと問いかけるような──視線を返される。
「っ、私にどうしろって──」
「未来の記憶で、私やアルちゃんのこと知ってるんでしょ?だったらわかるんじゃない?」
アルちゃんがどういう人か。
そう言外に言われて、息を飲む。視線の端に意識を向ければ、事務所崩落から立ち直り、決意を固めた表情でこちらに何か言おうとするアルの姿が見えた。
事務所がこんなことになった恨みも、襲撃したカズサへの非難もそこにはない。
その姿を見て、ムツキの言いたいことに気づいた。
お前はアルに先に言わせていいのか、と。
こちらの気も知らずに腹立たしい。けれど、その通りだ。結果が同じであれ自分から言うのが筋だろう。少なくともカズサの中の理屈はそう判断した。
だからこそ、先回りするようにそれを指摘されて余計に腹立たしいのだけれど。
「カズサ、私たちも──」
「ごめん、ちょっと気が急いて周りが見えなくなってた」
真剣な表情で話を切り出そうとするアルに待ったをかける。
「今から私だけでレイサを追いかけて、いつ助け出せるかわからない。ミユのことも情報がない。私一人じゃ限界がある……だから、お願いします」
目を見開くアルに頭を下げる。
レイサを一番助けたいのは自分だ。だから、自分から。
「便利屋68。レイサを助けるのに力を貸して欲しい。……仕事として依頼する」
「……フッ、私たちは高いわよ?」
カズサが言いたいことを汲み、アルは不敵な笑みを浮かべる。
調子がいいな、と思いながらカズサも同じように笑みを返す。作り笑いだ。それでも、おそらくレイサとはぐれてから初めて浮かべた笑みだった。
「これでもトリニティ生だよ。ふっかけてもらって構わない」
「面白いじゃない、いいわ。うちは成功報酬だから全部終わってからそれに見合った報酬をいただきましょうか。……ムツキ、ハルカ、あなたたちもいいかしら?」
「アルちゃんが決めたことなら構わないよ。事務所もなくなって暇になりそうだったしね」
「も、もちろん!アル様のおっしゃる通りに」
「決まりね」
アルから差し出された手をカズサは握る。
「……最初にあの子を拾ったのは私だもの。ここで見捨てるなんて選択肢はないわ」
「……」
握手を交わしながら真剣な表情でアルが言う。その言葉にカズサの笑みは一瞬こわばり、それから少しだけ体から力が抜けた。
きっと今浮かべているこの笑みは──
「ありがとう、あいつの味方でいてくれて」
そう、この笑みは──きっと見せかけだけじゃない。

そうして方針を定め、そろそろ移動しなければとカズサが思案している時だった。
大きめのバンがものすごい勢いで走ってきたかと思うと、カズサたちの前で急ブレーキをかけた。
「アル、ムツキ、ハルカ!みんな無事!?」
飛び出してきたのはキツい顔つきのゲヘナ生と思しき少女だった。頭には黒い角、腰から片翼の羽が伸びている。
「カヨコ!よかった、あなたにも連絡しないとと思ってたのよ!」
「こっちは平気~。事務所ぺっちゃんこになっちゃったけどね」
「お、おかえりなさい、カヨコ課長」
少女──カヨコの姿を見て便利屋メンバー全員の表情がパッと明るくなる。
彼女たちの言葉でカズサも、それが便利屋68最後の一人である鬼方カヨコなのだと理解する。
「みんな連絡しても全然返事が返ってこないし、事務所はこんなだし……」
「え、あ、嘘!?ごめんなさい、色々立て込んでたせいで気づいてなかったわ」
「わ、私も……すいません、すいません!」
携帯を取り出して慌てるアルと起き上がりこぼしのように頭を何度も下げるハルカ。
「無事なら構わないけど……ムツキは気づいてたでしょ」
「え~、ムツキちゃんも気づかなかったなぁ」
「はぁ……それで、どういう状況?」
気だるそうに溜息を吐きながら、カヨコは瓦礫の山と化したビルとカズサを見る。
「こっちも色々あって……というか、あなたの方こそ後ろどういう状況よ?」
答えあぐねていたアルだったが、カヨコの背後にいた人物に目つきを鋭くする。
「私はお前ら便利屋に用があったんだけど……」
「どうも、SRT特殊学園のRABBIT小隊です」
そこにいたのは銀髪褐色のゲヘナ風紀委員・銀鏡イオリ。小隊を代表して挨拶をするRABBIT小隊の月雪ミヤコ。同じ小隊メンバーの空井サキ、風倉モエの合計四人の生徒たちだった。
「こっちも色々とね……仕事中に急にアコから直接連絡がきたんだけど──」
片目で背後を振り返りながらカヨコは再度溜息を吐いた。
彼女も今日一日色々と大変だったらしい、とアルは察する。
「あなたもお疲れ様、カヨコ。とにかく、まずはお互いの状況を話し合わないといけないわね」
「うん、そうだね」
少しだけ雰囲気の柔らかくなったカヨコが、アルの言葉に同意した。
「て言っても~どうする?みんなでここで仲良くテントでも張る?」
「え……テント?」
ムツキの言葉の中に理解できない単語が混ざり、カズサがオウム返しに繰り返す。
「拠点をここに構えるというのもありですが、物資の補給がありません。もう少しすればヴァルキューレも来るでしょうし。より良い場所があるのでそちらに移りましょう」
「ありなんだ……」
ミヤコが答え、促すように視線をイオリに向ける。
「はいはい、わかってるって。ほら、乗れよ便利屋」
「ふ、風紀委員が私たちをどこへ連れて行こうっていうの?」
「用事があるって言っただろ?今回は捕まえたりしないから警戒するなよ」
「大丈夫です、SRT所属の私たちもいるので」
「おいミヤコ、こいつらアウトロー自称してるんだろ?脅しになってないか?」
「クヒヒ、この全部ぶっ壊れた感じ……ここで一晩過ごすのもよさそうだけどなぁ」
「お前は壊れるのが好きなのであって壊れた後はすぐ興味なくすだろ!ほら、モエも訳わかんない事を言い始めたし、さっさと移動しよう」
いつの間にか、辺りを検分してたのか、元はビルであった瓦礫の山から戻ってきたモエとサキがそんなことを言い合う。
収集がつかなくなりそうな会話にイオリがウンザリした表情を浮かべ、辺りを見回してからカズサたちに重要な一言を告げた。
「ゲヘナ風紀委員に緊急の調査依頼が来たんだ。依頼元は万魔殿。調査対象は──"星屑"。後の詳しいことは場所を移してからな」
「……!」
「万魔殿に風紀委員かぁ……大事になってきたね」
「ここで話してても埒があかない、ということね。しょうがない、行きましょう。カズサもいいわね?」
「うん」
アルの結論にカズサも頷き、目の前のバンに乗り込む。その頃には遠くからサイレンの音が聞こえ始めていた。イオリが一気にアクセルを踏み込む。
定員オーバーの車内にぎゅーぎゅーに詰められながら、カズサたちはかつて事務所だった瓦礫の山を逃げるように後にした。

その日から全てはおかしくなっていった。
もし、そんな運命の日を指し示せと言われたら。
迷いなく、あの日を選ぶだろう。

夢を無くしたあの日を。

"獣"はがむしゃらに街を駆けていた。
"獣"に目的などない。意思すら、定かではない。ただ破壊をもたらす災厄だ。

「近くで捕捉したので上手く誘導できればと思いましたが……どうしてか、中々思うように動いてくれません」
「多分、今と未来の記憶が競り合ってるんでしょう。でなければ被害が小さすぎる……それもいつまで持つか、といった様子ですが」
建物の上から"獣"の様子を窺いながらミユとレイサは言葉を交わしていた。
レイサはヘイローの三割ほどを黒く染めた姿で、ミユはいつの間にか片目を包帯で覆っていた。それが落ち着くのだという。
「トラップの配置完了しました!」
そんな二人の後ろから声がかかる。ゲヘナの制服を着た少女だ。
「ありがとうございます。それでは、引き続き目的の場所まで誘導を」
レイサがそう言うと彼女は感激したように頭を下げ立ち去っていった。
「この短期間でよくもまぁ集めましたね……」
その姿を見送った後にレイサは呆れた声を上げる。
彼女はミユが密かに集めていた未来の滅びたキヴォトスの記憶を持つ生徒の一人だった。
ゲヘナ、トリニティ、ミレニアムその他様々な学園の生徒たち十数名。
彼女たちはかつての世界で『星屑の信奉者』と呼ばれていた生徒たちだった。滅びることを肯定し、むしろそのために力を尽くす。いつからだろうか、ああいった破滅主義がはびこるようになったのは。
レイサとしては正直あまり興味のない、勝手に騒いでくれる便利な存在、くらいの認識だった。
そういった『星屑の信奉者』の記憶を得た生徒を探し出し、味方につけていたのだという。
「私は一人で行動することが多いですが、今のキヴォトスで状況を動かすのには人手が必要でしょうから」
それにあなたは人を動かすことが得意ですよね、と言われてレイサは鼻白んだ。
「あの……一応言っておきますが私、星屑は肉奴隷です。ご主人様に使ってもらう立場なんですよ?正直今のフリーな状態が落ち着かないくらいです」
「知ってますけど?」
赤いウサギの瞳がレイサを見返す。そこに他意は何一つない。
そういえばこういう相手だった、と話す度に思い出していく。
「そんな奴隷のあなたより価値がないのが私なので……やはり人はあなたに動かしてもらった方がいいと思います」
「……いいですけど。それで、ここからどうするつもりなんですか?」
その問いかけにミユの瞳の温度が一段下がる。
「今はたくさん強い人がいて……正しい人たちもいて心強い世界です。でも──それでは怪物を殺せない。プチプチと虫さんを潰すように進めていくのでは間に合わなかった」
言いながら"獣"の去って行った先を見る。
レイサにはもう何も見えないが、彼女の目には今もその姿が映っているのだろうか。
「彼女は──今の均衡を全部ひっくり返しうる暴力の可能性です」
「制御なんてできませんよ?できるものを残しませんでした。それにアレが暴れて出す被害はあなたの望みとは外れるのでは?」
「力が……大きな力が必要です。今度こそ私はそれを手に入れる。そうすれば──」
冷たい赤い目に映る狂気──狂信にレイサは肩をすくめる。
ミユの目に宿るものだって"獣"の目に宿るものに負けていない。
皆同等に狂っている。
「──人のことは言えないですけどね」
星屑らしい笑みを浮かべレイサは呟いた。
あの時代、終りの見えた世界。誰も彼もが狂っていた。狂わずにはいられなかった。そうなるようにレイサがしていったのだけれど。
自分たちが与えられたのは記憶ではなく狂気なのかもしれない。

彼女も狂っているのだろうか。

レイサの興味は今も未来も同じ。そのために全てを費やした。
再会したいと逸る気持ちにレイサは嗤う。

イオリのバンに乗せられ辿り着いたのは、カズサもアルたちもよく知る建物だった。
「ここって、シャーレじゃん」
「はい、シャワー他各種設備について好きに使っていいと許可はもらっています」
「許可はってことは、先生はいないのかしら?」
アルの疑問に答えたのは顔をしかめ頭をかいたサキだった。
「先生は今、百鬼夜行だってさ」
「はぁ、百鬼夜行!?午前中はD.U.にいたのに?」
「なんでもウミカって生徒がひどく取り乱して、それで助けを求められたんだと」
「それって……」
今このタイミングで起きた事件、それも生徒個人が取り乱すという話であれば自然とレイサたちに起きたことを連想させられる。
「レイサやハルカとおなじ未来の記憶……ということかしら?」
「確か、ハルカが未来の記憶を自覚したのは数日前だったんだよね?」
「……はい、正確には少し前から夢に見ていましたが、ある日突然その記憶がはっきりして」
「夜にハルカちゃんがすごく取り乱して、ハルカちゃんを真ん中にしてみんなで寝たんだよね~」
「あったね。かなり様子がおかしかったから覚えてる。朝になったら普段通りで、それから何もなかったから大丈夫なのかなって思ってたけれど」
「ごめんなさい、あの時もっとあなたの話をもっとよく聞いておくべきだったわ」
「あ、アル様……そんな、あの、気にしないでください。その、み、みんなここにいるから……それならあんな記憶関係ないんです。だから……」
涙目でハルカを抱きしめるアルを横目に──一緒に寝てるんだという感想も横に──カズサは情報を整理していく。
「レイサについては、アルが聞いた話が正しければ記憶を自覚したのは今日。昨日までは普通だった」
「……ゲヘナの方でも似た話はある。こっちでもタイミングはマチマチで、質の悪い心の病か何かじゃないかって話がされてたけど」
イオリの補足に頷く。
「記憶が蘇る……いや、得る?時間には個人差があるってことだよね。それならそのウミカって子も……」
今日になって悲惨な未来の記憶を自覚した、というのはあり得る話だろう。
「ハルカやカズサはその子のことは聞き覚えないの?」
「す、すいません……その、未来で私、あまり人付き合いなかったみたいで……敵になった人のことは多少覚えてるんですが」
「私も──あ、もうちょっとその子の情報ない?もしかしたら、名前は知らなくてもわかることはあるかも」
「お祭り運営委員会って組織の所属だね。あとは百夜堂というお店の従業員らしいよ」
タブレットを操作していたモエがそう答える。
「お祭り……百夜堂…………あ」
「何か思い当たることがあったの?」
「……一応は。けど、聞いて気持ちいい話じゃないよ。取り乱したっていう理由もちょっと想像ついた」
胸の辺りが重くなるのを感じながらカズサはそれだけ答えた。
かつて百花繚乱の調停員と知己を得たカズサは百鬼夜行で活動している時期があった。その時に百夜堂も利用した記憶がある。元々スイーツ好きとして百夜堂は知っていたので当時感激していたような記憶がある。あの頃の中でも貴重な、楽しいと感じた記憶だ。
あぁ、そうだ。数回会ったきりだったから忘れていたが、おそらくウミカとも顔をあわせていたはずだ。
確か、既にその頃には店の経営が厳しくなり始めていたと聞いた。後ろ暗いような連中が幅を利かせるようになっており、単純な商売だけでどうにかなる状況ではなかったと。それでもなんとかやりくりしている様だったが、その一年後、当時の店長が"卒業"し代替わりした後が悲惨だったという。
最後には名前だけ同じ娼館が残っていたという話だった。
ただ、それも長くは続かず──
「あぁ、その顔を見てなんとなく察した。いいぞ、言わなくて」
カズサに釘を刺したのは眉を寄せたイオリだった。
ゲヘナでは記憶持ちを既に幾人か確認していると言っていた。であれば、きっと彼女たちのそれも聞いていて気が滅入るものばかりだったのだろう。
「何はともあれ、ひとまずシャーレの中に入りましょう。便利屋の方とカズサさんは先にシャワーを浴びてはいかがでしょうか。粉塵まみれですし」
「そうするぅ。髪の毛カサカサして気持ち悪いし。アルちゃん洗って~~」
「シャーレのシャワー室って一人用でしょ!?……まぁ、頭を洗うくらいならいいけれど」
「あ、あ……アル様!わ、わた…………。あ、いえ、やっぱりなんでもないです……」
「え~なんでやめちゃうの?一緒に洗ってもらおうよ。ね、ハルカちゃん」
「わかったから。全員で入ったら狭いからハルカはムツキの後でね」
「……は、はい!!」
仲がいいなぁと思いながら。
ミヤコに促され、彼女を含めたカズサたち九人の生徒は建物の中へ入っていった。
空はすっかり暗くなっていた。

食堂横のシャワー室で汚れを洗い流してから。
シャーレ居住区の休憩室に集まり、カズサたちはこれからの話をすることとなった。
「話を始める前にこっちの通信を繋ぐ。ゲヘナは風紀委員と万魔殿からそれぞれ一人ずつ話し合いに参加するから」
通信用の端末を操作しながらイオリがそう言った。どうやら彼女自身はあくまで実働部隊らしい。大きなスクリーンにつなげられた端末が、ゲヘナの執務室らしき風景を映し出す。
『映ってるかしら?』
「ひ、ひひひ、ヒナ!!?」
真っ先にリアクションを示したのはアルだった。
(ヒナ……今のゲヘナの風紀委員長……あれが)
カズサにとって間近で初めて見る空崎ヒナの姿。
「社長、イオリの話し方で予想はついてたでしょ?」
「も、もちろんよ。いきなり顔が映って驚いただけだから……」
「ご無沙汰しています、ヒナ風紀委員長」
『えぇ、RABBIT小隊長──月雪ミヤコ、画面越しとは言え顔を合わせるのはあの時以来かしら。そちらも変わりないようね……とは言えないか』
「……」
ヒナの言葉にミヤコが顔を曇らせる。
RABBIT小隊は四人の部隊だ。だが、今この場にいるのは三人。RABBIT4・ミユの動向についてもゲヘナはある程度把握しているらしい。
『さて、あまり時間もないことだし手短に進めましょう。イロハもいいわね』
『はい、よろしくお願いします』
ヒナと共に画面に映っていたのは、彼女と同じようにフワフワとした髪が長い赤毛の少女だった。
『私は万魔殿所属の棗イロハです……。まずはこうして集まっていただいたことに感謝を。それぞれ立場は違いますが、今回の件は互いに無視することのできない事態かと思います』
すらすらと言葉を述べていくイロハ。
どこか気だるそうなその様子は、普段の彼女を知るものが見ればわずかに違和感を覚えるものだった。めんどくさがり屋のイロハは、常から気だるそうな振る舞いが見られる少女だった。だが、今はその気だるさには暗く重い陰がさしているように見えた。
そういった変化は彼女に限ったものではない。
「……」
カズサにしろ、ハルカにしろ。そして今は行方のわからぬミユにしろレイサにしろ。
キヴォトスの各地でその変化は起きていた。

そこからは、ヒナが進行をリードする形で話し合いが行なわれた。
まず、各人の把握している状況、そして目的の確認が行なわれた。
ゲヘナではしばらく前から急に未来の記憶があると言い出したり、突然人が変わったような振る舞いをする生徒が現れていたらしい。とはいえ、ゲヘナ自体の気風として当初あまりそのことを重く捉えてはいなかった。
──万魔殿の飛び級した一年生、丹花イブキにその徴候が現れるまでは。
彼女はゲヘナを取り戻さなければとうわごとの様に繰り返し、ついには万魔殿の戦車を動かしてどこかへ向かおうとしたところをイロハたちに取り押さえられたのだという。その後、まるでイブキの変化が呼び水だったかのように未来の記憶を得たイロハが状況を把握、議長のマコトを説得した上で風紀委員に協力を要請したという流れらしい。
『あの時、三大学園の中で真っ先に崩壊したのはゲヘナでした……。トリニティは生徒間の派閥の利害関係がガチガチに絡み合っていたし、ミレニアムは少し前に自治区内で大規模な爆弾テロがあったことが逆に結束を生んでいました。まあ、一番つけいりやすかったんでしょうね』
微かに震える自らの体を掻き抱きながら皮肉げな笑みを浮かべ、イロハは当時──未来のことを振り返っていた。
イロハはこの不可解な状況に未来で情報部が追っていた星屑が関わっているのではないかと考え、その捜索を提案した。また、その捜索において星屑の危険性を強調し、一定以上の戦力を持つ生徒での捜索を求めた。
『あれは──おそらくゲヘナの崩壊にも関わっていました。初めはただの都市伝説だった。なのに実体は曖昧なままどんどんその名は影響力を増していって……』
星屑は恐ろしい以上に不気味な存在だった。
様々な勢力、強者から追われながらその尻尾をつかませない。追い詰められようと確実に逃げおおせる。何より彼女は──
そういった不安から、はじめイロハはヒナに直接動いて欲しいとまで言った。だが、ゲヘナを完全に空けることはできないし、星屑はゲヘナの生徒ではないという。名前も顔も知られたヒナが下手に他の自治区で行動──それも捜査活動──するのも難しい。
そこでヒナが提案したのが、虚妄のサンクトゥム攻略時にできた伝手と使うことだった。共に第三サンクトゥム攻略で共闘したRABBIT小隊。元々特殊部隊として訓練を受けている彼女らであれば捜査活動にせよ戦力にせよ問題ないはずだ。
ゲヘナ内部のみの問題であれば彼女たちを頼るのも難しいだろうが、イロハの話を聞く限り他の学園でも同様の事態が起きている可能性は高いとヒナは考えていた。
ことがキヴォトス全土の問題となれば、直接協力関係が結べずとも彼女たちが動かない理由もないだろう。という判断だったのだが……イオリに頼み接触を試みたところ彼女たちも既に大きな問題に直面している最中だった。
「イオリさんがこちらを訪ねてくる前日にミユが姿を消したのです。それも我々の物資の大半を持ち去る形で」
ミユの様子が何やらおかしい、というのはしばらく前からミヤコたち小隊の面々も把握していた。もともとネガティブな想像ばかりするミユだったが、より被害妄想じみた事を口にする様になっていた。その上、しきりに「怪物が襲ってくる」「星屑の力で」などと訳のわからない事を呟いていた。
何か悩みがあるのか、元気づけることはできないか。ミヤコは他の隊員にも相談しどうすべきかを考えていたところだった。それが──
「あいつ、私たちの銃まで持っていったんだぞ!その上、持ち去られた物資は明らかに一人で運べる量を超えていた。……考えたくないがミユには協力者がいる」
彼女が夜間哨戒を担当したその日に、多くの武器弾薬と共に姿を消してしまった。
「あのビルの解体に使われた爆薬もウチらのところから持ち去られたやつだったよ」
状況を把握したヒナはゲヘナで起きていることをRABBIT小隊に共有、ミユ捜索を含めた共闘を申し入れた。まともな武器すら失ったRABBIT小隊としてはありがたい申し出ではあったのだが戦力が心許ない。
『それで、あなたたちならちょうどいいかなって思ったの。便利屋』
他自治区で活動しており、戦力としても期待できる。
イオリ他風紀委員のメンバーは猛反対したがヒナの一喝とイロハが頭を下げたことにより方針を決定。連絡の伝手があるというアコに先に橋渡し役を期待してカヨコと連絡を取らせ、風紀委員、SRT、便利屋という所属もまちまちなメンバーで事務所へと向かった。
それが崩壊した事務所へイオリたちがやってくるまでの経緯だった。
『私たちゲヘナの目的はこの状況がなぜ起きているのか、原因の究明と解決手段の模索。その手がかりとなり得る星屑の確保よ』
「RABBIT小隊としてもヒナ委員長のおっしゃる事態がキヴォトス全土で起きているのならその調査は寧ろ率先して行なうべきと考えています。ただ……できるなら、先に私たちの前から姿を消したミユを見つける必要があるとも考えています。彼女が持っていったものを回収しなければ、そもそもできることも限られてしまいますから」
ゲヘナとSRTがそれぞれの目的を話し終える。
想像以上に広がる話にカズサは頭を抱えたくなっていた。何より、こうして各勢力が徐々に集まっていく流れには覚えがあった。かつて星屑の絡む事件を追っていたときの感覚だ。
『それで、あなたたちも色々と抱え込んでいる様子だけれど』
ヒナに促され、アルがここまでの出来事を説明した。時折、レイサやトリニティ周りの内容についてはカズサが補足を入れながら、アルが説明を終える。画面越しのイロハがひどく顔を青くしていた。
『つまり、宇沢レイサは既に星屑として覚醒し活動を始めている……?』
「覚醒なんて……っ、今レイサは膨大な未来の記憶や経験と今の自分の間で苦しんでいる。星屑になったわけじゃない!!」
『ですが、既に生徒が一人彼女に襲われたのですよね?』
「それは……っ」
イロハの目はすぐにでもレイサを排除すべきだと訴えていた。あの頃の記憶があるのであれば──それもゲヘナの中枢にいて星屑が何をしていたかを把握している彼女であればそういった意見もわからないくない。
そう、彼女の言うことは間違っていない。むしろ彼女の考えこそ正しいのだろう。それがカズサには悔しかった。
『ミレニアムの生徒を……そちらの線で少し情報部には動いてもらいましょうか』
ヒナは画面外に何か指示を飛ばした後、改めてアルたちに問いかけた。
『それで、あなたたちはこれからどうするか決まっているの?』
「……」
口を開こうとしたカズサをアルが制し、挑むようにヒナに宣言した。
「私たちはカズサから既に依頼を受けてるわ!内容はレイサを助けること。だから、たとえレイサを保護できたとしてもゲヘナに引き渡すことはできない」
「アル……」
画面の向こうでも何かを言いかけたイロハをヒナが制し口を開く。
『そう、それなら星屑──宇沢レイサを追う間は協力できるという事ね』
「……そうね。レイサを見つけるまでなら協力できるかしら」
画面越し、ヒナとアルの間に沈黙が流れる。
先に視線を逸らしたのはヒナだった。肩の力を抜くように目を伏せる。
『ならいいわ。正直、風紀委員にしろ私のポケットマネーにしろお金を出してあなたたちを雇うのは後々面倒になる未来しか見えなかったから。あくまで途中までの共闘という形の方がこちらとしてもありがたい落としどころね』
休憩室に満ちていた緊張感が僅かに緩む。
「社長がそれでいいなら共闘はかまわないけれど、そっちに彼女たちを見つける手段はあるの?」
場の空気にの流れに差し込むように、言葉を発したのはカヨコだった。
答えたのはミヤコだ。
「それについては……モエ」
「オッケー、今さっき結果が出たところ」
モエが操作していたPCの画面をその場の全員が見えるように反転させる。
「瓦礫の山になってたビルの写真から人の出入りの痕跡を調べ上げたの。ミユのものはなかったけれど、その協力者と思しき連中の痕跡は洗い出せた」
瓦礫まみれの中で僅かな足跡から靴の種類の特定。購入生徒のリストと対象者のここ数日の学籍IDをたどっての行動履歴。落ちていた衣類の繊維から制服の予想、靴の購入リストと照合し対象者を絞り込み、更にそこから今日一日の行動範囲であのビル近辺に近づけたであろう人物を抽出。
彼女らの現在の位置情報がD.U.一帯の地図上に表示されている。
「え……は?ちょっとまって!?何そのデータ!?」
「いやぁ、少しでも手がかりを得られればって思ってたけど最近のAI分析は優秀だねぇ」
そこではない。
個人情報だなんていうことすら烏滸がましいレベルのデータにカズサは開いた口が塞がらなくなる。
「これは……確かにこれならある程度捜索範囲は絞れるけど」
「えぐぅ、SRTってここまで権限を持ってる組織だったんだぁ」
便利屋のメンバーも同じように驚いている。どころか──
「はぁ!?お前らなんてものを……いや、こんなの一生徒が調べられる情報なわけ……!」
『あなたたち……』
ゲヘナ側すらそれを見て絶句していた。
「そっちの風紀委員長さんは気づいてるみたいだけど、先生にお願いしてシャーレの権限をちょっとだけ、ね」
『だとしても、先生がこんなこと簡単に許すとは思えないんだけれど』
「そこはほら、権限の許可をもらうのにちょっとマイルドな目的の言い回しをしたというか──」
『騙したのね』
「……ハ、ハハハ」
画面越しにすら圧を感じさせるヒナの眼力に冷や汗をかくモエ。
彼女をか庇うようにミヤコが一歩前に出る。
「彼女の行動に問題があったことは認めます。ですが、私たちRABBIT小隊はここまでする必要がある状況であると判断します。私たちの前からミユが姿を消した際の痕跡のなさは異常です。ミユのものはもちろん、彼女の協力者の痕跡すら皆無でした。あれは前々から入念に準備してのもの。そこまでして、未来の記憶を得た彼女が私たちに何も言わず行動を起こしたのだとすれば……それは、知れば私たちが絶対に止めようとする類の目的なのでしょう」
臆すること無くヒナを見返すミヤコ。
「この件が終わったならRABBIT小隊一同で先生に謝罪します。その結果どのような罰を受ける事になっても、受け入れます。ですが今は──」
『はぁ、ゲヘナに限らず先生の仕事が尽きない理由が察せられるわね』
そう言いながらもヒナの言葉に険は無かった。
『わかったわ。全部終わった後には私からも先生に口添えしておく。今は時間がないのも助かったのも確ではあるし』
「……ありがとうございます」
なんだか蚊帳の外になっていたカズサは、話がまとまった後でふと思ったことを口にした。
「そもそもレイサやミユの位置を直接探知はできなかったの?」
「そっちは対策されてたね。シャーレの権限使って当たってもさっぱり。多分学生証自体をどっかに埋めてでもいるんじゃない?」
「協力者たちの学生証を同じようにしなかったのは、逆に探知できないことで彼女らが協力者であるとバレないように……ということだろうな。それに学生証がないままこの街で生活するのはかなり骨が折れる」
モエとサキがカズサの疑問に答えてくれる。
『ともあれ、向かってもらう場所に迷うことはなさそうね。こちらからも情報部から上がってる調査報告を送っておくわ。何かわからない事があればイオリに聞いて頂戴』
ヒナのその一言を最後に話し合いの場はお開きとなった。

「風紀委員長……」
通信を終えた委員長室で先程より顔を青くしたイロハが何かを訴えるようにヒナを見つめていた。
「今あそこで打てる手としてはこれが限界よ。不安なのはわかるけれど少し落ち着いて。先生にも状況は伝えてあるわ。百鬼夜行から戻ってくるのにはもう少しかかるでしょうけど」
「それは……けれど、先生は……っ!」
『先生』、その単語はイロハを安心させるどころかますます不安を煽ってしまったようだ。
しまったなと反省し、ヒナはイロハの肩に手をおいて言い聞かせる。
「そのことも聞いているけど……大丈夫。あなたの知る未来と状況は違うでしょ?これ以上事態が悪化するなら、横紙破りになってでも私も出る。だから、落ち着いて」
「……」
青い顔のままイロハは大きく息を吸って吐いた。
RABBIT小隊が示した地点はD.U.地区とブラックマーケットの境目のあたりであった。多少は無理がきくだろう。それでもいざヒナが手を出してしまえばゲヘナの立場が厳しくなることも間違いないだろうとヒナは考えていた。
なにより──
(宇沢レイサを確保……ね)
おそらく動いているのは自分たちだけではないはずだ。今は情報部からの報告待ちではあるが、それ次第では自分たちも動き方を変えていく必要があるだろう。
「そういえば……あの場にいた杏山カズサ、彼女がキャスパリーグなんですね」
「そうらしいけど……何かあるの?」
「いえ、一年後の未来ではキャスパリーグの名はかなり有名だったので。今の彼女の立場が少し意外で……」
話しているイロハの頭がわずかに揺れる。
精神的な疲労が大きいのだろう。彼女が記憶を取り戻したときの取り乱しようは酷かったと聞いている。正直、先程の話し合いの場に出すこともヒナはためらっていた。それでも、状況をできるだけ正確に把握しておきたいという当人の強い希望があって参加してもらうこととなった。
「少し休みなさい。イブキの話を正確に理解してあげられるのだってあなただけでしょう?無理をすべきではないわ」
不満そうな表情を浮かべたイロハだったが、しばらく悩んだ末に首を縦に振った。
めんどくさがり屋の彼女が、こうまで無理をするようになってしまうとは。
「未来の記憶……なんていいものじゃないわね。呪いみたいなものだわ」
イロハが去った部屋で冷めたコーヒーを啜り、ヒナは今できる仕事に手を伸ばした。
せめて少しでも身動きが取れるように。

何故、自分は生きているのだろう。
何をしているのだろう。
真っ暗な空に放られて、そのまま落ちることを忘れた石ころのように。
あの日から自分の世界は色を失った。今立っている地面が本当に地面なのかもよくわからない。ただ、持て余した衝動を目に付く気に入らないものにぶつけていく。
暴力は麻薬だ。何かを傷つけている間だけは自分の傷を忘れることができる。
引き止める声。助けを求める声。怒りを込めた声。

頭にガンガンと鳴り響くその全てを振り切って、一迅の街風のように夜の街を駆ける。

自分は何をしているのだろう。
ふと疑問に思う。それもすぐに黒い衝動に塗りつぶされていく。
もう何もかもを壊して、傷つけて、殺してしまわねば痛みを忘れることができないと。
ある日突然自分の中に現れた獣が吠える。
壊せ!殺せ!なんでもいい、力を叩きつけろ!
日ごとに強くなる衝動が抑えられなくなって自分はあそこを飛び出した。このままではきっと彼女たちを傷つけてしまうから。あぁ、その彼女たちがどんな顔をしてたかすら獣の狂気は塗りつぶそうとしている。
痛い、痛い。何が痛いの?痛い。
狂いきった獣には人の問に答える理性もない。あぁ、どうすれば。もう自分の名前すら曖昧になろうとしている。獣に。ただ獣になろうとしている。

あぁ、誰か。▓▓はどこに?▓▓?教えて下さい、▓▓▓はどこに行けば……どうしたら!

落ちる先を失った石ころはどこにもたどり着けず夜空を飛び続ける。

「この辺りだな」
すっかり運転手が板についてしまったイオリが、ブラックマーケット手前でバンを止める。月のない空は暗く、ポツポツと並ぶ街灯の灯りが飛び石のように街を照らしていた。
「車を借りれたのはよかったけど、壊さないようにしないとね」
バンの後ろを走っていた黒い車がその隣に停車する。運転席から降りたカヨコは油断なく周囲を見回していた。他の便利屋メンバーもそれに続く。
「では、手はず通りに」
シャーレで調達した予備の装備で身を固めたRABBIT小隊の二人がバンから降り、他のメンバーたちに確認を取る。
「ミユがいない代わりに便利屋と杏山カズサでいつもより人数は多いけど……まぁ、なんとかなるでしょ。ただ、いつもと違って火力支援は殆どできないからそこは気をつけてね」
「承知しました、RABBIT3」
バンの中で機材を広げオペレーションの準備を済ませるモエに各々頷いて見せる。
「今回の任務の目的は星屑と目される宇沢レイサと我々から離脱し独自に行動をとっているRABBIT4──霞沢ミユの居場所の捜索と確保です」
「後はできれば協力者の生徒の無力化、拘束。それにRABBIT小隊から奪われた物資の奪還だね」
カヨコがミヤコの言葉に補足する。
「はい、とはいえそれは二次的な目標です。優先順位はあくまで二人の発見、確保となります。また、物資については最悪その場で破壊してもらっても構いません。今のミユの手にあることが大きな懸念材料ですので」
ミヤコの言葉に他の面々が再び頷く。
ミヤコはモエから受け取った地図上を指し示しながら話を続けた。
「ある程度絞れたとは言え捜索範囲は広い。分散して捜索を行います。目標を発見次第位置情報を共有、RABBIT3のオペレートの下でほかメンバーと連携し確保を目指します。ただし、ハルカさん、カズサさんからの情報を元にミユの不意打ちを警戒し、必ず二人一組のツーマンセルでの行動とします」
同小隊で連携の取れるミユとサキ、未来の記憶を持ちレイサやミユとの戦闘にアドバンテージのあるハルカと小回りのきくムツキ、同じく未来の記憶を持ち前に出られるカズサと後方からの援護が可能なアル。
バン内でオペレーターとして各人を管制するモエに補助兼護衛としてイオリとカヨコ。
「こっちは助かるからいいけれど、唯一の風紀委員が捜索に加わらなくていいの?」
モエが広げる機器を確認しながらカヨコが念を押すようにイオリに問いかける。
「気配消して狙撃やら不意打ちしてくるヤツが相手じゃオペレーターを一人にするのは不味いだろ……後、委員長に言われたんだけど、私が動き回らないならそれに越したことはないってさ」
「……ふぅん、今回は本当に慎重だね。というよりも消極的?」
「お前、委員長のこと馬鹿にしてるのか!」
「そんなわけ無いでしょ、ただの感想……。車をすぐに動かせるようにしておくって意味でもこの振り分けでいいと思うよ」
イオリとカヨコの会話を聞き流しながらカズサは自分たちの担当範囲を改めて確認する。
「私たちは──ブラックマーケットの奥の方だよね」
「ブラックマーケットは内部での活動実績もある便利屋の方を中心に割り振らせていただきました。逆にD.U.側は、何かあった時にシャーレ越しではありますがヴァルキューレにも話を通しやすい私たちが」
「妥当な判断ね。あそこにはあそこのやり方があるわ。そういう闇の流儀はアウトローの領分よ」
「そうやってアウトローだと連呼されると治安維持側としては少し困ってしまうのですが……とやかく言う状況でもありませんね」
最後の細かな確認も終える。
「それでは『イチゴ摘み作戦』開始します」

ブラックマーケットの夜は明るい。表を歩けないような連中は寧ろ夜にこそ活気づく。
そんなギラギラとした通りの隅、誰が立ち寄るのかもわからない露天で聞き込みを終えたカズサとアルは、手がかりを求め次に声をかける相手を物色していた。
捜索を開始してから三十分程。あまり有益な情報は得られていないが、着実に捜索すべき範囲は絞れていた。
「随分手慣れてるわね……」
「昔取った杵柄……じゃなくて未来に得た経験だけど。こうやって情報を集めることも多かったから」
「それって、星屑の?」
「ま、そうだね……」
少し躊躇うようにしてから、アルはぽつりと呟いた。
「その、未来でのハルカって……どうだったのかしら?」
「それは……」
「ごめんなさい、今聞くようなことじゃなかったわね」
本人からも断片的に話は聞いていたはずだ。それでも今カズサに聞いてしまうのは、これ以上ハルカに未来の話をさせたくなく、それでも残すことになった彼女がどうなったのか気になってしまうからだろう。
少しだけ悩んでからカズサはひとつだけ答えることにした。
「"花無し"って呼ばれてたよ」
「あなたのキャスパリーグみたいな?あまりいい意味ではなさそうだけれど」
今更だが他校の生徒にすらキャスパリーグの名を口にされ辟易してしまう。未来では最早それが日常になっていたけれど、それでもむずがゆいものがある。
「そうだね。蔑称──みたいなものだよ。まぁそういう変な呼び名を嬉々として広める奴がいたから、あの頃は少し名が知られる生徒はみんな何かしら通り名みたいなものを持ってたけど」
星屑も、噂が一人歩きした結果何やら凄い都市伝説のようになってしまっていたが、本来同じ類いの名前だっただろう。
「薔薇《アル》も木瓜《ムツキ》も失って、花のなくした茨だけが復讐のためにここに絡みついていてトゲを立てていた」
「────」
アルが息を止めるのがわかった。
これ以上話すべきではないと思いながらも口が勝手に動いていく。
「怖い奴だった……怖い奴にいつの間にかなってた。ここでずっと暴れ回って、最後はブラックマーケット殆ど更地にしちゃってさ」
他にも要因はあったけれど。本当に、ほとんど一人でやってしまった。それで果たせた復讐もあったのだろうけれど。逃げ出した悪党はキヴォトス各地に潜伏するようになり、結果的にはキヴォトスの荒廃は加速した。
ハルカの目にそれはどう映っていたのだろう。
──きっと、何も映ってはいなかったのだろうけれど。彼女に残されたものは復讐だけだったのだから。
「ごめん、やっぱり話すべきじゃなかった。こんな、起きてもいない未来の話」
「そうね……そうかもしれないわ。それでも、話してくれてありがとう」
アルの言葉に何と返せばいいのかわからない。
自分で言った通りだ。今、自分たちは起きてもいない未来に振り回されてこんなことになっている。そんな権利は自分にないのかも知れないけれど、それがたまらなく腹立たしい。
「こんなことさっさと──」
終りにしよう。
そう言いかけて。

「杏山カズサ」

名前を呼ばれた。
あまり聞き馴染みの無い声だ。けれど知っている。こんな、ブラックマーケットの奥にいるはずの無い人物の声。黒いセーラー服。赤いスカーフ。黒く大きな羽根。
声の方へ視線を向け、驚愕のあまりカズサの思考は停止した。

それは、カズサたちがブラックマーケットを訪れるしばらく前、まだ空が夕焼けに染まっていた頃。
トリニティの一画。最高級のカーペットの上、品のいい調度品が部屋を彩る一室。カーテンで西日は遮られ、外からこの部屋の中を窺い知ることはできない。
ティーパーティのホスト・桐藤ナギサが所有する邸宅の一室である。
そこにトリニティの首脳部が勢揃いしていた。
「みなさん、お集まりいただきありがとうございます」
優雅な仕草で感謝の意を表わすナギサに救護騎士団団長・蒼森ミネが厳しい表情で問いかける。
「我々全員をこうして集めるなど、一体どのような事態が起きたというのですか?」
つまらない用事でこちらの時間を取ったのであれば承知しない、そう顔に書かれている。
虚妄のサンクトゥム攻略後、事件や二次被害による負傷者たちの救護で特に大忙しとなっている救護騎士団だ。貴重な救護の時間を些細な用事で削られたとなれば腹も立つだろう。
「落ち着いてくれ。ひとまずは話を聞いてほしい」
ミネを抑えたのはこちらもティーパーティの一人である百合園セイア。
彼女のことを長らく匿って人となりを知っていたこともあり、ミネはその言葉で怒気を抑えた。
「私たちを集めなきゃって言ったのはセイアちゃんだよね。っていうか私がいてもいいの?」
「ミカ、対外的にはまだ君はティーパーティのトップのひとりということになってるんだ」
「対外的に、ね。そういう相談なわけだ」
「みなさんへの呼びかけはセイアさんと我々シスターフッドで行いました。ナギサさんからの話と、もう一つの情報から必要なことと考えてのことです」
パルテ派のかつてのリーダー・聖園ミカ、シスターフッドを取りまとめる歌住サクラコ。そうそうたる顔ぶれだった。その中に一人、サクラコの横で深刻な表情を浮かべている二年生が混ざっている。
「…………」
「それで、サクラコさんが言う"情報"をあなたがお話するという認識であっていますか、ハナコさん?」
意見を発すること無くぼーっとしている委員長に代わり、正義実現委員会副委員長の羽川ハスミが問いかける。
「……はい。先にナギサさんのお話から、その後に私の話をさせていただきたいと思います」
その場の全員から視線を向けられた補習授業部の浦和ハナコは真剣な面持ちでそう答えた。

ナギサから語られたのは、トリニティのとある生徒がミレニアムの生徒に暴行を働いたこと。ミレニアムがその犯人──宇沢レイサの身柄の引き渡しを要求しているという話だった。
その時点で会議に参加していたメンバーは騒然となる。特に自警団のメンバーであることを知っていたハスミは、彼女がそんなことをするはずが、とミレニアムの言い分を疑う程だった。何より被害者からの証言は"星屑"という聞き覚えのない呼び名だけなのだ。
そうして様々な意見が出そうになったところでハナコの話が始まった。
それは、会議の参加者を更に混乱させるものだった。
彼女が語ったのはここ数日で"思い出した"かのように浮かんだ未来の記憶についてだった。
数年後のその未来の中ではキヴォトスは急速に荒廃し、各学園は自治区を縮小、様々な犯罪組織や危険人物が暴れ、もはや学園都市と呼ぶことも困難な様相となっていた。そしてその荒廃の影に常にその名があったという星屑・宇沢レイサ。

「つまり、ハナコちゃんは留年した……ってこと!?」
ハナコの話が終わって真っ先にそう発言したのはミカだった。
「ミカさん……」
「えー、だって話聞いてて気になったんだもん。ナギちゃんは違うの?」
「ふふふ、あの頃のキヴォトスでは留年はそれほど珍しい状況ではなかったのですよ?環境が環境でしたし。確かゲヘナのイロハさんなんかもイブキさんが心配だと言ってそのまま同学年になっていたかと。とはいえ恥ずかしい話ではありますから……せめてミカさんの反面教師になれればよいかなと思います」
「あは☆ハナコちゃん、このままだと私が留年するって言ってるのかな?面白いジョークだね」
「ミカ、やめないか。君のそういう発言は人を怒らせるんだから気をつけてくれ。ハナコもすぐに喧嘩を売らない」
額に手を当て痛みに耐えるナギサに代わり、セイアが間に入る。
「にわかには信じがたい話でしたが、それはハナコさんが以前のセイア様のような予知能力を得たということでしょうか?」
ハスミがそう問うとハナコは首を横に振る。
「いえ、そういった異能ではないかと思います。単純にあり得る未来の自分の記憶が降って湧いたといいますか……私の能力ではなく、おそらく何らかの要因であり得る未来の自分の記憶を与えられた状態だと考えています」
あるいはあのナラム・シンの玉座の存在が何か──とハナコは小さく呟いていたがそれが他の誰かの耳に入ることはなかった。
「そうなると強迫性の妄想等の可能性も考えられそうですね。正直、悪趣味と言いたくなるような未来図でした。救護の必要があります」
「それが、現在シスターフッドではハナコさんの他にも同様に未来の記憶を得たという生徒たちを複数人確認しています」
「集団ヒステリーということでしょうか?」
「そういうものとも違うかと。各々が別の場所、別の時間に同じような未来に対しての記憶を得たと証言しています。そういった生徒たちは念の為、シスターフッドで保護しています」
「シスターフッドはまたそうやって秘密を抱えこんで……!」
「折を見て救護騎士団には救援を要請するつもりでした!ですが、彼女たちにとってかなりセンシティブな記憶でもあったので迂闊に外へ漏らすわけにもいかなかったのです」
「ミネ団長、どうか抑えてください」
「ミネさん、今は内々で批難している場合ではないのです」
攻撃的になっているミネをその場の全員で諌める。
「……失礼しました。どうにも気が立ってしまっているようで。しばらく発言を控えます」
ミネも一度深呼吸をし、謝罪する。
ただでさえ忙しい中で、ハナコの話した未来の様子は正義感の強い彼女に耐え難いものだったのだろう。この場の誰もが大なり小なり気持ちは理解できたため、語気こそ荒かったがあまり険悪な雰囲気にはならなかった。
「とにかく、今の記憶の話をハナコから相談されていたシスターサクラコと私が星屑の名に思い当たるものがあって、この場を設けることにしたんだ」
理解できただろうか、とセイアは周囲を見渡す。
「そもそも、いくら大きな危害を与えたとはいえミレニアムから直接トリニティにいち生徒の身柄を受け渡せなどという要求が前代未聞です。それも事件が起きたのはD.U.地区。であれば本来の管轄はヴァルキューレです」
前提条件からおかしいのだとナギサが指摘する。
「考えられるのは、ミレニアムも私たちと同様に星屑の名の意味を理解している、ということかと思います」
ハナコが意見を述べる。同意するように隣のサクラコも頷いた。
「ハナコさんの、そして他トリニティ生の身におきたこの異変は、おそらく他学園の生徒にも起こっているのだと思われます」
「そうなると問題として上がっているミレニアムに限らず他の学園──ゲヘナとかの動きも気になるね」
「とはいえあそこは普段から突拍子もない行動が多いので、異変が起きているかどうかの判断が……」
ミカとナギサがそれぞれ懸念を口にする。
委員長の視線を受けてハスミが声を上げる。
「それで、肝心の宇沢レイサさんは今どこに?」
その問いかけで騒がしくなっていた会議の場がピタリと静かになる。次いで口を開いたのはシスターフッドのサクラコだった。
「本日はボランティアとして朝からD.U.地区の復興作業に向かっていたことを確認しています。ただ、その後の足取りは……。共にボランティアに向かっていた杏山カズサさんも行方がわからなくなっています」
「杏山カズサ……」
「どうしました、ツルギ?」
「いや……」
「つまり、肝心のその子の身柄をまだウチで押さえられてないってこと?」
ミカの問いかけにサクラコが頷く。その横からハナコが返答した。
「ですが、もし彼女が星屑の記憶を得て、星屑として振るまうのならまずはブラックマーケットに潜伏する可能性が高いと思われます。なのでシスターフッドの情報網を頼って、そちらから重点的に情報収集を進めてもらっています」
「さっすがハナコちゃん、仕事がはやーい」
「星屑として振る舞う、とは?」
「記憶を得た生徒の中には現在の自分と未来の自分の区別がつかなくなり、まるで未来の記憶の自分そのもののように振る舞う生徒もいるのです。ハナコさんはそれを懸念しています」
疑問が口をついたミネにサクラコがそう答えた。その言葉にミネは難しい顔をして顔を伏せ、また黙り込む。救護の必要性と、どう救護すべきかに頭を悩ませているのだ。
「……ただ、仮に足取りをつかめたとしても、そのまま確保は難しいと思います」
憂い顔のハナコの言葉にその場の全員が首をかしげる。
「それは……星屑であるレイサさんの場合それだけ手強いから、ということでしょうか?生半可な戦力では確保できないと」
「確か、主人の願いを叶える……叶え方を教える、だったか?方法はともかく願いを叶えるなんていうのは流石に眉唾に思えてしまうが」
だって、そんなものまるで神の奇跡じゃないか。
セイアは脳裏に浮かんだ言葉を飲み込んだ。神の奇跡を気軽にトリニティで、それもシスターフッドまでいる場で口にするのは不味い。
「そう言われると思っていたので、私の知る限りの星屑の経歴をまとめた資料を用意してあります」
「本当に準備がいいですね……」
そうして配られた資料を目にしたトリニティのトップたちは、更に難しい顔になる。
「これって本当の本当にマジ?宇沢レイサって子は今は別に特別な何かがあるような子じゃないんだよね」
「共にボランティアへ行ったというカズサさん……キャスパリーグも今からは考えられない立ち振舞いをしていますね。あるいは、友を追う行動が彼女を変えたのでしょうか」
「こちらに書いてある『メスコラトリーチェ』。これが本当なら星屑よりも脅威になりえるのでは……『花無し』『ヴォーパル・ワン』『白鎌』他にも不穏な存在の示唆がいくつもありますし」
「しかし、ここまでキヴォトス全土を揺るがす事件に関わっているなら、確かにハナコさんが危険視する理由もわかります。これほどの所業……」
「……この未来のキヴォトスに私がいないことが口惜しいです」
「……」
それぞれが資料に目を通し、内容を理解したことを確認してからハナコは口を開いた。
「私は星屑捕縛のためには居場所が分かり次第トリニティの最大戦力を投入すべきだと考えています」
ハナコの言葉にその場の全員の目が二人の生徒に向かう。
「え、私!?やだよブラックマーケットなんて!?」
「安心してください、ミカさん。今のあなたを外に……それも荒事に出すのはあらゆる意味で難しいので」
一人は元パルテ派のリーダー・聖園ミカ。
そしてもう一人は──
「きひっ」
これまでほぼ一切発言をしていなかった正義実現委員会委員長・剣先ツルギ。
「いや、だがミカ程ではないとはいえ、流石にトリニティの治安組織のトップが他自治区で意図的に戦闘を行うのは不味くないか?」
「何を弱腰な。ツルギさんが駄目であれば私が行きます!」
「あなたであろうとツルギであろうと問題に代わりはありません。……ブラックマーケット内であれば、なんとか言い訳も立つでしょうか。そもそもの目的がトリニティ学園の生徒の保護であれば……とはいえ、それでツルギが出張るというのはあまり望ましくはありませんが」
そこでミカがポツリと呟く。
「ねぇ、そもそもその宇沢レイサちゃんが資料にある星屑になってるとは限らないよね。そしたらこんな面倒なこと考えなくていいんじゃんね?」
「もちろんそうであるに越したことはありません。ですが、星屑になっているかもという可能がある以上それを見過ごす事はできません」
「うーん、まぁそう言われると返す言葉もないけど」
「資料を見ただけの私たちとハナコさんでは、やはり星屑に対する危機感もずれてしまいますね」
「そもそも、ハナコちゃんや他の子たちのその記憶が未来のものではなくって、全然別の幻覚とか、あり得ない記憶ならここまで怖がる必要はないと思うんだけれど──」
ここまでの話を根本からひっくり返すようなことをいいながら、ミカはセイアを見る。
「けど、セイアちゃんはこの話が本当だって思ってるんだよね?」
「あぁ、私はハナコは嘘を言っていないし、彼女が語る未来は"あり得る"ものだと感じている」
「セイアさんがそう言うのであれば、私たちはそれを信じて行動すべきでしょうね」
ミカとセイアの会話にナギサが頷く。
「──と、なると結局、話が戻ってきますね。星屑確保にツルギを出すかどうか」
「私は構わない」
「それはそうですが、あなたは正義実現委員会の長なのですから──」
ハスミが頭を悩ませていると、スッとしばらく沈黙していたサクラコが手を挙げる。
「それについて、一つ提案が」
「提案?」
「実は現在ブラックマーケットで活動している強盗団にトリニティの生徒が加わっている──いえ、正確には率いているという不確かな情報があります」
「?」
突然の話にハスミの頭の上に疑問符が浮かぶ。それは他の会議の参加者も同様だ。
ただ一人、サクラコの横に立つハナコだけが想定外の話に冷や汗をかいていた。
「強盗団──覆面水着団の首領はファウストと名乗っています。そして彼女がトリニティ生であることも調べはついている……だというのにその正体を未だ突き止めることができていない……!」
「シスターフッドの情報網でも、ということですか」
恐ろしい話ですね、とナギサが表情を曇らせる。
「我々は彼女の正体を隠すある装備が特定を困難にしていると考えました。そして擬似的ではありますがそれを再現したのが"これ"になります」
そう言ってサクラコは会議の場に"それ"を差し出した。
「こ、これは……!!」

その後いくらかの話し合いの末、星屑確保にトリニティの歩く戦略兵器の投入が決まった。

驚愕のあまりカズサの思考は停止した。
黒いセーラー服。赤いスカーフ。黒く大きな羽根。
そして──その頭には紙袋。
「正義実現委員──」
「ちがう」
思わず口にした肩書きを食い気味に否定される。
「剣先──」
「ちがう」
再び食い気味に否定された。
よく見ればあの紙袋はカフェ・ミルフィーユでテイクアウトの際にスイーツを入れてくれる紙袋ではないだろうか。そこに二つの目だし穴とその下にも大きな穴。一番下の穴からはだらりと長い舌が垂れていた。怖い。
どう見なくても正義実現委員会委員長・剣先──
「我々はぁ、仮面スイーツ団!だぁぁぁああああああ!!!」
ひひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!
カズサの内心にすら食い気味に、甲高い奇声を上げながら目の前のその人はバカみたいな名乗りを上げた。

「は、はぁあ!?トリニティの歩く戦略兵器!?なんだって……いや、トリニティ生を保護って名目なら通る?だからって初手で最大戦力出してくる!?」
ブラックマーケットから少し離れた地点。
機材を広げたバンの後部座席でカズサたちをモニタリングしていたモエが悲鳴を上げた。
「戦略……って剣先ツルギ!?」
モエの言葉に周囲を警戒していたカヨコも驚愕する。
「やばいやばい。とにかく他メンバーにもこの事を共有しないと……」
残る二グループへ通信をつなげようとしたモエの手が止まる。
「はぁ!?タイミング悪すぎ……え?ミユに謀られた!?」
「おい、どうしたんだよ!何が起きたかちゃんとわかるように言え!!」
カヨコと反対側に立っていたイオリが強い声音でモエに聞き返した。

「そっちから来るとは思わなかったな」
D.U.地区を捜索していたミヤコとサキは怪しい物資が搬入されていたという情報を得た無人の倉庫に足を踏み入れていた。薄暗く埃っぽいそこで彼女たちを待っていたのは一人の少女。
とても整った顔立ちはどこか高貴さすら感じさせる。フードを被りその端から二つに結った桜色の髪を覗かせている。
「あなたも星屑……宇沢レイサあるいは霞沢ミユの協力者ですか?」
隙なく構えた銃口で狙いをつけながらミヤコが尋ねる。
「そうだよ。ヴォーパル・ワン、私はあの子にお願いされてここにいる。必要があればあなたたちの動きを封じるようにも言われていたのだけれど、そっちから来るとは思わなかった」
彼女はうんうんと一人納得するように頷いていた。
「ミユの協力者ならば彼女の目的も知っていますね。答えてもらいます」
「さぁ?私はただお願いされただけ。あの子には義理があるから──」
そう言いながらひどく自然な──ミヤコが反応できない──動作で仮面──ガスマスクを被る。仮面に引かれたラインが金色の光を放つ。
「あなたたちを制圧する。『泥眼徒桜』……なんて言ってみてもここじゃ通じないけれど、大人しくやられてくれると嬉しいな」

「あ」
「え?」
ブラックマーケットの細い路地裏。
角から顔を覗かせたムツキは、自分たちの目的であるレイサの姿を見つけた。
想定外だったのかレイサも目を丸く見開いている。そうしていると事務所で縮こまっていた時と大差ないようにも見えた。
「そーれ!」
だからといって容赦する理由もない。
「またそれですか!」
肩から提げていた鞄が放られ、レイサはそれを今度こそ自分の元に来る前に迎撃する。
ショットガンの散弾が鞄を撃ち抜く──が、爆発はしない。
「ハルカちゃん!」
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
そして、レイサの視界を塞いだ鞄の影から、殺意に満ちたハルカが銃口を向けて飛び出してくる。
「あー、もうやりにくい!!」
レイサのショットガンとハルカのショットガンが交錯し、互いの体に散弾を叩き込む。
それが戦いの始まりを告げるゴングだった。

夜はまだ始まったばかり。
いつもならば、眠らぬ不心得者を見張る月も今日はどこにもいない。
月のない夜空に放られた石たちがどこへ落ちるのか。
まだ誰も知らない。
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