【晴晋】雨中に午睡


 現代の日の本では、端午も近くになると花を散らすが如く雨が落ちゆくと聞く。そもそも端午は雨期だろうとマスター君に聞いてみたところ、僕の没した数年後にようやく西洋の暦を扱うようになったのだそうだ。
 七草、桃、笹に菊。そして菖蒲。
 そういった移ろいが感じられぬ白紙化地球にあって、今更ながらに節々を共に過ごしたい相手ができた。ならばこそ、できるだけこぼさぬよう一つ一つ重ねていければと、ただ偏に希っている。

 たまには場所を変えてのんびり書を楽しまないか。僕からのデートの誘いに、晴信は一も二もなく快諾してくれた。ならば吉日と連れ立って、ボーダーの図書館を訪れ各々数冊選び取る。これから行く先を考えれば端末に詰め込んだ方がいいのだが、それはそれ、効果はさておきデジタルデトックスというやつである。
 予約していたシミュレータには、事前にパラメータを入れてある。晴信の腕を引きながら管制室に足を踏み入れ、即座にシミュレータを起動させる。
 視界が切り替わってすぐ、曇天が目の前に広がった。端午間近の、大嵐には満たぬ雨が茅葺きを伝ってぽたりぽたりと落ちている。庭園と、小さな池と早咲きの菖蒲たち。それらに面した縁側と座敷だけの小さな空間が、今日のデート先だ。

「雨天とはまた」
「ずっとは気が滅入るだろうが、今日は『出かけない』がコンセプトだからな!その分凝ったから楽んでくれたまえよ」
 ひとまず座敷の丸机に持ち込んだ本を置き、押入から座布団を引っ張り出して、縁側へと並べていく。僕が『のんびり』の準備を進めている間、こちらが何を言わずとも、晴信は時代錯誤な保温ポットを片手に茶の用意をしてくれていた。
 正直、それが見たくて設定したところもあるけれど、厳ついスーツ姿で花柄のポットを掲げる晴信は愛らしいにもほどがある。背を丸めるその姿を目にしたとたん、うぐ、と声を漏らしそうになって、バレないように何とか口を塞いでおく。ま、バレたらその可愛さに乗せられてキスでもかましてやればいいのだ。なんなら今すぐキスしたい。後でいっぱいしてやろう。
 座布団の脇に湯呑みを置き、文字に目を滑らせ始めてしまえば、正直、互いのことはもう目に入らなくなる。かすかな吐息と紙をめくる音だけが晴信の存在を感じさせ、池を打つ雨音やまばらに奏でられる水琴窟がその音に厚みを与えていた。
 そこに重なりたい、重ねてみたい、と思ったのはほんの気まぐれだ。寝かせていた三味線を手に取り、横目に晴信を伺ってみる。こちらの視線に気づいたのか、書から顔を上げた晴信は、手元の撥を目にするだに甘ったるく瞳を和らげた。
 彼の許しに気を良くして、音階も音調もなく、曲どころかフレーズにもならないまま、ただ一音ずつを弾いていく。自由気ままに跳ねる自然の音と、秩序だった晴信の音。その間をくぐるように、その間を埋めるように、意識を研いで指先を踊らせる。不自由なことこの上ないが、そのままならなさが何とも面白い。
 しばらくの間、瞳を閉じて音に即していると、突然ふつりと晴信の奏でが減った。怪訝も多分に晴信の方へと向き直った僕が目にしたのは、顔を俯け、頁を進めていたはずの腕すらだらりと下げた彼の姿だった。
「……晴信?」
 三味線を下ろし、床板に手をついてそっと晴信の顔を見上げてみる。甘さすら感じる彼の瞳は今では帳が落ちて、時おりかくりと首が上下していた。
 何とも、これは。
 通り過ぎた嵐に流されるまま晴信に飛びつかなかった僕を褒めてほしい。深呼吸をひとつして、彼の肩ごと胸に抱き寄せる。ハーフアップの髪紐を解いてやり、ゆるりと頭をひと撫でする。と、閉じていた長い睫毛がかすかに震えて、眠たげに開かれた瞳と目があった。
「……ん、晋作、か」
「少し横になりたまえよ。気にすることはない。僕もすぐ休む。……な」
 夢ううつにも僕の言葉が伝わったのか、晴信はそのままずるずると胸を滑って頭から僕の膝に収まった。つむじから肩まで、ゆったりしたリズムで撫でてやっているうちに、晴信の眉間も頬も徐々に柔らかに緩んでいく。
 こんな風にリラックスした晴信の、素直な甘え方がどうにも愛らしくて、僕はいつだって、こうして甘やかさせてくれたらなと思ってしまう。その反面、格好つけたらどこまでも様になるのがこの男で、その格好つけですら目にすればひたすらに愛おしい。
 結局ベタ惚れな僕からしたら、晴信は何をしていたってどこまでも可愛いやつなのだ。
 ぼんやりと雨の庭を眺めながら晴信の猫っ毛を楽しんでしばらく、僕の頭もわずかに霞がかかるようになってきた。膝から伝わる晴信の体温は、元々高いのもあるのだろうし、眠気によるものもあるのだろうが、湯たんぽみたいに僕の腹を暖めてくれていて、それが程よく眠気を誘ってくる。
 晴信はといえば、もうすっかり眠りの底に沈んでしまったらしい。軽く揺すっても起きないことを確認して、名残も惜しく彼の頭を畳んだ座布団に移してやる。
 こんなこともあろうかと、と言うよりは、あんなことやそんなこともできるようにと、この座敷には一晩過ごせる備品を配置しておいた。座布団のあった押入の上段から敷き布団を一組抱えて、縁側へと敷き直す。布団の上に晴信を転がして、僕もその横にお邪魔させてもらう。
 頬に当たる晴信の寝息がこそばゆい。脱力しきった身体を抱き寄せて、腕を僕の後ろに回させる。ここまで世話をしてやったのだから、このくらいしたって役得の範疇だろう。
 三味線も、頁をめくる音もすでに止まって、今は雨音と水琴窟だけが狭い仮想世界を埋めている。その中に、寄り添わなければ聞こえない音を混ぜ合わせて、僕ら二人、ただ贅沢に午睡に耽るのだ。
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