【LLNC:OB】告解【微閲覧注意】


「ふぅ、疲れた」
 ボクは折れ曲がったネオンタワーの下に着いた。何度も見たはずなのに、どうしてだろう、元がどんな姿をしていたか、あまりよく思い出せない。
 ジジジ、と音がした。その方を見ると、壊れたネオンサインが火花を散らしていた。青白い火花だ。
 そこでようやく、ボクは突然数日前までの街を思い出した。煌めくネオンサインに包まれた通りを。個性の強い人々がやたらと騒いでいた空気を。ボクは静かに目を瞑った。
 そうだ、ボクは心底うんざりしていたのだ。あの空気が嫌いで嫌いで仕方がなかった。彼らの楽しげな表情は、そしてボクを見たときのその顔は、僕が放浪者になるには十分な理由になっていた。
 そんな昔に思いを馳せていると、奥からなにか騒ぎ声が聞こえた。ボクは体を鉛色に溶かし、気づかれぬようにしながら奥を伺った。みすぼらしい風貌の男が騒いでいて、星型の頭をしたスーツ姿の二人が彼をなだめたり押さえたりしている。彼らは押しては引いてを繰り返し、やがて街の何処かへ消えていった。
 そこで、ボクは鋭い耳鳴りに襲われた。空間を切り裂くような、ひどい高音。目眩までしてきて、タワーが歪んで見える。ボクはその音が止むのを待ってから、人の形に戻った。
 ボクはもう一度タワーを見上げた。空から雨粒が落ちてきた。赤い霧をまとった雨粒は、真っ赤な血の雨になってボクの体に降り注いだ。
「タワーになにかあるのか?」
 雨宿りがてら、ボクは中へと足を踏み入れた。しかし、そこはあの街の雰囲気とはかけ離れていた。長い間人々に見放されていたかのような、まさに廃墟と言うべき見た目をしていたのだ。
 ボクは街を見渡すため、塔を登っていく。まだ目眩がするのだろうか、グラグラと足元が揺れ、壁が歪むように見える。手すりにしっかりと捕まって、登れるところまででいいのでボクはとにかく上へと進んだ。

 長い階段を登りきったとき、ボクの目の前にはある人が立っていた。
「市長……?」
 周囲に飛び交う水色と桃色の破片。こんな服装をしているのは、この街では市長以外にいない。
「市長、市長ですよね……?」
 ボクは安堵に包まれる。しかし、それと同時にボクの押さえてきた感情が沸々と湧き上がってきていた。
「市長、これは何の冗談ですか? これはくだらない冗談、街全体を使用した壮大なドッキリ……そのスイッチがあの棺桶だった、そうですよね?」
 いくら待っても返事はない。
「市長、そうなんですよね!? ……いや、この際そうじゃなくてもいい。なんでもいいから返事してくれ、市長!!」
 ボクは市長の方を向き直す。……しかし、そこでボクは返事が来ない理由をようやく理解する。
 市長は、折れたタワーの柱に腹部を貫かれていた。いつもの市長が立っている――そんなのは、僕が生み出した妄想だった。
 それを悟った瞬間、ボクは先程までの気力を失った。ボクは外を向いた。そうして周囲に降る雨を眺めていた。
「……ボクはね、アンタが憎かったんですよ、市長。アンタが統べるこの街は、ボクという怪物を明らかに拒んでいた。だからボクは、この街を象徴するアンタが、憎くて憎くて仕方がなかったんだ」
 ボクはため息をつく。死人に口はない。なら、いっそのこと想いをぶちまけてやろうと思ったのだろう。……いや、それは後付けの解釈だ。ボクはただ、不思議と湧き出る言葉をこぼしていた。
 ……閉じたボクの目に、陽の光が刺さる。痛みを堪えて目を開けると、雨は止んでいた。血が雨に洗われた街は、久しぶりに元の色を取り戻していた。
 ――ああ、あの街だ。決して異世界なんかではない。確かにここは、あの恨めしく輝く街だった。
 やがて神々しい日光が、何本もの線になって辺りを照らし始めた。その景色に共鳴するように、ボクの頭には存在しないはずの記憶が浮かぶ。
 その記憶の中では、ボクは放浪者というよりかは逃亡者だった。街の人はみな、市長を「聖母」と呼んで崇拝していた。ボクはそれが不気味に見えた。
「やっぱりね、ボクはアンタのことが嫌いだ。アンタはボクと違いすぎる。いつもアンタは街の人に愛されて、笑顔でいた。ボクはずっとハブられていたのにね」
 目の前に、生前の市長の顔が浮かぶ。あの憎たらしい顔が浮かんでは、不思議と涙がこぼれた。
「なのに……どうして? どうしてボクの記憶にアナタが出てくるんですか!? 嫌いだ、大嫌いだから失せてくださいよ!!」
 ボクは床を殴りつける。鈍い金属音がした。そんなことをしたって目の前に浮かぶ市長の顔が消えるわけではなかった。どうして、どうしてボクはまだこいつを思い出そうとしているんだ? 大嫌いなやつの顔を、なぜこんなにも思い出す?
 ボクはその幻影を振り切るように目を開ける。目の前には、あのときの街が広がっている。霊安室からはまた血煙が上がっている。つかの間の幻想だった。もう少しすれば、世界はまた血の海に沈む。また、あの地獄に……。
 ……そのときボクは、その現実を拒む自分がいることに気づいた。あんなに嫌いだったはずの街を、取り戻したい自分がいる。真紅の世界を思い出す度に胸が締め付けられる。どうして? どうして!?

 長い沈黙の末、ボクは答えを見つけた。そしてそれは、喉の奥から舌先へと滑り落ちていく。
「ボクは、この街に拒まれた。でも、ただ嫌いになったのならスラムにでも、はたまた誰もいない場所へでも逃げればいい。確かに霊安室は居心地が良かったけど、故郷として愛着を持つような場所ではない。それなのにボクは、この街とスラムとを行き来した。それはきっと……ボクがこの街に、嫉妬していたからなんでしょうね」
 涙が一つ、また一つと落ちていく。心には、なにか温かいものが湧き上がっていた。
「こんな気持ち、感じたことありません。霊安室で目を覚ます前のことは、ボクはなにも覚えていません。それなのに……とても、懐かしいんです。その気持ちは、きっと……」
 ボクは市長に向き直る。
「アナタへの、好意なんでしょうね」
 目の前にいる市長にはこの言葉は届かないと知って、それでもボクはこの言葉を捻り出した。わけがわからなくなって、ボクはまた泣き出した。
「ボクは、アナタに憧れていた。失ってようやく気づきましたよ。ボクはなんて大馬鹿者なんでしょうね!!」
 ボクは市長にしがみついた。しかしその瞬間、またもひどい耳鳴りに襲われる。驚いて後ろに飛び退くも、その音の中に市長の叫び声が聞こえた。
「市長……? ……市長!!」
 タワーが大きく揺れる。間違いない、これは目眩なんかじゃなく、本当に揺れているんだ。来たときのあの等の歪みも、すべて現実だった。
「アナタはまだ生きているんですか、市長!?」
 リトル・リミナル・ネオン・シティ。この街は、市長そのものだ。そして市長は……この街に同化して、今なお生きているんだ。
「市長! アナタが生きていて、良かった……アナタが……」
 空は再び赤くなり始める。市長が生きていたという喜びは、あまり長くは続かなかった。この街の動きが市長の心とつながっているのなら、最初の耳鳴り――いや市長の叫び声と、降り出した雨におそらく説明がつく。あの奴隷姿の男に対し号泣したのだと。そして今、体を揺さぶったことで痛みが市長を襲い、また叫びを上げた。
 もしこの仮説が正しければ……。
「ボクの話を聞いているとき、何も感じなかったんですね」
 ボクの広角は自然と上がる。ボクが話しているとき、この塔も街も、止まっていた。止まっていたのは、何も感じなかったから。雨が晴れたのは、興ざめしたから。つまりボクのことなど、最初から眼中になかったのだ。
「……アハッ、アハハハハハッ」
 笑える。滑稽にも程がある。ボクはなんて馬鹿野郎なんだ。第一、ホクは街に対して全くと言っていいほど干渉しなかった。それは、市長に対して干渉しなかったのと同義だ。覚えてもらえることすらありえもしないだろう。それなのに、ボクは身勝手に一方的な感情を重ねて……。
「アッハハハ……ハハ……ハァ、馬鹿馬鹿しい」
 ボクは塔から落ちた。頭から真っ逆さまに落ちた。こんな悪い夢、早く覚めてくれ。

 それでも、ボクの体は死を拒んだ。地面に激突した頭は水銀状に崩れ、再び元の状態に戻った。この街で生きることも、死ぬことも、いっそこの真っ赤な霧によって心を失うことも、ボクには許されなかった。
 しばらく大の字に寝そべった後、ボクはまた立ち上がる。
 ドレッド・ノヴァ、身寄り無き放浪者。ボクは悪夢を彷徨い続ける。永遠に、永遠に。
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