月と公園の時計台


「また私が人間を狂わせてしまった……ああ、なんて罪深い存在なの私」
人間であったなら大袈裟な身振りを伴っていただろう嘆きを発した月を公園の時計台は無視した。しかしその後も月の自己陶酔の強い言葉は続き、ついに時計台は苛立ちを隠せなくなった。
「いい加減にしてくれません。今日はあなたの相手をする気分になれないので」
「あらーご機嫌斜めね?もしかして彼のファンだった?だったらごめんなさい?」
謝罪には聞こえない月の言葉の軽さが時計台の存在しないはずの心をささくれ立たせた。が、時計台は寸前で咎めるのを止めた。
「ファン……ではないです。私は彼のファンではない」
先程、正確には17分前。月と時計台の前で1人の男性が奇行を繰り広げていた。そして何処かへ連れて行かれた。
時計台は然程人間に詳しくない。公園から動けない時計台には知識を得る術が限定されている。
そんな時計台でも深夜の公園で人間が全裸になる異常さは知っている。男性がアイドルで世間に広く知られている事も知っている。
時計台は男性に今後待ち受けているだろう展開を想像できた。
「彼の話題で盛り上がるファンをこの公園で何人も見ました。私は公園に来てくれる人間のファンです……だからこれからを考えると気が重い」
「ファンがいるならアンチもいるでしょー?公園に来る人間の中にはそういう人間もいるんじゃない?」
「そういう問題ではないです」
時計台が冷たく言ったのは月とこれ以上話したくないという意思表示でもあった。
会話に間が空いたので時計台の意図は伝わったのだろう。しかし月は尚も時計台に話しかけてきた。
「月の光を浴びると狂気に陥るって知ってる?」
「知ってるも何も先程あなたがそんなような事を言ってたじゃないですか」
「ならあなたは本当にそう思う?」
月の静かな問いかけに時計台は何かの意図を感じ取り、しばらく考えた。
「……いいえ。本当にそうであれば人間は夜出歩く事ができないはずです」
「でしょ?月の光は月の光でしかないわ。そう見えたからそう言われてるだけ」
「意味がよく分からないのですが……」
「分からないって事が分かればいいのよ。私やあなたは公園での彼を見ていたわ。でもそれだけ。どうしてそうなったのか。これからどうなるのか。何も分からないわ」
「これからどうなるのかは分かるでしょう」
「本当に?」
月はくすくすと笑ったが、時計台を不快にさせる笑い方ではなかった。
「彼を非難する人間も擁護する人間もいるでしょう。でも全てを知り得る人間なんかいるのかしら?本人にだって分からない部分はあるんじゃない?」
「それはまぁ……」
「誰も彼も全てを理解し得ない。そんな中で皆自分の価値観や考えに従って答えを出してるのよ」
「それは……正しいと言えないのでは」
「正しいってなあに?あなたの指す時間は正しいでしょうけど、正しいが無い事もあるでしょ」
「……まぁ私が正しい時間を指せなくなったら撤去されるでしょうね」
「やめてよ。そこを話題にしたい訳じゃないわ」
月があからさまに不機嫌になった。ずれた話をした自覚のあった時計台は人間で言えば咳払いのような音を出す。
「結局あなたは何が言いたいんですか?私に気にするなと?」
「まぁそういう事。皆好き勝手に見て好き勝手にやるんだから、無闇に心を痛める必要なんてないわ」
月のその言葉に時計台は何処か悟りめいたものを感じた。
もしかしたら月もかつて通った道なのかもしれない。時計台はそう思えど、月のような考え方はできなかった。
「それでも……」
言い淀んだ時計台に対し、月は優しく言う。
「私達は見てるだけ。人間と話す事も何かを伝える事もできない。見て……祈るだけ」
「祈る?」
「苦難がありませんように。傷つきませんように。そうやって願うの。なんの効力もないだろうけど、ね」
「……」
時計台が何を祈ったのか。そもそも祈ったのか。月や時計台、男性アイドルやそのファンはどうなったのか。どうなるのか。
それを知るものはいない。
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