はなうりとへいしだった2人


「ぅ……」
 車から降りたとたん突き刺さった日差しの眩しさに、思わず唸りながら目を細めた。空いている方の手で日差しを遮れば、あまりの眩しさに目がちかちかとしていた。
 ここは、あの町からは遠く遠く離れた場所。銃撃音も爆発音も悲鳴も怒号も聞こえない、人々の笑い声に満ち溢れた平和なところだ。あの日から数年かけて世界も少しだけ変わって、俺たちの環境も変わった。そのおかげで、こんな夢みたいに平和な生活ができる場所に俺たちもたどり着いた。
 鳥のさえずりを聞きながらさくさくと青々と萌えた草を踏みしめ歩いていくと、小ぶりでありながらも庭のある家が見えてくる。――俺と、母さんと、あの子が住む家だ。

「ただいまー」
 木でできたいささか重たいドアを開けて声をかけつつ中に入れば、母さんがリビングからぱたぱたと現れた。花柄のエプロンをつけて木べらを片手に持った母さんは、穏やかに笑っておかえりと言ってくれた。
「おかえり、疲れたでしょう?」
「そうでもない…と言いたいけど結構疲れたかも」
「あの子なら、裏庭で花壇をみてるはずよ。貴方の事待ってたんだからはやくいってあげなさい」
「……はーい」
 待っててくれたのか、と嬉しさで顔がほんのり熱くなる。母さんがくすくすと笑ったので、人が見てもわかるほど上気しているらしい。
 照れくさくて足早に庭に向かおうとして足を止めて、振り返った。
「あ、そういえば何作ってるの?」
「薔薇のジャムよ。貴方が前に美味しいって言ってたからって、あの子が教えてくれたからね」
「……ヘエエ」
 俺が言ってたこと覚えていてくれたのか、とかそれを母さんに教えちゃったのかとか色々な思いがこみ上げる。これ以上頬に熱がこもる前にと今度こそ先ほど入ってきた玄関に向かうと、母さんの軽やかな笑い声が背中にかけられた。すっかり遊ばれた気がする……。


―――ふわりと、風に吹かれた美しいルビー色の髪が波打って宙を舞い踊る。花壇の前にしゃがみ込んだ彼女の背中で踊るそれが、指を通せばさらさらと滑らかでいてふんわりとした柔らかさをもつことは、彼女とともに過ごした時間の中でとうに知っている。
 しゃがみ込んでちんまりと見える身体が温かく柔らかいことも、花壇に咲いた花たちの花弁に触れる白く細い指が自分に縋りつくときの力強さも。……それでいて、自分を見送る際に服をそっと握ってきた時の、簡単に振りほどけてしまいそうな弱弱しさも。
 あの頃、まだ何も知らない自分と彼女の関係では知りえなかったそれを、俺はもう知っていた。それを知るほど、俺と彼女は深く付き合い、寄り添い、喧嘩をして、悩んで、こうして今一緒に生きている。
 無知な俺と世界の汚いところを見てきて諦めを覚えてしまった彼女が手を取り合ってここまで来るのには、様々な障害があった。世界情勢、周囲の目、そしてなにより俺たち自身の心の問題。それでも、そのすべてを乗り越えて今俺たちは共にいて、あのうす暗い路地裏で傷つき続けた彼女は、明るい庭で楽しそうに花を愛でている。
 じわじわと込みあがる嬉しさにどうしてか涙が込み上げてきて、慌てて目元を擦りながら彼女の名を呼んだ。
「―――」
 ぴくりと反応した彼女が、勢いよく振り返って目を丸くした。大きな瞳をこぼれそうなほど見開いた彼女は、振り返った時と同じ勢いで立ち上がりぱたぱたと駆け寄ってきた。彼女が片手に持っていたじょうろが、かたんと音を立てて地面に投げ捨てられる。
「――!びっくりした……、いつ帰ってきたの?」
「さっきだよ。母さんに、花壇のとこにいるって聞いて」
「そう……全然気づかなかったわ」
 おかえりなさい、と言われた言葉にただいまと返せば嬉し気に彼女は笑ってくれた。
 その顔にきゅん、と胸が高鳴る。――そして、庭に出てからすっかり忘れていた、背中に隠すようにして持っていたものの存在を思い出す。久しぶりの彼女の姿に、すっかり忘れていた自分に思わず笑ってしまう。
「?なに笑ってんのよ」
「いや……、ちょっと自分でも、呆れたというか面白いというか……」
「はぁ?」
 不思議そうに首を傾げていた彼女は、俺がその先を言わないことに少しむっとしていたがまぁいいかと思ったのかあっさり表情を元に戻した。かと思えば、こちらの全身をじろじろと眺めてくる。
「まぁいいけど。それより、怪我とかしてない?隠しても無駄よ」
「してないよ……。もうそんな、危険な仕事してないんだから」
「……そりゃそうだけど。なにがあるかわかったもんじゃないから」
 しばらくそのまま彼女のしたいようにさせていたら、そのうち満足したらしく視線が戻ってきた。ぱち、とあった視線に自然に微笑んでしまう。
「なんだか楽しそうね」
「そりゃ、君と久々に会えたしね」
「……そう」
 
 会話が途切れて、風がまたふわりと流れた。かさ、と背中に回した手の中の物が音を立ててなんとなく今かなと思った。
 ずっと背中に回していた手を前に出し、持っていたものを彼女の前に差し出した。
「……えっ」
 それは、小ぶりの花束。赤を中心にまとめてもらった、あの時彼女が売ってくれたような花束。
「これって、」
「あの時の、みたいでしょ?作ってもらったんだ」
 花の名前なんて相変わらずさっぱりだけれど、忘れられない記憶を頼りに花屋で無理を言って作ってもらった。
 ぽかんとした様子の彼女に再度差し出せば、おそるおそるといった手つきで彼女が花束を受け取った。ぱちぱち、とまばたきをしてじっと花束を見つめている。
「こんなのだっけ……?大きさと、赤い花っていうのは覚えてるんだけど」
「うん。あんまり花に詳しくないから自身はないけど、覚えてる範囲でこんな花でした!って花屋さんに伝えて作ってもらった。だから結構あの時の花もあると思う」
「……迷惑な客ね」
「まぁ、それは君がよく知ってるでしょ?」
「そうね」
 くすくす笑った彼女に目を細めながら、もう一つ彼女に渡すものをポケットから取り出す。小さな、小箱。正確に言えば、その中の物を。
「君に言いたいことがあってさ」
「あら?つまりご機嫌取りってこと?この花束」
「まぁ、そうともいえるかな……」
 勝気に笑った彼女の目の前に、手に持ったものを差し出す。そして一言。
「――俺と、結婚してください。ずっと、俺の隣にいて、俺を隣に居させてほしい」
 
 ずっと、もうずっと前から、彼女のぬくもりを感じたあの日からずっと言いたかった言葉を、やっと伝えられた。
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