レイニー・サンシャイン


雨。ざあざあと降り頻る雨。
鼠色の空の下、俺は───

傘を持ってくるのを忘れていた。
やー……どうしようかね。学園からトレーナー寮わりと距離あるんだよなー。
…スマホを見やる。画面に表示される天気予報は、無慈悲にもこのまま降り続ける事を俺に告げている。雨は上がるには上がるが、やはりかなり待つ事になるだろう。
特に急ぐわけでもないけれど…購買部にも傘なかったし、やっぱり濡れながら帰るしかないか。…おし。覚悟を決め──

「ウェ〜〜〜イ!!トレぴトレぴ〜っ!!相合傘…すんべっ☆」
「…おわぁ!?」

後ろからの、騒がしくも柔らかな衝撃。つんのめって、ちょっと雨に濡れる。
…俺の担当ウマ娘、ダイタクヘリオス。たくさんの人々に愛され、たくさんの人々を温かく照らす、みんなの太陽と呼ばれるウマ娘。

俺に突っ込んできたそんな彼女を、雨に濡らさないように踏ん張りながら振り返る。

「ちょっと濡れたんだが?」
「そマ?ウチのタックルやばすぎたん?あっでも水も滴りんぐなトレぴっぴも爆イケじゃん!」

うーんこの太陽。曇天も、この煩わしい雨音もこの輝きには敵うまい。そんな事を考えて、彼女を視界に納め───お?

「ん?傘……ない、のか?」
「んぇ?…まさかっ…!トレぽよ…もッ…」
「そのまさかでございます」
「んぎゃーっ!!アンブレラデート大作戦もうポシャ卍してもたー!!」
「すまんな、アテが外れちゃったか。…いやほんとに、ぴえん越えてぱおんな土砂降りだしどうするかなぁ」
「…ワンチャン晴れさせたりとかできない?」
「ぶはは!ウチでもムリめ!」
「ですよねー」

…と、他愛ない会話をする。こうやって、彼女との何気ない「楽しい」を交わすのはやはり、良いものだなぁ。なんて思ってしまう。
けど、俺はともかく…ヘリオスの場合は門限あるし。かといって彼女にこの雨の中寮に突っ切って行くようなことはトレーナーとして止めなきゃいけないことだし。

彼女との会話の裏で、そんな事を思案していると────

「…ね!ウチに爆アゲアイデアがあんだけどさー!」
「ウチがさ、傘になんの」

ん?………う、ん?傘?umbrella??
………huh?

「トレぽよあのネコChangみたいな顔しとる!ヤバ〜〜〜!!」
「何言ってんですかキミは」
「ウチちゃん七変化できるから。傘なんてちょちょいのチョイでイケっから!」
「比喩とかじゃないよな?え?」
「ほれほれ!手、握って!」
「おいちょっと待て!傘になったとしてもキミはずぶ濡れにっ…」
「…優しいね、ほんとに。でも、ダイジョブ問題なしの助!!」
「ちょっ、待っ───」

知っている。こうなったヘリオスは止まらない。彼女の柔らかい、温かな手が触れて、きゅっと…そんな風に、俺の手に優しく絡みつく。

「…あったかい。えへへ」

そう、いつもの弾ける笑顔ではなく、優しく微笑む太陽【ヘリオス】に…不覚にも、ちょっとだけ。どきりとしてしまって──

次の瞬間には、その熱は消え失せ。みんなの太陽は、俺の掌に収まっていたのだった。

「まじ、か……」
「……おーい。ヘリオス?返事とか、出来るのか?」

──反応は、ない。なんて事のない傘に呼びかける男しか、そこにはいない。
…いや、不味いな。ほんとうに、不味い。傘になった彼女を使うのも、その彼女を俺の部屋に持って行くということも。事実を羅列していくだけでも色々やばたにえんな事態にしかならない。
かといって──ヘリオスの善意を踏み躙るわけにもいかないだろう。俺のためにわざわざ、動けなく…喋れなくなってまで、傘になってくれたのだから。
一度決めたら止まることはない、けれど、そこに打算なんてものはない彼女の優しさ。…無償の愛とでもいうべきだろうか。

「はぁ…全く、敵わんなぁキミに…」

ばさり、と。ヘリオスが変化した、ヘリオスの勝負服の色である深い青の傘を開く。内側は…この灰色の景色の中で、一際輝く黄に彩られている。

…らしい、なぁ。

…ふと。今俺が持っている傘の持ち手は、まぁ…直前まで触れていた、手だとして。
この内側の部分は、傘の骨組みは。膜は。彼女のどこが変化した部位なのか、を。かんがえて、しまって────

「うおおお!!!!邪念退散!!」

いかんだろう、ソレは。首をぶんぶん振る。真っ直ぐに寮に向かって、傘をヘリオスに貸して帰ってもらう。それがベストだ。…よし!

雨の中。モノになって…それでもなお、輝くキミを差して、歩き出す。
ヘリオスが、傍にいる感覚はある。ある、けど──驚くほど、静かで。

むず痒いなぁ、なんて苦笑する。

…雨を弾く音がする。リズミカルに、俺を雨から守ってくれる彼女から発せられる音。その音は、不思議と心を落ち着けてくれて──ふと。彼女の事について思いを巡らせる。

本当に、楽しそうに。みんなを照らす彼女に俺は…まぁ、烏滸がましいのだが。「ヘリオス」を「楽しませたい」と思った。

─彼女は自分で楽しみを見つけ出せる。
違う。
─誰かの支えなど必要ない。
違う。
─だって、彼女は太陽なのだから。
…それは、違う。

太陽のような存在、ではある。が、あくまで楽しさを追求する、それに全力を尽くしている、そんな子だと思う。
もちろん、俺も彼女の輝きに元気を貰っている1人ではある。
───それでも。彼女が自身を薪にして輝くのであれば、そのほんの少しでも助けになりたい。彼女がもし、自分で楽しさを生み出せなくなった時、すぐに。「楽しい」を、焚べることが出来るように在りたい。

そんな、エゴ。

「…惚れ込んでいる、んだろうな」

そう、ぽつりと呟く。呟いて、弾けるイエローに彩られた仮初のソラを見上げる。

「…聞こえてないよな?」

──返事は、ない。そういうコトにしておこう。
…ほんとに、ぽろりと。溢れた気がする。じんわりと、温かくなって、綻んで…溢れた言の葉。
少しだけ、歩みを早める。照れ隠しのために、ぱしゃりと─曇る水面の鏡を踏み抜く。

「…ふぅ。着いた……ありがとう、ヘリオス」

反応は、ない。再三の確認だ。もう、いいだろう。けれど、感謝はしておかなければ。

寮の自室の玄関に着いて、雨水で僅かに重くなった洋傘【キミ】を立てかける。伝う透明が、重力に逆らえず…石突を通して、じわりと無機質なコンクリートの上に染み出していく。

ただの雨粒のはずなのに、ソレは。やけにキラキラと輝いていて。
まるで、宝石のように洋傘【キミ】を彩っており…綺麗だなぁ、と。そう思い───

…いかん。ほんとになんというか、こう。メジロアルダンのトレーナーみたいになっている。らしくないな、こんなコト考えるの。

そう考えながら、滑らかな触り心地の柄を撫ぜる。…取り敢えず、荷物を部屋に置こう。
そう、靴を脱ごうとして屈んだ刹那に──俺は。濡れた太陽にふわりと囚われる。

「うぉわ!?冷たっ…!」
「…………」
「ヘリオス!?やっぱ濡れっ…」
「ふへへへ……トレぴハンティングとったど☆」
「…はいはい、捕まりましたよ」
「ほら、タオル持ってきてくるから離れてくれ」
「……やだ」

珍しい、彼女からの拒否。

「ヘリオス…?」
「こーやって、くっつきたいから」
「…いっつもこんな距離感だろうに」
「…あのさ?」
「トレぴとエンカしてから、テンアゲでキャパくてメーターブチアゲな毎日エンジョイできててバチバチにたのぴくて」
「…うん」
「ほんとにニコイチで最早酸素か?ってぐらいで、けど。ウチ、なんもお返ししてないし」
「でもでも…トレぴ、隙なさみざわじゃん?ウチのお返しチャンスないじゃん?」
「だから、トレぴが傘忘れたのを見かけてペルフィったの」
「ペ、ペル…?」
「お助けー!ってやつ!…傘になって、はじめて。トレぽよの気持ちが流れ込んできてね」
「…わ、やっぱバレてたのか。恥ずかしいな…」
「照れてるトレぴ、かわち!」
「うぐぅ…」

…そんなやり取りの中で、きゅむっと。腕を回し、俺の目の前でぷらぷらと揺れるか細い指に、力が入った。俺を、逃さぬように。離さぬように。

「…ウチね?誰かのために走んのって、しんどかったの。あの有馬でミラクル起こせたけど、ウチは楽しくなかった」
「………そう、か」
「ウチにとっての、ほんとの「楽しくない」ってのが…ハジメテで。」
「だから、そう…もし『ソレ』が原因のメンブレから、ウチひとりでネバギバできんのかなって」
「ま!その心配なかったけど!」
「──トレーナーが、いたよ」

…振り返りたい。彼女がいま、どんなカオで、俺に打ち明けているのか。そんな気持ちを抑えて、俺は彼女から伝う雫を享受する。

──伝播。背中にじんわりと、つめたさと、雨の匂いと、ねつと、ちょっとだけ湿った太陽のにおいが、沁みていく。

「ね、雨の日さ。これからも傘、忘れてくんない?」
「トレぴを雨から守ったげるかんよ☆」
「キミがずぶ濡れになっとるやろがい」
「いーじゃん?ウチ風邪とか引かんし!…ほれほれ、こんなに…もはや夏!って感じにめーっちゃ、あっついでしょ?」

彼女の柔らかな肢体がより一層、俺の躰に押し付けられていく。彼女の重力が増していく。そして、感じ取れるのは──
鼓動。熱く、疾く。けれど、どちらのモノなんだろうか。分からないぐらいに、いま。俺たちは──融け合っている。

「お返し、したいから。それと…ああいうのも、『楽しい』って、思えたから」
「ウチに『楽しい』、くれるんでしょ…?ね、ダメ…?」

…それを言われたら、まぁ。反撃のカードは、残ってないんだよな、俺には。
あの時間、嫌いじゃなかったし。好きでも嫌いでもなかった雨が、ほんの少しだけ、好きになれそうな気がした。

「…わかったよ。でも、一回でもダルげに見えたらコレはおしまい。連続で傘になるのもダメ。週一…いや半月に一回ぐらいか?」
「え゛ーッ!!!ぴえん……ぴえん超えてぱおん…ぎゃおんまでいく…」
「こればっかりは譲れんところなんだ。…キミが、大切だから」
「…うぇいうぇモゴァーーーーッ!!!」
「忘れてるかもしれんけどここトレーナー寮だからなぁ!?」

思わず振り返り、口を塞ぐ。で、振り返った先には、あかいあかい太陽がいて。…何故か、目を合わせてくれない。耳はせわしなく、ぴこぴこと動き回っている。
それがなんとも、可愛らしくて。

芽生える悪戯心。

「…熱、あるんじゃないか?そのカオ」
「に゛ゃっ……ないもん…くちゅっ」
「はいアウト。もうダメです」
「あああああ〜〜〜ッ!?」

さっきの言葉を覚えてくれているのか、かなりトーンダウンした嘆きの声を上げ、この世の終わりのような顔をするヘリオス。どんどんシナシナに、半泣きになる彼女にちょっと笑ってしまう。

「はははは。ごめんごめん…初回はまぁ、許し──」
「トレぴマジ卍のぎゃおんだから傘になる」
「ごめーーーーーん!!!」

みんなの太陽とは思えない冷たさを有した拒絶と再度の拗ね変身を喰らい、玄関先で傘に謝り倒す成人男性というとんでもなく変な光景を生み出した。
…そんな一幕を経て。

まぁ、その。ヘリオスが濡れたまま、というわけにもいかずに…ズルズルと、部屋に上げてしまっていて。
俺のタオルを頭から被り、俺のシャツを部屋着がわりに着替え、目をきらきらと輝かせて俺の部屋を物色するヘリオス。
まずい。非常にまずい。こんなの知られたら社会的に終わる。

「別に嫌いとかじゃないんだけど早く帰ってくれないかいヘリオス」
「ムリだけどー?」
「なんでですかまだおこなんでしょうか」
「外泊届け、『傘』でブチアゲ!したかんね!」

…は?……huh?なにを、言っているんだ?目の前の彼女、は……?

「お、知らねー?…ウマ娘が『モノ』になって、トレーナー寮行くの…アリ寄りのアリ的な?」
「ダメだろうソレ!!!」
「門限も気にせんでいーって!」
「なんだその暗黙のルールみたいなのは…!」

俺がそう言い終わるか終わらないかのタイミングで、空気は一変する。
ゆらり。陽炎が立ち昇る。俺の部屋の、中で。
…陽炎。ソレは、日差しのなか、温度が高い日に──密度に差異のある大気が屈折し、起こる現象。だが、俺が感じたのは───悪寒。

「……あは♡」
「…ウチね、キミの傘ないの、知ってて。予め、出しといたの」
「お返し以外にも、いっぱい好きピしたいから」
「トレぽよさ、ピュアっピュアすぎ」
「ウチだって…打算で動くとき、あるよ?」
「これからいーっぱい、かまちょしてね?」
「だってぇ…ニコイチだもんね?トレーナーってウチのことしゅきしゅきしゅきピなんだよね?」
「…ほんとは、ちょっと、怖かったケド…」
「でも、傘になったとき。トレぴのぜんぶ、わかっちゃったから」
「えへへへへ…♡」

そう言いながら嗤うヘリオスのトパーズのような双眸は、真っ直ぐに俺を見据えていて。
先程までの泳ぎ切っていた眼とは違う、まるで…捕食者のような目、で。

「…今から入れる保険とかあります?」
「ウチ!!!!」

太陽からの愛。分け隔てなく光を与えるソレからの、執着の混じった焼け付くような光。それを一身に受け止めるというコト。それを──俺は、今から。味わうことになるのだった。
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