――祟られ化生となりゆく身であっても、僕たちはまだ「人」だから。
<比率>
2:1:0
<時間>
40~50分
<登場人物>
まゆり
【新城まゆり(しんじょう まゆり)】女性
幼いころの蛮行により蛇に憑かれ、蛇の化生となりゆく女。達樹の妹で、真司の恋人。
真司
【浅葱真司(あさぎ しんじ)】男性
幼きころの蛮行により蛙に憑かれ、蛙の化生となりゆく男。まゆりの恋人。
達樹
【新城達樹(しんじょう たつき)】男性
幼きころの蛮行によりナメクジに憑かれ、ナメクジの化生となりゆく男。まゆりの五つ上の兄。
<利用規約>
https://writening.net/page?bmsmZi
------------以下台本—----------
―夜の河原
まゆり:もしも、夏に初雪が降ったとして。
真司:夏に雪なんか降るもんか。
まゆり:だから、「もしも」の話よ。
真司:まゆりは本当に好きだね、「もしも」の話が。
まゆり:いいじゃない。私たち自身が、「もしも」の世界の住人のようなものなのだから。
真司:……「もしも」の世界の住人の「もしも」は、「現実」ってこと?
まゆり:そう。裏の裏は、表。
真司:でもやっぱり、「もしも」は所詮、「もしも」だよ。
まゆり:いいじゃない、それでも。
(少しの間)
真司:好きだね、本当に。
まゆり:ええ、大好き。
真司:……それで?
まゆり:もしも、夏に初雪が降ったとして、ね。
真司:うん。
まゆり:そんなことが起きたら、それは氷河期の始まりなんだと思うの。
真司:そうだね。
まゆり:そうしたらね、私きっと、恐竜と同じ気持ちになれるんじゃないかしら、って。
真司:それ、どんな気持ちなの。
まゆり:「ああ、私、死んでしまうかもしれない」。
真司:つまり君は……
まゆり:なあに?
真司:つまり、君は死にたいのかい?
まゆり:……
真司:だって、そんな「もしも」は
まゆり:「もしも」そうだとしても。
真司:うん。
(まゆり、そっとカーディガンの腕をまくる)
まゆり:祟られているから無理ね。
真司:……
まゆり:私たちは、死ねない。化生(けしょう)となり果てるまで死ねない。化生になったらなったで、やっぱり死ねないけど。
真司:まゆり……
まゆり:少し、範囲が広くなった気がしない?
真司:なにが。
まゆり:腕の鱗。
真司:そんなことないよ。
まゆり:真司。
真司:なに。
まゆり:嘘が、へたね。
真司:……
まゆり:ずっと一緒にいて、気づかないはずがないのに。
真司:知らない。
まゆり:肌だって、何度も重ねてきたのに。
真司:……そんなの、もうずいぶんと昔のことだろう。
まゆり:……
真司:だから、知らない。
まゆり:……そうね。
真司:達樹さんは。
まゆり:まだ、もう少し、きっと大丈夫。
真司:そうか。
まゆり:真司。
真司:なに。
まゆり:もう少し、近くに行ってもいい?
(まゆり、真司の顔に頬を寄せようとする)
真司:……っ!
まゆり:すごい汗。
真司:……ごめん。
まゆり:そうよね、怖いわよね。だって私は、蛇だから。
真司:まゆり、僕は……君を愛しているよ。
まゆり:ええ。
真司:だけど、僕の本能が、もう駄目なんだ。
まゆり:真司の、本能?
真司:正確には僕のじゃない、けれど、もう僕自身の本能だよ、これは。
まゆり:……
真司:蛙の本能が、蛇である君を恐れている。
まゆり:……ひどいわ。
真司:え?
まゆり:それを言ったら、私の、大好きな真司に触れたいという本能だって、もう自信が持てなくなってしまうじゃない。
真司:……
まゆり:これは蛇の本能――あなたを喰らいたいという純粋な、生物としての捕食の本能なんじゃないか、って。
真司:僕たちは、いつまで「僕たち」でいられるかな。
まゆり:それを考えるのは、やめましょう。
真司:「もしも」僕らの魂が、そこに食い込んだ畜生たちの魂と完全に融合して、この身が完全に化生となってしまったら
まゆり:それは、「もしも」の話じゃないわ。いつかは来る現実の話よ。
真司:……
まゆり:だからそんなことは、今考えたって楽しくないの。
真司:そうか。
まゆり:かなうことのない、荒唐無稽な「もしも」だから、安心できるのよ。
(まゆり、月を仰ぐ)
(真司、まゆりの横顔を眺める)
真司:……綺麗だね。
まゆり:え?
真司:君のその、舌。
まゆり:……
真司:しゅるりと伸びて、ちろちろと揺れるのが、線香花火みたいだ。
まゆり:線香花火なんて、もう長いことやっていないわね。
真司:今度、しようか。
まゆり:でも
真司:僕は幸い……見た目にはまだそんなに影響が出ていないから、昼にも動ける。買ってくるよ。
まゆり:真司。
真司:これは「現実」の話。次に逢う時までに、用意するよ。
まゆり:……楽しみにしてる。
真司:うん。
まゆり:そろそろ、戻らなきゃ。兄さんが目覚めてしまう。
真司:そうか。
まゆり:それじゃあ、また。
真司:まゆり。
まゆり:なあに?
真司:……耐えられないほどつらいことがあったら、すぐに僕のところに逃げてくるんだよ。
まゆり:……なあに、急に。
真司:君は達樹さんには勝てないだろうけれど、僕なら、勝てるから。
まゆり:変なことを言うのね。
真司:約束だよ。
まゆり:……
真司:約束、だよ。
まゆり:……分かったわ。
真司:「もしも」、夏に初雪が降ったなら。
まゆり:……降ったなら?
真司:僕は君に食われてもいいと、思っているよ。
まゆり:……
真司:君を、生かすために。
まゆり:……それじゃあ、ね。
(まゆり、立ち去る)
【間】
―達樹とまゆりの家/達樹の私室
(薄暗い部屋)
(まゆりの頬を打つ達樹)
まゆり:……っ
達樹:また、真司と会っていたんだろう。
まゆり:兄さん
達樹:温室で俺を背中から刺したのは、あいつか。
まゆり:……
達樹:それともまゆり、お前か。
まゆり:……
(達樹、まゆりの髪をつかむ)
まゆり:兄さん、手を放して……痛い……
達樹:いや、あいつにそんな度胸はないな。
まゆり:……
達樹:そしてお前は……
まゆり:兄さん、やめて……!
(達樹、まゆりに口づける)
まゆり:ああっ……!あああああ!
(まゆり、悶え苦しむ)
達樹:俺の粘液に勝てない。
まゆり:熱い……あつい……!
達樹:だから俺を油断させて、背後から刺した。俺の肉体が再生するまでの時間を、あいつとの逢瀬に使うために。そうだろう。
まゆり:に、いさん……
達樹:祟りが進んで俺の眠る昼間に出歩けなくなったものだから、夜にこそこそと会っているんだろう?
まゆり:……
達樹:前はなんだった?確か睡眠薬だったか。
まゆり:兄さん、ゆるして……
達樹:今度はどうだ。しおらしく裸になんぞなってみせたりして。
まゆり:ごめんなさい……
達樹:どこでそんなやり方を覚えた?ええ?
(達樹、うずくまるまゆりを蹴る)
まゆり:うっ……
達樹:いいや、俺には何もかも分かる。これはあいつの所為(せい)だ。
まゆり:真司は
達樹:結局すべて、あいつの所為だ。
まゆり:そんなこと
(達樹、倒れたままのまゆりの上に乗り、再び口づける)
まゆり:あああああああ!
達樹:あいつの所為だ。あいつの……!
(達樹、まゆりの服をはだけさせる)
まゆり:兄さん、いや……!それだけは、もうやめて……
達樹:鱗が増えたな。ほら、ここにも、ここにも。
まゆり:にいさん……!
(達樹、下品な笑みを浮かべる)
達樹:舐めたら舌が切れそうだ。
まゆり:おねがい、どうか
達樹:まあいいか。どうせすぐに回復する。……俺の痛みも、お前の痛みも。
まゆり:やめて……
達樹:あの日俺たちが祟られることなんてなければ、お前たちのことも祝福したろうさ。かわいいかわいい妹と、弟のように可愛がってきた幼馴染だ。それはいい兄でいただろう。
まゆり:痛い……いたいの、にいさん、やめて……
達樹:あいつが悪いんだ。あいつが、俺の言うとおりにしなかったから……!
まゆり:やめて……!
【間】
―回想/遠い昔。幼いころ。
(中学生の達樹、小学生の真司、まゆりが河原で遊んでいる)
達樹:まゆり、ほらここ、見てごらん。ナメクジがいるよ。
まゆり:いやだ、きもちわるい。
真司:蛙もいるね。
まゆり:いや、どっちもきらい。
達樹:……なあ、「さんすくみ」って知ってるか?
真司:「さんすくみ」?
まゆり:なあに、それ?
達樹:じゃんけんと同じさ。ナメクジと蛙と蛇で、じゃんけんをするんだ。
まゆり:よく、わからないわ。
達樹:ナメクジは蛇を溶かして勝つことができるけれど、蛙には一飲みにされて負けてしまう。蛙はナメクジを一飲みにできるけれど、逆に蛇には飲まれてしまう。蛇は蛙を一飲みにできるけれど、ナメクジの粘液には勝てない。つまり、三匹を同じ場所に置いたら、それぞれが勝てる相手と負ける相手がいるから身動きが取れなくなって、「すくんで」しまうってこと。
真司:へえ。
まゆり:兄さんは物知りね。
達樹:中学の図書室にあった本に書いてあったんだ。古い学校だからね、たまにそういうちょっと気味の悪い本があったりするんだよ。
真司:すごいなあ。僕はそんな本、怖くて読めないや。
達樹:真司も中学生になれば、興味を持つようになるさ。
真司:そうかなあ。
まゆり:それで?その「さんすくみ」がどうかしたの?
達樹:やってみないか?本当にそうなるか、実際に。
真司:え?
(達樹、足元にいた蛇をつかみ上げる)
達樹:よっ、と……。ほら、ちょうどいいところに蛇もいた。
まゆり:こわいわ。
真司:やめようよ、かわいそうだよ。
達樹:大丈夫大丈夫。ほおら、三者そろい踏みだ。
まゆり:やっ……
真司:やめてよ!
(真司、とっさに蛙を掴み、胸元に引き寄せる)
達樹:なにやってんだよ真司、蛙を出せよ。
真司:まゆりがこわがってる……から。やめようよ。
達樹:は?
真司:やめようよ。
達樹:大丈夫だって、なあまゆり。
まゆり:……いや。こわい。
達樹:……そうか。
(達樹、真司から強引に蛙を奪い取る)
真司:あっ……
達樹:まゆり、怖いなら、兄さんがこうしてやるよ。
(達樹、取り上げた蛙を強引に足元に放ると、手元にあった石を三匹の頭上に落とす)
まゆり:きゃあああああああ!
達樹:みんなまとめて、ぐしゃり石の下だ。
真司:……
達樹:これで、何も見えなくなった。
【間】
―再び現在/達樹の私室
(すすり泣きながらぐったりと横たわるまゆり)
達樹:一丁前にまゆりを守るつもりでいながら、結局何もできない腰抜けが、何もしないまま、俺たちを破滅に追い込んだんだ。
まゆり:兄さん……もうやめて……
達樹:あの時殺したナメクジと蛙と蛇に祟られて、こんな、こんな姿に成り果てて。
まゆり:起きてしまったことは、どうにもならないのよ、兄さん。
達樹:……なんだ、その目は。
まゆり:え……
達樹:畜生どもを殺したのは俺なのに、どうして自分たちも祟られているのか、とでも思っているのか。
まゆり:そんなこと
(達樹、まゆりの頬を叩く)
まゆり:……っ!
(少しの間)
達樹:それならお前は、今幸福か?
まゆり:……兄さん、「もしも」の話をしましょう。
達樹:「もしも」こんなことになっていなかったなら、か?さっきも話したろう?俺はお前を手放しで祝福していただろうさ。たとえ相手が、無能で愚鈍な真司でも。
まゆり:過去の「もしも」は、誰も幸せにならないのよ。
達樹:未来の「もしも」なら幸せになるのか?馬鹿らしい。それこそ、永遠に叶うことのない幸福だ。みじめになるだけだろう。
まゆり:……真司も、同じようなことを言っていたわ。
達樹:あいつの名前を出すのはやめろ。
まゆり:……
達樹:ああ、かわいそうに。俺の可愛いまゆり。
まゆり:来ないで……
達樹:可愛くてかわいそうな俺の妹。美しい時に醜く祟られ、太陽の下に出ることもできない。絶望のまま首を吊った自分たちの両親の姿を目の当たりにしても、祟られた身は、死ぬこともできない。
まゆり:もうやめて……
達樹:醜い蛙の男と傷を舐め合うような恋しかできず、今や喰うか喰われるかの苦悩に沈んで。
まゆり:不幸じゃないわ。私は、不幸なんかじゃ、ない。
達樹:俺が守ってやるからな。結局俺しか、お前のことは守れない。そうだろう?
まゆり:そんなの、いらない。私は、誰にも守られなくていい。
(達樹、まゆりの手首をつかみ、引き寄せる)
達樹:お前は俺には勝てない。だから俺が、お前のそばにいる。
まゆり:熱い……!痛いの、兄さん、お願い、手を放して……
達樹:すべての恐ろしいもの、醜いものを見ないで済むよう、俺がお前の目を塞いでいてやる。
(まゆり、すすり泣く)
達樹:だから、もうあの男に会うのはやめろ。お前の幸せは、そこにはない。
まゆり:私の幸せは、私にしか分からないわ……だからもう許して、兄さん。
達樹:そうまでして、あいつに会いたいか。
まゆり:……誰も悪くないのよ。だって私たちは、幼かっただけなんだもの。
達樹:いいや、悪いのはあいつだ。何もしなかった、あいつだ。
まゆり:兄さん……
(達樹、まゆりをかき抱く)
まゆり:ああ……っ!
達樹:俺に何度もこんなことをさせないでくれ。お前が俺のそばで静かにとぐろを巻くように過ごしていてさえくれれば、俺はもう、お前に痛い思いはさせないから。
まゆり:兄さん、やめて、兄さん……っ!
(真司、達樹の背後から現れ、達樹を刺す)
達樹:がっ……
まゆり:し、んじ……
(荒い呼吸を繰り返す真司)
真司:言っただろう……僕なら勝てるって。
達樹:き、さま……!
真司:なに?
達樹:ひっ!
真司:僕がまゆりの前で足が竦んでしまうように、達樹さん、あなたは僕の前では動くことができない。そうだろう?
達樹:この俺を、喰う気か?
真司:今はまだ、あなたを丸のみできる身体じゃない。
達樹:は、はは……っ、そうだろうよ。そうできるのは、まだ先だ。お前にできるのは、せいぜいそのナイフで俺を刺すくらいなものだ。
真司:……
達樹:そんなものじゃ俺は殺せない。
真司:そうだね。
達樹:それでよく俺を牽制しようなどと思ったものだな。ああ?
真司:でも、ばらばらに引きちぎって食べることはできる。
達樹:は……?
(真司、達樹の耳に食らいつき、引きちぎる)
達樹:ぎゃあああああ!
(真司、達樹の耳を咀嚼し、飲み込む)
真司:僕の食欲は、もう蛙のそれだから。
達樹:俺の、俺の耳が……っ!
真司:だからいつだってそうしても、いいんだよ。
達樹:痛い!痛いぃぃぃぃぃ!
まゆり:真司、やめて……
真司:まゆり。
まゆり:……やめて。
(真司、まゆりの傍らに膝をつき、その服の前を合わせる)
真司:……こんなことになっているんじゃないかとは、思っていたんだ。
まゆり:え……?
真司:だから僕は、僕を保っているうちに、こうしなければいけなかった。
まゆり:いつ、から……
真司:……君はいつしか、真夏でもしっかりとカーディガンを着るようになった。
まゆり:……
真司:前をぴったりと止めて。長いスカートを履いて。
まゆり:それ、で……?
真司:鱗の所為かとも思っていた。けど、やっぱり違ったね。
まゆり:し、んじ
真司:情けないことに、確信を持ったのは、ついさっきだけどね。
まゆり:……
真司:去ってゆく君のスカートの裾から見えた肌に、酷い火傷の痕が見えた。再生に時間がかかるほどの、酷い火傷の痕が。
まゆり:そんな……
真司:今の君にそれほどの火傷を負わせることのできる存在なんて、達樹さんしかいないだろう?
まゆり:あ、ああ……
真司:信じたくはなかったけれど。
まゆり:……いや
真司:だから言ったんだ、いつでも逃げてきていいって。
まゆり:見ないで……
真司:君のあとをつけた。君と達樹さんの一部始終を見た。僕はやっぱり、すぐには何もできなかった。
達樹:ほらな……!どうせこいつは、何もできやしないんだ……!まゆりを守ると言いながら、何も……何も!
真司:達樹さんのいいようにされることで、まゆりが僕たちの均衡を保とうとしているのだと思った。それならそれで、いいのかもしれないとも、思った。
達樹:腰抜けめ。
まゆり:ごめんなさい……。真司、兄さん。ごめんなさい……。私が、私が悪いの、私がきっと、何かを間違えたんだわ……。
真司:まゆり。
まゆり:……
真司:みんな、間違えているんだよ。誰かのためと言いながら、僕たちみんな、自分の心を守ろうとしている。だから、間違えるんだ。
達樹:俺は間違っちゃいない。俺は、まゆりを愛している。まゆりの幸福を、誰よりも考えている。
真司:まゆりを力づくで抱いて責め苛(さいな)み、いいなりにしておくことの何がまゆりの幸福なのか、僕には分からない。
達樹:ああ、分からんだろうよ。弱いお前には決してな。
真司:うん、それでいいんだ。
達樹:は?
真司:僕は、僕にとってのまゆりの幸福しか、分からないから。
まゆり:真司
真司:まゆりの涙は見たくない。まゆりには、笑っていてほしい。こんな運命にあっても、きっとなにか、どんなに小さなことでも、笑える瞬間があるはずだから。
まゆり:……
真司:これが僕の考える、まゆりの幸福だ。
達樹:それなら、まゆりの思う自身の幸福はどうなる。それが俺のものとも、お前のものとも違っていたら、どうなる。
真司:……ねえ、まゆり。
まゆり:な、に。
真司:まゆりの幸福は、なに?
まゆり:……
真司:泣いてばかりじゃ、僕たちに委ねてばかりじゃ、僕たちずっと「さんすくみ」だよ。
まゆり:わたしは……
真司:うん。
まゆり:わたし、は……
真司:うん。
まゆり:ずっと、「もしも」の話を考えて、生きていたい。叶うはずのない美しくて優しい「もしも」を夢想して、その世界に浸って、自分の運命を忘れたい。
達樹:それで何が変わる。
まゆり:変わらなくていい。だって、変えられないもの。私たちが背負ってしまったものは、変えられない。変わっていくのは、私たちの身体だけ。醜く悲しく変わってゆくものばかり。美しくて優しいものは、もう帰ってこない。
達樹:……俺は、お前にとって、もう美しくも優しくもないのか。
まゆり:……
達樹:は、はは……ははははははは!
まゆり:兄さん……
達樹:そうか、そりゃあそうだよな。こんな醜いナメクジ男に、そんなものはもう似合わないよなあ!。
真司:達樹さん、あなただけじゃないよ。僕も、まゆりも、もう美しくも優しくもなれない。喰って喰われるだけの存在になってゆく醜い僕らに、そんなものはもう必要ないんだよ、きっと。
達樹:本当の祟りは、これからってことか。
まゆり:兄さん……
達樹:畜生の魂に喰われながら、人の生き様を捨ててゆくことほど、苦しいものはないだろう?
真司:……それが怖かったんだ、僕は。だから、なんとかまゆりに――「まゆりの幸福」というお題目に縋(すが)って、痛みを散らしていたんだよ。
達樹:俺もそうだと、言いたいのか。
真司:違う?
達樹:……
真司:まゆりも、そうだろう?
まゆり:……そう、ね。「もしも」の話をしながら、遠い記憶の中の美しくて優しかった真司と兄さんを守ろうとしたのは、縋っていたから、だったのね。
真司:……
まゆり:たとえ苦しくとも、痛くとも、何か縋れるものがあれば生きていけると思った。いずれ、それさえも畜生の魂に飲まれてしまったとしても。
達樹:まゆり。
まゆり:……なあに。
達樹:お前は、もう俺を、愛していないのか。
まゆり:きっと私は、もう誰も愛していなかった。自分しか、愛せていなかったんだわ。
達樹:まゆり……やめろ。
まゆり:愛しているふりをして、人である自分を保とうとしていただけなのよ。
達樹:やめろ!
まゆり:みんな、みんな、そうなのよ。
真司:まゆり。
まゆり:私たち、もうとっくに化生だったのよ。自らの欲を満たすことしか考えられない、化生だったのよ。
達樹:やめて、くれ……
(少しの間)
真司:それじゃあ、僕たちはどうしようか。
達樹:え……?
真司:「もしも」、夏に初雪が降ったとして。
まゆり:しん、じ?
真司:そして氷河期が訪れたとして、僕たちは、どうしたらいいんだろう。
まゆり:……
真司:死に満ちた世界でも祟りで死ねないのなら、どうしたらいいんだろう。
まゆり:真司は、死にたいの?
真司:死にたくなかったことなんか、ないよ。
まゆり:……
(少しの間)
達樹:生きるしか、ないだろうが。
真司:達樹さん。
達樹:死にたくとも死ねないのなら、生きるしかないだろう。
まゆり:兄さん……
達樹:だが俺はもういい、疲れた。
真司:……
達樹:……火でも、放ってみるか。
まゆり:え?
達樹:まだ人の形を保っている今なら、灰になって死ねるかもしれないぞ。はは、そうだ、どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったんだろうな。回復が追い付かないほどに肉体が壊れてしまえば、死ねるかもしれないじゃないか。
真司:そう、だね。
達樹:結局俺たちは、死にたいと口にしながらも、人であることに執着しすぎて、その肉体を手放す勇気なんかこれっぽっちも持てなかったってだけだ。
まゆり:兄さんは、それでいいの?
達樹:もういい、と言っただろう。お前からは愛されず、真司からも憎まれた。いいや、憐れまれたのか?ああ、憐まれていたのだな、俺は。お前たちに。
まゆり:……
達樹:すべて真司の所為にして、自らを慰めるために愛なんぞを語ってまゆりを責めて、満たされぬ想いを誤魔化して。……分かっていたさ。憐れだったんだ、俺は。分かっていたさ。俺が一番、俺を憐れんでいたんだからな。
まゆり:兄さん……
達樹:……俺はこれから、死ぬための賭けに出る。お前たちはどうする?
真司:どうして、そんなことを聞くんですか?
達樹:だってお前たちは,想い合っているから。
まゆり:でもそれは
達樹:互いのエゴだって言いたいんだろう?でもな、そんなもんだ、恋なんて。
真司:……
達樹:俺はお前たちより、少しばかり「兄さん」だからな。分かるんだ。
真司:僕たちは……
達樹:ああ。
真司:僕は……もう少しだけ、まゆりといたい。
達樹:そうか。
真司:完全に化生と成り果て、まゆりに喰われるその日まで、まゆりといたい。自分のために。
まゆり:真司……
達樹:まゆり。
まゆり:……はい。
達樹:お前は、どうなんだ。
まゆり:……
達樹:もう怒ったりしないから、言えよ。
まゆり:……私も、もう少しだけ、真司といたい。でも、兄さんと別れるのも嫌。
達樹:それは無理な話だ。俺はその長い生のなかで、きっとまたお前の肌を焼くだろうからな。
まゆり:そうならないかもしれない。
達樹:過去は変えられない。俺のしたことが事実として残っている限り、その先にお前の幸福は、ない。
まゆり:本当に、もう諦めてしまったの……?
達樹:諦めさせてくれ。
(少しの間)
まゆり:……兄さん。
達樹:うん?
まゆり:私、行くわね。
達樹:ああ。
まゆり:真司と、行くわね。
達樹:好きにしろ。いつか我慢できなくなって真司を喰らってしまったとしても、いいんだろう?
まゆり:「もしも」そんな時が来たら……
達樹:来たら?
まゆり:その時考えるわ。
達樹:ああ、それでいい。
真司:それじゃあ、達樹さん。
達樹:ああ。
真司:賭けが成功することを、祈っています。
達樹:……さっさと行け。
(燃えゆく新城邸)
(河原からそれを眺めるまゆりと真司)
真司:それじゃあ、行こうか。
まゆり:ええ。
真司:……「もしも」夏に初雪が降ったなら。
まゆり:あなたは私に、その身を喰わせる。そうだったわね。
真司:君は、嫌だと言うかな。
まゆり:「もしも」嫌だと言ったら?
真司:その時は、二人で冬眠かな。蛇と蛙らしく、さ。
まゆり:そして、いつか来る春を待つのね。
真司:どう思う?
まゆり:素敵。
真司:そうか。
まゆり:そういう「もしも」の話だけしていたいわ。いつまでも。
真司:いつまでも。
まゆり:いつまでも。いけるところまで。
真司:とりあえず、帰ろうか。僕の家に。
まゆり:ええ。今は少し、休みたいわ。なんだかすごく、疲れたの。
真司:好きなだけ休むといいよ。
まゆり:ありがとう。
真司:君が休んでいる間に、僕は線香花火を買いに行こう。
まゆり:本当にするの?線香花火。
真司:いや?
まゆり:ううん。でもきっと私、過去を懐かしんでしまうわ。真司と兄さんと、三人で線香花火をした、いつかの日を。
真司:それでも君は笑ってくれる?
まゆり:ええ。だって、過去も、線香花火も、美しいもの。
真司:それじゃあ決まりだ。
まゆり:真司。
真司:うん?
まゆり:愛しているわ。愛だけで、その身を喰らいたくなるほどに。
真司:僕も、愛しているよ。愛だけで、この身を喰らわせてもいいほどに。
【幕】