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 頭から離れない記憶がある。
 顔も名前も知らない少女が、花に包まれた棺の前で人目も憚らず慟哭する、そんな夢。
 悲しみと怒りの感情が居合わせたその異様な空間は、呼吸の仕方すらも忘れてしまうほど重く張り詰めていた。私には、泣き叫ぶ彼女らをただ茫然と見つめることしか出来なかった。
 自分と直接関わりのない予知夢を視るのは珍しいことではない。将来どこかの誰かの身に起こる不幸を私だけ先に知ってしまった、ただそれだけ。私に何が出来るわけでもない。そう思って蓋をしようとしていた。だがそれは、何度も脳裏に蘇っては私の心に得体の知れない喪失感と焦燥感を植え付けていった。
 なぜ数多視る夢の中で、それだけが鮮明に呼び起こされるのか。答えはほんの近くにあったのだ。
「なるほど、エデン条約か。存在自体は知っていたけれど……それでどうしてあそこまで騒いでいたんだい? ミカはともかくナギサ、君まで」
「私はってどういうこと⁉︎」
「それは……説明が難しいと言いますか……」
「ちょっと!」
 無視しないでと吠えるミカに一瞥をやって、ナギサにしっかりと向き直る。目を伏せて逡巡する彼女の姿は今まで見たことがないものだった。
「別に、話せない事情があるならそれでいい。私も深く詮索したりはしないよ」
「……いえ、今お話ししておくべきでしょう。これからもティーパーティーとして三人で机を並べる以上、知っておいてもらいたいことでもあります。ねぇ、ミカさん?」
「えっ、う、うん……そうだね。ナギちゃんがそれでいいなら」
 先程までキャンキャンと喚くだけだったミカが、ナギサの目配せ一つで宥められる。
 つい数分前までこの二人は口論(というには些か語彙が幼稚だったが)をしていたというのに、そんな気配など一切感じさせない伝心。やはり彼女らの間には簡単に覗き見ることの出来ない聖域のようなものを感じる。
「いつかは伝えなければならないことだったのです。ただ、上手くきっかけが掴めず……」
 決意を露わにしてなおナギサは躊躇うような口調でおずおずと切り出した。
「どうしてそんなに改まるんだい。ミカの言葉を借りれば、ここまで長い、長いアイスブレイクを重ねてきたじゃないか。ようやく本題なのだろう?」
 何だろうと受け入れる準備は出来ていると、諭すように、言い聞かすように、私の口が回る。
 ええ、と短く返事をしてナギサは深く息を吸い込む。その様子をミカが似つかわしくない不安げな面持ちで見守っていた。
 正直に言うと、私も少し怯えていた。予知夢があれば全てを見通せるような物言いをされることがあるが、別にこれは他人が思うほど完璧なものではない。視たいものを視たいだけ視られるような便利な代物ではない。この日の出来事は、私も知らない物語。心構えのない一発勝負。知らないことを知るのは、いつだって怖かった。
 それに、この場を支配する重たい緊張感が嫌に総毛立つ。直感が、記憶の蓋が、何かを訴える感覚がした。
「私達には……私とミカさんにはもう一人、幼馴染と呼べる方がいたんです。そして同時に私、桐藤ナギサの婚約者でもありました」
 ぞわりと予感が全身を走る。
「その方は数年前……。……不慮の事故で亡くなりました。ゲヘナ自治区でのことです。彼は生前、トリニティとゲヘナを繋ぐ橋になるのだと語っていて――」
 トリニティとゲヘナを繋ぐという夢の半ばに命を落としてしまったこと。その夢を、意志を継いでやれるチャンスだと言うナギサと、彼を見殺しにしたゲヘナと和平なんてあり得ないと言うミカで争ってしまったこと。他にも色々なことを語り聞かせてくれた。彼の人となりや二人が抱く感情。直接言葉には出さなくても言葉選びや表情から推し量るに余りあるほど伝わってくる。伝わってしまう。
 どうして今まで気が付かなかったのだろう。ナギサとミカが彼を想う度に窺わせる思慕と追懐、哀傷。そして何より一瞬覗かせた痛みを噛み締めるような表情。どれだけの想いがあり、どれほどの喪失だったか。
 鍵の掛からない記憶がまた開く。背格好こそ違えどあの夢の主は目の前の桐藤ナギサを於いて他にいない、そう言いたいのだろう。あの日棺を前に咽ぶ少女は、こんなにも近くにいたのだ。
 直接関わりのない夢? 何を馬鹿なことを。
 彼女らと知り合うことは知っていた。誰かが命を落とし、誰かが悲しむことを知っていた。それなのに、たった一つピースを欠いただけで、自分の身に降り掛かることではないからと見ぬ振りをした。
 結果として何が変わるわけでもなかったかもしれない。予知とは得てしてそういうものだ。だが、だからと言ってそれが未来を変えようと行動しない理由にはならない。未だ知らぬ誰かの言葉が頭をよぎる。
「…………すまない」
 漏れ出た声に二人が目を丸くする。
 もし私があの夢のことを知ろうと思えていたなら、二人を……三人を見つけ出せていたなら、仕方のないことだと諦めてしまう巫山戯た性分でなかったなら、何かが変わっていたのだろうか。
 彼女らの未来を私が奪ってしまったのではないか。
 ナギサとミカの声が遠くに聞こえる。
 ぐるぐると廻る思考の中で、短い呼吸の間に謝罪の言葉を吐き出すことだけが精一杯だった。
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