ヌオーと黒髭 “うつくしいもの”


  ただただ、その“美しさ”に俺は圧倒された。
あまりの衝撃に、言葉も出ず、見惚れていた。
視覚が、聴覚が、嗅覚が、触覚が、味覚が『美』の洪水に飲み込まれる。

発端はどうということのない、俺にとっての日常である報復だった。
とるに足らないザコが、俺のナワバリにちょっかいをかけたから、潰した。
その際に、古代ギリシャを思わせる上等な女物の服と宝飾品が入手できたので、あいつに見せびらかしたのだ。
そしたら、あいつが珍しく、物欲しそうな目で見ていたので、くれてやった。
ただそれだけの話で、その後のことがなければ、忘れていただろう。

 後日、あいつに、作らせる製品のリストを持っていった時に俺は見た。
ベッドに腰かけて、こちらを見つめる、羽衣をまとった女神を。
そいつを、構成する部位は名状しがたいほどに美しかった。
当時は、ただその美に圧倒されていた。

 今、思い起こしても、“あいつ”の美しさは俺の貧弱な語彙では表現しきれない。
一番近いのは、同人誌に出てくるような慈悲深き金髪碧眼で巨乳な女神だろうか。
だが紙の上の女神と違い、あいつは天井の楽曲を思わせる美しい声で、全身を愛撫し、体臭でさえも、生命の匂いとは思えないほどに心と魂を震わせる。
五感が全て、あいつの『美』に侵食される心地良さは、どんな女と寝ても得たことのない快感を俺にもたらした。

 あいつは、見惚れている俺に、挑発的な笑みを浮かべると、近寄ってきて、抱きつきながら上目遣いで「私、キレイ?」とささやいた。
その瞬間、あいつの声と体臭というダメ押しをされた俺は絶頂して意識を失いかけた。
今まで感じたことのない深い絶頂だった、腰を抜かさなかったのは奇跡だろう。

 そんな俺を、怪訝そうにあいつは見上げると、ポンという音とともに元のヌオーの姿に戻った。
あいつはヌオーヌオーと鳴きながらこちらを、心配しているようだ。
俺は精一杯虚勢を張りながら「さっきの姿を、人前で見せるんじゃねえぞ。 船の風紀が乱れる」とだけ言うと、あいつの反応を確認もせずに、自分の部屋に戻った。

「本当に、恐ろしいな。 ヌオーってやつは」
そう言うと、少しだけ仮眠した。
今思えば、この時が生前で有数の危機的状況だったが、以降は何も起こらずに終わった。

 正直に言えば、侮っていたのだろう、神話や伝説で多くの英雄が求めた、ヌオーという生き物の“美しさ”を。
あの日の記憶を薄めるために、多くの美女を抱き、悦楽の限りを尽くしたが、あの光景は死を経て、英霊となっても焼き付いて消えない。

 現代の娯楽の数々は、本当に素晴らしかったが、それでも“あいつ”にはかなわない。
カルデアの美女達を見てさえ、あの日以上の感動はいまだにない。
確信しているのは、俺が俺である限り、あいつと向き合えないのだろう。

 余談
“彼女”
 黒髭が懐かしい故郷の服と装飾品を持ってきたので、それをねだったらもらえたので、嬉しかったようだ。
そのお礼と、ちんちくりんと言われた意趣返しに、おめかしをして黒髭を待ちかまていた。
本人的には「きれいだ」とか「美しい」とか言わせようと思っていた。
しかし茫然としていたので、ちょっとイタズラ心で近づいて「私、キレイ?」とささやいたら、黒髭の身体が硬直したので、急に心配になりヌオーの姿に戻ったのである。

 その後、黒髭のお叱りの言葉を聞いて、船の中にいるときは仕事中なのだから、ああいうことはしてはいけないなと反省した。
以後は本人の認識では、“アン女王号の復讐”が沈没するまでのあいだ、人間態は見せていない。
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