Tear down the wall.


「まあまあ~」
「体が固まってしまったのですか~?」
足が竦んで動けなくなっていた体を引き起こしてくれた。
気が抜けるような声、ただ、その声には何よりも危機感を煽られ、「最初の限界」を思い起こさせられるのだ。
ハルカゼダヨリ。その名を忘れたことなどない。
最初の戦い。9戦も前(それも平地だけでだ)になってしまった戦いで、唯一「勝って」なお「攻略」できなかった相手。

「感動なさったのですね~」

******

秒間32768回の激震を感じる。
この上ない感動。
ただ、それを認めるわけにはいかない。

⸺誰よりも強い、そう認められた名バが中山にいた
誰よりもタフだ、そう認められた選手がケニアにいた⸺

六大大会制覇、42.195kmを史上初めて2時間以内で走ることを体感した男。
5年連続で同一タイトルを制し、J-GI9勝という踏み越えがたい記録を打ち立てたウマ娘。

アンタッチャブルな「マラソンの絶対王者」は。比較不能な「障害の絶対王者」は。
……人々を大きく沸かせたことは間違いないのだが。
相次ぐ挑戦回避。争わないことを意識した立ち回り。特別扱い。別格が故の寂寥。
ウマ娘は、最終レースで掲示板を落としてなお、晴れやかであったと伝え聞く。
一方で、エリウド・キプチョゲは。

凋落……ともいわれる瞬間を、この目で見てしまった。
東京マラソンの"メインレース"。男子マラソンの表彰台にも、入賞者の欄にも、エリウド・キプチョゲの影は、文字は、残されていなかった。
10位。1度の"銀"と、2度の入着を挟んで10連続を挟む16勝。
一ケタ順位を落とす衝撃の瞬間だった。

ただでさえキプチョゲ氏には相応のライバルがいた。世代交代の声も聞こえるが彼はやる気であった。調子を崩すことも1度ではない。
なのに、なぜこれほど陰りをうわさされるのだろうか。

偏に彼が「絶対王者」となってしまったからだ。
立ち直るだろう、這い上がるだろう。そう信じているが。それでも、それでも。この不健全な状態は決して「限界」の象徴などではないのだ。
あってはならないのだ。「唯一」という言葉は、それだけで毒なのだ。

ロードに"逃げて"、ジャンプに"逃げて"、「孤高の挑戦者」であろうとし続けていた私という女だからこそわかる。
中山での誓いは、決してダテノダンケツ一人に向けられたものではない。
ジャンプレースは「全員で」覆さねばならぬジンクスで、「常識」で、あふれている。

「一人にしてはいけない」
それを、目の前で知っているのが、私なのだから。

「……ちゃんと、迎えに、いかないと。ですね?」
「許可なく『閉ざされた双峰』に立ち入った娘はちゃんと捕まえないと。」
「孤独な目標だったはずの、禁域だったはずの登山道に勝手に入って蜜を持ち帰る悪い子を。」
「……何と言われようと、追いつかないと。」

「青葉賞に行きます。」
「せっかくの大仕事をあなたにだけ譲るつもりはありません」
「ジャンプは、本来持ちえない力を『覚醒させる』力だってあると」

「……障害飛越を含む練習は、かねてから平地のメニューとして存在していました」
「そして『練習』としか位置づけられていませんでした。」
「フリーレースや時局の要請から進展したジャンプレースですが」
「その本当の力を証明したい」
「『ウマ娘の限界を押し広げる』。速さを求めきれない気質は、"万能"の限界に挑んでいた」
「貴女だけの手柄にはさせない。」
「貴女だけで終わりにさせはしない。」

「貴女を『もう一人の絶対王者』になんて、絶対にさせない。」

******

舞台袖でアイシングを受けながら、ターフでの出来事を反芻する。
それだけならいいのだが、氷嚢を(こぼさないように、確実に)持ってきてくれたのが、ハルカだったのがなおのこと…。
"痛みませんか?"と様子をうかがっては、"どのような子ですの?"とじっくり……かなりじっくりとミドリの素性を聞かれた。
というより、ジャンプレーサーの状態をかなり、かな~り長いこと聞かれて。
そのたびにあの光景を反芻「せざるを得ない」のだから、自分自身の記憶に飽きてきたところだった。

感覚が鈍るほど冷やされたころに、目新し…くもない、ちょっと新しい展開が生まれた。
「見ましたわよ~」
「ああ…あんまり関係ない種目だろうに、気にかけてくれて本当にありがとうございます…。」
「阪神スプリングジャンプ、惜しかったですわね~」
(いつのレースだ)と反射的に返してしまいそうになったが、自信を代表するレースといえば、まちがいなくこれだ。
今や平地で勝ち上がった者の中で最もライブから遠ざかっており、最も掲示板からも遠ざかっている以上、最高着順かつライブ参加レースでは最高格付のこのレースでしか話題を作れないのも仕方のないことなのだ。
”ズブい!”という先入観もいい加減改めないといけない。

「とても楽しそうでしたわ~」
「ああ……あれは楽しかったというよりハイになっちゃって……。」
あの現象を再現するのは難しい。説明をするのはなおのこと難しい。
ゲートをいの一番に出て、ほとんどそれだけ盤上をすべて支配してしまったレースなのだから。
あのような優位は障害レースという平地力にこだわりがないレースだからこそ可能、そんな言説は今さっき崩れたところだ。

「まぁ~、しかしそれはとても"楽しい"ということですわ。」
「た、確かに……そう、です、ね?」
フフ、と笑って、氷嚢の位置を変えて押し当てる。
もう、もう十分じゃないか……?
「楽しむことはいいことですわ~」
「最近は一緒に走ることも多くなったのに、デュオモンテさんは楽しそうではなかったから、少し寂しいですわ~」
「え……と?」

意気込みが違う、それは確かに考えられる。
レースのとらえ方が異なってきた。それもあり得る。
走り方が違う?そんな単純な問題ではないはずだ。
何より、常に勝ちたいと思ってやってきている。負けたくない。それは最終的な結果だけではなく序盤中盤終盤、スキのない勝ちを。
気楽なレースをしていたつもりはないし、そこに楽しみを見出していたはずだ。

「今日は、久しぶりに『楽しそう』でよかったですわ」
「本当に、あとちょっと、気のゆるみがなければ、でしたのにね。」

「……そうか」
「最近は……」

気が付く。確かにこれまでのレースでは、特にきさらぎ賞が終わってから、あるいはジャンプレーサーとして成熟してから。
何か工夫を凝らして戦ったレースというのはあまりない。
ジャンプレースで培った「実力」を検証する。そこに終始して戦っていた。
ただしレースは"テスト"ではない。"芸"は達者でも、本来の"品行方正でない"戦い方を忘れていたのではないか。
ジャンプで生かした細部に宿るレースプラン、そのものをないがしろにしていたのではないか。

「デュオモンテさんのレースは『楽しい』ことを起こしてこそですわ」
「もっと、たくさん楽しいことをして」
「それを眺めて、追い抜いて、勝つ。」

「そういうレースが、あの舞台でできるといいですわね~」

「……はい。」
「たどり着きますよ。必ず。」
「『Tear down the wall』、約束です。」
「『壁を壊せ』、ですね、デュオモンテさんらしいです~」

先ほどから、涙が止まらない。
飛び出しを確信した後に抑え込まれた時には後悔のそれが。
前が見えないバ群の先頭を、あの胡蝶が最後まで率いたことがわかると、決意と反省のそれが。
ハルカと目を合わせると、勝負を希求してやまない、苦しいそれが。

「……あの……そろそろ足冷えすぎてしびれそうなんだけど……」
慌てるハルカゼダヨリには申し訳ないが、涙を取り繕う方法は、これしか考えられなかったのだ。
『淀に、たどり着けないかもしれない』
そんな言葉を口にしてはならないから。

一人にしては、いけない。
"ブロック"を形成してなお、孤独に"優等生"を演じ、頑なに殻を閉ざして低迷した国があった。
"Tear down this wall"。その壁を壊すのは、己の力である。
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