海軍本部雑用ロシナンテに任務を言い渡す 2


【G-5編】

偉大なる航路の最後の海、人呼んで新世界。
ワノ国に近い秋島列島への航路。賞金首の海賊団が居座っているらしいその列島に今ロシナンテはG-5の軍艦で向かっている。
賞金首ごときにわざわざ大目付が出張るほどではないような気もしたがどうやら少し前に厳しい戦いを経たらしいG-5支部の面々のリハビリもかねての出航なのだそうだ。
その所為か、ロシナンテの知るG-5支部──15年前からロシナンテも知っている海賊以上の荒くれ部署──にも関わらずこの艦の雰囲気はどこか柔らかく、カモメは風を孕んで白い帆を膨らませている。
サイクロン二つと熱々海、崖海と白馬波も流石に危なげなく乗り越え、死者はなし。
新世界の航海としてはやはり順風満帆のうちである。
 
「やっと落ち着いたなァ」

 ようやく見えた晴れ間。たしぎ大佐の指示で甲板には大急ぎで洗濯されたリネン類がはためいている。自ら腕一杯に洗濯物を抱えて走り回っている大佐に、G-5支部の荒くれが強面を嬉しそうに緩ませて我先に手伝っている。

「おれァ大佐ちゃんの手伝いしてくるからよ!雑用! これ頼まァ!!」
「お、おー。了解」

ずいぶんと仲の良い支部だなァというのが感想であり、コビー艦の規律正しいお手本のような海兵たちを見た後の彼らに、人の多様ささえ感じる。
そういうわけで数時間前の崖海登攀でほつれたロープの修繕をどっさりと押しつけられ、前甲板の砲台の横で座って補修しながらのんびりと煙草をふかしていた。
ありがたいことにこの艦は艦内喫煙可能であり、ロシナンテはこれ幸いと心置きなくぷかぷかと煙草を燻らていた。
昔のように肺まで吸い込むと咳き込むのでふかすばかりだが、それでもあるとないとでは大違いだ。
そろそろ島でも見えないかと水平線に目をこらして見つめていると、後ろから煙に灼けた呆れた声がかかる。

「……何サボってんスか、ロシー先輩」
「サボってねえよ、スモーキー。ほら、ロープの補修」

 ロープを掲げながら振り返ればいまや自分の肩書きを飛び越えた後輩が葉巻を燻らせて難しい顔で立っていた。

「……スモーカーだ。部下の前で若ェ頃のあだ名で呼ばんでくれ」
「じゃあお前もおれを先輩って呼ぶのは止めろ。今は雑用だぜ」

 制服の背中の「雑」の字をわざわざ指差して見せれば、素直にぐっと詰まる男は、最後に見たときより随分と立派になっている。
海軍本部中将“白猟”のスモーカー。
ロシナンテの士官学校時代のわずかな間の後輩であり、G-5支部の基地長となった将校だ。

「な?」
「じゃあ、ロシナンテ……先輩。ロープを燃やすな」
「了解、スモーキー中将どの!」

至極真面目に敬礼を返せば、スモーカーの葉巻に歯形が付く。

「……止めろ」

 居心地の悪そうな顔で肩を落とすスモーカーに、ロシナンテは堪えきれずに吹きだし、煙草をロープに落としそうになってひっくり返る。
煙に火の付いた煙草を握りつぶされて、あーあーと残念な声を上げた。雑用の薄給ではなかなか買えない安煙草だというのに。

「あんた、死んでも治らねェのかそのドジ」
「おれァドジっ子なんだ!」

ロシナンテはけらけらと笑う。
スモーカーとはゼファーの主導した海軍兵学校でほんの一年先輩後輩だっただけの間柄だ。
海軍に入隊してすぐからその目を見張るべき才覚でもって有名であったし、ロシナンテも彼の熱い正義と不器用な優しさが好ましかった。ちょっと目をかけた後輩の一人だ。
けれどまさかスモーカーが自分を覚えているとも思わなかった。

あの時、センゴクの後ろに居る雑用が自分だとわかった時のスモーカーの顔ときたら!

にやにやと笑うロシナンテが何を思いだしているのか察したスモーカーがそれはもう不機嫌そうな顔でロシナンテを睨み付けていた。

***


数日前──G-5基地。

「すまないな、忙しいときに」

一番最後にタラップを降りたセンゴクが出迎えの海兵に手を上げる。コビー大佐とヘルメッポ少佐たちも、もう基地に入っている。
その先でセンゴクを迎える基地長はロシナンテの知っている相手だ。彼は葉巻を銜えたまま肩をすくめる。全くもってふてぶてしいが、それこそが彼らしさでもある。
だが、彼の体についたまだ生々しい傷跡は、彼に降りかかった災厄を想起させる。胸に重苦しいものが溜まった。

「わざわざ出迎えてくれたのか」
「かまいませんよ。どうせエルガニア列島への航海は決まってた。アンタのことだ、ウチを選んだのも織り込み済みなんでしょう…」
「まァそう噛みつくな」

センゴクも承知しているようで特段気にした様子もない。ロシナンテも、かわらないなと思うばかりだ。

「スモーカーさんったら!」

生真面目そうな部下の女海兵だけが、目をつり上げてスモーカーを叱りつける。スモーカーは馴れた様子で叱責を受け流し、二人の関係の気安さを感じた。

「うるせェよ、たしぎ。…それくれェで目くじらたてるような人でもねェでしょう」
「ははは、褒められたもんだな」
「わざわざアンタが来るとは」

葉巻を噛むスモーカーの視線がぎろりと疑い深いものにかわる。

「…何を知ってる?」
「何のことやら」
「エルガニア列島はただの暢気な秋島じゃねェ…。だが誰もその尻尾をつかませなかった…」

スモーカーの言葉に、たしぎもこくりと頷く。

「ですが、急にその島の"情報"が届くようになった。私たちの出航もその調査……」

センゴクもロシナンテも黙って彼の推測を聞いていた。
ただ二人を迎えに待っていてくれた訳ではなさそうだ。

「……」
「沈黙を続けた島から急に"情報"が出ることがあるか? アンタの行動…。それにコビー大佐たちは…」
「それくらいにしておけ」

スモーカーが口にする前にセンゴクが口を挟む。
ずんと腹が重くなるような声は、久しぶりに聞く海軍将校としての命令に近い声音に、流石のスモーカーも口を閉じた。
スモーカーの表情が険しくセンゴクを睨む。今にもその十手を振りかざしそうなスモーカーに慌てて一歩前に出ようとして、センゴクの手がロシナンテを止める。
海軍将校としての顔を、苦笑でゆるませてセンゴクは肩をすくめた。

「こんな場所で話すような話ではない。…そう怖い顔をするな」
「…少々"痛い目"にあったもので」
「そのことの報告もお前の口から聞きたい。子ども達のこともな」

センゴクがタラップから降りる。ロシナンテもそれに次いで降りる。

「その"情報"は……信用できるのか」
「ああ、何よりも」

センゴクのはっきりとした肯定にようやくスモーカーの殺気が収まる。
ちらり、とセンゴクの視線がロシナンテを向いた。
スモーカーの横で慌てながらもいつでも刀を抜けるように構えている女海兵もまた肩の力を抜く。

「あんたほどの人がそこまでいうなら、信じましょう…」

ははは、とセンゴクが陽気に笑う。ロシナンテも同じように肩の力を抜いた。
たしぎと呼ばれていた女海兵がタラップを降りてくるセンゴクを案内しようと前に出る。

「明朝、コビー艦を見送ってからの出航になります。むさ苦しいところですが、ゆっくりしてください!」
「ああ、ありがとうたしぎ大佐」
「いえ! ……きゃっ!」

センゴクがタラップを降り、その後ろでロシナンテが降りようとしたときだった。
たしぎ大佐がボラードにかけたロープに引っかかって躓く。

「危ねェ!」

咄嗟に手を伸ばそうとして、つるりと足が浮く感覚がした。
たしぎ大佐を支えたはずが、そのままタラップを滑ったらしい。港の海面が目の前に見える。

「……?」

海に落ちる! と思った瞬間、たしぎ大佐ごと、柔らかな白い煙が港へ連れ戻す。流石に海に落ちるドジは洒落にならない。

「あ、ありがとうございます」
「大丈夫か、二人とも」

たしぎ大佐に頭を下げられ、センゴクに呆れた顔をされる。

「何して……ん……だ」
「スモーカーさん?」
「!?……?……!?」

がらん、と港に十手が落ちる音がした。
ロシナンテはひらりと手を上げて、スモーカーに礼を言う。

「危ねェ、ドジって死ぬところだ!! 助かったよ、スモーキー!」

スモーカーは口から葉巻を落としかけて慌てて葉巻を抑えて口元に手を当てる。見開かれた彼の目がロシナンテを観察して、つぶやいた。
その顔に驚愕と困惑がありありと浮かんでいる。
スモーカーにしては珍しい素直な驚きに、部下のたしぎ大佐がきょとんとする。

「…ロシー先輩……!?」

なんだ知り合いか、とセンゴクが驚いた声を上げた。
G-5支部の基地の一角。
上級将校用の宿泊室にたどり着いて息をつく。
明日の昼にはもう出航だが、揺れる船内とくらべれば天と地の差だ。
ロシナンテもセンゴクの付き人の扱いになっているので、雑用身分のくせに今晩は個室に泊まれることになっている。
センゴクもスモーカーと取り付けた会議の予定時間までは腰を落ち着けるつもりらしく、コートを脱いでハンガーに掛ける。
自分もスカーフを外してベッドに腰掛けた。
センゴクが水を飲みながらロシナンテに話しかける。

「スモーカー中将と知り合いだったのか、知らなかったな」
「士官学校時代のときに、後輩だったんですよ。顔見てびっくりしました」
「積もる話もあるんじゃないか?」
「いやァ、あいつがおれの名前覚えててくれたのもびっくりしたくらいですけど……、いやでも効きたいこともあるな」

ロシナンテは呟いて手のひらを見つめた。
スモーカーたちの傷跡。
丁寧に手当をされていて、かさぶたが残るだけに見えるがあの傷跡をロシナンテは知っている。
剣よりも細い鋭利な何かで切りつけられた独特な傷跡。

「……ドフラミンゴ」

ロシナンテの呟く低い声に影が滲んだ。
細い糸で傷つけられた傷跡だ。潜入中に幾度見てきたと思っているのだろう。イトイトの実の能力ならよく知っている。
ぐっ、と手を握りしめて睨み付ける。
「どうした。どこか辛いか」
「い、いえ!」

センゴクが心配する声に慌てて否定する。結局自分では何一つ、なにも防ぐことが出来なかったことだ。
センゴクにこれ以上心配かけることなどしたくない。怪訝そうなセンゴクの視線から逃れるようにそそくさと自分も水差しから水を汲む。

「なあ、ロシナンテ」
「はい?」

水を飲む背中に声が掛かる。振り返らずに返事をする。

「私に言っていないことがないか?」
「……」
「お前の、身体のことだ」

ロシナンテの背中が硬直する。黙り込んでしまっている時点で、それはもう明らかなことだった。
静かな声が、静かな部屋に響いた。

「は……はは、そっちかァ」
「ロシナンテ」
「……センゴクさんのおかきをこっそり食べたことかと…」
「ロシナンテ。私に嘘はよせ」

ロシナンテが笑いながら振り返る。センゴクに笑みは無く、ロシナンテの笑みもぎこちなく、変に引きつっている。作り笑いが下手だった。

「……おれの命の期限のこと、知っちまったんですね」
「……」

センゴクは黙ってロシナンテを手招いた。ベッドに二人で並んで座る。

「…本当に今は大丈夫なんです」
「ああ」
「あと一年は普通の海兵として仕事が出来るって、聞きました。それ以上は内蔵機能が低下して、そう長くは…。撃たれた場所が良かったのか、悪かったのかと…」
「……ああ、そうきいた」
「…だから、もう一回、おれのできることを、生きているうちにやりたくて」

だんだんと下がる肩を、センゴクが正面から抱きしめた。

「ごめんなさい……っ」
「いい……もういい。あと一年、だな」
「……はい。……運が良ければ」

ロシナンテは頷いた。肩を抱く力が強くなる。
心臓が握りつぶされてしまうほどに心が痛んだ。再び苦しめてしまうために、生き返ったのではないかと思うほどに。
それでも、センゴクの喜びは本物だった。生きていて、目が覚めてくれて嬉しいと言ってくれた気持ちは本物だった。
だから、生き返ったことを後悔はしない。

「……ごめんなさい、センゴクさん」

低く呟いた謝罪は、センゴクの広い背中に吸い込まれて消えた。
涙はこぼさないまでも、赤くなった目元を押さえてロシナンテは立ち上がる。

「お、おれちょっとコビー艦のやつらの様子見てきます!知らねェ基地初めてのやつもいるし」
「わかった。私は夕飯前にスモーカー中将と話があるから、明日の出航準備までは自由にしていなさい」
「はい」
「スモーカー中将と話でもしてこい」
「えーっ」

鼻を噛んで立ち上がり、ずるっとすっ転んで絨毯にひっくり返る。はは、っとようやくセンゴクの笑い声が聞こえて、ロシナンテもホッと息を吐く。

「…ドジりました」
「ふ、お前のドジは筋金入りだな」

コビー艦から引き上げてきた荷物から、センゴクが封の切られていないおかきを取り出して放り投げる。

「ほれ、スモーカー中将と食べるといい」
「……はーい」

ロシナンテは苦笑しておかきを受け取り、そのままさっていく。
その背を見送って、センゴクはつぶやいた。おかきはロシナンテに渡した一袋しかない。

「……棚のおかきなど食べていないじゃないか」

息を吐いて、閉じた扉の向こうを思う。
窓の外は重たい雲が垂れ込めている。


***

ロシナンテはとぼとぼとG-5基地の廊下を歩く。宿舎から食堂室まではそうたいした距離でもない。
窓の外に鍛錬をしているコビー艦の顔見知りを見つけて手を振る。
ここでの監査は命じられていないのでのんびりとしたものだ。宿舎を出て港にでも行こうかと思った矢先に、思いっきり足を払われる。鮮やかに地面に押さえつけられて、首筋に何かが突きつけられる。押さえ込まれた瞬間に体から力が抜け、海楼石だとはじき出した瞬間に体が硬直した。

「──まさかこんなところで、……うえっ!?」

力の入らない顔に力を込めて振り仰げば、強面の海兵が葉巻をふかしながら不機嫌そうな顔でロシナンテを見下ろしていた。その顔にロシナンテはがっくりと体の力を抜く。

「何だ、スモーキーかァ……」
「…ずいぶん鈍ったな」
「病み上がりにひでェな」

急に奇襲をかけられたと思って冷えた肝が温む。後輩の可愛いちょっかいだったらしい。
スモーカーの険しい視線がロシナンテを睨み付けている。
長い十手の先には海楼石がついているらしく、体に全く力が入らなかった。

「現役の中将と比べるな。これでも船旅とリハビリで大分勘が戻ってきてるんだぜ。……海楼石離してくれ」

手を振って降参を示すと、海楼石が離れていく。ふーと息を吐いて立ち上がる。久しぶりに受ける海楼石の脱力感は慣れるものではない。
立ち上がって埃を払い、おかきを取り出す。こけたときにドジって粉々だが味に変わりは無いだろう。

「ちょうど良かった、これセンゴクさんから──」
「なんでアンタがセンゴク大目付の側付みてェなことしてる? そもそもおれァあんたが死んだと聞いていた。腹の底が知れねェ相手をおれの艦に乗せる気はねェ」

ロシナンテの言葉尻にかぶせるように言い募られ思わず肩をすくめる。野犬と揶揄されていた若い彼を思い出す。相変わらず鼻がきいて頭の回る、そして警戒心の強い男だ。

「あー……、言いたくねェ、じゃ……納得してくれねェみたいだな」

言葉の途中でぎろりと睨まれて肩をすくめる。さもありなん。

「当たり前だ。……言っただろう"痛い目をみた"と」
「……ヴェルゴか」
「…! それも極秘情報のはずだ」

スモーカーの顔が一層険しくなる。ドジったな、と思いつつもロシナンテはそれを撤回するつもりはなかった。

目覚めてから手当たりしだいに漁った近年の情勢。その中に失踪したG-5前基地長の名を見たときに全てを理解した。そのときの無力感と悔恨は生々しくまだロシナンテを苛む。
ヴェルゴ中将──自分が死んだせいでのさばり続けた兄の相棒。
そしてスモーカーのまだ癒えきらない傷を見た瞬間に点と点が結ばれた。
何しろ幼い頃から知っている兄の相棒であり、初代のコラソンだ。

「アンタ本当に海兵か」
「おれは海兵だ!」

恫喝に近いスモーカーの問い掛けに、ロシナンテは咄嗟に反駁した。
語気荒く反駁して、直後に息を詰める。スモーカーの探るまなざしを見下ろして、息を吐いた。
そう思われても仕方が無いことをしている。
カッとなる資格などない。
一度は全てを敵に回そうとした。
あげくに兄を野放しにしたまま任務も失敗。まだ十三だったガキに自分のなすべきことを押しつけて、のうのうと寝こけていた愚かな男だ。

「……おれは、ただの海軍本部雑用のロシナンテだ」

縋るような声になってしまった。
スモーカーは黙ってそれを聞き、ため息を吐きながら後ろの扉を指さした。入れということらしい。

「ウチのに話を聞かれちゃ困るんでな。アンタが海兵だと言うんなら、洗いざらい吐け」
「イエス、サー。中将どの」

そう言うとよせ、と苦み走った顔でロシナンテを制止する。
入った先は予備室のような部屋だった。荷物がぽつぽつと積まれ、机と椅子が申し訳程度に置かれている程度の部屋だ。
向かい合わせに座る。尋問でも受ける気分になりながら、煙草に火を付けた。

「相変わらず安煙草を喫んでるな」
「贅沢だよ」

ふー、とふかすだけの煙を吐いてようやくわずかに落ち着く。

「……悪かったな、その傷」
「あ?」
「……ドフラミンゴの能力だろう? 命があって本当に良かった」
「それでなんでアンタが謝る」
「おれの名はドンキホーテ・ロシナンテ。……ドフラミンゴの実の弟さ」
「…何だと?」

流石にぎょっとした顔でスモーカーはロシナンテの顔を見る。煙草に添えた手で口元を隠しながら低く呟いた。

「十三年前、北の海で勢力を伸ばすドンキホーテ海賊団を止めるために、あいつの弟であることを利用して潜入した。結局失敗したけどな」
「ヴェルゴと面識があったのか」
「ああ。だが海軍に潜入してるのを知ったのは死ぬ直前。文書もヴェルゴに握りつぶされた。そいつが前基地長って知って、お前の傷はドフラミンゴの能力のものだ。分からない方が無理がある」
「十三年前の北の海でドンキホーテ海賊団がらみなら悪魔の実の取引か」

ロシナンテは苦笑した。まったく頭の良い後輩には舌を巻く。
だが、自分がその取引を台無しにした張本人だとは分かっていないらしい。

「それからずっと眠りこけて、ついこの間目が覚めた。疑うならセンゴクさんに聞いてみてくれ。だから……ヴェルゴがここまで中枢に潜り込んでいることも、あいつがドレスローザを掌握したことも……その後のことも知ったのはついこの前さ」
「冗談みたいな話だな」
「信じられねェのも無理はねえが、信じてもらう他にない」
「"情報"が正しけりゃ、信じるよ」
「……お前ほんと、嫌になるなァその勘のよさ」

葉巻の煙が部屋にたなびく。

「昏睡、十三年前からずっとだったか」
「ああ。昏睡五年目、だから八年前には海軍を除隊になってるって聞いてる。失踪もウチは五年で除隊だろ」
「だが、おれがあんたの殉職を聞いたのは、十年前になる」
「ん?」

ロシナンテは首を傾げる。

「アンタは十年前に死んだことになってたはずだ」
「えっ、そうなのか!?」
「知らなかったのか!?」
「そこまでは……。そっか、だからか……」
「は?」
「いや、おれも納得した」

ロシナンテもふぅ、と煙を吐き出した。同じようにスモーカーも煙を吐き出す。昔、同じように士官学校の喫煙所で鉢合わせたのを思い出した。あの日と今では大分変わってしまった。

「……アンタは昔から根っからの海兵だったと思っちゃいるんだ。不快だろうが……」
「いや、当然だろう。部下の命も預かってるんだ。……一度は全部捨てようとした男だし、信用なんてするな」
「……預かってるで思い出した」

スモーカーがふと立ち上がって乱雑に積み上がった荷物を漁る。ごそごそと漁った箱の底から、平たい木箱を探り出して投げる。

「あった」
「うおッ」

投げ渡された箱を開けて、息を止めた。
ロシナンテの手の平に余るほどの大口径の拳銃。新世界のかつての最新式リボルバーで、自分が憧れて止まず、幾度となく上官に購入申請をしてようやく手に入れた思い出の愛銃と同じものだ。潜入捜査のために身辺整理をしたときに、そういえば捨てるに捨てられずにいた。
ロシナンテの手によく馴染むそれに、ロシナンテは目を丸くする。手の大きいロシナンテのためにグリップが大きく分厚く、その代わりに口径も最大の高威力の拳銃。

「…海軍本部型フリントロック式八連発五〇口径リボルバー、カスタムしてある……」
「あんたの"形見"だっただろ、ロシナンテ中佐」

同じものどころか──そのものだったらしい。
目を見開いてスモーカーを見上げるロシナンテに、スモーカーは初めてふん、と鼻で笑って見せた。

***

時は進み、ここは秋島に向かう艦の上。
風は南南西、カモメは愛らしく膨らみ、順風満帆で素晴らしい。艦は穏やかに秋島、エルガニア列島に進んでいる。あと一両日もなく到着するだろう。
思い出し笑いをスモーカーに睨まれ、艦橋に呼ばれた彼が風に乗って去るのを見送った。
ロシナンテは一人黙々と数時間前の白馬波に手綱をかけたせいでほつれたロープの補修を続ける。

「ロシナンテさん、お一人ですか?」
「たしぎ大佐」

声をかけたのはこの艦の副艦長でもあるたしぎ大佐だった。
彼女が姿が見えなくなるほどに抱えていたリネン類はあっというまに船員たちの手で甲板に張られたロープに干されてぱたぱたとはためいている。この天気ならすぐに乾くだろう。

「ロープの補修任されていたひと、もう一人いましたよね。まったくもう、すぐサボるんだから!」
「おれァ雑用ですから。これくらいお手の物ですよ」
「役目は役目です。ちょっと待っててくださいね!」

今リネンを干し終わったところだろうに、ぱたぱたと忙しなく甲板を駆け去っていくたしぎ大佐にロシナンテは思わず笑みを浮かべた。働き者でよく気が付いてよく動く、なんて良い子なんだろうか。

「雑用てめェ今大佐ちゃんと何話してやがった」
「うわっ」

がばりと甲板のハッチが開き、じっとりとした目つきの荒くれ海兵がロシナンテを凄む。
今にも胸ぐらを捕まれそうになってあわてて顔の前で手を振る。

「良い子だなって思っただけですよ!」
「当たり前だろうが! 大佐ちゃんに色目使ってみやがれ、海賊どもと一緒に火あぶりにするからな!」
「船首にくくりつけるからなァ!」
「おれたちの大事な大佐ちゃんなんだぞ、雑用!」

囲まれた海兵たちに睨まれ、ロシナンテは苦笑した。流石は名の知れたG-5の柄の悪さだ。目つきも口調も海賊とそっくりで、けれど彼らの懸念は大事な上司の安否だ。
根は良い男達なのだろうということが分かる。

「見つけた! あなたたちまさか新人イジメなんてしてないでしょうね!」

一通り見て回って帰ってきたらしいたしぎ大佐が恫喝されているのを見つける。
ぎろり、と強い視線で睨まれた海兵達は、ロシナンテに対するものと打って変わって蛇に睨まれた蛙か、教師にいたずらがバレた子どものように肩をすくめる。

「そんなことしてねェよ大佐ちゃん! な、雑用!」
「な!」
「ええそうですね。今日の夕飯のおにぎりをおれに譲ってくれるって話をしてました」

しれっと嘘をついたロシナンテに海兵達がだらっと汗を流して、ロシナンテを睨みつける。ロシナンテは平然とした顔でまじめにたしぎ大佐に頷いてみせた。

「優しいですよね」

たしぎ大佐は目を丸くして不思議そうな顔で海兵たちを見た。

「……本当ですか? だってあなたたち、おにぎり大好きなのに」
「そッ……」
「それは……」
「梅干しも付けてくれるそうです」
「にやにやしやがってこの……!」
「コラ!」

たしぎ大佐に一喝され、海兵達はがっくりと肩を落としてロシナンテの言うとおりだと肯定する。

「仲良くしてください。もうそろそろ次の海域ですから、それまでにロープの修繕! あと、ごめんなさい、リネンの回収もあとで手伝ってくれますか」
「はーい、もちろん!」
「わかったよ大佐ちゃん」
「できたら褒めてね!」

海兵達は微笑んで背を向けるたしぎ大佐ににこにこと手を振る。
と、彼女の姿が見えなくなった瞬間に彼らはロシナンテの胸ぐらをつかみ上げた。涙目で睨み上げられてもあまり怖くはない。

「てめェこのやろう! 海賊より悪質だぞこのやろう!」
「おにぎり絶対あげねェからな!」
「じゃあおれァたしぎ大佐にいじめられてるって言うけど、いいんだな?」
「う゛っ……卑怯だぞ……!大佐ちゃんには良く思われてェんだおれたちは! てめェそれでも海兵か!」
「海兵です~」

ベロベロと舌を出して揶揄うと、カッとなった海兵達が地団駄を踏んで、甲板がみしみしと鳴る。それほど悔しがるくせにたしぎ大佐の言葉が聞いているのか手を出してこない。海賊ならばここで一発戴いていたところだ。

(スモーキーがかわいがるわけだよなァ……)

ロシナンテはにやっと笑ってロープを持ち上げた。ほつれた古いロープをほどいて新しいものに撚り直すのには人手がいる。

「ロープの修繕しようぜ、センパイ方?」
「「すげェ燃えてるけど!?」」
「ドジったァ!!?」

持ち上げた拍子にほつれた部分に火がついて燃え上がる。ついでにスカーフにまで燃え広がってロシナンテはひっくり返る。

「自分で火あぶりになるとはなんだお前良いやつだな!」
「おれはドジっ子なんだ!やばい!帆に燃え移る!」
「スモやん助けてー!」

大騒ぎの甲板に、賑やかな声とスモーカーの呆れ声が届く。

「燃やすなっつったよなァ!」
「熱ッッッい!!」
「バカどもが…!」

結局その晩、そこに居た海兵たちからロシナンテは無事におにぎりを分けて貰い、自ら火炙りになった男として不名誉な一目を置かれることになったのだった。


その晩、ファーストワッチ前にセンゴクに呼ばれたロシナンテは遊戯盤を指しながら愚痴る。

「で、センゴクさん。おれ火炙りにいい思い出ねェんですけど!」
「まあ、打ち解けていてホッとしたよ私は」

センゴクが肩をすくめて笑う。ロシナンテも本気で怒っているわけではないので同じように笑い返した。

「いい奴らですよ」
「みたいだな。基地の准将たちのことは黒馬に報告してある」
「ありがとうございます。……王手」
「ん! 甘いな」

潮騒の響く船室にパチンパチンと駒が動く。

「王手は私だ」
「……参りました」

相変わらずの智将ぶりにロシナンテは頬を緩めた。

「少し手が変わったな」
「そうですか?昔からあんまりセンゴクさんの相手にはならなかった気がします」
「愚直なばかりじゃなく、強かになった。成長したな」

ロシナンテを見上げるセンゴクの目元は優しい。
どうにも気恥ずかしく、ロシナンテは頭をかいて誤魔化す他になかった。

***

横殴りの突風が時折吹く薄曇りの空の下、メインマストの望楼で見張りをしていた海兵が歓声を上げる。

「野郎ども三時の方角に海賊船だぞヒャッハー!!」

海賊船が見えたという歓声にデッキ掃除をしていたロシナンテが顔をあげる。丁度右舷に居たので三時の方角に目をこらすと、岩礁の近くにマストが見えた。
Mの文字と悲鳴を上げる子どものジョリーロジャー。ロシナンテの現役時代にはみなかったが、新世界に来て早々にこの艦に見つかるとは運のないことだ。中将と大目付と大佐が乗り合わせている船も中々ない。

「はしゃがないの! 報告はちゃんとしてください」
「あの旗、"トラッパー"・ケビーのだな」
「ほー、ついに楽園を出てきたか」

甲板に出てきたたしぎが踊り出しそうな勢いではしゃぎまわる海兵たちをたしなめ、目をこらしたスモーカーがその海賊団の名前を呟く。センゴクも顔をだしている。

「スモやん! あいつら捕まえるだろォ!」
「あいつらちゃんと悪党の海賊だしなァ! な!」
「…海賊を見逃すつもりはねェ。だがあれでも賞金総額三億の海賊団だ。油断はするな。あっちはまだこっちに気づいてねェ。岩礁にかくれて背後に回り込め」
「任せろスモやん! 野郎どもスループを畳めェ!」
「雑用何やってんだ、ブレースにつけ! 弾丸主砲に運べェ!」
「イエッサー!」

岩礁を回り込むとなれば海兵達が総出で動かす帆はまるで生き物のように動く。ロシナンテも声をかけながら、艦という生き物を動かすひとつの歯車になる。
斜めに受ける風を器用に帆に当て、舵を切れば丁度良い突風も合わさって海を軍艦が滑るように進んだ。
流石に熟練の海兵ばかりで、ロシナンテでも中々みたことのない角度で急ターンを決める。
ロシナンテも指示に合わせてヤードを引き、ブレースを回した。幾度かドジって転んだが海に落ちなければ問題は無い。
岩礁がある浅瀬を避け、カモメをたなびかせて現れた海軍の軍艦に、にわかに海賊船が騒ぎ出す。

「気づかれたな。主砲撃て!」
「イエッサー!」

スモーカーのかけ声で大砲が放たれる。
見事に命中した砲丸は海賊船のフォアマストとメインマストをへし折り、そのまま帆を破る。これでもう海賊船は動けないだろう。
それを確認し、腰を溜めて敵船に飛び移ろうとしたスモーカーを、海兵達が慌てて止める。

「スモやんはじっとしてなよ!」
「おれたちが首とってくるからよォ!」
「あ? 何言ってやがる。相手は億に近い賞金首だぞ」
「だってスモやん、怪我治ったばっかりじゃねえか!」
「それがどうした。たいしたことァねェ」
「…そうですね。私とみんなでいきますから、スモーカーさんは見ていてください」

スモーカーの顔が不機嫌そうにしかめられる。怒鳴りつけようとしたところに、ロシナンテが声をかける。

「たしぎ大佐、おれも行くよ」
「えっ、でもあなた雑用では…」
「雑用でもほら、実戦経験つまねェと。な? スモーカー中将どの。万が一があっても中将と大目付がいるんだから大丈夫でしょう」

スモーカーはそれでも何かを言いつのろうとしていたが、たしぎ大佐とG-5の海兵達のまっすぐな視線を受けて、がっくりと頭を押さえた。

「馬鹿しかいねェ」
「あなたの部下です!」
「さっさと行け馬鹿ども。大口叩いて逃げられたらぶん殴るからな」

スモーカーが頭を押さえたまま手を振る。たしぎ大佐と海兵たちが得意げに顔を見合わせて笑いあう。

「行きますよ!」
「おー!」

サーベルが突き上げられるなか、ロシナンテも海兵達より頭4、5個ぶんほど高い場所で愛銃を振り上げた。

逃げようと帆を動かす敵船だが、そもそも既にメインとフォアの二つのマストを折られている。苦し紛れの砲撃をたしぎ大佐が居合いで切り落として海に落とす。海兵たちの野太い悲鳴にも眼鏡をあげて照れくさそうに笑うのが可愛らしかった。

「切り込みます! 接舷!」

逃げ切れないことを察した海賊の行動は一つだ。

「野郎ども、迎え撃てェ!」

 船長らしい若い声が聞こえて海賊船の戦闘員達が一斉にいきり立つ。なるほど、新世界に殴り込みをかける海賊らしく、海軍にも物怖じしないようだった。
相手から鉤が投げ込まれる。ロシナンテはそれを見てぎょっとする。太い柄一杯に溝があり、そこに黒い水が通っている。

「あれ…油か?」
「ぎゃはは! 行くぞォ!」

その鉤を渡って進もうとした海兵の首を引っ張ってつり上げて下がらせる。そのまま船縁に掛かった鉤を蹴り上げた。

「危ねェ!」

折れた瞬間に火花が散り爆発的に燃え上がる鉤。踏み込んでいれば海兵の体中が海の上で燃え上がっただろう。

「なるほど、トラッパー…」
「あ、ありがとう……」
「気をつけろ。無駄に命落とす気か」
「お、おお……」

思わず睨み付けるとこくこくと頷かれる。ふゥ、と煙草の煙を吐くと、頭が切り替わっていくような気がする。あちらから掛けられているロープにも仕掛けがあるだろう。

「みんな、あちらからのロープ、鉤を全て外して海に落としてください! 私が行きます!」
「おれも行こう」

たしぎ大佐が船縁を蹴り上げ、そのまま空を蹴る。ロシナンテもそれに続いた。
あちらに一つ残ったミズンマストの後望楼にたしぎ大佐と共に降り立つ。たしぎ大佐の声が甲板に響く。

「船長以下、投降すれば手荒な真似はしません! 無駄な抵抗はやめて投降する気はありませんか!」

たしぎ大佐の顔の横に銃弾が過る。それが答えだった。たしぎ大佐の顔つきがきりりと変わる。

「──いきます!」

刀を構えて望楼から飛び降りる。そのあざやかな刀捌きはロシナンテも目を引くようなしなやかさがあった。力に劣る分、柳のようにしなやかな刀筋はまるで舞を踊るようだった。
甲板に満ち満ちる海賊では相手にならず、あっという間に倒れ伏す海賊たちで甲板が埋まる。
ロシナンテは望楼からじっと海賊達を眺めていた。

「女に見惚れてンじゃねェぞでくの坊!」
「ああ、悪ィ悪ィ──忘れてねェよ」

マストをよじ登ってきた海賊がサーベルを振り回しながらロシナンテを恫喝する。ざっと見て一〇人がヤードやマストの横木に登ってロシナンテに襲いかかろうとしている。
ロシナンテはふっと煙を吐いて、銃を向けて引き金を引いた。
銃声は二つで十分だった。
一発は数人が登っている横木を的確に折る。二発目はヤードの結び目を滑車ごと吹き飛ばして海賊を二人甲板にたたき落とす。
たった二発でほとんどの海賊は甲板に叩きつけられて気を失っている。

「なんだその威力……! ピストルじゃねェだろ……!」

熟練の海兵でも肩が外れるほどの威力の拳銃も、ロシナンテの体格で扱えばただのピストルだ。

「てめェ! よくも!」

なんとか横木にとりついた男がロシナンテに引き金を引く。ロシナンテは横目でそれを確認して煙を大きく吐き出した。

「──ッ!?」

しかし、そこに居たはずの"デカブツ"は忽然と消えていた。
ただ煙草の煙だけが取り残されて漂っている。

「な、なんで」
「……」

困惑する海賊の背後にぬっと影が立つ。
本能的な恐怖で振り返るより先に、大きな手が海賊の首根っこをつかんだ。まるで子どものようにぶら下げられ、そのまま甲板に叩き付けられる。あっという間に制圧された甲板にはもうたしぎ大佐とロシナンテの他に立っているものはいない。
ロシナンテが最後に甲板に叩き付けた男と、たしぎが首に切っ先を突きつけている男が泣きべそ声を上げた。

「ぎゃァ! 船長ォ助けてェ!」
「たすけて船長!」
「マーヴとハリー兄弟ですね。……船長がいない」

手際よく副船長格を捕縛しているたしぎが周りを見渡して呟く。

「ガキみたいなやつ?」
「ええ」

ロシナンテが観察していた中にそれらしい海賊がいたことを思い出して頷く。

「初めに下に降りていったやつだな。おれが行こう」
「はい。お願いします」

拳銃の弾を詰め直して甲板をたしぎ大佐に任せて船内に潜る。入ってぎょっとする。
花のような甘いにおいが充満し、いくつもの積み荷が甲板下の倉庫を埋め尽くしている。その中を開いて、ロシナンテは鋭く息を詰めた。

「…"凪"」

咄嗟に自らに凪を掛け、気配を探る。倉庫の奥から声が聞こえる。身を隠しながら耳を澄ます。電伝虫で誰かと話をしているようだった。

──なんで海兵が居るんだよ! このルートは大丈夫なんじゃなかったのか!助けに来てくれ!

電伝虫で何やらわめいているのが船長だろう。

「四皇に次ぐといわれたアンタに言われたから従ったんだ! 捕まったんじゃ割に合わねェ! そうだろう、"外科医"」

『その名で呼ぶんじゃねェよ』

低い男の声が電伝虫から聞こえる。
ひゅっ、と息が止まった気がした。凪をかけていなければ声が出ていただろう。

「積み荷はもうだめだ! 海軍にバレた。は……? 無理だそんなことしたらみんな死──」

ぞくりと肌が粟立つ。ロシナンテにも分かるほど、有無を言わさぬ男の声が電伝虫の向こうからする。目つきの悪い電伝虫は誰に擬態しているというのだろう。

『誰が四皇より格下だ。いいからそのまま積み荷を燃やせ。船ごとだ』

ぶつりと電伝虫が切れる。ロシナンテが呆然としている間に男の姿は消えていた。
鼻に焦げ臭く、甘ったるいにおいがしてロシナンテは舌打ちする。

「……嘘だといってくれ」

ドジったと誤魔化す余裕もなく、噛み締めた煙草のフィルターが潰れる。誰にも届かない声が虚しく溢れた。

※※※

「すまんドジったァ! たしぎ大佐ァ! 退避退避!」

船底からの爆風を背中に受けながらロシナンテはハッチを駆け上がった。ロシナンテが肩に担ぐ船長は気絶している。
キールのへし折れる音、砕ける船板と破裂する樽や木箱の音、熱と爆風が甲板の下を震わせている。
船縁から板を掛けて捕縛した海賊達を艦に連行していたたしぎ大佐が急に揺れ動く海賊船に顔色を帰る。

「ええっ!? 爆発!?」
「すまねェ、あと一分くらいで火薬庫に燃え移って沈む!」

ロシナンテは大声でそう告げると、担いでいた船長を甲板に投げ渡した。
一瞬ぎょっとした顔をしたたしぎ大佐だが、流石に将校たるもので瞬間的に指示を飛ばす自らもハリーとマーヴ兄弟を軍艦に投げる。慌てふためく海賊を背負いながら声を上げた。

「皆、海賊を担いで艦に退避してください!即刻!」
「はいよ!」
「…まだまだ甘ェな」
「ああっ、スモ中将待ってェ!」

海兵の止める声を無視し、葉巻を吹かしたまま甲板にスモーカーの煙が充満する。その煙はあっという間に甲板にいた海兵と海賊をひとまとめに軍艦に引き上げる。
ロシナンテはそれを認めると、煙草を噛んで身を翻した。
ごうごうと船が燃える音がする。まだ甲板にまで火の手は上がっていないが、あっというまに喫水線が下がっている。沈没するほうが先になるだろう。

「ロシナンテさん!」
「ロシやん!」

甲板に投げ出されたたしぎ大佐と、なぜか妙な呼び方をしている海兵の声を背に受けながらロシナンテは船室に飛び込んだ。スカーフを口元に当て、構造上船長室があるはずの場所に飛び込む。吸い込んだ煙に悪心がこみ上げて咳き込んだ。

「ゲホ……ッ」

噎せた拍子にスカーフが水ではないもので濡れる。舌打ちをしながら乱雑にそれを拭い、ロシナンテは船長室の机を蹴り飛ばした。大事な物は側に置きたがるのが海賊だ。
絨毯を引き剥がして、床板を剥がす。

「先輩、何を……」
「スモーキー! "契約書"だ! この船の積み荷の証拠がいる! 探せ!」

声に応じて咄嗟に煙が船室に広がる。次の瞬間には霧散した煙が部屋を調べ尽くす。
激しい音がして壁面の額縁が破壊され、その下から帳面が転がり落ちる。スモーカーの実体化した腕がそれを受け止める。

「それか!?」
「他に重要そうなもんはねェ! さっさと退避しろ!」

ロシナンテの肌にも、床下が地獄の釜の蓋を開けたようになっているのが分かる。
部屋を出ようと身を返した途端、がくりと膝が崩れる。

「おい……ッ」

ロシナンテを叱りつけようと振り返ったスモーカーの目が大きく見開かれる。
彼の目に映る自分は、どう見えているのだろう。口の端を血で汚し、喘鳴を漏らす死にかけの男だろうか。この男が酷く耳が良いのを思い出す。

「……はは、ドジった…」

愕然とした顔を一瞬で隠し通したスモーカーが低く舌打ちをした。

「肩貸してくれよ、スモーキー」
「捕まってろ」

ロシナンテを煙が運ぶ。
甲板に降り立った二人をわっとたしぎ大佐と海兵達が迎え入れた。怪我ではなくスモーカーに肩を借りるロシナンテにセンゴクが駆け寄る。

「ロシナンテ……!」
「へへ、センゴクさん。見てました?」
「ああ……」

スモーカーからロシナンテを受け取ったセンゴクは、ぐしゃりと顔を歪めて笑う。

「……無茶をするな」
「でもほら、手間が省けました」

ロシナンテはスモーカーの持つ紙切れを指さし、自分のポケットから麻袋に詰まった"積み荷"を引きずり出す。その独特なにおいにセンゴクがぎくりと冷や汗を垂らした。
麻袋の中にあるのは、さらさらとした砂金の色をした砂。粉末状のそれをセンゴクは正しく理解した。

「"JOY"、まさか積み荷全てか!?」
「はい。まさかですよ。ラッキーでした」

センゴクの肩から力が抜ける。そして次に現れたのは、海軍将校としてロシナンテの報告を聞く"知将"センゴクの顔だった。

「現物と“契約書”か。よくやったロシナンテ」
「ええ。これがあれば接触もたやすいでしょう」 
「そう上手くいくか?」
「あてはあります」
「信じよう……」

センゴクは深く頷いた。
ロシナンテは息を整えて立ち上がった。

──“外科医”

電伝虫で聞こえた名前が頭によぎり、ロシナンテは頭を振って振り払う。
その二つ名で連想してしまった少年の名は今の自分には無関係だ。この件に関わっているはずもない。

ドフラミンゴを打破した立役者であり、ドレスローザの救い主だ──そのはずだ。
それに、あの優しい子がそれほど大それた悪事を働くことなど考えたくなかった。
そうなってしまっていたら、海兵としての自分はどうすれば良いかわからない。
ぶるりと震えたロシナンテに、先程鉤を踏みかけてロシナンテが叱り飛ばした海兵が恐る恐る近づく。

「ロシやん大丈夫か? 怪我したのかァ?」
「大丈夫、ってかなんだよそんな……」
「命救われたんだからそりゃあなァ!」
「アンタのおかげで助かったよ!」
「いや、おれァドジって船爆破させちゃったし」
「アハハハ、秋島につくまで便所掃除代わってやるよ!」
「それは助かる」

ばしばしと海兵たちに背中を叩かれて、ロシナンテは思わずふは、と吹き出した。G-5の海兵たちはロシナンテを船室に追い立てる。

「ロシナンテ、ゆっくり休みなさい」
「はい、センゴクさん。またあとで」

ひらりとセンゴクに手を振ってロシナンテは船室に戻る。
カモメの向こうの空は高く、鱗雲が薄青い空を覆っている。
もう秋島の気候海域に入っていた。
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