35.最強の魔女


 人の気配のないロッカールームで、一人静かにパイロットスーツに身を包んだ。身も心も魔女になり切るつもりで。
慎重にヘルメットを被った。魔女の面を着けるつもりで。
一度取り憑かれたら、二度と外せぬ仮面に思えた。もう、人間には戻れないかも知れない。呪いによって蝕まれるだけでなく、もしかすると死ぬかもしれない。

それでも兄さんがこの手に戻るなら、それでいいと思った__。


『CEOより直接の依頼だ、緊急事態が発生した。現場に急行し、受け渡すべく要請を受けている』
前回のダリルバルデの件もある、信憑性は高い。ただでさえ天手古舞で人の疎らな格納庫。
兄が信任を置くベテラン社員や、責任者と言える者達は皆、出払っている。留守を任され残っているのは、事情を深く知らぬ者達ばかりだ。そう告げられれば、どうこう口を挟める立場じゃない。それに加え、今まで兄に歯向かった事などただの一度もない、外からはただ従順なだけに見えるであろう僕の言葉だ。鬼気迫る表情でそう言い放てば、本社奥の格納庫ゲートは、いとも簡単に開かれた。
残った人手をかき集め、仕舞い込まれていたシュバルゼッテを自社艦船に積み込んだ。

 か細い無数の光が瞬く暗闇へ、滞りなく射出された時には内心ホッとした。
そのタイミングで緊急退避勧告が出たので、彼らには軽く礼を述べてから、後は大丈夫だから危険区域から脱出してくれと、自社艦船ごと体よく追っ払った。

 操縦桿を撫でるように、手のひらで優しく包み込む。
安心したよ。一緒に外(宇宙)に出られて良かった。君が協力してくれるなら、あの人の元に駆け付けられる、今すぐに__。

たぶん、君とリンクを繋げたのは兄さんが初めてだ。
ボブが、君に息を吹き込んだんだ。 
誰かに話すのは初めてだけど、僕の息を吹き返させたのも兄さんなんだ。
あの人が、僕らに命を吹き込んだんだ。
あの日__、不意に抱き締められて、死んだ日々から生き返った僕と。
あの日、ボブに奪われリンクして、一緒に力強く舞った君は同じだよ。
あの人こそが、僕らを生んだマリア様だ。
僕らのことを、初めて愛してくれた人なんだ。
この命を懸けるに値する、何より優先すべきもの。いや、紛い物と嗤われてきた僕らより、ずっとずっと重くて尊い…愛してやまない存在だ。

そんな人が道を誤ろうとしていたら、どうすべきかなんて決まってる。

命がけで止めるんだよ、 
ねぇ 君だってそう思うだろ?


正義でも悪でもない。
白くて黒い機体が起動を始める。
穢れなき心と残酷さを併せ持つ、天使のような死神のような、底抜けに純真な赤子のような機体が__。

ツインアイがギラリと煌めく。その色は僕の大好きな、美しい桃色がかったあの色だ。
『紛い物』と名付けられた君にはシンパシーを感じてる。
『魔女』だなんておかしいよね、生まれたての心を持った君は、こんなにも純粋無垢で美しいのに。

僕が、君が、『空っぽ』だって__?
『出来損ない』だって__?

言いたい奴は、好きにほざいとけ。
心無い事を言う奴らなんて。
そう、今から纏めてこの手で潰してやる。魔女も。魔女に与する奴らもみんな__。
その羽根を全部むしってやる。手も足も全て捥いだ後で、その残骸を火にくべてやる。
魔女もその取り巻きも。みんな、みんな消え失せろ。消えてなくなれ。

履き違えるな、敵対すべきは兄じゃない。最終的な目標は、兄を穢したあいつ。罪の意識を責め立てて、心の枷で縛り付け隷属させるミオリネだ。
ペトラを傷付けた罪、兄さんを唆して狂わせた罪、結果的に父さんを死なせた罪、全部あいつに償わせる。
天罰を下せるのは僕らしかいない。

君と一緒ならば何でも出来る。不思議な魔法にかけられたように、心が一気に強くなる。
これなら兄さんの横に並べる、止められる。
これ以上あの人を穢させない。
血迷った兄さんの腕を引っ張り戻せるのは、この世界で、いや宇宙の中でもきっと。
僕と君しかいないんだよ。

あんなに嫌で仕方なかったコックピットが、今はこんなに居心地が良い。
気分までがやけに落ち着くのは、どうしてだろうか__。
そんな日が来るだなんて、君に初めて触れたあの日は思いもしなかった。

スラスターから吐き出されるジェットの僅かな振動が、足元から全身へと伝わってくる。それがゆりかごに揺られているみたいで、酷く心が安らいだ。
握るのすら怖かった操縦桿が手に馴染む。リンクコールのスイッチが、誘なうように指の腹に収まった。

リンクを繋げるのだって__、別にちっとも怖くはないな。

今となっては分からない。
僕は一体何に対して、そんなに怯えていたんだろう。
君がこうやって手を貸してくれる。それが嬉しくて仕方がない。胸が震えて心が躍る。これで兄さんの傍へ近付ける、あの人の元に行けるって。身も心も昂って、鼓動もこんなに高鳴って__。

命を削る呪いだ__?
それがどうした、
そんなもの、兄と天秤に掛けるならば、語るまでもない。

奪われた大切なものは取り戻す、当然のこと。
僕らの愛しい綺羅星が、この手に戻ってくるならば、なんだって構わない。

親指がリンクコールのロックを静かに外す。それは思ったよりもずっと軽やかだった。

なんだ、こんなに簡単な事だったんだ__。

シェルユニットが紫炎の光を伴いながら、大好きなあの人色に輝き始める。

行こう__、兄さんが僕らを待ってる。
囚われの花嫁が、僕らの助けを待っている。
全てを取り戻すんだ、あの悪魔のような魔女の手から。

 
 格納庫での事前チェックは、満足には掛けられなかった。本来はデバイスと機体とを接続し、プログラムによる自動チェックを掛けた上で、メカニックがその結果を見ながら機体の調整や最適化を行うのがセオリーだ。だが、残っていた者達は、詳しい知識を持ち合わせてはいなかった。
緊急的な持ち出しと言う形で飛び出して来た以上、自信があるとは言えないが、足りない部分は自分でやるしかない。

 魔女を断罪するにしても、ミオリネの口触りの良い黒魔術に囚われた兄さんは、きっと僕らの前に立ち塞がって邪魔をする。抜きんでた技量を持つ兄と、直接対峙する場面がやって来る。その可能性は限りなく高い。となれば、小さな整備不良が勝敗を決しかねず、兄を奪って攫うその前に、それが命取りにもなり兼ねない。だからこそ、出来うる限り万全の状態で臨みたい。

 メンテナンスモードに移行すると、モニターは外部カメラの映像に切り替わる。映し出されるシュバルゼッテの個々の箇所を、自己診断結果と照し合わせ、挙動や装備品の状態を細部まで念入りにチェックする。推進剤の量を確認し、リンクスコアを最低限に抑えながら手足を動かすイメージを頭の中に描いてみる。
腰の大刀を逆手に引き抜き構えてみる。シースとして一体化するビットステイヴを、周囲にドロウとして展開させた後、ビームブレイドを振り翳してみる。呼び戻したビッドステイヴを背面ポイント接続に切替えて、翼のように広げてみる。

映し出されたシェルユニットの桃色と赤紫のグラデーション、その美しさに息を呑んだ。
広げられた翼は、僕の心にぽっかり空いた虚ろのように、片側が大きく欠損している。

そうか、君も『出来損ない』だったな。
漆黒の空間で、際立つほどの美しさを感じるのはそのせいか。
それは闇へと溶け落ちるのを待つばかりの、そう、まるで更待月のように__。

鬼神の如き黒角を有しながら、白い円環状のアンテナは、宛ら天使の光輪を模すかのように君臨し、死神にも似た口元が、無言の威厳と威圧を神々しく放っている。
面白い…君はいったい何者なんだ?
何者にだって成れる、とでも言いたいのだろうか?

今か今かと羽撃きを待つ片翼は、あの人色に瞬いている。闇に浮かぶその妖美な姿に、思わず吐息が漏れ出した。

とても綺麗だよ、シュバルゼッテ。
僕の最強の魔女。

小さく笑みが零れる。君ときたら、本当に魔法使いみたいだ。この僕を、こんなに強気にさせるなんて。君といれば何一つ怖くはない。物怖じすることもない、引け目も何も感じない。

君の力で魔法に掛けられた僕は最強だ。君と手を取り合うならば、見る者全てが恐れ慄き、全てが平伏す『魔女』にもなれる。白でもない、黒でもない。あいつに打ち勝つためならば、最恐の『厄災』にだってなってやる。


 分割画面で外周が映し出されるメンテナンスモードから、通常モードに切り替える。天周モニターには、黒い宇宙の闇空が、茫洋として広がった。

星々が散りばめられた暗がりは、宝石箱をひっ繰り返したようにキラキラと瞬いている。それらの景色は、僕の目には痛いほど美しく輝いてみえた。

操縦桿をゆっくりと傾ける。
スラスターから吐き出されるジェットが轟音を響かせ始める。

もう誰にも『紛い物』だなんて言わせない。
小さい頃から言いたくて仕方が無かった言葉。
兄さんのすぐ隣に並び立つためには避けられない、彼を超え、手にするために必要な言葉。
どうしても、言えなくてもどかしかったその言葉が、今なら胸に閊える事も無く、自然と口から出てくるんだ。

こうして、ちゃんと言える、僕は__。
ラウダ・ジェターク、だ。
僕こそ、ラウダ・ジェタークだ。


 暫くするとインターフェースに巨大な目標物が認識された。もうじきだ。あそこにミオリネの乗る艦船と、そして兄さんがいる__。

 なめらかに滑る指が、リンクの深度を徐々に上げていく。モニター越しに映る数値が目で追えない速さで加速すると同時に、低く唸るモーター音のようだった耳鳴りが、高く鋭い研ぎ澄まされたクリアな音へと変わる。頭が割れるように痛んだ。
マゼンタ色がいっそう華やかな色調に変化する。その輝きは僕の気持ちに応えるように、強い光を解き放った。

 頭の中に瞬いていた無数の星。それが此方に向かって走り込む。景色が一気に加速する。光が星が流れ込む。それらが脳の中心の一点へと集中していく。底知れない深い穴に落ち込むように。自分の存在すらも引き込まれる、飲み込まれる。
瞬く星や光の中で泳ぐような感覚は、意識を向けた時には底の抜けた闇の中で溺れるような苦しみに、取って代わられていた。

脈打つような鈍痛から始まった頭の痛みは、千枚通しで脳を突き刺すような激痛となり、目の奥ではチカチカと火花が散っている。
薄くなる意識を無理やり引き戻そうと操縦桿を強く握った。
呼吸が浅く速まっているのに気が付いて、咄嗟に胸を押さえ込んだ。過呼吸の次にくるのは強い吐き気。それらの全てをぐっと呑み込む。

呼吸が苦しい? 肺が苦しい? 胸が痛い? 頭が割れそう?
違うだろう? これは奪われたものを取り返せるという悦びと、正義の剣を振るえる興奮から、心も胸も打ち震え、高鳴っているだけの話だ。

 この気持ちは、恋なんて言葉じゃ軽すぎる。重すぎる兄弟愛だとか誰かが嘲笑していたけれど、僕は気にもならなかった。
的外れも良いところだ、僕の心の正体はそんな軽々しいものじゃない。この気持ちはその枠に収まりきれるものではないのだから。これが兄弟愛に見えていたと言うのなら、僕は首尾よく角や尻尾を隠せていたという事だろう。

これは__。この正体は、誰の目にも留まらぬように、時も光も届かない深い深い水底に沈めてきた僕の気持ちだ。その息の根を止めようとまで思い詰め、今まで必死に抑え込んできた僕の分身。これ以上大きく育ててしまったら、自分でも手が付けられない。
そんな猛毒、劇物、危険物。肌身に感じる直感としてそれが分かった。
だからこれ以上は育たぬようにと、その首を絞めた。ジタバタ足掻く手足もみんな抑え込んで、何本もの鎖で固く縛り付けた。そして鉄の檻に入れて、冷たい心の水底深くに沈め込んだ。ずっとずっと、誰にも覚られぬように、もう一人の僕を閉じ込めてきた。

それでもそれは、埋み火のように消えてはくれなかった。
幼少期に抱え込んだ、凍えるように冷たい暗黒。今も僕の奥底に、ひっそりと残り続けるその澱み。その仄暗い水底に、いくら深く沈めようとも、ジュウジュウと音を立て続け、いつまでもジクジクとこの胸を焦がし続けた。

気が付いた時には僕の抑えを振り切って、立派に育ってしまっていた。醜悪に膨らんだ抱えきれないほど大きな気持ちの化け物が。この身の破滅を呼び込みかねない、肥大化しすぎた想いの怪物が。僕が今日まで心の底に仕舞い込んできた、兄への本当の気持ち。それは、自他を見境なく傷つけ回る恐ろしい悪魔のような代物だった。

でも__、もう僕はそれを隠さないし、閉じ込めない。魔女になろうと決めた時点で、人の枠などかなぐり捨てた。鬼でも魔物でも、怪物にでも、化け物にでも、何にだってなってやる。
なりふりなんて構ってはいられない。彼を取り戻す為なら、何でもすると決めたんだ。


出会ったあの日から、ずっと__。
僕を傷付けようとする全てのものから、あなたはいつも守ってくれた。
拳を振り上げ立ち向かい、許さずにいてくれた。それだけで僕は幸せだった、涙が湧くほど嬉しかった。いつだってあなたのおかげで満たされてきた。
あの日差し伸べられた腕の温かさ、それを今もずっと覚えてる。
あなたにとっては、ただの同情か、気まぐれか、あるいは戯れ心の一つだったのかも知れない。
それでも。僕にとっては、あなたが救いの神か何かにみえた。
目に映る全てのものに、僕の生きるこの世界に、光と色とが灯ったのはそれからだ。

だから今度は僕が、あなたを苦しめる全てのものを振り解き、あなたが抱える恐怖や悲しみ、その全てを払い除けてあげたい。
あなたがかつて、そうしてくれたように。

それだけだ__。ただ、それだけなんだ。
酷く辛そうな顔をするあなたを目にして、僕が平気でいられるとでも思っているのか?
あなたを傷付けるもの、穢すもの、僕はそれらを決して許さないし許せない。
割れたガラスの破片のように鋭い棘となってしまった心だろうと、削り取られて大きく抉れた心だって、あなたが背負った何かが、とてつもなく大きかろうと重かろうと。僕はこの手であなたを丸ごと抱き締める。

だからもう__。
遠ざけないで、突き放さないで。
傷ごと罪ごと、あなたの全てを抱かせてほしい。
刺さったままの幾千万の鋭い破片も矢も棘も、僕がこの手で引き抜くから。
だからどうか、傍に居させて。
血を流すのも、毒を呑むのも、いつだってあなたと一緒だ。

罪も傷も隠さなくていい、あなたを丸ごと背負うと決めた。全ては覚悟の上だ。
流れ出る血は優しく舐め取る、吹き出すその血は両手で塞ぐ、毒が回ろうと血濡れになろうと、僕はあなたを抱き締める。 
あなたが血の涙を流しているなら、僕も一緒に赤い涙を流す。
毒矢を受ければその傷口を、僕が噛んで吸い出そう。
あなたがうっかり毒を呑んだのなら、僕だって後を追って毒を呑む。

辛い記憶も、苦しみも、罪だろうと、闇だろうと、僕があなたの代わりに全てを呑み込む。
あなたのためなら何でも出来る。

あなたが辛いのならば、僕が代わりに兄になろう。ジェタークだって僕が引き継ぐよ。CEOだって引き受ける。
咎人だろうと、悪魔だろうと、天使だろうと、魔女だろうと、人ならざるものだろうと。
僕があなたにとって代わって、何にでもなってみせるから。

だから。待ってて__。
今すぐ向かうよ、あなたの元に。
拒絶されても突き放されても、それでも僕は諦めないから。

もう我慢しなくていい。強がらなくていい。怖がらなくて大丈夫だから。
辛いことは全部僕に預けて。
これからは全身全霊を傾けて、僕があなたを守るから。
生涯かけてあなたを愛し続ける、ずっと守ってみせるから。


ほら、頭の中にあんなに綺麗な星が無数に見える。それがこっちに向かって流れ込んで__、ああ、なんて速度だ! 頭が痛くて割れそうだ、裂けそうだ!!
だけど、とても良い景色だ…、美しすぎて目眩がする。
きっとこの宇宙の星空達も、僕らの正義の遂行を歓迎してくれているんだね。
この黒い星空のどこかに兄さんがいる。
君と僕ならきっと見つけ出せる。
これは間違いなく運命だから。
あの時ボブを拾ったように、拾えたように、必ず彼を見つけてみせる。

さあ、探し出すんだ。僕らの可愛い花嫁さんを。
ねぇシュバルゼッテ__、燃える正義の厄災、最強の魔女。


 錯乱しながら飛び出した僕は、導火線に自らの手で火を付けた。爆弾と化した心を抱えて、漆黒の星空の中を僕らは彷徨う。
諸悪の元凶ミオリネが手下を従え乗り込む艦船と、愛しい兄さんが搭乗しているであろう、マゼンタ色の機体を探して。

 静かに忍び寄って索敵すれば、彼らは直ぐに見つかった。宇宙の闇に浮かぶ奇怪な形の建造物。そこから暫く距離を取った片隅で、小さな光点3つがターゲットとして認識された。アラームが消魂しく鳴り始める。
映る船影と2機の機体に目を凝らす。ズームを寄せると艦船と接するのはデミバーディング、それを護衛するように寄り添う兄のディランザがいた。
昂る感情に呼応して、指先がリンクの深度を引き上げる。僕はさらにスコアを上げた。

僕の愛しい花嫁を、今度こそ、この手で掴んで取り戻す。
叶わぬのなら。いっそ、最期に死の接吻を__。

その時は彼の首筋に最上級の愛を突き付けて、自分も呪いで共に死のう、そんな決意を胸に、兄の元に駆け寄った。

分かっていた。あの彼のことだ。魔女の元へと通ずる道を、黙って身を引き開けてくれる筈もない。

呼吸がさらに荒くなる。息が燃えるほど熱く感じる。逆に心は凍り付くほど冷たく感じた。
凍える心と燃える吐息。これがきっと最後になるだろうから__。
せめて、この宇宙の闇に華々しく散り咲かせようと思った。
自分への、兄への、そしてシュバルゼッテへの手向けとして。

僕はリンクを通してシュバルゼッテに語り掛ける。
この胸の内の虚ろを切り裂いて、僕と兄とを固く縛って結んでくれ、二度と解けぬように。
祝福の天使に、結びの死神になってくれ。
死と言う結びで絆いでくれるなら、あの人をもう二度と離しはしないから。 


さぁ、兄さん始めよう 僕はもう退かない。 
この闇をあなたごと切り裂けば、あなたをこの手で切り裂けば、僕らはきっとその先で結ばれる__。
ラウダ・ジェタークとして、あなたの痛みも罪も、丸ごと全てを代わりに背負う。
これが答えだ、あなたに対する、最上級の僕の愛だ。


 最初から全力だった。兄さんに打ち勝つためには生半可な腕じゃ敵わない。僕の実力では届かないなんてこと、僕が一番知っている。だから躊躇はしなかった。

出力を全開にして、突如襲い掛かる僕を前に、彼は何を思っただろう。
面食らっただろうな__、驚きと恐怖に満ちた兄の顔が脳裏に浮かんだ。

それでも、僕は止まることなく兄を言葉でなじり、シースの大刀を振りかぶり、ビームガトリングを兄や艦船へと向けた。ビットを展開させては、装甲が溶け落ちるようなレーザーを放ち、猛攻を続けた。

苦しむ姿を見せつけて、心理的な揺さぶりを掛けた。負荷から苦しげな息遣いがあがる、苦悶に満ちた表情を浮かべ、痛々しい叫び声を吐き散らした。
それらの全てを、僕は狙ってやったのだ。
わざと兄さんが傷付くような言葉を投げ掛け続けた。心が折れるような罵倒を放った。

卑怯な男だと蔑むか__?
それでも彼に勝たねば彼は手に入らない、その心を折らねば、この手で彼を掴めない、ミオリネから引き剥がせない。

彼のその身にその心に、この手を伸ばそうと、掴み取ろうと必死だった。
四肢を捥いで、自由を奪って__。

最終的には攫うつもりだった。説得は後からでも出来る。まずは徹底的に破壊せねば。その高邁な心も、腕っぷしも、彼の全てをへし折って、屈伏させなければ、彼を手に出来ないとそう思った。

ディランザの足を薙ぎ払った僕は、ここが勝機と勢い付いて、ベアリング弾を目晦ましに炸裂させる。その間隙を突くように、ビームブレイドを振り翳した。ビームトーチを引き抜いて向かってくるかに見えた兄さんに、僕の胸は高揚した。

そうだよ、兄さん。そうじゃなきゃ__、立ち向かってくれなきゃ。正面から向かってくるあなたに勝たなきゃ、僕はあなたを手に出来ないのだから__。

過呼吸で薄くなる意識を必死に引き戻し、顔を歪めて、僕は胸の内でほくそ笑んだ。

ねぇ、兄さん__。今のうちに、どこがいいか考えておいてくれよ、僕らの安住の地を。
宇宙の果てがいいかな?
それともあの世にしようか?
いや、どこであってもあなたさえいれば、そこが安住の地だ。
あなたがこの手に戻れば、それでいい__。

僕の気持ちに呼応して、シュバルゼッテの拳の内のビームブレイドが、より固く握り込まれたのを感じた。僕は、シュバルゼッテは、マゼンタ色の兄の機体に、勢い付いて突っ込んだ。

その瞬間だった。
目の前でビームトーチの刃が消える。

僕が勢いを殺せぬまま突き立てたビームブレイド、その刃だけがディランザの横腹を貫いた。
身動ぎもせず、僕の、シュバルゼッテの、ビームブレイドを腹に受け入れたディランザが、モニター越しに映し出される。

我に返った瞬間に、機体ごとその腕で抱かれていたのは、あの日と同じで、僕らの方だった__。

少し遅れて、兄さんが、自らスイッチを切ったんだと気付いた僕は混乱する。

「……どう…して…」
あの日の景色が脳裏を駆ける。兄さんに抱かれた肩の温かさを思い出す。
凍りついた心の端が融け出すのを感じた。

「…兄さん……?」

こんなはずじゃ__。

「お前の言うとおりだ。父さんのこと、みんなが…お前が…許してくれなかったらって…」
兄の心を折ろうとして吐いた暴言が、深く刺さって血が噴き出してる。出血多量で今にも倒れそうなくらいの重傷だ。そのことに、今さらながらに気付いた僕は恐れ慄く。

いやだ__、
僕はあなたを守ろうとして__。
守りたくて。穢されたくなくて。
だから、こうやって…。
それなのに__。

「兄さん…逃げて…」
あなたが死んだら意味がない…あなただけ死ぬなんて、そんな事は想定してない。
僕とあなたは死ぬなら一緒に死ぬんだ、いつでも一緒だ、そうだろう…?

「俺はもう逃げない。父さんからもお前からも。だから…」
兄を止めたくて、掴まえたくて、吐き散らした言葉達。それが致命傷になってしまった__?
僕の心は混沌の中で散り散りになったまま固まった。頭が脳が動かない、何も考えられない。

僕の動揺がリンクを通して機体にも伝わったのだろう、シュバルゼッテは微動だにしなくなった。僕と最強なはずの無垢な魔女は、一緒に固まり、その場から一歩も動けなくなってしまった。

「ガンダムなんて…もう乗るな」
額に灯るシェルユニットがディランザの手で潰される。あの時と同じ、優しい指先だった。
それを境にリンクが完全に途切れるのが分かった。
それは、自分の身を犠牲にしてまで誰かを救おうとする、いつも通りの兄さんだった。

兄さんは、魔女に狂わされていた、のでは…なかったのか__?

あの日と同じ。
僕を、シュバルゼッテを、ディランザの腕や手のひらが、しっかりと温かく、包み込んで抱いている。

兄は僕のことを、今でも愛してくれている__。
否が応でも、それが分かってしまう。

じゃあ、僕は、いったい何のために……?

「…ごめ…兄さ……」
兄のディランザが爆発に巻き込むまいと、僕の乗るシュバルゼッテを、ゆっくりと押し離す。

いやだ__。
死ぬ時は一緒にって、そう決めていたのに__。
一人にしないで もうあんな思いは

「…ごめ…ん…」

玉の雫となった涙の粒がシールド内を乱れ舞う。
大好きな兄さん、愛する兄さん、行かないで__。

やだよ__、

僕だけ置いていくなんて 
そんなのずるいよ
そうやって いつも 
こっちがびっくりするような
大きな愛で 不意に包んで

あなたは いつも
いつもずるいよ
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