シュヴァルグランが自分の胸をトレーナーに押し付ける話
作成日時: 2024-03-09 22:15:54
公開終了: -
「『スキンシップで、胸を押し付けて、彼にアピールしちゃおう』……?」
それは、たまたま手に取った雑誌に書かれていた文言だった。
ヴィブロスが僕の部屋に置いていった、いかにも僕らの年代向けな、普段なら絶対読まないであろう女性誌。
どんなものなんだろうと魔が差して、とりあえず開いて、出て来たページが『彼氏の喜ばせ方』だった。
ぱたん、と本を閉じて、大きくため息をつく。
「まったく、ヴィブロスも、こんなのを読んで」
まあ、実際の目当ては、表紙にでかでかと書かれている『セレブの最新トレンド特集』なのだろうけれど。
僕は机の上にその雑誌を放り投げると、ベッドに寝転がって、天井を見上げる。
胸を押し付けてアピール、とはいうものの、そんなに良いものなのだろうか。
確かに男の人は、大きい胸が好きというイメージがあるけれど。
「……トレーナーさんも、胸を当てられたら、嬉しいのかな」
ふと、脳裏に、僕のトレーナーさんの顔が浮かび上がる。
どうしようもなかった僕を見出して、導いて、夢を一緒に追いかけてくれた、トレーナーさん。
優しくて、頼りになって、格好良くて、たまに可愛い。
そんな彼だって────当然、男の人なわけで。
僕が、胸を押し付けたりしたら、喜んでくれるのだろうか。
むにっ、と自身の胸を軽く持ち上げた。
「こんな脂肪の塊、邪魔だって、思っていたけど」
気が付けば、ヴィブロスよりも姉さんよりも、大きくなっていた胸の膨らみ。
走ることにおいてはなんのプラスにもならないし、悪目立ちしてしまうしで、良いことなんてなかった。
でも、これでトレーナーさんに喜んでもらえるとしたら。
「……へへっ」
無意識に、笑みが零れる。
もしもそうならば、大きくなって良かったなと思える気がするのだ。
◇
そんな、ある日のことだった。
トレーニングを終えた後、シャワーを浴びて、着替えて、トレーナー室に戻って来た時。
「あの、戻りました……トレーナーさん?」
トレーナーさんは、窓際を向いて、立ったままタブレットを見つめていた。
僕が来たことにも気づかないほど集中して、穴が開きそうなほどの熱心な眼差しを向けている。
あれは、僕のトレーニングについて考えている顔だ。
僕のことを大切に想ってくれる嬉しさ半分、僕に気づかない寂しさ半分。
複雑な心境のまま、トレーナーさんのことを待とうとして────ふと、気が付いた。
今が、チャンスではないかと。
トレーナーさんは今、隙だらけの背中を僕に晒している。
だから、今からこっそり近づいて、後ろから胸を押し付けるように抱き着くのは容易なはず。
彼から見られることもなく、一気に攻めることの出来る、絶好の機会。
「……っ」
ごくりと、息を呑む。
心臓は球場での応援よりもバクバクと、大きく鳴り響いていた。
落ち着け、僕、これはトレーナーさんに喜んでもらうため、喜んでもらうためだから……!
自分に言い聞かせながら、僕の足は一歩、また一歩とトレーナーさんに近づいていく。
そして誘われるように、彼に触れる寸前の位置まで、辿り着いた。
熱くなりすぎてくらくらする頭、五月蠅いくらいの鼓動、鼻先に感じるトレーナーさんの匂い。
大きく深呼吸を一つ、両手を大きく開き、僕は意を決して一歩踏み込んだ。
「……シュヴァル?」
「~~~~っ!」
全身をトレーナーさんの背中に押し付けて、手を前に回して、ぎゅっと抱き着く。
僕の胸が、彼の背で形を変えるのを、ダイレクトに感じてしまう。
なんだか全てが恥ずかしくなって、僕は隠れるように、その背中に顔を埋める。
脳に一気に飛び込むのは、汗の匂いが混じった、爽やかなトレーナーさんの香り。
────あっこれ、ダメだ、神経が甘く痺れて、頭が、おかしくなりそう……っ!
僕は最後の気力を振り絞って、ちらりと、潤んだ視界でトレーナーさんの様子を確認する。
「……シュヴァル、どうかした?」
トレーナーさんは、穏やかで慈しむような笑顔で、僕のことを見つめていた。
なんだか、僕が想定していた反応とは、何か、違うような。
すんと、頭の温度が下がり、冷静になってしまう。
確かに、確かにトレーナーさんは嬉しそうな顔をしている。
けれどそれは、なかなか懐いてくれなかった猫が甘えに来てくれたとか、そういう感じだった。
「トッ、トレーナーさんは、僕にこうされて、嬉しくないんですか……?」
「キミが素直に甘えてくれるようなってくれたのは、とても嬉しく思っているよ」
「……そっ、そうなんですか……そっか……へへっ」
────いや、へへっ、じゃないだろう僕。
これは実質、僕の身体に女の子としての魅力がない、と言われていることと同義なんだぞ。
何とか我に返ると、もやもやした気持ちが、胸の中に溜まっていく。
……いや、これは背中だから、ダメなんじゃないだろうか。
背中の耐久力は正面の七倍って話を聞いたことがあるし、正面からならば、ちゃんと通じるはず……っ!
「……トレーナーさん」
「ん?」
「…………前から、抱き締めてもらっても、良いですか?」
「……今日だけ、だからね?」
トレーナーさんは困ったような声色でそう言ってくれた。
僕がそっと離れると、トレーナーさんはくるりと反転して、正面から向き直った。
彼の緩んだ表情が、彼のほっそりとした身体つきが、彼の爽やかな匂いが、僕を誘う。
ふらふらと一歩、また一歩と近づいて、ぽすんと頭から彼の胸に飛び込む。
そして彼の背中に手を回し、僕の胸を押し付け────ようとして、気づく、気づいてしまう。
────トレーナーさんの胸って、意外と筋肉質で、逞しくて、大きいんだ……♪
トレーナーさんは細身で、筋肉の薄い、柔らかい身体をしていると思っていた。
でもそれは引き締まっているだけで、厚い筋肉のある、固い、男の人の身体を、トレーナーさんは持っていた。
それと、匂いが、とても強い。
汗臭くって、それでいて爽やかで、でも男らしい匂いが、とても濃い。
嫌じゃ、ないけど。
「……すぅ……んんっ」
「……シュヴァル?」
大きく息を吸い込んで、トレーナーさんを堪能すると、びくりと反応してしまう。
耳は忙しなくピコピコと動き、尻尾はぶんぶんと激しく揺れ動き、僕はそれを抑えられない。
身体はすり合わせるように勝手に身動ぎしてしまい、トレーナーさんはそれを心配そうに見つめた。
トレーナーさんを喜ばせるどころか、心配させている。
むしろ、僕の方が、喜んでしまっている。
違う、まだ終わってない、いつか、姉さんだって言っていたじゃないか。
「顔が赤いし、目もとろんとしているよ、横になって休んだ方が良いんじゃないか?」
「って……ない……」
「えっ?」
「まだ……終わってない……」
「そもそも何が始まっていたんだ?」
「身体を離すまではッ……まだッ……負けてない……ッからァ~~……♡」
「何の話!?」
僕はそのまま、意識が飛ぶまで、トレーナーさんにくっつき続けた。
……正気に戻った後、三日間ほどまともにトレーナーさんの顔が見れなくなったのは、また別の話。
お知らせ
実務でも趣味でも役に立つ
多機能Webツールサイト【無限ツールズ】で、日常をちょっと便利にしちゃいましょう!
▶無限ツールズ