カイネウス 憧れを追い続けた者 


 英雄カイネウス、彼は粗暴な態度と神への冒涜行為とは裏腹に弱者に厳しいようで優しいという、複雑なあり方で有名だった。
彼は調子に乗っているという理由で魔獣や怪物、王や英雄と戦い、嘆くだけの弱者には軽蔑の一瞥をするだけだが、無謀な挑戦に挑む弱者には喜んで助太刀し、戦い方を教えたりもした。

 彼はラピテース族の王になったり、アルゴナウタイに加わったり、カリュドーンの猪狩りにも参加して武勲を示した。

 そんな彼の英雄としての原点は、テッサリアの海岸より始まった。
その時の彼は、カイニスと言うテッサリア一の美貌で知られる美しい乙女だった。
求婚者も数多いたが、カイニスにとっては結婚したいと思える相手はおらず、うんざりしていたという。

 その日も、気分転換に海岸を歩いていたところを、海神ポセイドンに襲われたのである。
恐怖で腰を抜かすカイニスに、ポセイドンが覆いかぶさろうとした時、その巨体は吹き飛ばされた。
ポセイドンを吹き飛ばしたのはヌオーだった。

 ヌオーはポセイドンに、その子が嫌がっているからやめろと伝えたが、頭に血の上ったポセイドンはこの不敬な妖精を殺すことに決めた。
テッサリアの海岸で神代の死闘が繰り広げられた。
怒り狂ったポセイドンは周囲の被害も気にせず、大津波を引き起こしたので、ヌオーも死力を尽くしてその同規模の津波ぶつけてを打ち消した。
カイニスは、自身を全身全霊で守り抜こうとするヌオーの背中に見惚れていた。

 たかが妖精風情に手こずっていることに、ポセイドンは怒りの咆哮を放ち、黄金の三叉鉾を手に持ち巨大な大津波をヒト型にしたような姿となって、さらに全身より超高圧の水流を触手のように伸ばした。

 その力はまさに天変地異、テッサリアそのものさえ飲み込み破壊しつくすような大波濤と黄金の三叉槍による攻撃、さらにはイージスをも穿つ超高圧の水流にヌオーの肉体は少しずつ削がれていった。
それでもヌオーは恐怖に震えるカイニスを安心させるように、笑みを浮かべ海神に立ち向かった。
大波濤と大波濤同士が相殺し、黄金の三叉槍とヌオーの破壊光線が衝突しあって爆発し、互いが繰り出す超高圧の水流が蛇の殺し合いのように踊り狂っていた。

 人知を超越した死闘は、怒りで力配分を忘れていたポセイドンの核を、ヌオーの渾身の破壊光線が穿ったことで決着がついた。
その一撃で転倒し、『神霊』としてのポセイドンは光の粒となって、自身の領域に強制送還されつつあった。
だが、たかが妖精風情に負けるものかと、地上世界で振るうことは許されない全力を出そうとするポセイドン。
世界そのものが悲鳴をあげる光景にカイニスは失禁したが、ヌオーは瀕死の体で彼女の頭を撫でると、ポセイドンの最後の攻撃に備えようとした。

しかし戦いは、両者の間に雷霆が落ちたことで中断される。
雷霆とともに現れたゼウスは両者に宣言した「この勝負はアルケーの勝利である! ゆえにその娘カイニスはアルケーのものである! さあ退くがいいポセイドン! これ以上、恥を晒すつもりなら、続きは我がするぞ!」
 その言葉にポセイドンは正気を取り戻し「血に汚れた娘など、いらぬわ‼」と吐き捨てて海中へと姿を消した。

 さきほどまでの現実離れした光景が終わり、カイニスは暴漢に襲われた恐怖を思い出して震えた。
そんな彼女をヌオーは優しく抱きしめ、背中を撫でて安心させようとした。
彼女はヌオーの胸の中で泣いた、だがそれは心細いが為ではなく、誰よりも頼りになる相手だからこそ、そこまで甘えられたのだ。
やがて、瀕死だったヌオーはカイニスが泣き止んだ頃には力尽き躯になっていた。

 彼女はその事実に気が付くと、茫然自失となった。
カイニスは全てを捧げたいと思える相手を見つけたその日に、その相手を失ったのである。

 やがて、ヌオーの遺骸を回収しにエフェソスよりアマゾネスの女王オトレーレが現れ、カイニスに事情を聞いた。
カイニスはあるがままをオトレーレに伝えると「兄様らしいな……」と言い、涙を流した。
その後、オトレーレはヌオーの名前がアルケーである事を教え、葬儀に参加したいと懇願するカイニスとともにエフェソスへ同道した。

 葬儀には数多くの参列者が訪れ、そのヌオーがエフェソスでどれだけ慕われていたかが伝わった。
戦神アレスと女神エレオスにもカイニスは事情聴取され、話の途中で泣くカイニスを女神エレオスは優しく抱いて慰めた。
葬儀から一ヶ月がたったがカイニスは喪失感から立ち直れていなかった。
カイニスにとっては初恋だった、そして生涯最後の恋であったのである。
なぜなら、カイニスには想像すらできなかった、見ず知らずの女のために海神ポセイドンに立ち向かい勝利する英雄など、これから先出るのだろうか?
それと同時に、愛おしい英雄の血が自分の肉体に染み込んでいるのを理解したカイニスは、自分も英雄になればアルケー様に近付けるのかなあ……と妄想を始めた。

 時はカイニスの精神を、よりおかしくした。
矮小な自分への憎悪、偉大なる英雄への憧れと恋慕と執着は、カイニスという女を焦がしていた。
そしてカイニスは面識の出来たオトレーレに、自分を戦士として鍛えて欲しいと懇願した。

 血筋に恵まれ、幼少期から過酷な鍛錬をして試練を乗り越えて、やっと一端のアマゾネスになれるのに、暴力とは無縁だった世界に生きていたカイニスでは挫折は間違いなしである。
とはいえオトレーレにしてみれば兄が命がけで守った女を、立ち直らせる良い機会だと思い、彼女を鍛えた。

 カイニスは武の才能は無かったが、その狂気ともいえる精神性が過酷な鍛錬を耐えさせた。
いや、彼女が言うには、「くじけそうになったら、アルケー様が励ましてくれるんです、抱きしめてくれるんです、それに恐怖だったら、あの時以上の物はそうはありません」とのことだった。

 狂気的ではあっても、やる気のあるカイニスを鍛えることに喜びを感じていたオトレーレ。
だがカイニスには戦う者としての才能がない、たまたまエフェソスを訪れたケイローンに聞いても、根本的に英雄には向かないという評価だった。
彼女の本気に応えたいオトレーレが悩んでいると、叔母のエリスが現れ、「自分ならカイニスなる娘を英雄にしてやれるぞ。 ただし、その道は過酷だし、途中でやめればタルタロスの底へ直行だけどね」と言った。
オトレーレはさらに悩んだ、女神エリスは嘘をつかない。
ゆえに、自分でさえタルタロスに直行するような過酷な試練を乗り越えなければ、英雄にすらなれない。
それはもう諦めろと言っているに等しい。

 悩んだ末にオトレーレは全てをカイニスに話した。
カイニスは即答で、エリスの試練に挑戦すると伝え、「才が無いのは知っていました師匠。 ありがとうございます。 私のことで悩んでくれて」と言った。
可愛い弟子を、望むように鍛えてあげられないことに、オトレーレは部屋で一人泣いた。

 カイニスはエリスに引き取られ、タルタロスで修業を受けることとなった。
それはまさに過酷の一言で、毎日、異形の怪物と戦わされたり、罠だらけの洞窟を探索させられたりした。
そんな日々を生きるうちに、カイニスは自分が異常に強くなっていることに気づく。
怪物を素手で殺すなど以前は不可能だったが、今は問題なく行える。

  疑問に思ったカイニスがエリスに聞くと「そうか、やっと人間を超えてきたようだな」と答え「単純な話だ。
人間の肉体は精神より遥かに速く限界になる。 だから幽世であるこの地で修業することで、人間より精霊に
近い存在に置き換えその前提を逆にするのさ。 今のお前は精神が肉体を凌駕し、精神さえ強くあれば英雄に
も匹敵する身体能力だ」

カイニスの疑問はまだある「いつのまにか習得してる、この能力はなんですか?」
そう、怪物どもと力比べしても勝てたり、怪物の牙や爪を弾く肉体など、さきほどの話からしても異常である。

 そんなカイニスにエリスは微笑んで「それはね。 お前の身体に染み込んだ『アルケー』の残滓がお前に力をくれたんだよ」と伝えた。
その言葉に、心当たりがあるのか恍惚とした表情を浮かべるカイニス。
ああ自分は、確かにアルケー様に近付いたんだ。

 その後もエリスの修業は続いたが、ある時、地上で経験を積むようにエリスはカイニスに言った。
エリス曰く、英雄としての基礎は出来たが、これ以上は英雄としての経験で鍛えるよりほかにないと。

 カイニスはエリスに礼を言うと、地上ではカイネウスと名乗り、男として生きる事を伝えた。
その理由は女としてのカイニスをアルケー様に全て捧げたいからだった。
そして精神で肉体を支配できるようになったカイニスは女性の身体から男の身体に姿を変え、地上に赴いた。

 その後はラピテース族の王になったり、アルゴノーツの一員として冒険したりカリュドーンの猪狩りに出たりと活躍。
数多の英雄との切磋琢磨はカイネウスをさらに強くした。
もっともヘラクレスや神々の領域には、まだまだ及ばなかったが。

 やがてカイネウスは冒険の中で好き勝手をする神々に怒り、ついには挑戦状を叩きつけた。
自身の槍を神として崇めろと臣下に伝えたのである。
その理由は、その槍にはアルケーの精髄が材料として使われているからである。
自責ゆえに冥界でカイニスを待つ彼は、地上で英雄として頑張る彼女に、少しでも力を貸したくて、両親と兄弟達に自分の遺体の一部を混ぜた槍を作ってカイニスに渡すように頼んだのである。
当初は難色を示した彼等も、オトレーレとエリスの説得により、槍を作ってカイニスに渡したのである。

 渡された時、カイネウスは歓喜のあまり、男性体から女性体に一時戻ったという。
暴君ではあるが、王としてはカイネウスはだいぶマシな部類だったので、民はその槍も神として扱いはじめた。

 その冒涜的な行為に危機感を抱いたゼウスは、刺客を何度か送るも全部返り討ちになった。
最終的にケンタウロスの軍団を差し向けられ、全滅させるも力尽きて死亡したが、この程度の武勲では、あの方に恥ずかしくて会えないと、カイネウスは自身の肉体を黄金の鳥へと変えて、どこかに飛び去ったという。

余談:後に英霊としてキリシュタリアに召喚された際の、神霊ともいえる格を有している理由は、アルケーが自身の全てをカイニスに託したからである。
そのため、ポセイドンの加護呼ばわりは最大の地雷であり、即座に全力でその侮辱への返礼を行う。

アルケー
女神エレオスの最初の眷属。
自他ともに認める最強のヌオーだが、物を作る能力が低く、その事に劣等感を抱いていた。
『慈悲』の心が強く、定期的にエフェソスを出て放浪し、数多くの助けを求める人々を救ってきた。
その果てに、海神ポセイドンと戦うこととなるのである。
カイニスのことは常に気にかけてて、冥界で彼女の心を守れなかった自身の非力を悔いている。
なおカイニスは足手まといの自分がいたせいで、アルケーが死んだと思っているが、彼の在り方的には守る対象が居ることで強くなる性質の持ち主なので、ありえない前提だが普通に戦えばポセイドンの圧勝である。

海神ポセイドン
散歩中に、自分好みの乙女を見つけて、今日は良い日だと思ったら、最悪の日になってしまった運の無い神様。
アルケーと比べればあらゆる点で格上なのだが、それを覆すような相性の絶望的悪さと、苦境であればあるほど強くなる理不尽な特性持ちだったせいで、『神霊』としてのポセイドンは敗北。
屈辱のあまり『真体』を出して、アルケーを殺そうとしたがさすがにゼウスに止められた。
その後、戦神アレスは息子が殺された件で裁判を要請しようとしたが、ポセイドンのズタボロっぷりに、死んだだけの息子よりもよほど状態が酷いと考え、取り下げた。
女神エレオスも、発端が最悪極まりないことから激怒していたが、神霊にとって一番重要な面子を潰されたポセイドンの哀れな姿を見れば怒りも消えてしまった。

なおこの件で、ヌオーがトラウマになり、ヌオー像を持っていれば海難に会う確率が大幅に減るようになったという。
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