あなたを包み込む椅子


「すまない、アキュート…今日も、頼めるかな」

申し訳なさそうに、縮こまって。トレーナーさんはそう、あたしに尋ねてくる。

ふほほ〜…いいよぉ。そんなに気にしなくてもいいのに…─なんて、あたしはさもなんてことのないように応える。
ばれてない、ばれてない。ちょっと緊張、してしまうんだよねぇ。このやりとり。

…あなたは教え子にこんな事を頼むのは申し訳ないと思ってしまっているんだろうけれど。
あたしにとっては好都合だからねぇ。あたしがあなたを独占する時間だもの。ほんとは、ずぅっと待ってたんじゃからねぇ。

走り続けて、走り続けて。あなたと時間を共にしてずいぶん経ったから。トレーナーさんもチームトレーナーとして後輩の子たちの面倒を見るようにもなって…
あの人の愛情を目一杯受けて、大きく羽ばたいていく子たちがいっぱいできて。とっても誇らしい、立派なトレーナーさんになったのが、うれしくてうれしくて。

…でも。あたしとの時間が減ってしまってねぇ。…ちょっとだけ─いや。すごい、妬けちゃっていたんだよぉ…あたし。
後輩の子たちの恋慕の感情。あなたはそういうのに鈍いほうだから、気が付いていなかったろうけれど。あたしは、気が気じゃなかった。

そんな中で、疲れ切ったトレーナーさんを無理くり膝枕して寝かしつけた時…なにか出来ないのかねぇ、って思った時。
あたしはふかふかの椅子になってしまったんじゃよ。

ぼむんっ。と体が膨らんで、初めはほんとに怖かった。弾き飛ばしちゃったトレーナーさんも、寝ぼけながらあたしの体が変わるのを見ることしかできなくて。
…あの時のあたし、べそかいちゃって…心配かけちゃったよねぇ。あなたを休ませたいと思ってたのに、あんな事になって。…あなたに恥ずかしい姿を見られたのもあるし。

その場で膝枕の姿勢のまま、糊で固めたように動けなくなったあたしは─まず最初に膝が大きく大きく、ぶくぶくと膨らんでくっついてしまった。…座面、できちゃった。
あなたと一緒に作り上げた大事な足が、醜く歪んでしまって。本当に怖かったんじゃよ?

そんなあたしなんて気にもしないあたしの体は、どんどん姿を変えていってしまう。
お腹がぶくぅっ!っと膨らんで、みちみちと音を立てて…椅子の、背もたれにあたる部分になってしまい…
腕がぴいんと張って、伸びて。この腕もぷくぷく膨らんで、手の先っぽ…指が溶けてしまったみたいにまぁるくなっていって。…こわい。とっても、こわかった。
椅子になった体と腕がギチギチとくっついて一体化していき、モノとしてのふかふかの素材になっていく。ヒトの肌ではなくなっていく。

そしてついに、あたしの顔も。顔が一気に平べったくなって、んぎゅうっ!!って変な声出ちゃってねぇ…あれは恥ずかしかったよぉ…
あたしの顔は、胴体と連続しててっぺんあたりに固定される。のっぺりとしてしまった顔はすぐさまふかふかに。目や鼻や口は、フェルトみたいな素材になっちゃったよねぇ。

そうして─あたしという椅子が出来上がってしまって。あたしの体の特徴は完全に消えてるのに、あたしの顔とウマ耳と尻尾はちゃんとある、不思議な椅子。

「だっ…大丈夫かっ…アキュート!」

あなたが呼びかけてくれる。でも、もう─

「しゃべりぇないよぅ…こんな変な体じゃあねぇ…」

「…………」
「…………」

「「え?」」

喋れた。すごい恥ずかしかったねぇ、あれ。
結局、せっかく椅子になったから座ってみるかい?なんて、泣きべそかいた後なのに空元気であなたを誘ってみて。
そしたらトレーナーさん、す〜ぐ眠っちゃったからねぇ。椅子になったあたし、結構すごいなぁって。そう思ったんだよぉ。
すごぉい幸せな気持ちになれて…ふわふわで、ほわほわで。ふほーっ!!ってしちゃったんだよねぇ。

トレーナーさんも起きた後、すっかり椅子のあたしの虜になっちゃったみたいで、それが嬉しくて。
…体は、あんまりふわふわじゃない方だったからねぇあたし。トレーナーさんの体も心も癒せるならそりゃあ頑張っちゃうんじゃよ。
そうして、あなたとあたしの不思議な休息は回数を重ねていって─

時間は戻って…現在。あなたの為に、体を変えるあたし。ぐにぐにふかふか、と体が歪んでいくあたし。そこに恐怖はもうない。
…ただ、変化するところは恥ずかしいから…トレーナーさんには後ろ向いて貰ってるんだけどねぇ。

ピンクと白。そして黒の─あたしの勝負服みたいな…椅子になったあたし。そうして、愛しいひとをよぶ。

…いいよぉ。きておくれ。トレーナーさん。

嬉しくって嬉しくって。すこぉし甘い声になっちゃう。すこぉし浮かれた声になっちゃう。久しぶりの、あなたの熱。重み。それを存分に味わえちゃうんだから。

「すまん。ありがとうアキュート」

ずし、り。…重ぉい。大好きな、トレーナーさんの重み。でも。ほんの少し、軽くなってる気がするのう…ごはん、もっと作ろうかねぇ。

あなたの匂いがする。あなたがあたしに体を預けている。あなたの熱を全身で感じる。─もう、あなたの寝息が聴こえる。たっくさん、頑張ったねぇ。
…ふほほ。たまらないねぇ…あなたとの静かな時間。ウマ耳も尻尾も、パタパタと揺れ動いている。もっと、この時間を味わっていたいねぇ…♪
とは思ったけれど、あたしにもあなたの眠気がうつっちゃったみたい。ねむーく、ねむーく。あたしの意識も、ゆ〜っくりと沈んでいく。

あなたは、あたしはとっても頼りになるって言ってくれるけど。あたしだってあなたにべったりで離れられないんじゃよ?あなたに甘えるのは本当に安心できるんだよぉ。
…それに。あなたがもてもてなのに妬いちゃう、そんな小娘なんじゃよ?

こんなあたしでよければ…これからも、ずぅっと。あなたと一緒に歩んで行けたら。あなたとともに、ゆっくりと。そんな事を考えながら─

「おやすみなさい。大好きなあなた」

フェルトの口を動かして、あたしもこっくりこっくり…意識を手放した。
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