青を穿つ


「あ、あれ…」
 繁華街の出入り口の辺り、混み行った人通りの中に、懐かしい気配を感じた。忘れるわけがない、カイザーの気配だ。でもどうしてこんなところに。
「すみません、ここで失礼しますね」
「おー。じゃ、また」
 そもそも僕はこういう場所が得意ではなくて、新しく入ってきたストライカーの趣味に付き合わされて、仕方なく滞在していたところだった。やっとこの場から離れられると思っていたところだったが、カイザーを見かけたとなると話は変わってくる。
 半年前、シーズン途中に忽然と行方をくらませたカイザー。ずっと探し続けても音沙汰すらなかったカイザーが、僕の目の前にいる。
 道路の反対側に向かって、近づいて声を掛けようとした。薄暗い雑踏の中でもきらきらと輝く金色の髪の、カイザーと思わしき人影は、一度僕の方を振り返るやいなや脱兎の如く駆け出した。人々の流れに逆らいながら、僕も走って追いかける。
 20メートル、10メートル、5メートルと距離を縮めるにつれて、違和感が膨れ上がる。僕がカイザーの気配を間違えるはずがない。でも、何かがおかしい。
 あっという間に追いついてしまって、もう離れたくなくて、その手首を掴んだ時、違和感が確信に変わった。
 カイザーの双眸は、僕よりも少し低い位置にあった。
 視線を落とすと、羽織ったパーカーの下、ショートパンツから真っ白な脚が伸びていた。薄っすらと筋肉の筋は浮かんでいるけれど、到底あのシュートを生み出すとは思えない、女の人だ。でもこの人からはカイザーの確かに気配がする。
 カイザーから姉妹がいると聞いたことは無かったけど、この人がそうなのかもしれない。
「放せ」
「あのっ、いきなりごめんなさい。ミヒャエル・カイザー選手のご家族ですか?」
「そんな奴知らん」
「この国でカイザーを知らないなんてありえないです」
「知らないって言ってるだろ、放せよ」
 ああ、カイザーだ。声も姿形も違うけど、鼻をくしゃっと顰めた表情は、紛れもなく不機嫌な時のカイザーの仕草だ。改めて全身を眺める。全てが、女性そのものだ。魔法のような出来事が起こっているけれど、喜べる状況ではない。
 どうしてこんなことになっているのか、これまでどうしていたのか、どこかで話を聞かないと気が落ち着かない。こんな場所であるから、目に入ってきたのは休憩と宿泊の看板ばかりだ。違いがよく分からなかったから、とりあえず最初に目に入った建物に向かう。
「おいネスそこは駄目だ! あっ」
「あっ」
 やっぱりカイザーだ。カイザーは気まずそうに、顔を逸らしながら続けた。
「…そこは厄介な奴が仕切っているから、流出したら面倒なことになる」
「あぅ…」
「それと、お前、相当やばいことをしていた自覚ないのか? 女を無理矢理連れ込もうとしたなんて、撮られていたら選手生命一発で終わるだろ。クソ迂闊」
「その、どこかでゆっくりお話したいと思って…」
 カイザーは一つ溜め息を吐いた。
「来い」
「は、はい」
 カイザーに先導されて訪れた建物の入り口は受付に人がいなくて、代わりにパネルを前にして戸惑っていると、カイザーが部屋を選んでくれた。
「そこが一番防音がちゃんとしているからな」
 と嗤って。
 カイザーの後を追って恐る恐る角の部屋に足を踏み入れた。さっさと空調を設定してしまったカイザーは、真っ直ぐに大きなベッドに身を投げ出すように転がって、上着を放り投げていた。
 見慣れたタトゥーが目に入って安堵する。一瞬置いて、初めて目の当たりにした光景に凍りつく。
 首筋から辿って、鎖骨の辺りまで至る所に散らばる鬱血痕。様々な大きさや濃さが、これらが一朝一夕で成されたものではないことを物語っている。おそらくキャミソールの下も同じようになっているのだろう。そして、紅の斑痕は青薔薇の上にも執拗なまでに重ねられている。穢そうという意図を感じて、吐き気が込み上げてくるような心地だった。
「これ…どういうことですか」
「ああ、これか? 身体が変わってもこのまま残ってた。ミヒャエル・カイザー選手に入れ上げてると思われて、どいつもこいつもしつこくなるからうんざりしてるんだよ」
 もう少し金が貯まったら消してせいせいしたい、とカイザーは続けた。
「えっ?」
「だから、俺はあんなクソみっともねぇ奴のことなんかどうでもいいって言ってるのにーー」
「カイザー、キミがそんなこと言うの、聞きたくないよ…」
「カイザー選手は言わないだろうな。お前がご執心だった」
 こっちがどう思ってるかも知らないくせに。目の前が赤黒く染まる。カイザーは、何も言えなくなっている僕に追い討ちをかける。
「それよりも、随分積極的だな、ネスぅ?」
「あぇ…?」
 寝転がったカイザーに覆い被さっていることに今更気づいた。先程キスマークで動転して詰め寄った際に、勢い余ったらしい。後退りしようとして、一瞬先にカイザーの脚が太腿に巻きついていて、動けないことを悟った。
「なんだかんだ世話になったから、お前はナマでいいからな」
「そんなつもりで来たんじゃないです」
 ただ話したかっただけなのに。どうして分かってくれないんだろう。
「ほら、こんなになってるくせに」
「何、言って…」
 白い手のひらの一撫でが、身体の中心に篭った熱を浮き上がらせた。頭も、身体も自分のものでなくなってしまったみたいだ。どうして、こんなところで、僕は、何に。ふとカイザーの首元を視界に入れてしまって、熱が増すのを感じて、白旗を上げた。もうどうにでもなってしまえ。
「せめて、スキンはさせてください」
「どうせ持ってないだろ? ネスくんはそういうつもりじゃなかったんだから」
「こういうホテルには置いてあるんでしょ?」
「どうせ誰かがイタズラしてるだろうから安全性もクソもない。俺は病気持ってないし、シャワーはさっき浴びてる」
「…あの」
 とっとと言いくるめて始めようとするカイザーに懇願して、シャワーの時間をとらせてもらった。フロスト加工の扉越しに、外で待ち構えているカイザーの影が見えて落ち着かない。やっぱり俺も入ると、入れ違いにシャワールームに入ったのを見送ってベッドで呆けていた。
 どうしよう、逃げ出したい。でも、この部屋に一人になったカイザーが他の誰かを呼びつける姿が目に浮かんで、及び腰を撤回した。
 シャワーから戻ってきて、ベッドに寝転がったカイザーと向かい合う。目の前に腰ほどまでの長さの、金一色の髪がシーツに広がっている。これまでの全てを捨て去ってしまったような姿に、呻くようなかすれた声が出た。
「青くするの…やめたんですね」
「切った。 …長くなってて鬱陶しかったから。ほら、さっさと脱がせよ」
 腰を浮かせて先を煽る仕草が手慣れている。ぎりぎりと頭を縛めるような眩暈をこらえて言う通りにした。脚を広げて、自らの指で広げて示す部位から目を逸らした。
「ここだからな」
 心臓をぎゅっと握り潰されて絞り出された血液が、全部下半身に行ってしまったに違いない。その証拠に頭だってクラクラする。これで良いんだっけ。やった方が良いこと、やるべきこと、やりたかったことがあったはずなのに促されるままに挿れてしまった。
「っ、くぅ、…童貞卒業クソおめでとう♡」
 わざとらしい甘い声に、そういうのいいですからと短く返した。カイザーのそこはぬるぬると潤っていた。ぎこちない腰遣いで這入ったものを柔らかく包み込み、きゅうと締め付ける熟れた様子にも、それを喜んでしまった自分自身にも嫌気がさした。初めてのわりに保ってるとかなんとか言われたけど、あまり実感はなかった。そういえば、ヒトのペニスは、他のオスの精液を掻き出すためにこんな形をしているらしい。知らない男の影に苛まれるだけの僕には関係のない話だけど。
 
「ネス、やだ、それ、やめろっ」
 怯えたようなカイザーの声で我に返った。痛い思いをさせてしまったのか。すぐさま抜いて様子を窺う。これで大丈夫かと思ったのに、余計に酷く狼狽して、覗き込んだ僕の顔を遮るように手のひらを伸ばして、顔を逸らした。
「やっぱり…無理してませんか?」
「違う…」
 カイザーの手が僕の顔を撫でる。
「お前に泣かれるとどうしていいか分からなくなる…」
 弱々しい声と頬を拭う指先の感触ではじめて、自分が涙を流していたことに気がついた。
「ごめんなさい、見苦しいですよね」
 止めようと思ってもなかなか治まらない。どうして流れているか分からないものの止め方なんて分かるはずもない。カイザーの腕に引き寄せられて、肩口に頭が収まった。宥めるような撫で方が、かつての試合の時と同じことに気づいて、ますます止まらなかった。

 落ち着いてから、同じ体勢で仕切り直す。その頃には僕も動き方のコツを掴んできていて、こじんまりとした部屋を水音と肌が触れ合う音、2人分の吐息が満たしていた。
「はぁ、あ、ねぇっ、 カイザー…気持ちいい?」
「んぅ、…ああ、ねす、そこ、っぁ、ああ…!」
 カイザーの中がぎゅうと締まり、びくびくと震える。こちらも終わりが近づいている。
 指を絡めて繋いでいた両手を振り解かれてしまった。心細いな。再度手を取られたと思ったら、カイザーはその手を首筋に導いて、自分の手を上に重ねて押し付けた。
「…なぁっ、ネス、こんなのもう、嫌だ… 全部っ、お前が終わらせてくれ…」
「そ、んなの… 聞けないよ…」
 瞼のきわの紅が、ますます似合っていることにぞっとした。僕の手ごと絞め始めた手を払うと、カイザーは酷く傷ついたような顔を浮かべた。
「なんでっ、ねすっ! なぁ、頼むから…!」
 泣きが入ったカイザーを抱きしめる。腕の中に収まりきってしまうことが受け入れられない。元のカイザーならこんなことはないのに。結局元の身体のカイザーと肌を合わせることは叶わなかったと、突きつけられるようだった。気を逸らすように、尚もしゃくりあげる口を自分の唇で覆ってしまった。カイザーの苦しみも、恐れも、絶望も、僕が全部飲み込んでしまえたら良かったのに。そう願いながら、震える身体に精を放った。



※ヨーロッパにラブホはないらしい
女体化前から両片想いだった。この後のカイザーは同じような生活してるかもしれないし、もっと酷くなってるかもしれないし、後天性女体化あるあるで中出しで元に戻ってるかもしれないし、シングルマザーやってるかもしれないし、夫婦になってるかもしれない
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