誓約の円環


これは、過去の記憶。目の前のお姫様に手を焼いていた、そんな淡い残滓の1ページ。そして──何故か。無意識の内に封じ込めてしまったモノ。
ウマ耳をめいっぱい後ろに絞って、尻尾を俺の足に巻き付けて、俺の胸の中でわんわんと泣いているお姫様。

───ジェンティルドンナ。夏休みの間、親に連れられて避暑地として選んだその場所で、この子に出会ったのだった。
初めは迷子らしいこの子を、自分も土地勘が無いなりに導いた事で縁が生まれ……まぁ、やる事なかったし。体を動かすのは好きだし?彼女に構ってやるカタチで遊ぶ約束をした…というのが交流までの流れ。

…最初の頃は引っ込み思案だったのだが、だんだん彼女の腕白な所を見ることが出来るくらいには仲良くなったのだった。

懐いてくれるのはまぁ、悪い気はしないし。彼女が拙いながら、その土地の面白い場所、綺麗な場所を教えてくれる事が…まるで、宝探しのようで。
自分は背伸びして大人びていると思っていたが、そんな事はなく…心の内に秘められていたガキの心が引き出されていた。

───要するに。本当に…楽しかったのだ。

……目の前の彼女ほどではないが、結構、名残惜しさは感じている。

───で、別れる日の午前中。前々から伝えてはいたが、ついに爆発してしまったようで。

「お兄ちゃん…なんで居なくなっちゃうのっ…?」
「なんでと言われましても…」
「……俺は、そもそもココに住んでるわけじゃあないんだ。あくまで滞在…夏の間だけここに居るってだけで…」
「ここに住んで!!」
「だめです」
「ゔぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ん゛……」

俺を見上げる紅の宝石がぐにゃぐにゃと歪み、ボロボロと大粒の雫が溢れる。……鼻水!鼻水垂れてる!付いてる!オァーーーッ!!

…そんなこんなで、俺のシャツがぐっちゃぐちゃになる程に泣き散らした彼女をなんとか宥め、いつもの駄菓子屋のベンチに腰掛ける。
彼女の機嫌を少しでも紛らわす為に、いつものアイスをはんぶんこ。
木陰の長椅子は、ほんの少しだけ……周りよりも温度が低いような、そうでないような。
そんな、気休め程度の隔絶した世界で──俺は、氷菓を食む。


────煩い静寂。俺と彼女の間に、言葉は紡がれる事はなく、互いの氷菓子は形を保てなくなっていく。いつも彼女の口の中に消えていったソレは、ぽたぽたとアスファルトの上に甘い跡を遺していく。
…残るモノは何も無い、跡を。


「…食べないのか?」
「…たべたら、あえなく、なるもん……」
「……俺は確かに居なくなるけど、だからこそ食べて欲しいんだけどなぁ」
「会えなくなるからこそ、食べて欲しい」
「最後の最後に泣きっぱなしってのも辛いだろ?」
「いつもの味、甘い味。そういう記憶にした方が、きっと───」
「…ぐすっ…うん……っ」
「たべ、る………っ」

納得、してくれたようだ。
…子供の駄々というのは、そこに絶対に譲れないモノがあるから、そうする。ちょっと変な行動だとしても、自分で出来る事で本気で抗おうとしているのだ。

「俺」に対して、そう思ってくれているのは…嬉しくもあり、一夏の出会いでしか無いのであって、あんまり引き摺って欲しくないなぁ。みたいな思いもあった。また逢えるかの確証があるわけでもないし。

───いずれ、忘れてしまうのだから。

…目の前で甘露を頬張る彼女。今更ながら、ちょっと寂しさが伝染ってしまったみたいだ。もうちょい、この夏が続かないものか─なんて。

ごくん、と。最後のひとかけらを飲み込んだドンナは…泣き腫らした顔をコチラに向ける。
…何か、決意に満ちた瞳。先程まで不定形だった紅い瞳は、きらきらと宝石のような輝きを秘めている。

受け止めなきゃな…彼女の想いを。

「お兄ちゃん」
「うん、何かな」

───その刹那。ほんの少しだけあった俺と彼女の距離が0になる。
…ウマ娘の力の本懐。幾度ともなく見てきたソレに、俺は反応できない。

「────ッ!?」
「にげないで」

はしっと。小さな小さな腕が、俺の左手を捕える。もちろん、ウマ娘の膂力で拘束され…逃げることは出来ない。
ドンナが暴力に訴えるとか、そんな事はないと分かっていても…緊張が、走る。
そんな俺の心中なんて知りもせず、目の前の姫君は…俺の、手を。自らの口に───

「あむっ」
「……ちょっ!?なにしてッ……つぅ……ッ…」

…冷気。先程彼女が頬張っていた氷菓によるものであるのが、わかる。わかって、しまう。
俺の指を包み込む、生々しい肉の感触。
本来であれば、それは不快に感じる筈だが…突然の事に、脳はパニックを起こしていて処理が上手くいかない。

その中で、一際強い刺激──鈍い、痛みが。

俺を侵す。

一瞬の出来事のはずだ。…だが、永遠に感じる。
──この刻の終わりを告げるのは、彼女の酸素を補給するおと。少しだけ、苦しそうに。でも、満足げに。俺の指は彼女の冷たさを喪った口から解放される。

「……ぷはっ。えへへ……」
「やくそく。また、会いたいし。」
「…いつか、いつか。貴方のお嫁さんに、きっとなりにいきます」

「──────────。」

「だから、待っててね?お兄ちゃん」

「…………なにやっとんじゃおまえはーーッ!」
「うひゃうっ!?」
「どこでそんなん覚えたんだおのれは!」
「えほんでこうするってあったもん!」
「お兄ちゃん許しませんよそんな絵本!!」
「きゃーーーーっ♪」

年上の威厳をなんとか発揮し、この状況を乗り切る。
ていうか、こうやって道化を演じなければ、俺はどうにかなりそうだった。
ほんとになんなんだよその絵本。親御さんその本すぐに売っぱらった方がいいですよほんま。
……でも絵本の源流ってマジでそういう描写あったりするんだよなぁ……

結果として、笑顔になった彼女に見送られながら一夏を過ごしたい避暑地を後にした。
──帰りの新幹線。座席にふかく腰掛けて、指を見やる。
…そこに在る絆創膏をぺりりと剥がして、あかい跡をまじまじと見つめる。
ほんの前まで、彼女の口のなかに収まっていたゆび。…血は出ていないが、ポツポツと等間隔で小さな線が刻まれている。……中指に。

「…婚約なら、薬指だよ。お姫様」

そんな事を呟いて、微睡む。…ほんとに、疲れたな、今日、は────





「…お兄ちゃん。起きてくださいまし」
「……ドンナ?」
「えぇ。貴方のドンナですわ」
「……寝ちゃってた、か」

気怠さを抱えた躰を、ゆっくりと椅子から起こす。目の前には、麗しい貴婦人が少し心配そうにコチラを覗いている。

現在。俺は───中央、トレセン学園にて…トレーナー職に就いている。
俺の担当ウマ娘は、そう──ジェンテイルドンナ。まさかの再会であった。
尤も、彼女は。朧げな一夏の記憶の中の腕白な少女ではなく…剛毅たる貴婦人と呼ばれるまでに、美しく強靭な女性になっていた。
面影は残っているが、まぁ…昔とは違う。高嶺の花というヤツだ。そういう在り方であれば、俺もそう支えるだけ。

──なんて、高を括っていた、のだが。
変わっていなかった。いや、正確には俺の前でだけ変わっていない、という感じだろうか。
そんなこんなで、変わらない彼女と二人三脚で歩み続けている。
貴婦人たる振る舞いでありながら、昔ながらの「お兄ちゃん」呼びされるのはなんかこう…こそばゆいけれど。

────ユメを、見ていた気がする。
まぁ、よくある話だろう。起きてすぐ、直前の夢の記憶が思い出せないこととか。
だが、なんとなしに…指を見やる。伸ばした手の先の、まっさらなゆび。そこに、記憶の残滓を掘り起こす何かは見つけられない。
…指に関連する夢ってなんだよ。心の中でツッコミを入れる。

「………指、どうかなさって?」
「…やー、なんか、気になって…ね」
「……へぇ?」
「ま、気にすることでもないさ」
「すまんな、寝てしまって…さ、ミーティングをっ───」

─とさりと、俺の視界が、紺に埋められる。彼女の纏う、制服の紺。
─ずしりと、彼女の肢体が、俺に覆い被さっている。
─ふわりと、微かに甘い香りが、俺の鼻を通り抜ける。
─むにゅりと、彼女の豊かな果実が、俺の胸板に押し付けられている。
──するりと、俺の頸に回される彼女の細い腕。

俺の、硬い太腿の上に…ハリがあり、温かみのある太腿が重石として俺の逃げ道を塞ぐ。
その感触は、薄いズボンくらいでは阻めるはずもなく、否が応でもその存在感を俺に情報として伝達する。
並の人間であれば、彼女のその暴力的な肢体にドロドロに蕩されてしまうだろう。

……まぁ、これはいつものことだ。人間の強み。それは…適応能力の高さ。
所謂慣れというやつだ。小さい頃の距離感そのままで接してくるこのお転婆なお姫様に最初は大変な思いをしたが、いまではもう落ち着いて対処できる。

ただ、この日の彼女は、どこか。いつにも増して幼く、何かを期待するような眼をしていたのに──

微睡んでいた俺は、霧がかった頭の所為で、その違いに気付くことはなく。

「……今回は、どんな我儘で?」
「…おぼえて、ないの?」
「……何をかな」
「……ひどい、ひと」

脈絡のない発言。疑問を返す俺に怒るでもなく、嘆くでもなく。ただ───哀しそうに、そう呟く目の前のおんなのこ。

そういうカオ、初めて見るかもしれない。
…なにか、なにかしなければ。行動を、起こさねば。そのカオは、見たくないから。
そう、働かない頭で思案する。けど、答えは出ない。頭の中の、靄のようなモノが消えない。

「…時間切れ。『指』の話題が出たから、期待、したのだけれど」
「……すまん。やっぱり、なにも。思い出せない」
「もう、いいですから」
「……すまっ─────!?」

がぱり。目の前の貴婦人の顎がゆっくりと開いてゆく。封をされていた唇が蠢き、彼女の蓄えていたあつい空気が、俺の肌を刺す。

─彼女の熱に、狂わされてゆく。

黄昏時の紅い部屋のなかで、煌々と燃え上がる赫い決意の瞳。恐ろしいほどの熱を放ちながら開かれる口。
そして──いつの間にか、頸に回されていた筈の腕は、彼女の小さな小さな手は。俺の手を……包み込んで、いる。


ばちっ。ピースが揃ってしまった。
記憶の連結が起きる。…最悪の、タイミングで。
何故…忘れてしまっていたのだろう。


「………婚約【エンゲージ】、か?」
「正解。いただきます」
「…………ッ………ぐぅ………っ」

ぐちゅり。2回目の、いたみ。本来であれば、奔ることのないいたみ。
記憶の中の朧げな圧力ではない。記憶の中の朧げな冷たさでない。
彼女の熱に、俺は融かされていく。彼女の刻みつける痛みに、俺は調教されていく。

あの時とは、なにもかもが違う。
拙く、確かめるように食むのではなく、最初から獲物【おれ】を仕留めるつもりの迷いのない咬撃。
ぶつり、と。皮が千切れる感触を味わう。

氷菓など今は存在せず、彼女の燃え盛る愛を体現したかのような灼熱の牢に囚われる。ぐちゅりぐちゅりと蠢く牢獄。俺の血を薪にして、さらに熱く、熱く。抜け出そうにも、彼女の舌に絡め取られてしまう。

…はやく、終わって、くれ。

理性が凄まじい速度で削がれてゆく。慣れることなんて出来ない刺激になす術もなく、受け入れることしかできない。
慣れていた筈の彼女の全てが、このワンアクションを基点にして、恐ろしいほどの殺傷能力を誇る毒へと変わってゆく。

…再び味わう地獄の刹那を経て。俺の指は彼女の口腔から解放される。
ちゅぽん、と。淫靡な水音を立てて、俺の指と彼女のクチの間には銀と赤が混じった糸が引かれて──彼女は、満足そうに。桃色で肉厚な唇のまわりを、べろりと真っ赤な舌で舐め回す。
それは、なんとも畏しく…優雅で、綺麗で。

…だというのに、ドンナは。あの頃のような笑顔で。

「…えへへ。今度は、ちゃんと。薬指だよ?」

そう、俺に語りかけるのだから、敵わない。

「……ああ。そうだな」
「ずぅ……………っと、待ってたのに、気付かないんだもの」
「…酷いお兄ちゃんに、おしおき」
「…あぁ。酷い、な。確かに」
「……ね、お兄ちゃん」
「私にも、刻んでね?お兄ちゃんにしたように、血が出るくらいに、強く…つよく」
「…お前の指は綺麗なままでいいだろうに」
「やだ。忘れてた罰」
「…弱ったなぁ」
「…血は、出させない。…でも、暫く残る痕は刻んでやる」
「…それで、妥協してくれ」
「しょうがないなぁ。じゃあ、ほら。お願いね?」
「私の…旦那様♪」

ぱたぱたとウマ耳を揺らし、尻尾をゆらゆらと楽しげに振ってはにかむ彼女の、差し出される左手。凄まじい力を誇る貴婦人にしては、あまりにか細く小さな手。

そこに、今から。俺のモノである証を刻みつける。絶対的な強者であり、自身に満ち溢れた女傑であり、年の離れた可愛い妹分であった、僅かな刻の中の…幼馴染の彼女。トゥインクル・シリーズを駆け抜けた、大切な───

相【幼】   
o【棒】
馴【n】
na【染】。

───疵が、疼く。彼女の痕が、熱を持ち、俺を蝕んでゆく。

これは、罰なのだから。
これは、忘れ難き大切な誓約なのだから。
これは、彼女のお願いなのだから。

目の前の雌に、印を。そう思い至り───俺に肢体を預ける姫の手を取る。
赫い瞳は揺らぎ、今か今かと、その時を待ち侘びている。…ほんとうに、綺麗な宝石だ。

───では、やるとするか。


「─────ふぁ………っ♡」


昏い昏い在る部屋に響く、鈴を転がすようなこえ。
響くことはない、俺とキミだけにしか聞こえない───ぐちりという艶かしいおと。

明日からは、いつもの俺とキミ。だが、まぁ。決定的に何かが変わった「いつも」を過ごしていく事になるだろう。それは、この指に残る痛みが物語っている。



このお姫様に俺は……勝てそうもない。
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