【晴晋】晋作太夫ルートif 05. 伝達


 ここ最近の信玄公は、なんだか様子がおかしい。いや、おかしいで言えば初対面の発言を超えるものはそうそうないのだが、それを踏まえても僕に向けられる視線がやたら物言いたげに感じられて、その割に水を向けさせる素振りもない。
 この夜もそうだ。とっとと始めるかと衣服の構成を解こうとしたところで、静止の声がかけられた。
「脱がなくていい」
 ベッドに腰掛けている僕からは、立ちっぱなしの信玄公の表情は影になってよく見えない。ただ、これまでの付き合いで何となく言いたいことは察せられる。
 この赤染めの羽織りも彼の『お気に入り』なのだと以前に聞かされている。つまり、脱ぐなとの命令はそういうプレイの要求だということで、なんとも、まあ。
「は、ハハ、悪趣味だな……好きにすればいいさ」
「好きにしろ、というのなら。前のようにお前と語らうことはできないか?」
 唐突に投げられた言葉の意味を理解しそこねて、敷布へ逸らしていた視線を信玄公へと戻す。人ひとり分空けた横に腰掛けた信玄公は、僕の方を真っ直ぐに、件の物言いたげな瞳で射抜いてきた。
 わからない。この男が何をしたいのかも、何を伝えたいのかも、僕にはさっぱり心当たりがない。 
「……?君、僕にそういうの、別に求めてないだろ」
「ただ、お前と他愛のない話がしたいだけだ」
「あー……いいっていいって。この後何をさせられるのかは知らんが、そういうご機嫌取りはいらないって前に言っただ、」
 僕の言葉を遮る勢いで、信玄公の指が頬へと伸びてくる。辛うじてはねのけることができたのは幸いだ。本当にどうしたというのだ、今夜の信玄公は。やるならさっさとやってくれと、戸惑いでこっちが先に疲れてくる。
「触れるなよ」
「まだ、だめか?」
「『まだ』じゃない、『いつまでも』だ。……この髪と身体なら、信玄公のお好きなように」
 吐き捨てた言葉に応じるかのように、信玄公の大きな手のひらが僕の後ろ頭に添えられた。そのまま寄せられ、胸に抱き込まれる。
 いや、これどちらかといえばアウトだろ。顔には触れるなって言った矢先だぞ。
 文句に口を開こうとした僕は、寄せられた先の鼓動の速さに口をつむぐことになった。早鐘のように刻まれる心音が徐々に加速していくさまが、胸に押しつけられた頬でいやでも感じさせられる。後ろ頭からうなじに移った手のひらは少しだけ汗ばんでいて、時折指がひくりと震えて首を撫でてくる。頭頂にかかる吐息ですら、どこか切羽詰まったような物悲しさを孕んでいて、それがどうにも拒みがたい。
 ひたすらに、熱い。信玄公に触れているところ、頬も、首も、すべてが。
 だらりと下げたままの僕の腕は、この熱を押し返そうとも引き寄せようとも思えないまま、ただ手持ち無沙汰に揺れていた。

 何だこの時間はと我に返ったのは、信玄公に抱きしめられてしばらく経ってからのことだ。あまりにらしくない振る舞いの連続に、僕自身、思考が麻痺してしまっていた。
「抱く気がないなら帰るぞ。そこまで君の道楽に付き合う義理もない」
「ならば残れ」
 うなじに触れていた手が背へと降りてきて、ゆっくりと敷布に沈められる。はだけた裾から差し入れられた指先に、自然と膝が持ち上がる。
 結局何だったんだあれ、と胸中に引っかかりを残しながらも、僕はいつものように、与えられる享楽に意識を浸していった。


 身体を起こしてすぐに、くらりと視界が回りかけた。貧血ともまた違う視界の狭まりと耳鳴りは過去に幾度も経験したことがあるものだ。ところどころ機能は低下しているものの、少なくとも末端までは形が保たれている以上、すぐさまどうにかしなければという程でもない。
 エーテルで構成される肉体となってから何かと受けていた恩恵が、ここ最近では逆に僕の首を絞めているような気がする。 
 魔力不足。カルデアに所属している限りそうそうなるはずのない状態に、僕はまたもや陥ってしまっていた。
 めまいに頭を押さえている僕に近づいてくる気配がある。サイドテーブルに盆を置く音がして、視界に握り飯が飛び込んできた。
「食えるか?」
「……いる」
 既に身なりを整えた信玄公は、盆の上の湯飲みに急須を傾け、握り飯とともにこちらに手渡してきた。渡りに船と受け取って、茶と一緒に少しずつ喉に流しこんでいく。塩のみの色気のない握り飯は、むしろ疲弊している身体を程よく暖めてくれていた。
 ようやくひとつを食べ終えて顔を上げる。珍しく、信玄公がこちらを眺めたまま目を丸くしていた。そういえば、彼の部屋で朝餉までいただくのは初めてのことで、僕だって不本意なのだから信玄公が不思議に思うのも無理はない。
 出てくるままにため息をこぼして、信玄公へと向き直る。そもそも魔力不足の原因は彼なのだし、ここできちんと説明しておけば今後はこんな手間もかけなくて済むだろう。 
「あのな、喉にしろ、肺にしろ、修復しながらだと魔力消費が激しい。信玄公、昨日はずっと外に出してただろ。気遣いか嫌がらせかは聞く気も起きないが、あれは困る。
 声が聞きたいだの言って好き勝手ガン突きするなら、せめて中に出せ」
 僕の言葉を聞いてるのか聞いていないのか、信玄公からの返答はしばらく返ってこなかった。腕を組んだまま固まっていた彼は、幾度かまばたきをした後、辛うじてといった様子でようやく口を開いた。
「……必要なら善処する」
「必要だ。なんなら必要だったから、今食べてるんだが」
 いや聞けよと口に出さなかっただけ褒めてほしい。ふたつめの握り飯を皿から持ち上げて、僕は再び、腹におさめる作業に戻るのだった。
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