チリ婦人とドッペル婦人 part7 後編


ナッペ山のジムチャレンジは、グルーシャのウォーミングアップに付き合うこと。

彼が蹴り飛ばしてくるゴミを袋でキャッチ、

彼の動きを記憶して、その通りにダンスを踊る、などなど。

今回はシンプルに競走である。

往復してジムそばまで戻り、早かった方の勝ち。

レース用に整えられた広大な山道。

競走用の真っすぐな一本道には、50mごとに大きなコの字のアーチが立っている。

「な、なあ。はよライドポケモン出し?」

モトトカゲにまたがったAチリが、不安げに隣をうながした。

「心配はいらん!あらゆる準備が万端だ!!」

しかし、当ののグルーシャは、スピードスケーターよろしくグッと前かがみに構えている。

白い柔道着。もちろん素足。

だが、寒がる様子など微塵もなく、口をへの字に引き締めて、前を睨みつけたまま微動だにしない。

「ド、ドッペルちゃん……。

グルーシャちゃん、きっとそのまま行くつもりよ……」

「はあ!?」

目を横線にしたリップの呆れ声。

ブーツの金具をチャリ……と鳴らしてAチリが背中を振り向いた。

「Aチリさん、論より証拠だ。今は相手の事よりレースに集中した方がいい」

腕を組んで真顔のキハダからも忠告が飛ぶ。

「……どうなっても知らんで」

後ろから見つめる一行。

Aチリが前を向き直ると同時に、2人の横にたつジム職員から指示があがった。

「ピストルの音で走りだしてくださいね!

それでは、位置について!!」

「ムッ……!」

うめいたグルーシャの腰が、いっそう低くなる。

「……よーい!!」

パン!

両者いっせいにスタートした。

「うおおおぉぉぉ……」

並走する2人。が。互いに並んだのは、わずか2秒ほど。

素足に柔道着のグルーシャの姿は、

シャシャシャシャシャシャ……!!とけたたましく雪を踏みながら、またたく間に豆つぶほどの影と化した。

「はあああああ!?」

語尾が上がりたおした絶叫とともに、思いきり剥かれる赤い瞳。

「……ぉぉぉおおおおお!!」

豆つぶ大から人の形に戻りつつ、あれよあれよとスタート地点に戻ってきたグルーシャ。

衝撃のあまり、Aチリはモトトカゲのハンドリングを誤りそうになった。

パンパン!!

決着をつげるピストル音。

「競走は、ジムリーダー・グルーシャの勝利!」

「いやあ、ハッハッハ!踏み切りが甘かったよ!あと0.5秒は早まりそうだ!」

軽く息をあげながらも、笑顔で職員と会話するグルーシャ。

Aチリは、わずか100mも進んでいない。

「ば、ば、バケ、バケモン……!」

モトトカゲを収めることも忘れ、

酸欠のコイキングばりに口をパクつかせたAチリ。

スタート地点を指さして震えている彼女に、オモダカが早足で近寄ってきた。

「……ミス・ゲンガー。お渡しするのを忘れていました……」

「……?」

シュンとうつむいた彼女から渡されたのは、左上をホッチキスで留められた何枚かの紙。

表紙には、
『ナッペ山のジムリーダー・グルーシャ超人伝説!』

題字の下では、

柔道着すがたの白黒グルーシャが、こちらに向かって飛び蹴りを浴びせている。

「ここまで勝ち残ったチャレンジャーさんには、わたくし自ら渡してるんです。

その……アオキからの提案で、心の準備をしてもらう為に。

もちろん、こちら側のチャンピオン――ネモさんやアオイちゃんにも配りました!」

モトトカゲから降りたAチリは、明朝体のタイトルを震える指でめくった。

『ジムリーダー最後の砦。

勝負の実力は、トップチャンピオン・オモダカに匹敵する逸材!

リハビリとして始めた各種の武道や習い事、

あわせて24段と3級の免許を持つ。

キャッチコピーは『絶対零度のウィンターヒート』

背丈ほどの岩を蹴り返してもビクともしない脚力。

怪我をした野生のクレベースをかついで雪山を登るスタミナ。

ビリリダマがひしめく地雷原で柔道の取り組みを行う胆力。

オモダカが繰り出したドドゲザンのドゲザンを真剣白刃取り。

武者修行と称して、10匹のサメハダーと水泳』

「ひっ……!?」

読みすすめるごとに、Aチリのハスキーボイスが何度も上ずった。

『巨大なミサイルにしがみついて軌道を変え、

爆発に巻きこまれながらも、成層圏から無傷で生還……』

「最後のミサイルは、最近打ちたてた伝説です!」

まるで家族を自慢するように誇らしげな声も耳に入らない。

「……アカン。あきませんわ。こんなん勝てるワケあらへん……」

傍らに立つオモダカに、油がきれたブリキ人形のごとく、ギギギ……と顔を向けるAチリ。

「大丈夫です!リップさんが頑張ったように、

ミス・ゲンガーも!どんなにピンチでも、えいやっ!ですよ!」

彼女の両手を握りしめるオモダカ。彼女は分かっているのだろうか。

Aチリが全身を震わせるのは、

寒さのせいでも無ければ、じめんの天敵・こおりに対する怯えのせいでもない事を。


「…………」

バトルコートで対峙する2人。

コンクリートの床をしたたかに冷やす零下のふぶき。

しかし、素肌に薄い柔道着1枚のグルーシャは、

Aチリの眼光に動じす、ガラスで斬られるような寒さにさえ微動だにせず、正座をしたまま目をつぶっている。

「ドッペル婦人。兄様の瞑想は、全力で行くという合図です……!」

柵の外から苦しげに告げるナンジャモ。

「……その通り。いついかなる時も……どんな相手であっても、全身全霊で迎え撃たなければならない」


瞑想したままのグルーシャの口が、一言一言を噛みしめるかのごとく、じっくりと語り始めた。

「それが、ボクだ。それが、最後の門番であるグルーシャの運命なのだ」

つぶられていた青い瞳が、ゆっくりと開いていく。

「雪山は危険だ。簡単に人生のコースを狂わせる……!」

自分のよく知るグルーシャと瓜二つの口癖。Aチリは無言で聞き入る。

「……だが!危険な場所にこそ、真の宝は眠る!!」

声を大きく張りあげ、眉を怒らせたグルーシャが、威勢よく立ち上がった。

「ッ!」

息をつき、腰だめになったAチリ。袴の下のブーツが、ジャリ……とコートを踏みしめる。

「真の宝とは!刹那の快楽や、虚しい栄光の事ではない!

魂だ!!」

仁王立ちから喝が放たれ、ふるえる大気。

ビリビリと全身を伝わる威圧感に、顔をしかめたAチリ。こめかみから、ひと筋の汗が流れた。

「ド、ドッペルちゃん!泣いても笑っても、これがラスイチよ!」

「ジムチャレンジ最後の勇姿、リップとともに、この目に刻み込ませてもらうよ」

「ミス・ゲンガー!悔いを残さないよう!!」

「焦らず!慌てず!幽々と!ですよ!」

「最後の最後で小生を失望させる事のないよう……ご健闘くださいませ」

「(;´・ω・) サ、サムクネーノ……?」

柵の外から向けられる、一行からの思い思いの激励。

「己の生きざま!ポケモンへの姿勢!苦しみと向き合う勇気!

勝負は魂!魂は心!

さあ、ドッペルくん!いや、外つ世界のチリさん!

パルデアリーグの最高峰で禄を喰んでいるにふさわしいか!!

アンタの『心』に、問わせてもらうぞッッ!!」


とりゃあああ!!!

ひときわ大きな咆哮。グルーシャの両腕が、頭上に高らかと上げられた。

「来い!真剣勝負、しろ!!」

柔道の構え――威嚇するリングマを思わせる「大」の姿勢をとったグルーシャの右手の中から、

切り札・チルタリスが飛びだした。

「ぴいぃ♪」

おそらくこれが、AチリにとってB世界で最後の勝負となるだろう。

「ドオー!本意気のきばりや!!」

袴を一回転させるAチリ。……ドオーに持たせた『じゃくてんほけん』は、

「……りゅうのはどう!!」

「クッ……!」

あっさりと見抜かれていた。

ドオーを襲うタイプ一致のドラゴンわざ。

妹分・ナンジャモに伝授した、相手を見極め、あえてテラスタルを行わない戦略。

これでは、じしんも効果がない。

しかし。

「ドオー!どくどく!」

「ムッ、やるな!」

グルーシャが唸る。切り札のみの1vs1。当然、交代できる控えなどいない。

つまり、チルタリスのとくせい「しぜんかいふく」が意味をなさなくなる。

「ならば次なる一手だ!チルタリス、ぼうふう!!」

「チィーッ!!」

「ドッ……!?」

綿毛のような翼が一心不乱にはばたくや、コート中を荒れくるう嵐のような突風。

Aチリも、ギャラリーのオモダカ達も、おもわず手の甲を顔に寄せた。

「脳天直撃の風圧!アンタは耐えられるか!!」

驚異の重量も何のその、全身をグルグルと回されたドオーは、

全身をよたつかせつつ、自分の頭をポカポカと殴りつけた。

「ドオー。ドオー!大丈夫かいな!?」

ドオーはこんらんした!

「しっかりせえ!チリちゃんはこっちや!!」

Aチリの背後からの訴えも虚しく、ドオーは自分を攻撃した。

「……やむをえん。

その子に持たせたどうぐは間違いなく『じゃくてんほけん』だろうが、

もうどくが回りきる前にケリを着けねば……!」

リングマの構えを保ったまま、柔道着の懐から出されたテラスタルオーブ。

「どうした!今までに得た宝はそんなモノか!

さあ、ドッペルくん!一挙手一投足にアンタの全てをこめるんだ!!」

「チャンスはここしかあらへん……!」

獰猛な目つきに変わるAチリ。だが、今回は笑みを作る余裕もない。

「はあああっ!!」

「キュウゥ!!」

掛け声と同時に、ひしゃげるほどの強さで投げられたオーブ。

チルタリスを結晶につつみ、こおりタイプに変化させた。

「宣言しよう!

ドッペルくん!!5ターン以内に必ずアンタを倒す!!」

大の字に構えなおすグルーシャ。全身から汗のモヤをあげている。

「……やってみぃや……隆起せえ!!」

歯をきしませたAチリの長手袋が、渾身の力でオーブを投げた。燦然ときらめく地球儀。

「ドー!!」

ドオーの鳴き声にも、いつにもまして覇気がある。

「その意気やよし!行くぞチルタリス!れいとうビーム!!」

「ドッ!!」

眉間にシワをよせたドオーは、
いつにも増してキリッとチルタリスを見すえている。

ドオーの混乱が解けた!

「ドオー!でかしたで!アクアブレイクッ!!」

するどい冷気の一閃めがけ、負けじとドオーが飛び込んでいく。

223kgの弾丸にはね飛ばされたチルタリスだが、旋回によって巧みに力を逃がし、フワリと着地した。

「まだまだ!ここからが正念場だ!!」

じゃくてんほけんがビリビリに舞った。

ここからは互いの読み、粘りづよさが物を言う。

「ドオー!まもる!!」

「ムーンフォース……しろ!!」

「負けるか!ドオー、じしん!!」

「ひるむなチルタリス!れいとうビィィィム!!」

「アクアブレイク!!」

ドオーが技を弾けば、まもるを読みきったチルタリスが冷気を叩き込む。

チルタリスが弱点を突けば、相討ち覚悟のドオーが突撃をしかける。

ナンジャモとの勝負が派手な鍔ぜり合いだったとすれば、

この一戦はエキスパートどうしの緊迫した果たし合い。

歓声など1つも湧かない。

バトルコートを打ち鳴らすのは、2人の掛け声と雪山を吹きすさぶ風ばかり。

審判のジム職員も、リーグとアカデミーの6名も、勝負のゆくえを無心で見つめるのみ。

「チルタリス!もう一度、脳天直撃だ!!」

「させへん!ドオー!行ったれ!!」

荒れ狂うぼうふうを縫って炸裂するアクアブレイク。ドオーのこんらんは免れた。

「……雪よ!結晶よ!ボク達にふり積もれ!!天よ!!チルタリスに最後の力をおおおお!!!」

柔道のポーズをピタリとも乱さないまま、グルーシャが天を仰いで絶叫した。

互いに満身創痍。だが、ドオーの体力が若干まさっている。

「あとは、ひたすら責めるのみ!チルタリス!れいとうビーム!!」

「じしん!!」

「ドオーッ!!」

鼻息を荒げたドオーの身体が、コートの床をこれでもかと叩き鳴らす。

ぐらつく審判。支え合うトレーナーの一行。

山頂が地響きに揺れるのと、くちばしからの冷気がドオーに炸裂するのは、ほぼ同時だった。

「ド!!……ド」

ズゥン!!ズゥン!ズゥン

……が、強烈だったはずのじしんが、にわかに収まった。

「……ま、まさか……!」

赤い瞳孔を点にして、足下の切り札を眺めたAチリがワナワナと慄く。

ドオーは凍りついて動けない!

「……気をやるな。勝負はまだ終わっていない」

「ッ………!!」

先ほどまでとは一転して落ちつき払った、しかし毅然と言い放ったグルーシャの呼びかけに、出かけた涙を乱暴に拭うAチリ。

「当ったり前やろがッ!!!」

負けは確実。

だが。自身を精いっぱいに睨みつける、悔しさに潤んだ瞳。

やはり、ドッペルくんの闘志は消えていない。

目をつぶり、しみじみと頷いたグルーシャ。

倒されたドオーが主の手元にもどるまで、彼の構えが解かれる事はなかった。

「……素晴らしい勝負をありがとう、ドッペルくん!!」

Aチリと同時にグルーシャの頬をも伝う、ひと筋の涙。

手向けの言葉とともに、れいとうビームが引導を渡した。

「自分、やるなあ……!」

トドメを刺されたドオーは、氷漬けのまま静かにAチリのボールに収められた。


「勝者、ジムリーダー・グルーシャ!」

2人の横――コート外の中央から、審判の判定が下る。

「…………」

相手と対峙したまま、顔をうつむかせたAチリ。

くしゃりと歪んだ両目から落ちる水滴が、コートにポタポタと染み込んでいく。

「ミス・ゲンガー……」

柵の外から飛びこもうとしたオモダカの肩を、無言のハッサクがかむりを降って止めた。

「ナ、ナハハ……ウチ、さ、最後の最後で、負けて……もう……た……!」

ずぶ濡れの顔で一行を向きやり、作り笑いで堪えようとするAチリ。

しかし、そんな虚勢も一瞬で崩れる。

四天王の本分は、勝つ事ではない。

相手に壁として立ち塞がるのが役目。それを越えられるのは、むしろ大きな喜びである。

だが。今のAチリは、ただのチャレンジャー。いちトレーナーとして全力を尽くし、相手に及ばなかったのだ。

要職についてから久しく味わってこなかった悲しみ。悔しさ。屈辱。

「ごめん……ごめんなドオー……!ジム巡り、ずーっと気張らせっぱなし……やったのに……!

チリちゃ……勝たれへんかっ……!」

紺の袴が雪に塗れるのも構わず、膝を床についたAチリ。

うずくまり、ドオーの入ったボールを胸に抱く姿に、一行も悲痛そうに眉をひそめている。

「……ドッペルくん」

紺の着物の頭上から、仁王立ちのグルーシャが問いかけた。

「真剣に取り組んでいたか?」

「当たり……前や……」

脳内を駆けまわるのは、「たら」「れば」ばかり。

じゃくてんほけんではなく、ナナシのみを持たせていたら。

まもるで様子見をせず、始めから攻撃をしかけていれば……

「命がけで打ち込んでいたのかッ!」

「当たり前やああッ!!」

グルーシャの雄々しさを上回るほどの怒声。

Aチリは、今にもつかみかからんほどの剣幕で、泰然と立ちつくすグルーシャを見上げた。

「……そうか」

真顔のまま腰をかがめたグルーシャ。彼の白い手が、自身の懐をまさぐった。

「……なん、やねん……ソレ」

柔道着から取り出されたのは、ナッペジムのバッジ。

「受け取ってくれ。免許皆伝だ!」

バッジを握らされたAチリの右手が、

力強い微笑みとともに暖かな両手で包み込まれた。

「お情けの、つもりかいな……」

「お情け、おこぼれ……ボクが最も嫌いとする言葉だ!」

青い髪を睨んだまま鼻をすするAチリの邪推は、曇りのない笑みで一蹴された。

「思い出してほしい!ボクが、最初にぼうふうを出した時のことを!!なんと言った?」

「……脳天、直撃?」

「それは2回言ったかな……いや、違う!ボクではない!ドッペルくんの言葉だ!」

「ウチ、なんか言うたっけ……」

「ドオーがこんらんした時、アンタは何と言った!?」

「……そんなん、覚えてへんよ」

すねた口調で漏らすAチリ。悔しさと落胆に袖をぬらし、思い出すどころではない。

「『大丈夫か』

こんらんしたドオーに向かって、アンタはこう言ったんだ!!」

握りしめたAチリの右手を、ブンブンと縦にゆらしたグルーシャ。

まるで、利発な子どもをほめるように、両目はニッコリと細まっている。

「ボクの元まで勝ち上がった者は、今までに何人もいる。

だが。いざ窮地におちいると、やれピンチだ不幸だと嘆くばかり!

真っ先にパートナーの心配をする者など、ほとんどいなかった!」

「あっ」

合点が行ったように見開くAチリの目。

「嘆かわしい事に!

中には、必死に頑張っているパートナーへ向かって、心ない罵倒を浴びせた不届き者もいた!

そんな奴らは、片っ端から身体に叩き込んでやったよ!

ポケモンセンター前に斜面があるだろう?あそこから山道へ!巴投げでねえ!えいって!

どいつもこいつも、ボウリングの玉みたいに転がっていったなあ、ハッハッハ!」

「ナハハ。ホンマかいなソレ?」

面を食らったのは、不埒なトレーナーの存在に対してか。

はたまたグルーシャの暴挙へ対してか。

勝負バカから(バイタリティが人間ばなれしているとはいえ)朗らかな青年へと戻ったグルーシャに、Aチリが破顔する。

『絶対零度のウィンターヒート』

『パルデアの核弾頭』

破天荒で型破りな彼が秘めていた、人として、トレーナーとしてかけがえのない優しさ。

「おおきに。魂か……肝に銘じとくな!」

晴ればれとしたAチリの眼差しからは、すでに涙は消えていた。

グッと握られたAチリの拳が、自身の左胸をトントンと叩く。

スクッと立ち上がったAチリの肩を、パシパシと叩くグルーシャ。

「ミス・ゲンガあああ……!」

Aチリを抱きしめに、半ベソのオモダカが全力疾走でコートに駆け込んだ。

「ジムの制覇、大大大あっぱれです!」

「えらいわ!ドッペル婦人に花丸満点をさしあげなきゃ!」

「Aチリさんなら、必ず成しとげると信じていた」

「リップもよ、キハダちゃん!
ドッペルちゃん、サイのコウにマーベラス!!あとは元の世界に帰るだけね!」

オモダカと組み合うAチリにゾロゾロと群がった一同も、彼女の快挙を大きな拍手でたたえた。

そして、ハグする2人ごしに笑顔で頷くグルーシャを見やったハッサクが、

「本当に、何と申しますか……。

つくづく……つくづく!グルーシャくんの人間性と実力に、昔のクールさが戻ればどんなによろしいか!」

Aの彼を彷彿とさせるトーンで嘆くや、

一同と当のグルーシャが高らかに笑った。

「(≧∇≦)サイゴノ!ハイ、チーズ!」

パシャリ!Aチリを囲んだ笑顔の一行を見おろす1枚。

これが最後の勝負となった。そう、ジム巡りに関しては。


……午後7時30分。いよいよ一行は、始まりの場所・てらす池を目指していた。

「ウチとドオー……ホンマ、よくこのタフな子らに太刀打ちできたわ……!」

ゴンドラの中から、前の光景に唖然とするAチリが呆独りごちた。

ミニの天井に縛りつけられたロープ。

その余らせた2本の先端を、涼しい顔のチルタリスが両足に握り、ムウマージは口に咥えている。

重さ1トンを超える無人の鉄塊は、飛行機にも負けない速さで進んでいた。

北パルデア海の上を。

「まったく……トップが早めに伝えていれば、こんな無茶はせずに済んだものを」

ミニの後ろに続くのは、密集した7台の空飛ぶタクシー。

元凶の半分――オモダカは、隣あったゴンドラの中のBチリと、のんきに手を振りあっている。

そして、もう半分――グルーシャはというと。

「未開の部族は実在するのか……まってろよキタカミ地方……!」

修行用のスポーツウェアとも、ジム戦での柔道着とも違う服装で、フロントガラスをにらみながら腕を組んでいた。


『ドッペルさん!大変なの!えっとその……池から大魔神が出てきて、それで……』

雪山で記念撮影を終えた10秒後。

オモダカのスマホに着信が入った。

浮かんだスマホからの第一声は、慌てふためくレホールの声。

『ぐざ……生贄が熱湯に放りこまれ、あちこちから炎があがり、こちらは大騒ぎだぁ!』

相変わらず詩的な言い回しのハイダイも聞こえる。

『とにかく一大事です!

池から現れた怪物のせいで、コルサさんが腰を傷めるわ!自分の中性脂肪はなかなか減らないわ!』

『とにかく、ちょっぱやで池に来い!来れば分かるさ!バカヤロー!』

むさ苦しいアオキと、何故かいるらしいクラベルの声で通話は途切れた。

「な、なんなん?生贄が大魔神で、腰いわした、中性脂肪……?」

「とにかく、わたくし達の手助けが要るみたいですね!」

内容が支離滅裂。

目を白黒させたAチリをニッコリとうながすオモダカ。

「何だと!怪物だって!?」

「ふふ。世話がやける奴らだ」

「もう皆、てらす池にいるみたいね!

さあドッペルちゃん、リップ達もレッツラゴーしなくちゃ!」

「さようですね。あまり待たせると野暮……失礼。小生からは、これ以上なにも」

「(* ˊ꒳ˋ*)」

オモダカだけではない。

ボヤくキハダ。身を踊らせるリップ。何やら口を滑らせかけたハッサク。そしてBチリ。

Aチリは、いかめしく首をかしげた。

どういう訳なのか。
異常事態?にも関わらず、皆がみな、一様に微笑んでいる。

……握った手の甲をプルプルとかざす『パルデアの核弾頭』を除いて。

そう。先ほどの通話は、

すでにオモダカから一同に伝えてある『とある事』を、Aチリに気づかせないための芝居……

だったのだが。

「ドッペル婦人が帰るまで、まだ3時間以上もあるわね!今から空港に行っても」

「空港に行く手間も惜しい!ちょっと待っててくれ!」

華やぐライムを、ウィンターヒートの叫びが止めた。

「あっ!違うんですグルーシャさん!待っ……」

手を伸ばしたオモダカの制止も間に合わず、ジムに爆走するグルーシャ。

しまったああ……と、青い右手が己の顔を覆った。

隣に立ったハッサクの左手も同じく。

一度きめたらテコでも動かなくなる男。思い込んだら誰にも止められない男。

よりによってグルーシャに伝え忘れるとは……。

後から悔いると書いて後悔。時すでに遅し。

ものの30秒とたたずにバトルコートへ戻ってきたグルーシャの服装。

「いいっ!?」

Aチリが、両手のひらを見せながらのけぞった。

「さあ行こう!未開の部族を捜しに!!」

フーフーと白い鼻息を出す彼の姿は、水色の迷彩服に、黒い軍用ブーツ。

後ろで1本に束ねた頭の上には、緋色のベレー帽。

おまけに、パンパンにふくらんだ大きなリュックサックまで担いでいる。

「ハァ……貴様、今から探検にでも行くつもりか?」

「いかにも。

池から現れたという異形の者。生贄を用いた謎の儀式。

通話の内容が正しければ!てらす池には、間違いなく未開の部族が住んでいる!!」

呆れてうつむいたキハダからの当てこすりに、真剣な顔で答えたグルーシャ隊長。

「( *°ㅁ°* ) Really!?」

「そうだともチリさん!さあ、ナンジャモ。アンタのムウマージを貸してくれないか!」

「は、はい!」

「……マ?」

ポン!と小気味よく出されたムウマージも、キョトン顔で主を見ている。

「ボクのチルタリスと力を合わせれば、チリさんの車など10分でキタカミに運べるはずだ!

チリさん。ロープのような物はあるか?」

「(*^^*) ィイエス!」

Bチリは、トランクから出した牽引用のロープを目の前でパン!と張ってみせた。

「ハッハッハ、準備がいいなあ!

では、今からボクがお願いする通りに結んでほしい!ナンジャモはタクシーの手配を!」

「はい兄様!すみやかに!」

ミニクーパーの天井に巻かれるロープを見守る一行は、

グルーシャが何を考えているのか徐々に理解しながらタクシーを待った。

「やっぱチリちゃん、サムいグルーシャの方がええわああ……」

B世界の総大将にも、変人マニアの気が多分にある。

脱力したAチリは、ジム戦の時よろしくその場にくずおれた。

ミニクーパーと7台のタクシーが降りたったのは、池に繋がる坂道の前。

「( ᐛ )オヤ?」

「……静かですね」

車内のBチリとオモダカが不審がる。

三角形の鳥居の向こうからは、まるで人っ子ひとりいないかのように、物音ひとつ聞こえない。

「まさか、部族によって壊滅させられたのか……?」

ミニの後ろから、眉間に汗を垂らしたグルーシャが唸る。

「ま、まあ、上がって確かめてみましょう!」

ミラーごしに困り笑いのオモダカ。

リップから貸し出され、一同がナッペ山で身につけていた黒いケープは、無人の後部座席に折りたたんである。

「1週間ぶりにしちゃ、どえらい久々にここ戻ってきた気するわ」

「池に始まり池で終わる、か。

いつかのダース・ラリーではないが、まさに運命の輪が閉じる」

「んふふ。何だかロマンチックね、キハダちゃん!」

「油断するな!部族の戦士が待ち伏せしているかも知れん!」

思い思いに独りごちながら、ミニクーパーに徒歩で続く一行。

地面から顔を出している細長い丸太の上を、

夜の闇に紛れたシックな緑の車体が、ガタガタと登っていった。

と、池に入った瞬間。

「うわっ、まぶしっ!?」

木の渡しの向こうからカッと照らされた大きなストロボ。

パン!!

「Σ(・ω・ノ)ノ」ビクッ

続く破裂音に、ハンドルから手を離して驚くBチリ。

「銃声だ!伏せろ!!」

素早く地面に這いつくばったグルーシャ。

鳥居をくぐった一行……もとい、Aチリを出迎えたのは……

「「「ジム巡り、お疲れ様(でした)(でスター)!!」」」

「おめでとうございますドッペル婦人!アナタなら制覇できると……自分は……確信していましたッ……!」

「待ってたぜコノヤロー!」

袖を顔に当てる熱血サラリーマン。

何故かいるクラベル。

それだけでは無い。

岩陰から躍り出てきたジムリーダーや教師たち、さらには大勢のアカデミー生の姿だった。


「へっ?」

事態が飲み込めないAチリは、

クラッカーの紙リボンやふぶきを着物の肩に乗せたまま、キョトンと目をしばたかせている。

「さぁーて!私たちの記憶が確かならば!」

「ついに主役のお出ましですね!!」

「おっそいわねえ!腕によりをかけたんだから、感謝しなさい!」

ハイダイが、腰を左手でおさえたコルサが、ツンと頬をふくらませたカエデが。

Aチリの袖と背中をグイグイと押し、敷地の中に招きいれる。

「こ、これ……」

七色の光をのぞむ岸辺には、池が見えるように配置された大きなテーブルが3台。

そして看板と渡しのそばには、配膳ようのワゴンがいくつも置かれ、

湯気が立つ大きな寸胴ナベやジャー、

Aチリの手持ちを模したケーキやクッキー、その他ドリンクのペットボトルや水筒がズラリと並べられている。

「ささ!特等席はこちらです!」

コルサの案内で主役が座らされたのは、池の輝きをもっとも堪能できるⅢならびのど真ん中。
それも最前列だ。

「……こないに、こないに神々しい景色があったなんて……」

覆った両手の隙間から、涙声をもらすAチリ。

いつぞやの自分を彷彿とさせられたオモダカが、背後でクスリと笑った。

「さあ!私が腕を振るったスペシャリテはこれだい!」

ハイダイが鍋からよそうスパイスの香り。

「う、うんまそお……!」

目の前に出された銀の皿に、うっとりと見入るAチリ。彼女を囲む一同のお腹まで、クルル……と鳴った。

「ホウエン地方の海鮮物を〜、ふんだんに!使用したカレーライス!

疲れた身体でもスイスイ食べられる、程よい辛口にぃ仕上げましたぁ!

さあ!ボン・アペティ!(召し上がれ!)」

「先に食ってええん?」

「いいんです!主役が口を付けなければ、パーティは始まらないでしょう?」

テーブルクロスが垂れさがった足もとでは、腰に手をやったポピーがAチリを見上げている。

「ほな、いただきます!」

一口を運んだAチリ。とたんに赤い瞳を潤ませた。

「…………んま……!んまいわ……!人生で食った……メシの中で……いっとう美味いかも……しれへん……」

紺の着物の鼻がぐしゅりと鳴った。

「なんと、涙を……

私のカレーは、オモダカ嬢のサンドイッチと肩を並べたか?」

イタズラっぽく笑いかけるハイダイに、アハハ!と弾けるオモダカの声。

「……では、わたくしたちも頂きましょうか!

ミス・ゲンガーお疲れ様パーティ!

彼女を囲んでお話する時間は、まだまだたっぷりあります!」

時刻は午後8:00ちょうど。オモダカの一声で、一同はワラワラと鍋に群がりはじめた。

「…………部族に襲われたのでは、なかったのか」

鳥居の近くで皆のやりとりを見つめていた、ほふく姿のグルーシャも含めて。


自宅から駆けつけたスグリと姉・ゼイユ。

そして、休学しているゼイユを訪問に訪れていたブライアまで混じり、宴はますます盛況だ。

「まったく。ゾッとしないね。いい歳をした者たちが、こんな夜半にドンチャン騒ぎとは」

予備で用意されていたパイプ椅子に座り、喧騒を見やる姉弟とブライア。

「……うふふ。先生、口が笑ってる」

「なっ……いや、コレはだな……」

「ったく、素直に楽しいって言やあいいのにさ」

「何か言ったか!」

「べっつにぃー」

自分を挟み、紙コップを片手に言い合うスグリとブライア。

2人のやりとりを、くすぐったげに中央で笑うゼイユ。

「……でも、何だかうらやましいなあ。」

「…?何がだい、ゼイユくん」

だが、思い思いにはしゃぐパルデア勢を眺める目つきは、3人そろって楽しげだ。

「前は不覚を取られたが、今宵こそは!サワロ様の妙技を味わうがいい!!」

「……妙だったのはアナタの負けっぷりでしょう、サワロ先生。」

「いいぞお、やれやれええ!」

「サワロ先生……また、くの字に吹き飛ばなければいいがな……」

木の渡しを土俵がわりに、仁王立ちのハッサクへ組み付くサワロ。

野次を飛ばすクラベルとともに、目を横棒にしたキハダが取り組みを見守っている。

「クラベルさんや教師陣、それに元スター団のみなさんまで、どうしてここに?」

「ワタシがジニア先生と校長先生に提案したの!

向こうの世界で集まってる人達と鏡合わせ。

しかも、人数に不足があったらダメなんでしょう?だから、念のために呼んでおいたわ!」

「なるほどお!!」

枯れ草の生えた岩場のそば。丸い小さな机でチェスを打つオモダカとレホール。

だが、対局は長く続かなかった。

「レホール先生とやらはアンタか!」

「た、たしか、グルーシャ……さん?」

「ちょっと付き合って欲しいんだが、来られるか!」

「えっ?き、急に言われても、ワタシ、そ、その授業と研究が恋人っていうか……ヒャアア!?」

水色の迷彩服。赤いベレー帽。汗だくのグルーシャが、顔を赤らめたレホールの腕を引っ張っていく。

いきなりの出来事に、オモダカはキョトンと見守るしかなかった。

「えー、我の推測が正しければ。間もなくここ、てらす池では……って、何だオマエら!!」

池の浅瀬をバックに、浮かべたスマホに向かって、後ろ手を組みながらニヤニヤと話しているジニア。

「時間がないんだ!何度もリテイクさせるんじゃない!」

しかし、自分の前を横切った2人の人影に邪魔され、ひどく立腹している様子だ。

「すまない!だが、アンタも一瞬だけコイツを見てくれ!!」

岩の根元を凝視する、グルーシャの緊迫した口調。

「た、多分ワタシのせいかもしれないけど……付き合ってあげて?」

「レホール先生やアオキさんが通話で言っていた大魔神……怪物……謎の部族が住んでいる証拠を見つけたぞ!」

「なにぃ?」

引きつった苦笑いのレホールとともに、頭をかいたジニアも、2人と同じく岩へかがみ込んだ。

「この焦げ跡を見てくれ!何者かが火を炊き、儀式を行っていた証じゃないか!!」

「あのなあ。こりゃどう見ても野生のマグマッグ……」

しっ、と構えられたレホールの人差し指。

「この地上に怪奇が、また1つ……」

神妙な呻きとともに、グルーシャのスマホが焦げ跡をパシャリと記憶した。

「……ところで、ジニア先生も何やってたの?スマホにブツブツ話してたみたいだけど」

しゃがんだまま、レホールが横のジニアをポカンと向いた。

「なに、学会に発表しようと思ってな!1人の女が平行世界に帰る瞬間を映像に残して!」

ヒャハハハ!と高笑うジニア。

だが、数秒だけ考え込んだレホールが、これまた苦笑いで機先を制した。

「あのー……発想は良いと思うわ。けれど……」

「……何だ」

言いしぶっている様子のレホール。彼女のじれったさに、六角形のメガネがムッと顔をしかめる。

「……旅立った後のドッペルさんまで映しておかないと、意味が無いんじゃ……」

「……!しまったあああ!!」

仏頂面が、みるみる驚愕に変わっていく。

マッドドクの雄叫びが、浅瀬に響いた。


「ドッペルちゃんって、隅から隅までチリちゃんとクリソツよね……」

「こ、こないに見られんの、なんか恥ずいわ……」

ほとりのテーブルでは、

イスに座るAチリの両頬を挟んだリップが、彼女の目鼻顔だちを至近距離で凝視している。

「ね、ねえ、ドッペルちゃん……1回でいいから……」

「お、おん?」

「チ、チューしてみていい?」

「はあ!?」

「ち、違うの!ホッペタによ!その、チリちゃんとプニプニ具合までクリソツなのか確かめたくって」

「ほ、ほっぺたかいな……まあ……それぐらいなら」

「本当!?」

「ほ、ほら」

キュッと目を閉じたAチリの顔が、左下に傾いた。

「じゃ、じゃあ遠慮なく……」

ぷちゅううう

「……なあ、ちょい待ち」

ううううう……

「長い長い長いて!」

着物の長い袖をシェイクさせ、リップを引き剥がそうとするAチリ。

「……んふっ。クリソツどころじゃない。瓜二つだったわ」

「さ、さよか……」

テーブルにゲンナリと突っ伏した右頬には、鮮やかな紫のキスマーク。

「なるほど、さすがトップモデルのコーデスキル。あえて汚しを入れるって発想……アンニュイさが増すわねん」

2人の絡みを横のテーブルから見ていたペパーは、デコシールが施されたペンでノートにメモをとっている。

「何が『カワバンガ!』だっつんだよボタンのアホ野郎!!」

池に転落したサワロが犬神家と化し、相撲が無事に終わった頃。

「あんなカスゲー、カワ・ファッキン・パモのクソバンガだぜ!!」

渡しの向こうから、歯切れのいい罵声が聞こえてきた。

カードゲームに興じているスター団の円にネモが割り込む。

どうやら対岸でスマックブラザーズを遊び、ボタンのガノンド○フにボロ負けしたらしい。

「なあ、誰か仇とってくれよ!あらゆる希望がケツの穴から抜け出していく気分だぜ!」

「相変わらず、はしたないお嬢様ですわね……」

手札を持った素顔のメロコが、ため息をついている。

「……ビワ姉さまもクスクス笑ってますわ。

『ボタンちゃん、eスポーツすっごく強いもんね!』ですって」

般若のごとき形相でネモを睨みつけるビワの言葉。

彼女の感情表現は超がつくほど不器用ゆえに、

こうして、メロコやオルティガによる翻訳が不可欠なのだ。

「ジョーカー持ってる奴は『Hell yeah』って叫べやあ!!」

「我地獄屋持(レ)死神」

ピーニャの雄叫びに、シュウメイが漢文で応えた。

「……じい」

「ハッ」

オルティガが宙に呼びかけるや、どこからともなく執事服のイヌガヤが姿を現す。

「ボスのお相手を。お前のマ○スならば、彼女のガノンド○フに引けをとるまい」

「承知いたしました。万事、じいにおまかせあれ」

パイプチョコをくわえ、口の端でチュウチュウと吸っているオルティガ。

背後の執事に指図するポーカーフェイスと言動は、さながらガラル紳士だ。

「ネモ様は立ち会いを」

「そう来なくっちゃ……って、はっや!おいコラじじい!おいて、いくなって……」

残像が残るほどのスピードで渡しを超えて行ったイヌガヤ。ただでさえ体力がないネモは、看板のそばで息をついている。


「ねえ、スグくん」

「……どした?」

ふだんは勝手気ままのバラバラだが、いざと言う時は団結する。

誰かが困っていたら、迷わず手を差し伸べる。

「パルデアの皆さんって……何だか家族みたい、じゃないかな?」

「おっ。ねーちゃん、言うねえ」

「まあ、ゼイユくんが言うなら同感だね」

「はあ!?なんだよそれ!」

キレのあるスグリの叫びにつられ、気弱な病弱乙女も、滅多に笑わない鉄の女も破顔した。

楽しい時ほど早く過ぎる。

こればかりは、フトゥーの言う「心」と並んで、永久不変の法則かもしれない。


時刻は午後10時を回った。Aチリに残されたタイムリミットまで、あと20分。

「みなさーん!あと20分ですわよー!
ドッペルさんにプレゼントがある方は、今のうちにー!」

響きわたるポピーの号令に、
ライムのオペラ、タイムのラップが融合した即興リサイタルは中断した。

2人に群がっていたメンバー、

そして、Bチリがちゃっかり録画していたジムチャレンジの一部始終を鑑賞する一同もまばらに散り、

自分のバッグや懐から、思い思いの品を手にAチリへと持ちよって行く。

「今回は写実的に描いてみました!お納めください!」

コルサからは、カラフルに刷られた版画と原版の板。

「おおきに。ごっつ嬉しい……!」

バトルコートを背に、カッターシャツ姿のAチリとドオーが隣あっておどけている。

「わたしが監修したフードプロセッサーよ!せいぜい、大事にっ……」

涙ぐむカエデからは、Bのパルデア地方ではベストセラーとなっている、彼女じるしの調理器具。

「ドッペル婦人よ!もーしも、またいつか会えたならばあ、いつでも舌鼓をうちに来るがいい!」

ハイダイからは、「期限 : 一生」と書き足された、自身がオーナーをつとめる高級飯店の8割引きチケット。

「長かったようで短い……しかし、やはり長かったような不思議な1週間でしたね!」

アオキからは、後頭部に白い文字でサインの入ったダース・ラリーのヘルメット。

「……多くは語りません。お元気で」

寂しげに微笑むナンジャモからは、1枚の短冊。

どうやら俳句か短歌らしいのだが、流れるような細い筆致は、文末の「じゃも」という文字しか判読できない。

Aの世界に帰ったら、オレンジアカデミーに解読を頼んでみようか。

「ドッペルちゃん。いいえ。もう1人のチリちゃん。アナタが来てくれたおかげで、リップは変われた。

もし二度と会えなくっても、アナタの事、絶対に忘れないから!……だから」

リップからは、物がわりの熱いハグ……からの。

ぷちゅううう……

「うひぃ!?」

「……こっちのリップの事も、絶対に忘れないでね」

「あ、ああ、分かっとる。こ、こないに……ユニークなリップさん、忘れるわけあらへんがな」

2つに増えた、頬のキスマーク。ほんのり露を浮かべたリップの目が「んふっ」と細まった。

「私からはコレ!ドッペル婦人の歌声を編集して、原曲のインストに乗せてみたの!」

ライムからは1枚のCD。

円盤の表面には、ジムトレーナー戦やライムとの勝負で歌った曲名。

そして、ステージで向かい合うAチリとライムの写真が刷られていた。

「いやあ。アオキさんと被るけど、ボクもこれしか思いつかなかった物でねえ!」

グルーシャが差し出したのは、彼が勝負用に着る柔道着。

キッチリと四角に折りたたまれた中心には、マジックで太々と力強くサインが書かれている。

「心が折れそうな時は、プレゼントを見て思い出せ!アンタには、ボク達がついている!!」

「おおきにな。何だかんだあったけど、ホンマ……楽しかったわ」

水色の迷彩服と握手を交わすAチリ。

それに合わせて、残りのジムリーダーや四天王のポピー、ハッサクにオモダカも頷いた。

「(*°ㅁ°)ハッ!」

一同の背後で、Bチリが人差し指をたてた。

「あっ!いけません!そうでした!」

同じく何かを思い出したらしいオモダカ。2人は、鳥居の前に停車したミニクーパーへと走っていった。

「みんな!あと10分です!」

午後10時10分。タイムキーパーを務めているアオイの声が、一同に時刻をしめす。

「( ; ´Д`) ハァハァ」

「忘れる、所でした!」

大慌てで戻ってきたBチリとオモダカ。

2人の両手には、変装用という名目で買いしめた(そして結局ほとんど着用しなかった)衣服の袋が
大量に下がっていた。


「お、大きなカバン!それか、大きなバッグはありますか!?」

辺りをオロオロと見渡すオモダカに、

スター団と教師たちが、大きなトランクとキャリーバッグを差しだした。

「まとめましょう!服とお土産を全て!ミス・ゲンガーが持ちやすいように!」

「あ、あと5分です!」

アタッシュケースいっぱいに詰められる衣服の袋。

キャリーバッグの方には、ジムリーダーからのプレゼントが収められた。

「……いざ別れるって思うたら、ちょっとだけ寂しいなあ」

肩がけと右手に荷物を下げ、星空を見上げたAチリ。

「( ˘•ω•˘ )……」

そして、彼女の荷造りを終えてからというもの、Bチリは何故か眉をしかめたまま、いつになく悲痛そうに黙りこくっている。

「チリ。大丈夫です。またきっと会えますから」

オモダカの慈母のように耳打ちに、コクリ……と首を縦に振るBチリ。

しかし、表情は晴れるどころか、ますますうつむいてしまった。

「ドッペルさん。次に会えたら、またコーディネートさせてよねん」

「次は、うちらが行くってのはどうよ!?ドッペルさんが住んでるパルデアにさ!」

「へへっ、アホのボタンにしちゃ面白い事いうじゃねーか」

「ナッハハ。きっと大騒ぎになるで」

Aチリに群がる親友たちが、好き好きに彼女と別れを交わす。

「あと2分!」

アオイの声が、分を進める事に張り上がっていく。

「向こうのポピーと、しっかり仲直りしてくださいね!」

「ドッペル婦人!お身体に気をつけて!
睡眠はしっかりと!暴食や不規則な生活リズムはダメですからね!」

「大行は細謹を顧みず。

ミス・ドッペルゲンガー。

パルデアリーグの発足以来、わずか一日でジムを制覇した者など前代未聞です。

アナタは、この世界のどのチャンピオンクラスでも成し得なかった偉業を打ち立てたました。

今やアナタは、このパルデア地方でも1、2を争う強者なのです。

些細なケンカなどで気落ちしているヒマなど惜しいと小生は感じますがね。強者は強者らしく胸を張りなさい。」

四天王達からも思い思いの激励。

3人、そしてオモダカと並んだBチリは、苦虫を噛み潰したような顔のまま、相変わらず下を向いている。

「なあ、じぶ……チリちゃん!お別れの時くらい、いつもみたいに可愛く笑ってーな!」

「だそうですよ、チリ!悲しい顔のままでは、ミス・ゲンガーが帰れなくなっちゃいます!」

「( •᷄ὤ•᷅)……バイバイ」

一気に寂しさが押し寄せたのだろうか、

おどけてみせる2人にも、Bチリは意気消沈したままだ。

「あと1分です!!」

叫びに近いアオイの声。

「もう1人のチリさん。また滞在の予定が出来れば、STCの訓練をお願いしたい。

ジムチャレンジを一息に駆け上がった実力をぜひ見てみたい。団員一同、心から歓迎するよ」

「おっ、言うたな?チリちゃんのトレーニングは、ちぃーとキツイからな!」

スター団から歩みでた参謀役・オルティガが、直立不動で紺の着物と握手する。

真顔で咥えたパイプチョコとステッキ。幼い少年の紳士然とした振るまいに、Aチリは思わず微笑んだ。

30、29、28……

「はぁ……にしても。

平行世界の旅なんて、皆に何て伝えたらええんやろ。いっそ『オーカルチャー』にでも投稿したろうかな」

寂しさを紛らわそうとAチリがボヤく。

「それも一興かと。しかしどう足掻いても、小生たちはアナタの投書を購読できないのが忌々しい」

ハッサクの皮肉に、池に集まった一同がいっせいに笑った。落ちこんだままのBチリを除いて。

10、9、8、7……

「……ほなな。皆、ホンマにおおきに」

「礼を言うのはワタシの方だ。リップを哀しみから救ってくれてありがとう」

「ドッペル婦人!お達者でええ!!」

「「「お疲れ様でスター!!」」」

「( ;꒳; )バイバイ!バイバイ!!」

3、2、1、0

「……おん?」

1、2、3……

霧はまたしても起きない。
お知らせ
実務でも趣味でも役に立つ多機能Webツールサイト【無限ツールズ】で、日常をちょっと便利にしちゃいましょう!
無限ツールズ

 
writening