ある子供の話③


「…………若君は、強くなりたいのですか?」

 屋敷の庭で、木刀を持って剣の型の練習をしていた時のこと、珍しく母と共にいない鎧武者さんにそんな言葉を投げかけられた。問われ、ふと考える。出来ないことが出来るようになるのはとても楽しいことだから、その一環として自分は剣の型稽古や魔術の訓練をしている。そこに、強くなると云う意思は全く無かったことに気づいた。

「そう云えば、強くなりたいって思って訓練したことないですね。剣も魔術も」
「そうですか」

 相槌にはあまり抑揚を感じなかったけど、少しだけ落胆の気持ちが混ざっているような気がした。まぁ当然か、と思う。母は、剣の腕も立つ。どれ程凄いかと云うと、母が開設した私塾に集った門下生達全員を相手にしても、息切れひとつせずに下してしまう。男女の性差は魔術で補っているんだろうけど、母の身体捌きや剣筋、気迫は外から眺めていた自分でさえ圧倒された。

(……ああ、そうか)

 そこまで思い返して、成程と頷く。母は強い。剣も魔術も、敵うどころか対等に競う者さえ多くは無いと思っている。そんな強い母だからこそ、弱い自分を心配しているのだな、と。

「……でも、母に心配をかけさせない程度には、強くなりたいなぁ」
「では、私が手解きをしましょう」

 自分の呟きに、鎧武者さんが食い気味に反応した。心なしか楽しそうな雰囲気だ。

「自分としても有難いですけど、良いんですか?」
「ええ勿論です。短い間ですが、しっかりと鍛えさせていただきます」
「では、よろしくお願いします、鎧武者さん──いえ、師匠」

 そうして師匠から教えを受けることにした自分は、今までと違って強くなることを意識して訓練を開始した。



 その結果割と酷い怪我を負い、自分は母に凄く心配をかけ、師匠は母に本気で怒られてとても落ち込んでいた。
 自分が至らないばかりに、二人とも本当にごめんなさい。

   *   *   *

『母上を護れるようになりたくて、自分から教えを請いました』

 だから師匠を怒るのはもう止めてくださいと、治療したものの多少の怪我が残っている若君に庇われた時、何故、と云う疑問で埋め尽くされた。切り出したのは私からであり、私が何も云いさえしなければ若君は強くなろうと思いもしなかったのに、何故と。
 そう問いかけると、若君は至極当然に答えました。

『自分が弱かったせいで、お二人の仲が拗れるのも良くないでしょう?』

 己が弱いと口にしたのにも拘らず、其処に自責や卑下は無い。ただ純粋に事実を受け入れている姿に、本当に似たもの母子だと感心する。

(ですが、傷の治りについては違いますね)

 我が主人、由井正雪はホムンクルスであるためか身体の修復が早い。しかし若君は、我が主人の胎より産まれたのにも拘らず、人並みの修復速度しかないようだ。己の出自を卑下する主人にとっては喜ばしいことであろうが、私からすれば少し残念ではありました。

(豊富な魔力量と優れた身体能力、そこに主人同様の修復速度が併されば、良き武者に成れたでしょうに……)

 源頼光として行動しているからか若君の持つ戦の才を研ぎ澄ませたいと思ってしまい、つい私が若君の年の頃に行った訓練をさせてみたが、どうにも今の時代には過ぎたものだったらしい。主人にも若君にも、大変申し訳ないことをしたと深く反省する。
 そして同時に疑問が浮かんだ。
 若君は私に対し「母に心配をかけさせない程度に強くなりたい」と云っていた。しかし主人に対して若君は「母を護れるようになりたくて私に教えを乞うた」と伝えていた。その言葉の違いが何なのかを考え、不意に以前した主人との会話を思い出す。

『私はもう、長くはない。故に此度の儀にて盈月を手に入れ、真に平らかなる世を創ってみせる』
『主人よ、貴女の寿命のこと、若君には?』
『伝えていない……どうして、伝えることが出来ようか』
『泣かれますよ』
『ははっ、それは……嫌だな。あの子には私が願った世界で……健やかに、笑顔で過ごしてほしいから』

 次いで、若君の愁いを帯びた笑みを思い出す。

『……でも、母に心配をかけさせない程度には、強くなりたいなぁ』

(ああ、成程……)

 そして、得心がいった。
 若君は既に、主人の寿命の件に気づいているのだろう。だから主人が未練を残さないよう強くなりたいと思い、しかし主人には気づかれぬよう子供らしい理由を口にした。

(若君は本当に優しく、聡いおのこなのですね)

 主人の云う通り、なべてこの世は歪である。だからこそ、真に平らかなる世を目指す主人の志に感銘し、私はこの忌々しい鎧を身に着けてでも源頼光として行動しようと心に決めた。
 けれども、どうしてか。本当にそれで良いのかと、問い掛けてくる己がいる。

(全く、如何してでしょうね……)

 真に平らかなる世を、その願いに、私は同調したと云うのに。

(主人と若君の二人が、穏やかに過ごせる日々を夢想するだなんて)

 それは私らしからぬ考えである筈なのに、如何しても願ってしまう己がいる。
 これから私はどう動くべきなのか、何を目指して進むべきなのか。未だに心が定まらずにいるのだが──ひとつだけ、絶対にやると決めていることがある。

(取り敢えず、宮本伊織は殺します)

 いえ、殺しては主人が悲しみますね。仕方がありません。甚だ遺憾ですが、腕一本奪って、剣を握れぬ程度に済ませましょう。ええ、甚だ遺憾ですが…………死なない程度でしたら、痛み付けても宜しいですよね? ええ、きっとそれならば大丈夫な筈。そうしましょう。

 主人を悲しませる原因である忌々しい男の姿を思い浮かべながら、私は固く決意するのだった。
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