魔法は見る人の心の中に


 この記事は熊野寮アドベントカレンダーその2(https://adventar.org/calendars/5733)の12月23日の記事です。

 今日に向けて、実は小説らしき何かを書いていた。ただ、時間がなくて校正も編集もできていない。ついでに言うなら初稿すら完成していない。未完成品を校正・編集せずに出すのはめちゃくちゃ嫌である。不燃ゴミの方がましである。やめた。
 かと言って記事を出さないのもアレなので、その小説の素材にと思って色々勉強していたマジックの話とかを書き連ねてお茶を濁すことにする。有識者からしたら「そんなん知ってるわ」程度の話かもしれないが、まあゴミとゴミなら多少役に立つゴミの方を出すのだと思って許して欲しい。あと初学者も初学者なので内容に誤解があったらすんません。

 最近、縁あって『ブラザー・ジョン・ハーマン カードマジック』という本を購入した。微妙に高かったが、自分へのクリスマス・プレゼントだと思えばまあそんなもんだろう。その名のとおり、ブラザー・ジョン・ハーマンというマジシャンの作品集である。この人がどういう方なのかは浅学にして存じ上げないのであるが、中に収録されているマジックのクオリティがその偉大さを物語っているように感じた。
 この本の前書きには、ハーマン氏による序文が書かれているのであるが、そこに面白いことが書かれていた。直接の引用は避けるが、要約すれば「マジックはマジシャンの手から生まれるんじゃなくて、見る人の心の中に生まれるのだ」という話であった。
 この言葉について、ちょっとだけ頭をひねってみることにする。

 マジック、特にスライハンド・マジックと呼ばれる、マジシャンの掌の技術で展開されるマジックを考えてみる。具体例として、1枚のカードをトランプのデックの中に戻してマジシャンが指を鳴らすと、その入れたカードが1番上にあがってくるというマジック(アンビシャス・カード)を考えよう。
 アンビシャス・カードは誰がやったとしても、起こる現象はこれだけだ。即ち、(できないけど)僕がやろうが、(もう久しく会っていないが)京大奇術研の友人がやろうが、(ここで名前を出すのもおこがましいが)ダイ・バーノン氏がやろうが、デッキの中に入れたカードが1番上にあがってくる、基本はそれだけなのである。これなら、例えば同じだけ手さばきが熟れたマジシャン2人を持ってきて同じマジックをやらせると、差など生まれようもない気がしてくる。
 だが、そうはならないというのがマジックの面白いところだ。
 ポイントはどこかと言えば、マジックが技術だけで成立するものではないというところにある。例えば、話術。普通に考えれば、カードが1番上にあがってくるというのは現実には起こり得ないことである。だから、それに対する理由付けが必要になってくる。
「これは特殊なトランプを使っていてこうなるんです(とぼけ)」
「これはカードに意思があって勝手に上に上がって来るんです(まじめ)」
 とか、そんな感じで「何をどんなふうに話すか」で差が生まれたりする。加えて、喋り方にもコツがあるのだという。とにかく不思議な現象が起こることを矢継ぎ早に見せるのでは、観客も理解が追い付かない。つまり、観客が目の前の現象を理解するための「間」が必要になってくる。上手い人はこうした「間」の感覚に優れているのだという。
 或いは、手順の違い。上手い人は「どのように見せるのか」を考えているらしく、つまり、観客の心理誘導が巧みなのだ。
 一例を挙げよう。先ずは「このマジックやると、たまにカードを真ん中に押し込んでいないんじゃないの? って人がいるんですよ」と言ってから、しっかりカードが真ん中に差し込まれるのを観客に確認させる。その上でカードがまた1番上に上がってくると、今度は「で、別のお客様は中に入れるときにすり替えているんじゃないのかって言うんです」と言って、確かに選ばれたカードを入れたように見せる。そしてまた指を鳴らすと、一番上にあがってくる。
 この時裏で何をしているのかは読者諸氏の想像にゆだねるとして、とにかく、注目させたいところに注目させる見せ方、手順で行われているということが鍵である。見せたいものを見せつつ、観客の想像を裏切る、という構成の仕方によって、同じ現象でも差が生まれるというわけなのである。

 マジックをかじってまだ日は浅いが、詳しく調べてみようと思う前には、僕はこういったことが全く頭には無かった。単に、不思議なことを起こす技術がどこかにあって、それさえ学べば魔法が引き起こせるのであると考えていた。
 だが、そんな単純なものではなかった。不思議なことを起こす技術の習得は前提にあるとしても、その先、見せるときに「どう見せるか」「どう見せたいか」と言った観点が存在し、その探究に終わりは無いのだと知った時、雷に打たれたような気持ちになった。現象が全てではなく、観客にどう訴えるかで見え方はまるで変ってくる。
 よく分からんけどカードを上にあげる人なのか、魔法を使ってカードを自在に操れる人なのか。
 私事で恐縮だが、ツイスティング・ジ・エーセス(カードを数える度に、なぜか手元にある4枚のエースのカードが順番にひっくり返るマジック、ダイ・バーノン氏原案)をやるときに、技法だけ出来ても仕方ないということを最近身を以て実感した。何故エースがひっくり返ったのか、その理由付けと現象を理解させるだけの間の取り方がなければ、意味不明なまま観客の目には映るのだ。
 魔法は、それを目撃する人が魔法だと理解しなくては成立しない。とにかく不思議なことを起こせば魔法、というのは通らないのだ。
 要するに、先の大魔術師が残した言葉どおり、「マジックは観客の心で生まれる」ということらしい。
 つまりは、魔法は見る人の心の中にしか生まれない。何ともむずがゆくて素敵な事実ではないだろうか。

 って感じで、あんまり中身のない2本目の記事はこちらで終了(1本目はhttps://bit.ly/3mUHyrf)。
 気が向いたらこの下に何か追記される可能性もあるかもしれないしないかもしれない。