『誰が為のアイドル』


「兄さん、私はアイドルを目指そうと思う」

 『ルビー』の宣言にアクアは驚愕の表情を浮かべていた。
「いや、待て、お前……、お前、役者寄りのタレントでやっていくって方針だったろ?」
「そうだよ」
 『ルビー』は頷く。
「でもまぁ、色々考えてね。母さんの夢の続きを繋ぎ直すこともまた、意味のあることと思えてね」
「色々と……大丈夫か?」
「演技で身のこなしは鍛えてきたから、そういうダンスは問題ない。歌もアイドル曲向けにカスタムすれば良いだけだから、こちらも問題ない。己惚れる訳じゃないけど、基本は出来てるから、アイドル仕様に合わせればいい。外見については、まぁ、これも己惚れる訳じゃないけど、アイドルとして打って出る程度の基準は満たしてしていると判断してる。そこは、同意してくれるよね?」
「よく言う。でもまぁ、そりゃ、お前だからな」
「有難う。嬉しい」
「いや、しかし……」
「ミヤコさんの了承ももう得た。かといって、自分一人でやっていけるとまでは自信過剰でもないよ。メンバーを集める。B小町の再現だね」
「新B小町か……」
「もう候補も考えている。まず、一人目は……分かるよね?」
 その言葉に、アクアは少し考え込む表情をする。
 それを見て、『ルビー』は頷いた。
「……そうだよ。今、兄さんも思い浮かべた子。この間の『今日あま』で共演した、あの子」
「有馬……」
「多少調べた。所属無しのフリー。子役時代は有名だけど、その後は鳴かず飛ばず。だけど、研鑽だけは積んできた。兄さんもその辺りは分かってるよね?」
「……ああ」
「CDも過去何枚か出してる。売れてはなかったみたいだけどね。でも、聞いてみたら歌自体はいい歌だったよ。いや、技術的には、多分上手く歌ってたよ、って言うべきかな。まぁ、歌唱力はある方と見て良いんじゃないかな。顔も童顔美少女系で、私とタイプが違う。グループとして売るには好適」
「多少じゃないレベルで調べてるな、おい」
「何ごとも準備は大切だからね。それに、『今日あま』良かったから。あの人、わざと演技の技量を落として調整する、ということをやっていた。それなのに、あの最終回だからね。まぁ、面白いよ。もし引っ張れれば、一緒に仕事する機会も増える。何か盗める技術もあると思う」
「そうか……」
「ただ、私が誘ってもうまくは行かないだろうね。多分あの人、自己評価が滅茶苦茶低い。アイドルに誘っても、そもそも可愛くないだとかそんなことをうだうだ言って、拒否っておしまいだと思う。だからさ、例の再会の時からやたら強い思い入れを見せてた、兄さんから圧して欲しい。それなら多分うまくいく。それで流れで押し切っちゃおう。折角利用できる縁があるのなら利用しないとね。繋いでほしい」
「お前、結構酷い事言ってるぞ」
「いいんだよ。これは有馬さんにとっても色々と利益のある話。……色々と、ね。win-winだよ」
「……本当にやるんだな」
「今更だよ。もう決めた」
「他のメンバーは?」
「まぁ、まだはっきりしたものは。考えていることが無い訳じゃないけど。まずは有馬さん」
「そうか……」
「ただ、ね」
「?」
「うまくいくかはわからないけれど。いつか、『あの子』に声をかけても良いかもね」
 恐らく想定していなかったであろう『ルビー』の言葉に、アクアは衝撃を受けたような表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「いや……お前はそれで、いいのか?」
「ああ、あの時の? 気にしていないよ。私に向けても色々悪口言われたけどさ。それはいい。兄さんが、それでよければ、ね」
「……そうか」
「まぁ、かなりのものではあったけど、さ」
 『ルビー』は、その時のことを思い出し直すかのように、しみじみと言った。
「ただね。あの子から感じた、あの黒い衝動。こちらを責める、あの気配。あれはさ。明るいものではないかも知れないけれど。でも、きっと見た人の心を動かす。実際私も少し見惚れた。あれは……売れる。売れてしまうよ」
 アクアは、どうにも形容し難い、複雑な顔をしていた。
「まぁ、先の話だよ。それは。とにかくまずは有馬さん。さ、繋いで」
「今か?」
「電話だけでも。もし会えるなら会いたいね。……有馬さんに、勘違いさせたら悪いけど」
「勘違い?」
「ああ、気にしないで。とにかく早く」
「……ああ」

 アクアは、スマートフォンを取り出した。結局のところ、アクアは妹からの要望には常に応えるのだ。
 それが、『ルビー』の愛する兄の姿。


 色々と内心の想いを抱えているであろう状況でも、とにかくまずは妹の願いを聞き、行動を起こしているアクアを見ながら、『ルビー』は考えに耽っていた。

 彼女にとって、最愛の『兄』。
 彼女にとっての全てである『兄』。

 そう、彼女にとっては、最愛の『兄』こそが全てであり、すべての行動は、その為のもの。

 彼女は、アクアが、アイを失ってから一種の昏い衝動に基づいて行動を継続していることは知っていた。本来は、そんなアクアの行動に協力したいとすら思っていた。
 だが、そこに立ち入ることは、かえってアクアを悲しませるであろうこともまた、彼女には分かっていた。
 だからこそ、彼女はただ、『兄』の行動を見守り、『兄』にとって励みとなるであろう存在として、ただ、彼女自身が定めた目標に邁進してみせていた。
 『不知火フリル』から、アクアと己への罵倒が発生したあの日までは。

 アイと、アクアと、かの『不知火フリル』。

 その三者の間には、何か決して立ち入れないものがあると、彼女は察していた。
 アイを母として慕っていた己にすら立ち入ることが許されない何か。

 でも、それは、それでいい。それは、そういうものなのだ。

 だからこそ、アクアに説明した通り、彼女には、彼女自信が激しく面罵されたことへの怒りは無かった。
 ダメージが無かったとはいえない。というよりも、いまだにその傷は癒えてはいない。ただ、それでも、それはそういうものだとして彼女は許容していた。

 だが、あの日発生した事象は、それにとどまらなかった。

 彼女だけではなく、『兄』もまた手酷く心に傷を負っていた。
 そのくせ、『兄』の口から出るのは、すべてを認め、ただ、己を責める言葉ばかり。

 繰り返すが、彼女にとっては『兄』こそ全てである。

 だから決めた。

 アイドルをやる。そのことで、アイの示した夢の続きを提示する。
 それは、間違いなく、『兄』への何かの励みになる。
 それだけではない。
 アイドルグループをやれば、いずれは『不知火フリル』への接触の道も開ける。
 アイに強い執着を覚えている『不知火フリル』ならば、B小町のメンバーになるという誘惑は、一種の抗しがたい何かとなる可能性もある。
 もちろん、接触、打診、説得はあくまで慎重に行うつもりだが、案外早く話がまとまる可能性もあると『ルビー』は考えていた。
 そう、『不知火フリル』をB小町にも迎え入れるのだ。

 『ルビー』は察している。アクアと、かの『不知火フリル』の間には何かがある。アクアが決して説明しようとしない、何かがある。無理矢理にでも、それを修復することは、多分アクアにとって一つの励みになる。
 『ルビー』には分かっていた。
 恐らく、そこには何かの絆がある。
 『不知火フリル』は気づかず、ただ、アクアだけが認識している何かの絆が。
 多分、それはアクアにとってはとても大切なもので。
 それこそ、何よりも大切なもので。
 気づいてしまった以上は、それは、『兄』には決してそのままにしておけないものの筈で。
 だからこそ、そこの繋がりを構築するのは、『兄』の為になる筈だった。

 そもそもアイドルグループ構築ににあたって、有馬かなにまず声をかけようと決めたのも、結局のところは『兄』の為だった。それが『兄』の為になると判断したからこそ、なのだった。
 かのドラマ撮影の前後で兄がどう変わったか。そもそもあのドラマはどういうものだったか。アクアは、有馬かなに何を見たのか。そもそも、あの高校の、有馬かなとの再会の場で、何故あのような会話になったのか。
 どうあれ、有馬かなもまた『兄』と同じ事務所に居させて活動させれば、これもまた多少なりとも、『兄』の酷く傷ついた精神にとって良い影響をもたらすだろう。あの気の置けない、昔の『兄』に戻ったかのようなあのやり取り。あれもまた、アクアにとり意味のあるものになる。逆に言えば、機会を逸して有馬かなを『兄』から遠ざけさせる訳にはいかない。それが、『ルビー』の見立てだった。

 彼女にとって、『兄』は全てである。

 繰り返すが、だからこそ、彼女は『不知火フリル』に、彼女自身に向けて言われたことは気にしてはいない。
 たとえそれによって心に傷を負っていても、尚。
 それどころか、同情心すらある。
 アイを奪われた。
 そういう意味での、同志でもあるのかもしれない。
 そこには、友情すら感じる。
 そのこと自体には、決して悪感情は無い。

 だが、だからこそ。

 アクアが、このように追い込まれたことは、同時に、『ルビー』にとって度し難い何かではあった。

 『ルビー』は察していた。
 アクアが、かの『不知火フリル』からの面罵の後、自らの命に決着をつけかねない精神状態であったことを。
 アクアをつなぎ留めたのは、ただ、復讐の一念であったであろうことを。
 『ルビー』はアクアの為に尽くせるだけのことを尽くしたが、多分、それだけでは足りなかったであろうことを。

 度し難いことだった。

 悪し様に言えば『不知火フリル』は、彼女からアクアを永久に奪い去ろうとしたのだ。
 たとえ『不知火フリル』にはそのような意図が無かったのだとしても。

 『ルビー』にとって、『兄』こそ全てである。

 だからその為なら、『ルビー』は何だってする。

 B小町の再建もまた、つまりはそういうことである。
 だから、仮に『不知火フリル』と繋がりを持つかたちになったのなら。『ルビー』は全力で友情を見せるだろう。それは、本心からのもの。何しろ、本当に友情をそこには感じているのだから。

 だが、その心の奥底では。
 彼女は、『不知火フリル』を決して許すつもりは無かった。
 それは、『不知火フリル』にも。アクアにも。誰にも分かることはないだろう。彼女もまた、それはあくまで内心の事実としてのみ維持し、現実世界にそれを影響させるつもりは微塵も無かった。
 つまり、『ルビー』と『不知火フリル』の間に友情が成立することがあったら、それは本物の、美しい友情となるということだった。
 実際それはそういうものになる。何しろ、彼女が『不知火フリル』に感じている同情、そこから来る親愛。それは全て本当のものなのだ。だからこそ、『不知火フリル』に愛情を感じれば、本心から愛することになるのだ。たとえその存在が、彼女から、『兄』を奪おうとした最悪の存在であったとしても。



 彼女は『不知火フリル』を決して許さない。
 それでも、かつてアイがやってみせた通り、『不知火フリル』も愛してみせよう。
 それが、彼女が定めた、一つの矜持。
 そういうことなのだった。

 彼女自身は気づいていなかったが、それは、すべてを推す、と決意した、『母』の思考とも、どこか類似したものとも言えたかも知れなかった。


 だが、いずれにせよ、これは新たな始まりだった。
 かくして、もう一度、B小町は始まった。
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