33.空っぽの魔女


 
 僕は今、地球寮へと足を向けている。背後には存在感を消すようにして付いてくる、らしくないほど物静かな兄さん推しの二人組を従えて。
アーシア出身のチュアチュリー・パンランチに、ランブルリングで助けられた礼を伝えるのが目的だ。

 兄さんの失踪中に起きたプラント・クエタへの襲撃テロ。そして父の急逝から始まったCEO代理の生活。業務の引継ぎなどもあった中での、学園オープンキャンパスに乗じたテロだった。多忙を極める日々を送る内に、彼女への礼を言う機会もなく、どんどん後回しになっていった。
立て続けに2度目のプラント襲撃事件に巻き込まれ、シュバルゼッテを強奪しようとしたボブと揉み合いになり、その末に彼の身柄の確保に成功したまでは良かったのだが。
身元不詳の怪しい経歴を各所から疑われ、僕は兄さんそっくりな彼を、宇宙の豚箱送りにしたくなくて『拾った責任と義務』を強調し、グループのお偉方から何とか監視役をもぎ取った。それから始まった彼の介護と監視に観察。問題山積なCEO業務と神経を知り減らすような日々に追われ、礼を述べる暇もなく、その内に頭の隅に追いやられ、今や完全に忘れさられていた。

 あれから随分月日が経過している。何を今更と自分でも思うのだが、記憶を取り戻し、すっかり高邁な兄さんに戻ってしまった彼は言う。
『それでも礼儀は通せ』と__。
大好きな兄と元ボブから、そのように釘を刺されれば、致し方あるまい。


 出向いた先では、出入り口付近の外壁を熱心にデッキブラシで磨いている一人の男子生徒の姿があった。ひょろりとしたその背中に向かって声を掛けてみる。

「おい__」
ビクッと肩を引き上げた男は、手に持っていたデッキブラシの柄をバッドのように握り替えて、ゆっくりと振り返る。
「な、な、なんでしょうか?」
急に話し掛けたことで驚かせてしまったのだろうか?
「ジェターク寮長のラウダ・ニールだ。少し訊ねたい事があるのだが」
「他寮の寮長殿がこの地球寮に__? い、いったい、どのようなご用件で?」
おどおどした様子で振り向き様にこちらの姿を確認した男の声は、少しばかり震えていた。
「チュアチュリー・パンランチを探している。君は居場所を知っているか?」
僕が口にした言葉に彼は安堵したのか、一つ息を吐いて額の汗を拭った。その額には、包帯がぐるりと巻き付けられている。

 地球寮の寮長だと名乗った色白で気弱そうなこの男は、彼女は先ほど寮から出て行ったところだと語った。行き先を聞いている者がいるかどうか、他の仲間に尋ねてみるからその場で少し待つようにと言い残し、彼は寮内へと消えていった。
僕は壁に背を預け、腕を組んで目を閉じる。

 どうにも心がざわつく。何に対する焦りなのか、苛々が収まらない。横髪を軽く指に巻いて引いた後、人差し指でトントンと拍子を取りながら、ぼんやり薄目を開けてみる。先ほどの男が熱心に磨いていた横の壁に、何気なく目を向けた。そこには薄っすらと赤い文字が透けて見える。
『You don`t belong here! 』
スプレー缶を用いた落書き、悪戯書きの類のようだった。

彼はこれを消そうと、熱心にブラシを掛けていたのか__。


 そう言えば兄さん、病室で何か言ってたな。何だっけ__、そうだ。地球寮の奴らがテロ犯の一味扱いで嫌がらせを受けてるらしいから、困った事があるようなら力を貸してやって欲しい、とかいう内容だった。
その後、決闘前にジェターク寮の面々を集めた決起会でも、同じ事をみんなの前で話してた。僕は口を挟むことはしなかったけれど、疑問には感じてた。
何故今から戦う相手、その所属先への気遣いなんて口にするんだ。兄さん…こいつらに矢鱈と肩入れしてないか?__って。

 確かにジェタークの立て直しのため、ガンダム(株)とのタッグは妙案だとは思う。急速に資金繰りが悪化している当社としては、一刻も早くイメージ回復に努め、信用を取り戻し、融資元や資産家にアピールしつつ、投資家達の財布の紐を緩めたい。
ガンド技術の有用性と安全性を実証出来れば、本社格納庫の一番奥で邪魔なお荷物として邪険にされ、ボブと共に暴れたあの日から、ずっと眠りについている当社の懸念機構だって、いつか日の目を見る時がやって来るかもしれない。ガンダム(株)との関係は、使い方によっては強力な後押しと成り得るだろう。彼らとタッグを組むと決めるのなら、それなりの協力関係は欠かせない、とは思う。
……しかし、兄さんは。地球で記憶を無くすほどの辛い目に遭ったのだろう?
それなのに何故__?

 ボブのパーカーのポケットから出て来た、クシャクシャのメモ。兄が一度地球に降りたのは確かだ。
水星女が来てから一気に色々あり過ぎた。その上父さんからは、漬物石や賽の河原の積み石が如き重圧を、ガンガン上から積まれていって__。頭も心もぐるぐる廻って、そのうち何も考えられなくなって。全てが心底嫌になって…仕舞いに何かがプツリと切れてしまったのだろう。
まさかミオリネではなく、兄の方が地球へ逃避行する事になるだなんて、思いもしなかったが__。
そこで酷く辛い何らかの目に遭って…彼は兄さんだった記憶を失い、ボブになったのだと、僕はそう推察している。

 記憶が戻ってからの兄さんは、何かがどこか依然とは違う。上手く言葉には出来ないけれど。
以前の兄さんは、学園内では特に、周囲に対して突っ張って見せるのが常だった。明らかに罠が仕掛けてあるであろう、行き過ぎた決闘や、不利な条件での決闘、不要な戦いまで拾い上げては引き受けたりして。危なっかしくて内心ハラハラしてきたのだが、結果を出してくる以上は強くは言えない。強さに拘るのは分かるけれど…。そこまでする必要があるのかと、当惑する事もままあった。
けれど、小言を言ったところでホルダー時代の兄さんは、僕の言葉なんて話半分にしか聞いてなかった。だから、僕の方も兄を説得しようだなんて思わなかったし、父に対しても、兄の傍においても、基本的にはイエスマンに徹して学園生活を送ってきた。
あの時点までは__。

 今の兄さんは、以前の兄さんとは逆方向に振り切れている気がする。変に達観したような、諦観したような、そんな気配を感じる。
その目に映る事象の殆どを、どうでも良い些細な事だと言わんばかりに、やたら遠くばかりを見凝めてる。僕らの方に向けられて、キッチリピントが合ってた焦点が、どこか遥か遠くの方へ、宇宙の果てにでも行ってしまったような。
心ここにあらずと言うのだろうか?
魂が抜けている、とでも言うのだろうか?

その腕はすぐ近くに、手を伸ばせば掴めるくらいの距離にある筈なのに、心の方はいくら手を伸ばしても、届かないほど遠くへ行ってしまったまま、未だに戻って来れていないような気がして…。話しかけても、呼びかけても、ぼーっとしたまま返事が返ってこないこともあって、そんな場面に出くわす度に、こっちは非常に不安になる。

 公の場でハキハキと通る声で喋る兄さんは、小さい頃からの教育の賜物と立場上慣らされてきた結果だ。謂わば社交の為の外向けの顔。プライベートではそれほど多弁な方じゃない。だけど、いっそう寡黙になって戻って来た彼を前にして、この胸は詰まるばかりだ。
何があったか教えてほしいと頼み込んでも、大好きな手を取り幾度願ってみても、頑なに口を閉ざしたままだから…相当な目に遭わされたに違いない。

可哀想な兄さん__。
兄さんをそんな目に遭わせる地球だなんて、いくらあなたの頼みでも、それが会社の為であっても。僕は、到底好きになんて、なれそうにもない。

 寮長だと名乗る先程の男子生徒がしていた作業、その様子と額に巻かれた包帯を思い浮かべて、僕は何事があったのかを察したが、こちらとて負傷させられた身だ。
あのオープンキャンパスでは犠牲者も出た。『テロ犯はアーシアンだ、地球寮の奴らもグルだ』まことしやかに囁かれる、噂の真偽は定かじゃないが、女学生に扮したテロリストの二人組が身を寄せていたのが、この地球寮であることは間違いない。
学園に在籍する学生達の総意とは言わないが、多少なりとも悪意が地球寮へと向かうのは如何ともしがたい事だろう。それはこちらの与り知るところではなく、今はそれに対してどうこう言う事が目的でもない。
兄さんに頼まれた『あいつらが困っていたら手を貸してやって欲しい』との言葉が重しとなって、心どころか体の方までズシリと重くなった気がしたが、今の僕の胸中はそれどころじゃない。嫌気が差して、思わず唇を噛み締める。

他人のことよりも、まずは自分の事だろ。次に会社、そしてジェターク寮だ。
なんでこうも余計は事まで引き受けようとするんだあの人は__。
…まあ、兄さんには、後から報告だけは入れておこう。
僕はそれらの情報の一切を無視したまま、一瞥したのみで黙っていた。

 少しして、先ほどの男子生徒がデッキブラシを片手に戻って来た。パンランチは、ミオリネが熱心に管理している温室へ向かったらしいと教えられ、僕は地球寮を後にした。


黙々と歩く間に考える。
何故パンランチがあの温室に…?
結局周囲を散々巻き込みながら、毎度大きな騒ぎを起こしてきたミオリネは、紆余曲折を経て、ホルダーの座を取り戻した兄さんと元鞘に収まった。
ミオリネは確か本社だ、兄と今後の方針を協議中で不在のはず__。


 木々の茂る歩道沿いに歩く中でふと気付く。普段は背後や傍らで、煩いくらいにお喋りが鬱陶しい二人組が、ひそひそ話すらしない。押し黙ったまま静々と、足音まで消すかのように付いてくる。兄さん推し・兄弟箱推しの二人組とは気がよく合うから、僕も付き合いがそこそこ長い。こちらのピリピリとした雰囲気を感じ取っているのだろう。

そうだよ、今、僕は機嫌がすこぶる悪い。

 自分の過去を、記憶の全てを取り戻した堅忍不抜の兄さんは、またしても僕に何の相談もなく、独断専行を続けているからだ。
そういうところは心底気に食わない、父さんにそっくりだ。いつだって、僕の話に少しばかりも耳を傾けようとしない。
頼りにされないどころか、こうやって遠ざけられて、再び制服に袖を通している。
僕とて一時的にでも、数月間はCEOの代理を務めてきた身だ。兄さんより知ってることも分かる事も、相当あるはずだ。僅かでも力になれる部分は必ずある__。
それを有無も言わさず一刀両断に退けられた。今現在の身の上は、僕にとって屈辱以外の何ものでもない。
 

 パンランチがその場にいた理由は、温室を目前にして判明した。目立つ髪色のお団子頭の小娘が、温室前の階段に腰掛けながら中に向かって鋭い口調を投げたところに、温室の中から面憎いあいつの声が返ってきたところだった。

あいつ、まだこんな所をウロチョロしているのか__。

無性に腹が立った。

「いつまでここにいるつもりだ、お前はもう要らないんだよ、空っぽの水星女」

ここに来るなり耳に届いてしまった会話の一部『あの人に釣り合うなんて、勘違いしていた自分が馬鹿だった、悪いのは自分だ』との意味合いの呟きが、グサリと僕にも刺さり、苛立ちから脊髄反射のように棘どころか、思い切り杭を差すような言葉を投げてしまった。
僕が怒りに任せて咄嗟に毒づいた言葉は、またしても、そのまま自分に突き刺さった。
鋭い矢となってこの胸を深く抉って。酷く胸が痛い。
__自業自得だ。

いったい自分は何をしているのだ。
僕はこのピンクのポンポン頭に礼を言いに来ただけのはず__。

血潮の音がどくどくと、耳に煩い。無意識に拳を強く握った。
本当は分かっている。気付いている。嫌でも自覚しているのだ。兄さんは僕を頼らず、ミオリネを縋った。ランブルリングでは速攻沈められ、先日は兄さんの前で卒倒し、会社の業務も満足にはこなせなかった。ジェタークの現状は首の皮一枚でなんとか繋がっているようなもので、僕がしてきた事と言えば、ここ数ヶ月、辛うじてその危うい均衡を保ちながら延命させてきただけ。
僕から業務を引き継いだ兄さんは、それを目の当たりにして僕では頼りにならないと感じたのだろう、頼れないと判断したのだろう。

兄からそのように思われ、そのような目で見られている、そう言う事なのだ。忸怩たる思いに胸が拉げる。
それでも、それを認めたくないから、こんなに心が軋んで、波立ち、苛立ち、荒立って仕方ないのだ。

「好き放題言いやがって!!」
パンランチの小さな手が僕の胸倉を掴みにかかる。
「君とやり合うつもりはない」

安心しろ、お前には敵意も興味も無い。ただ儀礼的に謝意を伝えに来ただけだ。

「オープンキャンパスでは助けられた、礼を言う」
「…ッ!? 何の事だよ」
虚を突かれたように、その手をパッと離したパンランチが一歩下がる。

まあ、随分前の事だからな、頭からすっぽ抜けているのも当然か__。

兄さん、もうこれで良いだろう? 義務は果たした。
今は一刻も早くこの場を離れたい。

踵を返して歩き出す。
「今はそれ、関係ねーだろうがよっ!!」
背後から粗暴の中に困惑が混ざったような声と、激しく地団太を踏む音が小さく聞こえる。

 固く握った手のひらに、爪の先が食い込んで痛みを感じる。だが、より激しく痛むのは心の方だ。
空っぽなのはお互い様だ、どちらも蚊帳の外に置かれ突き放された。
僕は、兄さんに頼りにされず遠ざけられた。
水星女。お前はあの女に良い駒だとか弾避けだった、とか言われていたな。酷い言い草だ。流石に同情を禁じ得ないが、兎にも角にも、お前は婚約者に捨てられた。
…考えて見れば僕も同じか。
兄さんは自分が寝てる間に、僕が永遠の愛を誓った事なんて知らないだろうが__。

そこでそうやって、こちらに背を向けながら、こっそり涙を拭うんじゃない。
こっちだって本当は泣きそうなんだ。それを必死に堪えて、こうやって拳を握って耐えてるんだ。

 だから礼を言ったら即座に踵を返した。これ以上あいつの惨めな姿を視界の中に収めたくなかった。あいつを見ていると、自分を見ているようで無性に腹が立つのだ、泣き出したくまでなってしまう。

 水星女は大キライだが、その哀れな姿や成れの果てを目の当たりにして、心が急速に冷めてしまった。彼女への怒りは鎮まり返って沈黙した。その代わりに沸々と沸き上がってくるのは新たな怒り。それが地中から噴き上がるマグマのように、ドクドクと、身体の中で激しく脈打ち燃え上がる。

我が儘で、傲慢で、いつもツンケンしてて__。まあここに関しては、他人の事をとやかくは言えないが。
周囲の者を散々に振り回して利用することしか頭にない、水星女を捨てたあいつ。僕から愛する兄さんを奪い取った、あいつへの激しい怒りだ。
強く噛んだ唇からは、仄かに鉄の味がする。
僕の怒りの矛先は、急角度で旋回すると総裁の娘、ミオリネへと向かった。


 無意識に速足になってしまっていたのか、ペトラとフェルシーの足音が聞こえなくなっている。足元へと落ち、地面を睨み付けていた視線を上げてみれば、鬱蒼と茂る木々の狭間だからだろうか、辺りはすでに薄暗く、夕闇に近い寂しげな橙色に包まれている。
歩を止めて耳を澄ますと、急ぎ足の足音が二つ、背後から近付きそのまま長く伸びた影と共に横を通り過ぎる。
追い抜きざまに「お疲れ様です」「お疲れ様っす」と小さく声が掛けられた。

たぶん、兄さんに頼まれて、嫌々付き合ってくれていたのだろう。感謝はしてはいるが返事はしなかった。と言うより出来なかった。うっかり口を開けば、震えた声が出てしまいそうだった。

 鬱蒼とした木々の狭間に闇夜が迫る。握り締めた両の拳は、小さく震え続けている。
今にも途絶えそうな弱々しいオレンジ色の光の中に、一人きりで取り残されると、緊張の糸が途切れたのか、地面の色がぽつりぽつりと色濃く変わった。
握り締めた拳を解こうにも、痺れてしまった指先は簡単には解けてくれない。せり上がりそうになる嗚咽の波を無理やり喉元へ呑み込んで、緩く握られたまま固まる拳の甲で頬を拭った。

僕はあんな風にはなりたくない。あのように惨めな姿を晒したくない。
愚鈍で、惨めで、情けない水星女__。
お前と僕とは違うんだ。
僕はこの気持ちを否定しない。兄さんを、綺羅星みたいに輝くあの人を諦めない。彼女のように自分の気持ちに蓋をして、間違いや勘違いだなんて認めない、絶対に__。

 目の前から兄さんがふつりと消えて、宇宙の闇に解けてしまったあの時点から。
僕は、依然の僕ではいられなくなった。
諦めることなんて出来るもんか。もう二度と失いたくない。やっと掴んだ腕を離すくらいなら、引き千切られた方がマシだ。
あなたを失うのなら、この生に意味などありはしない。僕にとってあなたはそんな存在なんだ。

だと言うのに、今の僕では彼の傍には近寄らせてすら貰えない。
兄の傍には水星女を使い捨てにした、あの女が控えているのだ。
人の心を弄び、利用するだけ利用して使い潰し、要らなくなったらゴミでも放るようにポイと捨てる。
成果の芳しくないグループ会社へ、機会の一つもやらずに無慈悲に切り捨てた、総裁の温度の無い瞳が脳裏に浮かぶ。さすが親子だ。あの冷酷な父親のやり方とそっくりだ。

水星女は不気味な愛機と共に『水星から来た恐るべき魔女』と陰口を叩かれてきたようだが、今の僕には冷酷非道なあの女の方が、よほど腹黒い、悪魔のような魔女に思える。
そんな『悪い魔女』のすぐ傍に、兄がいるだなんて背筋が凍る。

兄さんは心が綺麗すぎるから__。
きっと何も分かってなどいないのだ、いつものように。
また良いように利用され、不要になったら捨てられるに決まってる、さっきの水星女と同じだ。
そんなの絶対駄目なのに、会社のためにもならないだろうに__。
孤高を貫いてどうにかなるような問題じゃない。支え合わなきゃどうにもならないってこと、何より強く伝えたいのに。僕の発する言葉は、それこそ虫の言葉にでも聞こえるのだろうか。
いくら懸命に呼び掛けたところで、彼はこの声に、この言葉に、一つも耳を傾けてはくれない。

兄さんなんて、大嫌いだ。
…違うな、ごめん。大好きだからこそ、僕をいつまで経っても庇護対象としてしか見てくれない、そんなところが大嫌いだとも感じてしまう。
僕だってあなたの心を支えたい、あなたの全てを守りたい。
兄さんのこと、一番に想っているのはミオリネなんかじゃない、この僕だ。
彼のこと、誰より理解しているのはこの僕だ。
彼が選ぶべきは、ミオリネではなくこの僕なんだ。
僕こそが、あなたの横に立つべきなんだ。

" グエル " としての役割を思い出してしまった兄さんは、あからさまに僕を避け続け、ひたすら遠ざけようとする。
いったいどうすれば愛する兄に近付けるのか。その隣に立つことが出来るのか__。

 己の意に反して、次から次に雫を落とそうとする憎たらしい飴色を、解(ほど)けぬ拳で強く擦った。深い吐息が一つこぼれる。
すとんと落ちた拳と共に腕を下ろして瞳を開いた瞬間、自動点灯のガーデンライトが点灯し、目の前に滑走路が広がった。それに導かれるように、頭の中が一気に鮮明になる。

あるじゃないか。
魔女に対抗する手段が。
いるじゃないか、すぐ傍に。
僕には、強い味方がいるじゃないか。
悪魔のような悪い魔女に、打ち勝てる力を有する、同じ『魔女』が__。

『紛い物』と名付けられ、僕と同じように揶揄され、忌避され、疎ましがられ、格納庫の奥底で息を殺しながら、寂しげに独り佇むばかりの存在が。

ごめんよ。
君の事、うっかりすっかり忘れてた。
君はあの日、僕と兄さんのことを祝福するように、心の縺れの全てをバッサリ断ち切ってくれた。醜く爛れて肥大した、心の闇ごと燃やしてくれた。

だから。
きっと今回だって__。

財も権力も、全てを手にする『悪魔のような魔女』に打ち勝つためには、こちらもより強力な魔女になるしか道はない。
そうならば__、なってやるさ、魔女にだってなんだって。

憫笑を浮かべる悪魔の前で跪き、その手に取り縋ろうとする哀れな兄さんを止められるのなら__。兄さんを誑かし、テイよく利用し穢そうとする『悪い魔女』から切り離せるなら__、なんだってやってやる。

どうしてって__。
決まりきってる、僕は愛してるんだ彼の事を。グエルを。ボブを。宝石みたいなあの人を。
高潔でいつも孤高を貫きながら、傷をひたすら隠そうとする、ヒーローみたいな兄さんを。他人の痛みを抱いて自分のものにしてしまう、そんな心優しいボブを。
綺羅星みたいなあの人を__。

愛してるからこそ、こんなに心が乱れて波立ち悶々とする。そんな僕の気持ちを少しも分かってくれない、何一つ理解しようとしない。聞き分けの無い、分からず屋の兄さん。

正気を失ったその頬を叩き、濁った瞳を覚まさせるんだ。
一人じゃどうにもならないくせに、何でもかんでも独りで出来るからって、抱えきれないほど大きなものまで背負い込んで。自分は大丈夫だって、いつもいつも、やせ我慢ばかりして__。

それが傲慢だって言うんだよ。その高潔さを狡い奴らから利用されるってのに、あなたは純粋だから、良いように操られ、都合よく使われてることすら、自分一人じゃ気付けないんだろ。

……兄さん、あなたは見惚れるような気高き獅子ではあるけれど、その反面、酷く傲慢だ。真っすぐで、美しくて、お馬鹿さんで、愚か者だ。
だからこそ、このまま放っては置けないよ。
僕はあなたを穢されたくない。

世界はあなたみたいに真っ直ぐな心の人ばかりじゃない。僕には見えていても、綺麗な心のあなたには決して見えない、そんな世界も同時にあるんだ。

あなたは誰に対してもヒーローぶるし、基本優しい人だ。そこが大好きなところでもあるんだけれど、一緒に育った僕に対してまで、素直になってくれないところ、実は随分前から物凄く気に食わないんだよ。
それは立派な事じゃないって、今度ばかりは分からせてやる。
それはただの自惚れであり、傲慢だって、骨身に染みるまで分からせてやる。

君と僕とであの分からず屋の兄さんに、少しばかりお灸を据えてやろう、痛いほどに教えてやろう。もう僕らの前から消えないように、逃げ出せなんてしないように__。
少しばかり手足の自由を奪ったって構わない。手足に枷でも嵌めるか。それでも駄目なら釘でも打って。その代わり、後でたっぷり愛してやろう。


 学園正門の閉門を知らせる定時チャイムが鳴り響く。
辺りはすっかり暗くなっていて、気温も下がってきたのか薄っすらと肌寒い。

我に返った僕は、いまの今まで頭を駆け巡っていた、突飛で悍ましい考えに身震いする。

いや、駄目だろそんなの__。
あれは表に出さないって、そう自分で決めたじゃないか。

兄さんとも、このままのガンド技術を組み込んだ構造では、運用不可の無理筋だなって、そういう事で決着したじゃないか。
兄さんは__ボブは、身をもってそれを知っているし、僕も彼の様子を間近で見て来たのだから、嫌と言うほど分かってる。

一体何を言っている、何を考えているんだこの僕は。
落ち着け。そんな危険な考えは、今すぐ此処で振り払え。振り落とせ。そして忘れろ。

仄暗い闇の中、僕は一人、頭を激しく振った。
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