食堂北部での思い出


遅くなりました。元日です。あけましておめでとうございます。
この記事は,熊野寮OP. Advent Calendar 2022の21日目の記事です。
リンクはこちら→(https://adventar.org/calendars/7876)

今年もアドベントカレンダー企画があるのを知ってから,12月になるのを心待ちにしていて,12月になってからは1日の終わりにその日更新された記事を読むのを毎日楽しみにしていました。
ちゃんと期日を守って投稿をする人の方が少ないけど、性格が出るな~とか忙しいんだろうな~とか,顔が思い浮かぶ人たちのことを想像するだけでも、その時間は寮とともに在れるような気がして、それもまた楽しかったのです。


かくいう私も締め切りに遅れてしまいました。こちらはOP向けのアドベントカレンダーのため,知らん奴が書いてない,くらいにしか思われてないでしょうし、過ぎた日の記事に目を通してくれるような奇特な人もそういないでしょうから,投稿は誰かに読んでもらうためというよりも、空いてた日程に登録してしまった責任を果たすためだけに書いています。
あと,書くことで思い出に浸りたいだけです。

書く内容は2択で迷っていました。寮を出てから進学した他県の大学院を今年度で卒業するため、その学問での学びについてか、私とともに食堂北部民であったA3のKTくんが今年度で退寮予定と聞いているため、この機会に私が過ごした食堂北部での思い出を振り返っておくか。
どちらのテーマも今だから書けること、今しか書けないことであるのだけど,現役寮生が読んでもはえ~と思えるような内容であった方がいいかなという思考の方に傾いたため、食堂北部のことについて書くことにします。


食堂北部とは何か#

私が在寮していたのは2017年4月~2021年3月まで。
その4年間で食堂北部は大きく変遷し、そしてまた今、落ち着くところに落ち着いた、ような気がする。
そもそも食堂北部とは、寮生ならわかると思うが、食堂の北隅にあるけれど大学支給のテーブルが置いてあるわけでもない、いまいちよくわからないスペース。
時々ライブのステージが設置されたときには活気があるが、普段は使用されなくなった家具が置かれたりしている雑然とした空間で、メインの食堂とは一応隔てられているため寮内で落ち着いて勉強したい人が利用しているんじゃないかと思う。多分。


2017年の食堂北部での動き#

2017年に私が入寮した時も割と今と似たような感じだった。
いや,5,6月頃から開拓が進み始めたが、その前は“ごみ置き場”と呼ばれていたようだから今よりもっともっと酷い状態だったのかもしれない。
というかそんな場所が食堂内に存在していたことがよく許されたな…という感じもするが。
当時はまだ外に粗大ごみ置き場がなかった。
粗大ごみ置き場が創設されたのは2019年かそれ以降の話。

2017年に,“ごみ置き場”だった食堂北部を開拓し始めたのは,食堂北部について語るには抜きにして語れない、OTBさん。
入寮したばかりで特定のコミュニティに定着していなかった新入寮生たちに声をかけては,そこの間でのつながりを深めていき,私を含め当時の1回生の中にはOTBチルドレンと呼ばれた彼の子分みたいな人々がちらほらいた。

OTBさんの口車に乗せられ,我々は授業にもいかずに毎日レジスタンス=アヴァロンやポーカーをやっていた。
それを好んでよくやっていたメンバーが食堂北部で過ごす時間が長くなり,OTBさんが「ここにブロックの垣根を超えて交流できる談話室を作ろう」と言い出した。それが始まりだった。
この構想は初めとっても魅力的に聞こえた。
結論から言えば,私はその後の時間の多くを食堂北部で過ごすこととなり,自分自身のアイデンティティがブロックよりも食堂北部の方にあり,それなりに居心地も良かったから得していた部分は間違いなくあったけれど,現状を大きく変えることには当然多くの批判がついてきた。
これはOTBチルドレンの日頃の行いの悪さもあったと思う。
なんていったって寮生大会でたこ焼きを販売していたり(食堂やロビーで),壁に白いペンキを塗ってプロジェクターを映せるようにしたり,良くも悪くも目立つことばかりしていた。

OTBさんは自身の野望を実現するべく,具体的な策に着手し始めた。
まずは,当時食堂北部の大部分を占めていた壊れたビリヤード台を廊下に移動させて,空いたスペース(10畳くらいかな?)にマットを敷いた。
そしてそこに机やソファを配置して,靴を脱いでくつろげる談話室のようなスペースが食堂にできた。
わざわざ4階にある部屋まで行く必要もなく,食事・睡眠全てがそこで完結した。
冬にはこたつ布団もつけて、時が経つごとにますます設備が充実し,過ごしやすくなった。
昼過ぎに起きてもまだそこに寝ている同期がいて,そこでの結束感が授業に出ていない罪悪感を包み隠した。
2017年の食堂北部の様子としてはそんな感じ。


食堂北部で出会った楽しい人たち#

食堂北部と直接関係ないところで,2017年はよくわからない来訪者が度々寮に訪れたヘンな年だったので,記憶に残っている人たちを少し紹介する。

 ・國武神(くにたけのかみ)(https://www.youtube.com/watch?v=xvonsgz57t4)
右手でできることは左手でできる人。
丸太町通のイチョウの木の辺りを歩いていたところをOTBさんが声をかけて連れてきた。
私たちは「ギター侍」と呼んでいた。
ちなみにリンク先の動画はショートバージョン。
ロングバージョン(with元ミュージシャンであるOTBさんの即興カホン演奏付き)が見たい方は私が動画持ってるので直接どうぞ。
私はこの歌完コピしてます。
来た時期がちょうど常任委員長選挙の期間で、この人と歌いながら部屋回りとかした。絶対うるさかったよなあ。
寮との親和性は高そうでもっと居着いてほしかったんだけど,1日で追い出されちゃったらしい。
持ち前のコミュ力ですぐに仲良くなったC34(!?)で夜遅くまで騒いでいたらうるさすぎて個人的に出禁にされたとか。諸行無常ですね。


 ・うんちマン(https://www.unchiman.net/)
この人はどういう経緯で来たのかわからないけど、食堂北部に帰ってきたらいた。
なんかOTBさんが接待してた。謎。
あまり何喋ったか覚えてないし,どういう人だったのかも結局謎。


 ・Uっちゃん
この方は今でも寮に来てるのかな?
上記の2名とは違って一般人。ものすごエンターテイナー。
権利関係が絡んできそうなのでここでは書けないけど,OTBさんが声をかけたうちの1人なので一応。
バットで餅つきとかした。杵がなかったので。


また別の年には中国の映画製作会社の人が来たこともあった。
食堂で生活していると寮内の最先端の情報に触れていられるからそこは魅力。


2018年以降のこと#

それからの年には、ポーカー勢力が拡大して京大ポーカーサークルの人たちが1日の半分以上滞在するようになったり、KDP(Kumano Dormitory Poker)というLINEグループを作って月1くらいでポーカー大会が開催されたりした。
その寮外生が頻繁に出入りしているという状況に対する批判の声はよく聞こえてきて,受け身的な姿勢でありながらも攻撃の的にいたOTBチルドレンは見て見ぬふりをして,揉め事は全てOTBさんが捌いていた。
直接争いはせずとも,自分が批判されることをしているという自覚に、一抹の申し訳なさを感じてもいた。
数年をかけてこの集まりも,場所も,徐々に廃れていくのだが、それには単純にコンテンツへの飽きだけでなく,心の奥底にあったこの思いも関係していたのかもしれない。


2018年以降だったか,KDPの人々からカンパを募ってポーカーマットを4つ購入し,食堂北部にポーカーテーブルが常設されて様相が大きく変わった。
OTBさんは悪知恵を働かせて(?)文化部持ち込み企画としてその購入費に充てようとしていたが、ブロック会議で僅差で否決された。

その頃には食堂北部はOTBチルドレンが「占有している」というふうにも言われるようになり、事実,OTBさんは食堂北部を“空間P”と名付けて,我が物顔のように使っていたと思う。
ここについては,占有の是非,そもそもそれが占有にあたるのかというところから散々議論してきて,私も一定の考えを持っているため,私が自分たちの振る舞いを後悔していると誤解はしないでほしい。OTBさん個人への批判でもない。
空間Pの名前はおそらく仲間内でのみ共有されていた。
“食堂北部”では長いし、自分たちの場所として保証しておきたかったのだと思う。
“P”には3つの意味があるらしかった。
“Poker”,“Projector”,あと一つは忘れた。
多分ほとんどこじつけで、全部ポーカーからきていると思っている。イタい人々だった。


まとめ#

こんなようなことを,4年もやっていた。
その中ではメンバーも年ごとに入れ替わった。
メンバーとそうでない人を分けているつもりは全くなかったのだけど。
時が経ち,人が変わり,ここまで述べてきた食堂北部の姿が今では見る影もなくなっているのは当然のことだろう。
あそこはもう私の場所ではないから,今住んでいる人たちが、あの場所を思い思いに使ってくれたらそれでいい。
また数年くらい経つと,意欲のある人が現れて新たな形に開拓されていくかもしれない。
そんな姿をまたいつか見られたらいいな。
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