プロローグ


"ところでさ、リンちゃん"
「その呼び方は止めてください……どうしました、先生」
"いや、そこまで深刻って訳じゃないんだけど……ちょっと、相談があって"
「相談? 先生が、私にですか?」
"うん。リンちゃんはさ──"


"おばけって、信じる?"


ある日の昼下がり、七神リンは自身の耳から入って来た言葉に眉をひそめた。
理由は単純。その言葉を発したのが、他でもない連邦捜査局『シャーレ』の先生、その人だったから。

「おばけ、ですか」
"そう"
「……相談、というからには。そのおばけに苦労なされている、ということでしょうか」
"うーん……苦労してる、というか、ちょっと困ってはいるね"

困っている……とは言うものの、その声音にはそういった感情があまり含まれていないように感じる。
だが、それでも相談という形である以上、追求はしておいた方が良いだろう。

「具体的な事例などは?」
"そうだね……例えば、こないだ私が仕事をひと段落させて、シャワーを浴びようと思った時なんだけど"
「ええ」
"床が濡れてたんだ。当番の生徒はずっと私と一緒に仕事を手伝ってくれてたし……"
「誰かがシャワーを浴びに来た、ということでしょうか」
"一応、『使う前には声を掛けてね』って貼り紙もしてあるし、今のところそのルールを破った子もいなかったんだよ"

「成程……先程、例えば、とおっしゃいましたね。他の事例も?」
"あるよ。他には、そうだなあ……夜中の作業の合間に食べようと思って、クッキーを外に出したまま寝ちゃったことがあって"
「……はぁ……」
"いや、私ももっと早くやろうと思ってはいたんだよ? でも……"
「……続きを」
"あ、ごめん……それで、朝になったらクッキーが無くなってたんだ。しかも、それだけじゃなくて"

そこで一度言葉を切ると、先生は携帯端末を取り出して少し操作し……ややあって、こちらに画面を向けてきた。
表示されていたのは、一枚の写真。
机の上には空っぽの透明な袋と、ムッとした顔が簡単に描かれた付箋。そして、椅子の背もたれに掛けられたブランケット。

「……これは?」
"これはクッキーが入ってた袋。このブランケットは朝起きた私に掛けられてたやつで……"
「……」
"この付箋は、私のデスクにペタッと貼ってあったもの。誰に聞いても、描いた覚えは無いって"

ここまで聞いて、リンの脳裏には幾つか思い浮かぶことがある。
例えば、生徒のイタズラ。
シャーレには日々多数の生徒が出入りし、その中にはイタズラが好きな者だっているだろう。
そう思って聞いてみるが──

"うーん、確かにイタズラが好きな生徒もいるけど。でも、シャワーの使用報告しないイタズラなんて、するかな?"
「確かに、それは考えにくいですね。勝手に使っている最中に誰かが入ってくる……ということもあり得るでしょうし」
"でしょ?"
「では、何らかの記録は残っていませんか? 音声でも、映像でも」
"あー……それがね"
「……そちらにも、何か問題が?」

妙に歯切れの悪くなった先生に、話してください、と視線で促す。

"不思議なことに、何かしらジャマが入るんだよ。シャワーの時も、クッキーの時もそうだった"
「……それはそれで、シャーレの防犯設備の問題になりますが」
"あ、いや、普段は平気……なんだけど。イタズラの時だけノイズが入ったり、電源が落ちたり、何かがくっついたり"
「ということは、イタズラが済めば元に戻る、と」
"そう。一応、こういうのに詳しい他の生徒にもそれとなく相談したんだけど……機能に問題はない、ただの偶然だって"
「……ふむ。では、目撃者はいませんか? デジタルではなく、アナログな」
"そっちもダメ。急用で見れてなかったとか、忙しくて手が離せないタイミングだったとかで"
「……? そう、ですか」

機器に詳しい生徒、となるとミレニアムサイエンススクールだろうか。
目撃者の方は……何やら含みのある言い方だった気もするが、とにかくいなかったということだろう。

"で、最初の質問に戻るってわけ"
「……おばけを信じるか、ですか」

そうそう、リンちゃんはどう思う? ……などと話す先生の顔を見る。
……その表情は、相変わらず──

「……先生は」
"うん?"
「その──仮におばけと呼びますが──おばけの起こす諸問題を、解決したいと思っていますか?」
"いや、全然"

予想通りの回答が、予想以上の即答で帰ってきた。

"誰にも見られない、聞かれない、気付かれない……でも、確かにそこにいる。そんな子だって、私の生徒だから"
「……おばけ、ではなく?」
"ううん。たとえおばけでも、生徒だよ。きっとね"
「その根拠を、お聞きしても?」
"根拠、かあ……そう言われると難しいかも。『先生』としての勘、ってことで"
「勘、ですか」

ダメかな、と小さく呟く先生に、どう返したものか。
せめてもう少し具体的な根拠を……そう言おうとした筈なのに、私の口から出たのは、まるで違う言葉。

「……いいえ、それで十分でしょう」
"いいの?"
「はい。これは連邦生徒会ではなく、シャーレの……先生の問題でしょう。なら、その先生が納得されているなら」
"……"
「それに、先生には先生なりの……『大人』としての価値観や、考え方がおありでしょうから」
"リンちゃん……!"
「リン、です」
"あ、はい……"

……先生は、本当に件のおばけを生徒だと思っているのだろう。
先程までの話ぶりや、その表情、声色……そうしたものは、全て『生徒との思い出を話すとき』のものだった。
或いは、先生が先生として、生徒に対するように接しているからこそ、相手も生徒として振る舞っているのだろうか。

"で、相談の話なんだけどね"
「ああ、そうでしたね」
"おばけを信じるか……っていうのは、まあ相談の入口でね。ここからが本題なんだけど"

何はともあれ、これは先生の問題だろう。

"……イマドキの子って、どんなお菓子が好きなのかな?"

──少なくとも、今のところは。
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